37 過保護、そして勘違い
自分には治癒魔法が使える。あとは試してみるだけだ。とは言え人間で試すのには不安がある。
「スケットルさん、ありがとうございました!」
リリはスケットルに丁寧に頭を下げた。
「参考になったら良かったです。だいたいいつも救護所に居ますから、何か聞きたい事があったらいつでも来てくださいね」
医務室から出て、ラーラと一緒にギルドの玄関までスケットルを見送った。神官はもう一人いるが、いつまでも救護所を空ける訳にいかないのだろう。
「リリちゃん、随分色々と考えてたみたいね?」
「はい。私、多分治癒魔法を使えると思います。それでお願いがあるんです」
「……何かしら?」
「病気や怪我をしている動物はいないでしょうか?」
「動物? あ、人の前に動物で試したいってこと?」
「そうです!」
「なるほどね。どこに居るかなぁ」
ラーラは受付のルークや奥の部屋にいる経理や査定の職員達に聞いてくれた。終いには二階に上がってアンヌマリーの所まで聞きに行ってくれる。リリは申し訳ない気持ちになった。
「リリちゃん! 一番可能性が高いのは、東の牧場じゃないかって」
「ああ! ありますね、牧場」
「私、今から行って牧場主に聞いてくるわ」
「え!? じゃあ私も一緒に」
「駄目よ。遅くなるから今日は帰りなさい?」
東の牧場は、マルデラの東門を抜けて三十分くらい歩いた所にある。肉牛や乳牛、豚や鶏などを育てるいくつかの牧場が固まっている場所だ。このギルドから東門まで三十分くらいかかるので、往復の時間と牧場主に話を聞く時間を合わせると、確かにラーラが言う通り遅くなってしまう。
「……ラーラさん、すみません」
「謝らなくて良いの。私はリリちゃんの先生だもん。生徒が学ぶ準備は先生の仕事よ」
「ありがとうございます!」
「どういたしまして。明日のお昼、お店に行くわ。牧場に行けそうだったら東門で待ち合わせしましょう」
「分かりました!」
再度ラーラにお礼を言って、リリとアルゴは帰路に就いた。
ラーラはそのまま西門近くにある貸馬屋を訪れる。リリと背丈が殆ど変わらないラーラであるが、これでも冒険者を八年やっている。馬くらい乗れるのだ。町の中ではスピードを出せないので、西門を通って外に出、南側の壁沿いを東へ向かう。壁沿いは騎士団や衛兵の行き来を考慮して道が均されているのだ。徒歩だと一時間かかる牧場まで十五分で到着した。
マルデラの東側にある牧場地帯は、ここだけで町の住民全ての食肉や卵、チーズやミルクを賄っている。簡易な木の柵で囲まれた土地で家畜を育てているが、魔獣による家畜の被害は稀だ。牧場主やその家族は大抵攻撃魔法の訓練を受けていること、また牧場地帯の重要性から騎士団が周辺の見回りを強化していることが理由である。
四つの区画に分かれている牧場を訪れ、ラーラは牧場主一人一人に事情を話して協力を仰いだ。怪我や病気の家畜に金を掛けて治癒魔法を施す酔狂な牧場主は居ない。ちょうど明日潰される予定だった豚二頭が見付かり、治癒の練習台にしても良いという話になった。都合が良い事に、一頭は病気、もう一頭は後ろ足の怪我である。死んでしまわないように念の為治癒魔法を軽く掛け、明日の十四時半くらいに訪れることを約束した。
ラーラは満足して西門方向へ馬を走らせる。自分でも何故こんなに気持ちが軽やかなのか不思議だった。少し前なら、誰かの為に何かをするのが億劫だったのだ。
「ああ。リリちゃんが治癒魔法を使えそうって言ったからだわ」
馬の背で独り言ちる。スケットルの治癒魔法を見て、いくつか質問し、その後一生懸命何やら考えていた。あまり自分を出さないリリが、自分から「使えると思う」と言ったのだ。きっとかなりの自信があるに違いない。
そもそも浄化魔法に僅かながら治癒魔法が混ざっていたのだ。素質は十分と言えるだろう。ただスケットルが言ったように、本来は先輩の治癒魔法を何年も見て覚えるものである。十一歳の子がいきなり使えるとはラーラも思っていない。思っていないが、どうしても期待してしまう。何せちょっとコツを教えただけで、いきなり最上位の神聖浄化魔法を使うような子だ。
「レイシアにも会わせたいな」
火傷痕を治せるなら、もちろんそれが一番だ。でも、そうでなくてもリリという子を自分の幼馴染で親友であるレイシアに会わせたいと思った。
明日のこと、そしていつかレイシアにリリを会わせること。それらを想像してワクワクしている自分に気が付く。あの事故から二年、常に罪悪感と焦燥感に駆られ、忘れていた感覚。初めての場所に冒険に行くような、不安と楽しみが綯い交ぜになった感覚。ラーラは思い出していた。私はこの感覚が大好きだった、と。
馬の背に揺られながら、自分でも気付かないうちにラーラは自然と笑顔になっていた。
翌日の昼過ぎ。約束通り、ラーラが「鷹の嘴亭」に来てくれた。またアンヌマリーと一緒である。牧場に行けるよ、と告げたラーラは当たり前のように空いている席に着いた。お昼を食べて行ってくれるようだ。二人ともオムレットライスを注文した。今日もリリは手伝いだけなので、配膳をしながら二人と会話を交わす。
「リリ、あんた浄化魔法がちゃんと使えるようになったんだって?」
「はい! ラーラさんの教え方がすっごく上手なんです!」
「え、いや、そんなことない……」
「そんなことありますって! 今まで何も知らずに何となく魔法を使ってたんだなーって良く分かりました」
「そうかい、そりゃ良かった。うん、ほんとに良かったよ」
アンヌマリーが、ギルマスらしからぬ柔らかい笑顔で答えてくれた。その後、オムレットライスを食べた二人があまりの美味しさに目を見開く所までがテンプレである。もはや様式美だろう。二人の様子を見ながらクスクスと笑い、リリは手伝いに戻った。
片付けを終え、二階で遅めの昼食も終わらせたリリは、アルゴを伴って東門に向かう。すると向こうから見慣れた顔ぶれがやって来た。
「ジェイクおじちゃん!」
「おお、リリ! 元気だったか?」
「元気って、三日会わなかっただけじゃん」
ジェイク達「金色の鷹」は、領都エバーデンまで護衛の依頼を受けていた。今ちょうど帰って来たらしい。
「リリはどこに行くんだ?」
「牧場だよ。えーと、豚さんの所?」
「何しに」
「治癒魔法の練習」
「え!? リリちゃん、治癒魔法使えるの!?」
アネッサが声を上げる。他の三人も顔に驚きが浮かんでいた。
「あ、いや、使えるかも……それを確かめに行くの」
「誰かに教えて貰ってるのかい?」
アルガンが心配そうに尋ねる。
「うん! アンヌマリーさんの姪っ子さんで、ラーラさんっていう人。とっても良い人だよ!」
「そのラーラってのは、ギルマスとおんなじ髪の色したちっちゃい子か?」
「ジェイクおじちゃん! そうだけど、そんな言い方したら駄目! ラーラさんはちゃんとした大人の女の人なんだから」
「そ、そうか、すまん」
ジェイクの軽はずみな発言をリリが窘めている間、クライブとアルガン、アネッサは「あー、東門の所に居たな」などと話している。
「え? ラーラさん、もう待ってるの? 急がなきゃ!」
「ちょっと待て、リリ。俺も行く」
「なんで?」
「牧場に行くんだろ? 危険だ。アルガン、ギルドに依頼達成を報告して来てくれ」
「えぇ……俺も牧場に行きたいのに」
「後から来りゃいいだろうが」
「分かった!」
そう言ってアルガンは全速力でギルドに走って行く。いやその前に、牧場が危険ってどういうこと? 私、豚さんに襲われるの? え、この世界の豚さんって狂暴なの?
「私も行くわ」
「もちろん俺も」
何故かSランク冒険者三人を引き連れて行く事になった。豚さんはそんなに危険なのだろうか? 牧場の人達は命懸けではないか。普段何気なく食べているけど、あれは牧場の人達が命懸けで育ててくれたお肉だったのか。もっと感謝しないといけないな。
リリは勘違いしているが、この世界の豚は地球の豚よりも大人しい。ジェイクが言った危険とは言葉の綾で、単にリリと一緒に居たいだけだった。あと、本当に治癒魔法が使えるのか興味があった。他の三人も同じである。
リリがアルゴだけでなく、さっき東門を通った冒険者らしき者達を引き連れて来たのを見て、ラーラの顔が引き攣った。
「ラーラさん、こんにちは! 待たせちゃってすみません」
「ううん、待ってない。私も今来たところよ。ところで、その人達は……?」
デートに遅れて来た彼女に彼氏が言うような台詞を吐いたラーラは、リリに説明を求める。だがリリが答える前にジェイクがずいっと前に出た。ラーラが一歩後退る。
「俺達は『金色の鷹』、俺はジェイクってもんだ。リリの父親代わりだ」
え、ジェイクおじちゃんって私の父親代わりだったの……? 父親気取りの間違いでは? リリが辛辣な事を考えている間に次々と自己紹介が進む。
「私はアネッサ。リリちゃんの姉代わりよ。よろしく」
「俺はクライブ。俺は……まぁリリの親戚みたいなものだ」
アネッサは自分を姉代わりと思っていたらしい。クライブは少し遠慮したようだ。ラーラが目を白黒させながら答える。
「ラーラ・ケイマンです。アンヌおばさんの依頼でリリちゃんに魔法を教えてます」
「金色の鷹」はラーラも知っている。クノトォス領内では一、二を争う実力派Sランクパーティだ。そう言えば、数年前にメンバーの一人が亡くなったって……ああ、そうか。それがリリちゃんのお父さんなのか。それに思い当たり、彼等の自己紹介にも納得した。
全員で牧場に向かって歩き出そうとした時、一台の馬車がやって来た。御者台にはアルガンが座っている。
「リリちゃん! 牧場までちょっと遠いから馬車を借りてきた! さあ乗って乗って!」
アルガンのファインプレーに、ジェイクが「しまった」と苦い顔をする。歩いても三十分くらいなのに馬車を借りてくるなんて、Sランク冒険者ってやっぱりお金持ちなのね。ラーラは感心しているが、単に過保護なだけであった。特にジェイクとアルガンがお互い競うようにリリを甘やかすのである。
「あ、ありがとう、アルガンお兄ちゃん」
「おう! お安い御用さ!」
リリにお礼を言われただけで有頂天のアルガン。もう二十二歳なのに結婚どころか彼女の話も聞かない。リリはアルガンの事が心配である。密かにアネッサとくっつけば良いのに、と思っている。
「アルゴ、またお外を付いて来てくれる?」
「わふっ!」
全員で馬車に乗り、アルゴは少し離れて後ろから付いて来る。馬が怯えないよう配慮しているのだった。そして十五分くらいで目的の牧場に到着した。
「おお、予定より早かったね……まさか馬車で来るとは」
「ええ、私も思ってませんでした。すみません、昨日話したより大人数になってしまって」
「ああ、それは別に構わないよ」
牧場主自ら出迎えに来てくれていた。リリが真っ先に挨拶する。
「リリアージュ・オルデンと申します。いつも私達の為に命懸けで豚さんを育ててくれてありがとうございます!」
「え? あ、いや、ご丁寧にどうも?」
豚を育てるのに命を懸けた覚えのない牧場主は、リリの挨拶に大いに戸惑った。大袈裟な子なのだな、と自分を納得させる。だがこれ程までに面と向かってお礼を言われて悪い気はしない。
「じゃあ豚の所に案内しますよ」
ジェイク達も自己紹介を済ませて移動する。歩きながらラーラからさっきの挨拶について尋ねられ、リリは「だって危険なんですよね? 豚さんって狂暴なんでしょ?」と答えた。ラーラがまたお腹を抱えて笑い、勘違いを訂正する。リリは恥ずかしくなって顔を真っ赤にし、俯きながら豚の所へ行くのだった。
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