36 この世界の治癒魔法
「あの、ラーラさん。イメージが全てってことは、そのイメージに見合う魔力があれば何でも出来ちゃうんですか?」
前世のアニメ等で見た、異世界ファンタジー作品で頻出する魔法。定番だと「収納魔法」や「転移魔法」だ。他にも死者を蘇生したり、時間を遡るような魔法もあった。そんな事が出来るならお父さんとまた会える……?
「うーん……。私も全ての魔法を知ってる訳じゃないし、どこが限界なのかも分からない。ただ、世界の理に反するような魔法は発動しないはず」
世界の理か……。言われてみれば確かにそうだろう。そもそも収納魔法とか転移とか、何をどうイメージすれば良いのか分からない。別の空間? 次元? そういった前世でも科学的に説明がつかないものについては想像というより妄想になってしまう。死者の蘇生なんて映画で見たゾンビになりそう。時間遡行などそれこそ理に反しそうだ。
「そうですよね……。いくらイメージが全てと言っても、理屈が分かっていないと駄目ですよね」
リリには日本で過ごした前世の記憶があり、この世界より遥かに文明が発達していた。そこで得た知識や経験に基づくイメージなら、大抵の事は魔法で再現出来そうだ。逆に頭で考える分、理解が及ばない方面、知識や経験がない方面ではイメージが出来ないという弱点もある。
「うん。そういうのは一緒に探りながらやっていこう」
「そうですね!」
「じゃあ、今日は浄化魔法が成功したってことで、明日から治癒魔法を練習しようね」
「はいっ! ラーラさん、明日からもよろしくお願いします!」
治癒魔法か……私に出来るのかな? 使えるようになったら、ラーラさんのお友達を治すんだ。うん、出来るかな、じゃなくて絶対習得するんだ!
ふんすっ、と鼻息も荒く、リリは決意を新たにした。小部屋から出るとアルゴが大きく伸びをする。随分窮屈だったらしい。その姿はまるで猫のようだった。ラーラに別れを告げ、受付のルークにも挨拶して帰路に就いた。
「おねえちゃん、おかえりっ!」
「わっ!? ミルケ、もう大丈夫なの?」
「うん! もう元気になったよ!」
家に帰ると、ミルケが勢いよく抱き着いてきた。頭を撫でながら額に触れてみると、出掛けた時より熱が下がっている。自分の額と比べてみたら殆ど変わらない気がした。
「お母さん。ただいま。ミルケはもう動いても大丈夫なの?」
「おかえりなさい。ええ、私もびっくりなんだけど、あなたが出掛けて三十分くらい経った頃かしら? 熱が下がって、目を覚ましたら『お腹空いた!』ですって」
キッチンに立っていたミリーが、リリを振り返りながら教えてくれた。
「そうなんだ、よかったー! あ、私も手伝うよ」
「あらそう? ありがとう」
リリが母の手伝いを始めると、ミルケはアルゴにじゃれついていた。自分の何倍もある大きさのぬいぐるみに抱き着いているように見える。アルゴは尻尾をパタパタ振り、ミルケを前足で抱きかかえる。そんな二人の様子を見て、リリはほっこりした気持ちになった。
ミリーが作っているのはクリームシチューだった。いつもより野菜や肉を小さめに切って煮込んでいる。リリは手早くサラダを用意し、ミルケの為にパンを甘いミルクで煮込むミルク粥を作る。砂糖だけではなく、少し塩と胡椒も入れるのがポイントだ。ミルケはこのパンがトロトロになったミルク粥が大好きなのだ。消化も良いし、病み上がりでもたくさん食べられるだろう。自分と母には普通のパンを用意する。
「さあ、出来たわよー」
料理をテーブルに運ぶ。子供用に高く作られた椅子に座らせてあげると、ミルケは目を輝かせた。
「やった、ミルク粥がある!」
「お姉ちゃんが作ってくれたのよ」
「ありがとう、おねえちゃん!」
「たくさん食べてね」
「はーい!」
隣に座ったリリはミルケの頭を優しく撫でた。七歳離れた弟は兎に角可愛い。見た目も可愛らしいが、自分や母に甘える所が何とも言えない。リリはデレデレしそうになる顔を何とか引き締めて食事を始める。食べながら、母に今日あった嬉しい出来事を報告する。
「お母さん、ラーラさんと仲良くなれた!」
ラーラから浄化と治癒の魔法を教えて貰う件は既に報告済みだ。
「そう、良かったわね!」
「うん! それと、浄化魔法もちゃんと使えるようになったよ!」
「え、そうなの? 早過ぎない?」
「えーと、元々何となく使えてたんだけど、イメージをちゃんとするようにしたの。魔法はイメージが全てなんだって! お母さん、知ってた?」
「うーん、聞いた事があるような無いような」
ミリーは冒険者だった頃も魔法を攻撃に用いた事がなかった。ミリーが使えるのは生活魔法レベルの火・水・風魔法。リリが使っているような魔法と同じだ。いや、ミリーが使っているのを見てリリが覚えたと言うべきだろう。
ダドリーはリリに魔法を教えなかった。下手に教えて、娘を危険な仕事に就かせたくなかったのだ。ただ、リリから請われればきちんと教えるつもりではあった。
「神聖浄化魔法っていうのが使えたよ!」
「へぇ、そうなのね。リリ、偉いわ!」
「えへへ」
「ぼくも魔法使いたい!」
「ミルケがもうちょっと大きくなったら教えてあげるね」
「うん!」
ミリーはあまり魔法に詳しくないのでリリの言葉に反応が薄かった。それでも褒めるのは忘れない。ミルケは姉が褒められたので自分も褒められたいだけであった。
ミルケの熱が下がって元気になったのは、リリが出掛ける時に掛けた浄化魔法に治癒魔法が混ざっていたからである。浄化魔法で熱の原因であった病原菌が死滅し、治癒魔法が弱った体力を回復させた。自分でも知らない間に、高度な医療を弟に施していたのだ。
翌日。ミルケがすっかり元気になったので店の料理はミリーが作り、リリは軽く手伝いをするだけになった。ミリーは手伝わなくても良いと言っているのだが、何もしないと軽い罪悪感に苛まれるのだ。店の厨房に立つ事が、最早習慣になっているのだろう。昼の営業が終わり片付けも済ませ、リリはアルゴと共に冒険者ギルドに向かった。
「ルークさん、こんにちは」
「リリさん、こんにちは。ラーラさんから、ちょっと待っててくれって伝言を預かってますよ」
「分かりました。ここで待ってて良いですか?」
「ええ勿論」
ギルドの壁際には買取の査定が終わるまで座って待てるようにベンチが置かれている。今も何組かの冒険者がそこに座って談笑していた。隅っこの空いているベンチに座り、足元にアルゴが寝そべる。
ギルドに来る時は常にアルゴが一緒なので、これまで絡まれたりした事はない。唯一シュエルタクスのギルドで絡まれただけだ。あの人、何て名前だったっけ……。ああ、ザックさんだったかな。あの時グエンさんが止めてくれて、それが縁でラーラさんと出会ったんだ。そう考えると絡んできたザックさんにも感謝だな。
「リリちゃん、お待たせ」
「あ、ラーラさん!」
考え事から顔を上げると目の前にラーラが立っていた。隣にどこかで見たような男性が立っている。
「こんにちは、リリさん。僕はスケットル・バートン。救護所で何度か会いましたね」
「あ! こんにちは。スケットルさんっておっしゃるんですね」
救護所と言われて思い出した。三年以上前、ダドリーとジェイク、クライブが瘴魔鬼と戦って二人が大怪我を負った時、治療に当たってくれた神官の一人だ。そう頻繁ではないが、あの後も救護所にミルケを連れて行ったりして会っている。いつも神官さんと呼んでいたので名前を聞くのは初めてだった。
黒い詰襟の神官服を着たスケットルは、黒髪を短く刈った温和そうな男性だった。聞けば十年前からマルデラの救護所に勤めているらしく、現在三十三歳だそうだ。マルデラの女性と結婚して子供も二人いる。
「私も少し治癒魔法を使えるけど、やっぱり本職の人が使う魔法を見た方が良いと思ったの。それでお願いして来てもらったのよ」
「そうなんですね。スケットルさん、それにラーラさんも、ありがとうございます」
リリはぺこりと頭を下げた。今日は訓練所ではなく、昨日も使った小部屋の一番端に行く。そこはギルドの医務室で、他の小部屋よりだいぶ広くて窓もあった。冒険者が負った簡単な怪我などはここで治療するらしい。神官が呼ばれる事もあると言う。医務室に入ると、独特な消毒液の匂いがした。
机の前に椅子が二脚並んでおり、そこにもう一脚椅子を持ってくる。
「リリちゃんはここに座って見ててね」
「は、はい」
リリは何が始まるのか分からないまま、言われた椅子に座る。元々並んでいた椅子にラーラとスケットルが向い合せに座った。ラーラが左上の袖を捲り上げ、懐から徐にナイフを取り出す。それで自分の腕を切りつけた。
「ちょ、ちょっと、ラーラさん!?」
「大丈夫、軽く切っただけだから。じゃあスケットルさん、お願いします」
「分かりました」
軽くと言っても切り傷は四センチくらいある。血が盛り上がって腕から垂れそうになっていた。ラーラは平気そうな顔をしているが、何故かリリの方が痛そうだった。
「いきますよ、治癒」
スケットルが傷の近くに手の平を向けて唱えると、淡い黄緑の光が発生してラーラの腕を包んだ。目を凝らして見ると、傷が両端から塞がっていく。三秒程度で完全に塞がり出血も止まった。濡らした清潔な布で血を拭うと、どこに傷があったか分からなくなっている。
「すごい……」
治癒魔法で怪我が治るところを初めて見たリリが思わず感嘆の声を漏らした。
「スケットルさん、今のはどんなイメージをしたんですか!?」
リリが前のめりになって尋ねる。スケットルが少し苦笑いしながら答えた。
「皮膚と皮膚がくっつくイメージですね」
「え……? それだけですか?」
「? それだけですよ?」
待って待って。本当に? 出血したってことは血管が傷付いた筈。皮膚の下の薄い脂肪の層や、もしかしたら筋肉だって傷付いたかも知れない。
いや、病院で傷を縫う時も、結局は傷を塞いであとは組織が自然と癒着するのを待つだけだったっけ? ならこれで良いのかな?
「ラーラさん、痛みもないんですか?」
「んー、ちょっとだけ残ってるかな」
やっぱり。目に見える部分は治ったけど、見えない所が傷付いたままなんだ。痛みがあるって事は神経が傷付いてる訳だし。だとしたら、どれくらい深くまで傷付いてるか先に観察して、深い所から順に治していけば良いんじゃないだろうか。筋肉、血管、神経、脂肪、皮膚といった順で。その方が、表面だけ塞いで後は自然治癒に任せるより治りが早いんじゃないだろうか。
難しい顔をして考え込むリリを見て、ラーラは感心した。やはりこの子は相当頭が良い。真っ先にイメージについてスケットルに聞いたのもそうだし、今も見たばかりの治癒魔法について自分なりに考えている。
「ラーラさん、ここに医学書ってありますか?」
「イガクショ? それは何?」
「あの、病気や怪我の原因とか対処法が書いてある本です」
「本……いえ、そんな本はないと思う。スケットルさん、救護所にはありますか?」
「いや、僕もそんな本は見た事ないですねぇ」
二人の反応を見て、リリは「しまった」と思った。ラーラはさておき、神官であるスケットルでさえ医学書を見た事が無いらしい。どこかにはあるのかも知れないが、少なくとも一般的ではないという事だ。前世にあった家庭の医学的な本はないのだ。
「リリちゃんはそういう本を見た事があるの?」
「い、いえ、そういうのがあれば便利かなって思っただけです」
「そうですね、確かにそういう本があれば便利そうだ」
何とか誤魔化せたようだ。リリがこことは違う世界で生きていた記憶を持っている事は、何となく人に知られてはいけないような気がしていた。だから今まで誰にも話していないし、これからも言うつもりはない。
しかし……治癒魔法を使って治療を行う神官でさえ医療の知識がない? そんな事で正しく治療が出来るのか?
「あの、スケットルさんはどうやって治療を学んだんですか?」
「私は祝福の儀の後に神殿に入って、そこで先輩方の治療を見て学びました」
見て学ぶ? 頑固な職人かな?
「もちろん、勉強会などもありましたよ? こういう怪我の時はこんなイメージをすると良い、みたいな事例をみんなで共有していました」
「なるほど……病気はどうなんでしょう?」
「病気の場合、治癒魔法は効く時と効かない時がありますね」
「病気の場合はどんなイメージをするんですか?」
「イメージと言うより、神に祈りを捧げます。この者に癒しを、健康な体を取り戻す力をお与えください、という感じです」
なるほど……原因が分からないから、ざっくりと「健康」をイメージしているのか。だが、前世で医療関係の仕事をしていた訳ではない自分だって、症状を見ても原因は分からない。
「ああ、そうだ。先輩から聞いた話ですが、病気の場合は浄化魔法を掛けてから治癒魔法を掛けると良いらしいです。治癒が使える人は浄化も使える事が多いですからね」
何だろう、体を清潔にするのが良いのだろうか? それとも体に付着した菌を……菌! そうだ、食中毒の原因菌を取り除けたじゃないか。それなら、体に害のある菌やウイルスを死滅させる事だって出来るかも知れない。病気の原因が無くなれば体は快方に向かう。
リリは確信した。自分にはきっと治癒魔法が使える。




