33 ラーラ・ケイマン
王都グレゴールからガブリエル達が戻り、マリエルもスナイデル公国に帰る日になった。
「リリ、また来るからな! 絶対また会おな!」
「うん、マリエル気を付けてね? 待ってるね!」
これまでそんな事は無かったのだが、今回は長い間一緒に居たので離れるとなると急に寂しくなる。リリとマリエルは目に涙を浮かべながら抱き合った。
「大袈裟やなぁ。今生の別れとちゃうねんから。ほな、リリちゃん。またな」
ガブリエルの挨拶はあっさりしたものだ。「カクタスの鎧」の面々やウルとも別れの挨拶を交わし、再会を約束する。リリは西門まで見送りに行き、馬車が見えなくなるまで手を振った。
「わふっ」
「うん。寂しいね」
また三月もすればダルトン商会の隊商はやって来るのだ。分かっているのに涙が零れそうになる。アルゴがリリの頭に自分の頭を擦り付けて慰めてくれる。
この世界は、前世で住んでいた国よりも遥かに危険が多い。自分とアルゴが一緒に居れば大抵の危険は回避出来ると思う。護衛の皆を信頼していない訳ではないが、自分がマリエルの傍に居ない時に、万が一の事があったらと気を揉んでしまうのだ。
いや、そんなのは言い訳だ。自分はただ、マリエルと一緒にいたいだけだ。
前世では遠く離れていても顔を見ながら話したり、発達した交通機関のおかげでその気になれば会いにも行けた。そうまでして会いたいと思う相手が居たかどうかは別の話である。この世界では距離はそのまま物理的な障害だ。だから寂しさが募るのかも知れない。
リリは気付いていないが、同年代で心を許せる相手がマリエルだけなのである。マルデラにもリリと歳の近い子は何人も居て、ほぼ全員と顔見知りだ。だが、マリエルのように何でも話せる友達というのは居ない。これは、もっと幼い時に家に籠って本ばかり読んでいたのが原因の一つ。他にも、リリは転生者なので同年代の子より精神的に成熟しており、価値観が合わない事も原因である。
一方のマリエルも、父親について何年も旅をしている為に同年代の友達が居ない。対等に話を出来る子が居ないのだ。その点、年齢の割に大人びているリリはマリエルにとって非常に話が合う相手だった。
つまり、リリとマリエルは二人とも「ぼっち」だったのだ。惹かれ合うべくして惹かれ合ったのである。
そんな事情を知らないアルゴは、リリが鼻を啜りながら家路に就く隣でオロオロしていた。神獣には寂しいという気持ちが理解出来ない。戦闘面では誰よりも頼りになるが、女の子の心のケアはアルゴには荷が重い。それでも、悲しそうなリリの為に自分が何かしてあげなければと思う。苦労性な神獣であった。
マリエル達が旅立った翌日。まだ心が晴れないリリの元に、冒険者ギルドから態々職員が迎えに来た。先日初めて会った職員で、名をルーク・ペルドットと言う。
「オルデンさん、ギルドマスターが会いたいそうで、時間があれば今からギルドに来れませんか?」
「あ、リリでいいですよ」
「じゃあ僕のことはルークと呼んで下さい!」
「ルークさんですね。ちょっと母に聞いて来ていいですか?」
「もちろんです!」
ルークは「鷹の嘴亭」をキラキラした目で見回している。ああ、この人はお父さんを英雄って言ってたから、英雄の妻と娘がやっている店は特別感があるのかも。
昼の営業が終わり片付けを手伝っていた所だったので、ミリーに抜けても大丈夫か確認した。母は「私も行こうか?」と言ってくれたが、ミルケも居るから一人で行くと答えた。
「お待たせしました。大丈夫です」
「では行きましょう」
「あ、アルゴ――従魔も連れて行っていいですか?」
「問題ないです!」
二階からアルゴを連れて来て歩き出す。ギルドくらい一人で行けるんだけどな、と思いつつルークに付いて行った。ギルドに到着すると、そのまま二階の応接室に案内された。ソファに座って所在なげに待っていると、アンヌマリーと若い女性が部屋に入って来た。
「リリ、待たせたね」
「いえ」
二人がリリの向かいに座る。
「こっちはラーラ・ケイマン。私の兄の娘、つまり私の姪だよ」
「はじめまして、リリアージュ・オルデンと申します」
「あ、ども」
リリは立ち上がって挨拶をしたが、ラーラと呼ばれた女性は目も合わせてくれない。
「……見ての通り、不愛想で人付き合いが苦手な子でね。ついこの前、王都からマルデラに来たのさ」
「は、はぁ」
つまりラーラは王都に住んでいたという事だろうか。
「性格に問題はあるが、魔法の腕はこの私が保証する。ラーラ、この子に魔法を教えておやり」
「ええぇ……」
ラーラはとても面倒臭そうな顔をした。アンヌマリーと同じ紫がかった黒髪を後ろで一つに結び、濃い紫の瞳をしている。ただし物凄く眠そうな目だ。
「どうせあんた暇だろ?」
「別に暇じゃない」
「嘘つけ! 私に仕事を紹介しろって泣きついたじゃないか」
「…………」
「ちゃんと報酬は出す。だからちゃんと教えな」
「あ、あの、アンヌマリーさん。ラーラさんの報酬は私が出しますので」
「何言ってるのさ? グエンからの頼まれ事だから、そんなの気にしなくていい」
アンヌマリーは知らないが、リリは結構お金持ちである。だから余計に申し訳ない気持ちになった。
「はぁ……まぁいいや。この子に魔法を教えればいいのね?」
「そうさ。基礎から教えてやってくれ」
「分かった」
「あ、あの、ラーラさん。よろしくお願いします」
「うん、よろしく」
アンヌマリーはラーラを「性格に問題がある」と言ったが、リリには何となく分かっていた。顔周りの靄を見るに、この人は重度の人見知りだ。自分も大概人見知りだが、成長するに連れて少しマシになってきた。ラーラの靄は濃い青(恐怖)が七割、濃い黄色(警戒)が三割。人と付き合うに当たって何かを怖がっているのだろうか。
「リリ、今日からでも大丈夫かい?」
「はい大丈夫です」
「じゃあラーラ、後は頼んだよ」
「……」
立ち上がったラーラが応接室から出て行くので、リリもアンヌマリーに目礼してその後を付いて行く。もちろんアルゴも一緒だ。一階に降りて裏の訓練所に行く間、ラーラの靄は黄色が殆どなくなって濃い青だけになった。彼女は一度もリリの方を振り返らない。とうとうそのまま訓練所に到着した。
「…………」
「あの、ラーラさん。もしかして、アルゴが怖いですか?」
「……別に」
嘘をつく時は黄緑色の靄が出る。それは出ていないので嘘はついていないようだ。
「私、ラーラさんとは初対面ですよね?」
「ええ」
これも本当。
「魔法を教えるのが嫌なんですか?」
「……別に」
わずかに黄緑の靄。教えるのが嫌じゃないとすると……。
「魔法を使うのが嫌?」
「そ、そんなことない」
黄緑の靄と濃い青の靄が半々になった。魔法を使う事に恐怖を感じており、それで教えるのに気が向かない、といった所だろうか。
しかし、アンヌマリーはラーラについて「魔法の腕は確か」と言った。優れた魔術師が魔法を使いたくないとはどういう事だろう?
理由は分からないが、嫌々魔法を教えてもらうのはリリとしても本意ではない。
「ラーラさん、今日は魔法の事は抜きにしてお話をしませんか?」
「え? い、いいけど」
「じゃあうちの店に来て下さい! 何か美味しいお菓子を出します!」
「え、うちの店? お菓子?」
「はい!」
ラーラの事を何も知らないし、彼女もリリの事を知らない。報酬目当てで教えてもらっても別に構わないが、嫌だと思う仕事を無理にやって欲しくない。いきなりその理由を聞くのは憚られるので、少しでも打ち解けようと思いリリは「鷹の嘴亭」にラーラを誘った。
現在「鷹の嘴亭」は昼営業を終えた十四時から十七時の間、カフェタイムの営業を行っている。これは給仕のジャンヌさんの提案で始めたものだ。カフェタイム中は食事を出さず、紅茶とお菓子を提供している。お菓子はクッキー、チーズケーキ、プリンがある。このプリンが大人気で、カフェタイムの「鷹の嘴亭」はマルデラ女子の間で最先端のお洒落スポットになっているのだった。
もちろん、クッキー、チーズケーキ、プリンのレシピはリリが考案した。
少し話は逸れるが、ケチャップとマヨネーズの販売に関して、母と相談してダルトン商会の申し出を受ける事になった。きちんと契約も交わし、レシピとサンプルを提供済みである。
リリはギルド職員のルークに一言断り、ラーラとアルゴを伴って店へ向かった。今はまだカフェタイム中だ。ラーラに紅茶とプリンを奢るくらいのお金はある。多分、毎日奢っても一生かかるくらいのお金がある。
「あらリリちゃん! ミリーさんなら二階よ?」
「あ、いえ。お店でお茶したいと思って。二人座れますか?」
「ええ、大丈夫よ。アルゴちゃんはお外で大丈夫かしら?」
「あ、アルゴは二階に連れて行きます。ラーラさん、こちらにどうぞ」
「……ありがと」
「プリンがお勧めなんです。それでいいですか?」
「プリン? ……うん、それでいい」
「ジャンヌさん、プリンと紅茶、二人分お願いします」
「はーい」
給仕のジャンヌは二十六歳、栗色の髪と深緑の瞳が優しい印象の女性だ。結婚して六歳になる女の子がいる。ジャンヌが「鷹の嘴亭」で働いている間、その子は両親の八百屋で預かってもらっている。その八百屋は「鷹の嘴亭」が野菜を仕入れる店だ。
リリはラーラを席に案内すると、素早くアルゴを二階に連れて行き、すぐに降りてきた。
「すみません、ラーラさん。一人にしちゃって」
「別にいい……このお店は家族がやってるの?」
「はい、母のお店です。私もお昼は手伝ってます」
「へぇ、そうなんだ」
ジャンヌさんが紅茶を持って来てくれた。ラーラはそれに口を付けて「ほぅ」と息を吐いた。紅茶の茶葉はダルトン商会から仕入れたスナイデル公国北部産である。この辺りの紅茶より香りが強く、僅かに甘味があるのが特徴だ。
「美味しい」
「よかった。友達の国の紅茶なんです」
「友達……」
会話が続かない。友達、と聞いて青い靄が漂う。何か友達について悲しい事があったのかも知れない。
「マリエルといって、一つ上の女の子です。スナイデル公国の子なんです」
「ふーん」
「この町に三か月に一度来るんです。商人のお父さんと一緒に。ダルトン商会、聞いた事ないですか?」
「……ない。私、この町に来たばっかりだから」
「そうなんですね」
そこでジャンヌさんがプリンを持って来てくれた。皿の上でプルプル揺れるプリンに、ラーラの目が釘付けになる。スプーンで掬い、慎重に口へ運ぶ。
「何これ!? すっごく美味しい!」
「お口に合って良かった。これ、私が考えたんですよ?」
「えっ!? あなたが?」
「はい!」
厳密には前世の誰かが考えたものだが、この際細かい事はいいだろう。
「私、料理が好きなので……お昼のメニューも私が考えたんです。良かったら食べに来てください」
「へぇー……えっと、リリちゃん、だっけ? いくつなの?」
「十一です」
「その歳で料理が出来るんだ。凄いね」
「ただ好きなだけですよ」
プリンをきっかけにラーラの雰囲気が柔らかくなった。青い靄が薄れ、薄い黄色の靄が多くなっている。リリに興味を抱いた証だ。
「実は、三年前に父が亡くなりまして……瘴魔鬼にやられたんです」
「そう、なんだ……それは……大変だったね」
「それから、瘴魔が憎くて憎くて」
「そりゃそうでしょうね」
リリはラーラの方に身を乗り出して声を潜める。
「こしょこしょ(森で瘴魔を狩りまくったんです)」
「はぁっ!? あ、ごめん」
リリは元の姿勢に戻った。何の脈絡もなくダドリーの事を打ち明けたのは、自分が魔法を学ぼうと思った経緯を伝えたいからだった。リリは無理にラーラの事を聞こうとは思わなかった。無理に聞こうとすれば地雷を踏む恐れがある。それよりまずは自分の事を知ってもらおうと思った。
「さっき話した友達のマリエル、その子についてスナイデル公国に行ったんです。そこで瘴魔祓い士の人と知り合って、そのお仕事も見ました」
自分の瘴魔の倒し方は特殊で、炎魔法や浄化魔法は使えない。いや、体を綺麗にする程度の浄化魔法は使えると思っていたが、どうやらそれもちょっとおかしいらしい。ちゃんと魔法を学んだ方が良いとアドバイスされた。それでアンヌマリーがラーラを紹介してくれた。
かなり端折った説明だが今はこのくらいで良いだろう。
「……特殊な瘴魔の倒し方って、どういう方法なの?」
「それは……ラーラさんともっと仲良くなったら教えます」
「ええ……」
ラーラの顔には笑みが浮かんでいる。青い靄は殆ど姿を消し、代わりに黄色と薄いピンクになった。興味と好感だ。自分の事を話したのは正解だったようだ。
「それで、リリちゃんは炎魔法が使えるようになりたいの?」
「いえ。私の浄化魔法、治癒魔法が混ざってるかも知れないって言われたんです。治癒が使えるなら使えるようになりたいし、浄化魔法もちゃんと使えるようになりたいです。炎魔法は……要らないかな」
「そう……攻撃魔法は必要ない?」
「はい、必要ありません」
リリがきっぱり答えると、ラーラの顔には安堵が浮かんだ。一瞬の間を置いて、ラーラが意を決したように言葉にした。
「それなら私でも教えてあげられそうだわ」




