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29 瘴気溜まり

 翌朝、日の出と同時にリリ達は出発した。今回は少数が先行し、その後に輜重隊と護衛、最後に瘴魔祓い士と護衛という隊列である。リリとアルゴはもちろん瘴魔祓い士達と共に居る。


 太陽が昇ったばかりで森の中は陽の光が届かず凍えるような寒さだ。肌が露出している部分には容赦なく冷気が刺さる。互いに身を寄せ合うように進むが、アルゴの人気が異常に高い。まるで焚き火に当たるように、瘴魔祓い士達はそれとなくアルゴに触れるくらい近くを歩きたがる。リリにはその気持ちがよく分かるので、アルゴが嫌がらない限り咎めはしない。


 無駄口を叩かず黙々と森を歩いているうちに体が温まってきた。自然とアルゴの周りにもスペースが生まれ、先程まで窮屈そうだった彼ものびのびと歩いている。道中、小さな動物が現れる程度で、魔物や瘴魔とは遭遇しなかった。そうして二時間以上進むと目的地に到着する。


「これが瘴気溜まり……」

「そうだよ」


 リリの呟きにマルベリーアンが返答した。リリは少し離れた所からその大きな沼を見つめる。

 絶望を表す濃紺。深い悲しみの濃い青。赤黒い憤怒の色。濃い紫は妬みや嫉みだろうか。人を騙す時の深緑。リリの目には、そういった色の靄が沼の表面で激しく渦を巻いているように見えた。そして最も多いのが濃密な黒。負の感情が渾然一体となり、純粋な悪意へと変換されているように感じた。


 これは良くない感情の吹き溜まりではないだろうか。人や、知恵ある動物から漏れた負の感情が集まっているのではないだろうか。


 リリがそんな疑問を抱いている間に、瘴気溜まりの手前で小型の舟が組み立てられていた。それは舟と呼ぶにはあまりに頼りない大きさだ。聞けば、舟を操る者と瘴魔祓い士の二人だけで乗るらしい。元々、小さな川や湖などを渡って偵察に行く為の舟のようだ。自分があんなのに乗ると想像するだけで怖くなる。


「さあ、浄化魔法を使える者は集まっとくれ」


 マルベリーアンの声掛けで、瘴魔祓い士のティーガーとブランドン、それに共和国軍の兵士六名が集まる。他の兵士や騎士は周辺の森を警戒し、残った瘴魔祓い士は沼から新たな瘴魔が発生しないか注意深く見守っている。

 輜重隊の二人が舟を操るようで、マルベリーアンとティーガーがそれぞれ乗り込んだ。向かって左側の岸辺に残った者達が間隔を空けて並ぶ。そこから四十メートル離れてティーガーが、さらに八十メートル離れてマルベリーアンが沼に浮かべた舟の上に立った。公国騎士の一人が合図をする。


「浄化魔法、用意!」


 全員が集中する。準備が整った事を確認し、再び声を上げる。


「はじめ!」


 術者を中心に、その足元に青白く光る円が浮かぶ。人によってその大きさはまちまちだ。その円がなるべく重ならないように、それでいて隙間なく沼の表面を覆うように配置されていたようだ。光る円に触れた沼の表面から、淡い金色の粒子が空中に舞い上がる。


 初めて見る瘴気溜まりとその浄化作業。禍々しい瘴気溜まりが清められていく様は、神がかった美しさを感じさせる。浄化魔法の範囲外にいるのに、気分まで清々しくなるようだった。リリは瘴気溜まりが浄化される光景に魅了された。素直に美しいと思った。


「わふっ」


 隣のアルゴがリリの肩にこつんと鼻先を当てる。瞬きすら忘れて見入っていたリリは、それで我に返った。アルゴがじっと見ている方を注視すると、浄化の範囲からだいぶ離れた反対側の岸辺で、黒い靄が一つの塊になろうとしているのに気付いた。


「あれは……瘴魔が生まれてる?」

「わぅ」


 黒い靄はまだ不定形だが、その中心付近にぼんやり光る白い球が見える。距離は約二百メートル。射線上に誰も居ない事を確認し、リリはブレットでそれを素早く撃ち抜いた。直後に靄は力なく解け、寒風に吹かれて霧消した。


「あれ?」


 リリの立つ場所からは見えにくいが、発生しかけた瘴魔が消滅した後、その付近の瘴気も一瞬消えたように感じた。


「わぅ」


 アルゴの視線を追うと、また遠くの方で黒い靄が纏まりかけている。良く見ると白い球体があり、その周りに靄が集まっている。

 ハッとして沼全体を見渡した。マルベリーアン達は最初の浄化が終わり、場所をずらして次の作業に入ろうとしている。リリはアルゴと一緒にまだ浄化が終わっていない辺りに移動した。木が無い為沼には陽の光が差している。そのせいで見えにくかったが、沼から一~二メートルの空中に、白い球体がいくつも浮かんでいた。


 リリの目で見ても球体が発する白い光はとても弱い。これは一体何だろう?


 リリはまた射線を確保して、纏まりかけていた方に狙いを定めた。ブレットは狙い違わず白い球体を撃ち抜き、また靄は消失する。


「ねぇアルゴ、あの白い球って何?」

「わふ?」


 アルゴに聞いても分からなかった。そもそも白い球体は今のところリリにしか見えていないのだ。誰に聞いてもその正体は知らないだろう。だからリリはじっくり観察する事にした。


「ねぇ、リリちゃん。一人で離れたら危ないわよ?」

「しぃー」

「?」


 アルゴと一緒に少し離れた所に行ったリリを心配してウルがやって来たのだが、リリはそれどころではなかった。瘴魔発生の仕組みが分かるかも知れないのだ。ウルも何かを察してそれ以上は何も言わない。白い球体はふわふわと沼の上を漂うだけで、何か意思があるようには見えなかった。一方、マルベリーアン達の浄化作業は着々と進んでいる。既に沼の半分を終え、リリが居る場所の近くまで来ていた。


 そのまま二十分くらい経っただろうか。浄化作業も残すところ沼の四分の一ほどとなった。あれから新たな瘴魔発生の兆しはない。瘴気もだいぶ少なくなり、沼の上を漂う白い球体もいつの間にか数がかなり減っていた。何か重大な発見があるかもと考えたが、思い違いだったか。


 諦めかけたその時。残された僅かな瘴気から、空中に向かって黒い触腕が伸びたように見えた。それに掴まれた白い球体は逃れようとするかのようにフルフルと震える。だがそのまま水面近くまで引き寄せられ、白い球体の周りに黒い靄が集まり始めた。


 一部始終を見ていたリリだが、これが何を意味するのかは分からない。ただ分かったのは、どうやら瘴気だけでは瘴魔になれないことだ。瘴気、白い球体、触腕、恐らくこの三つが揃って初めて瘴魔が発生するのではないか。

 瘴気は多分、人や動物の負の感情だ。一方で白い球体や触腕については何も分からない。これがマリエルだったら、分からない事は分かるまで追求しそうだ。だがリリは、今分からない事は取り敢えず棚に上げておくタイプである。

 瘴魔の発生については気が遠くなるほど長い期間研究され、それでも殆ど解明されていない。自分よりも遥かに頭の良い大勢の人達が数百年調べても分からないのだ。自分になんて分かる訳がない。分からなくて当然だ。


 リリがこんな風に思うのは仕方のない事だろう。たった今、真実の一端に触れた事など彼女には知る由もないのだから。





 瘴気溜まりの浄化は恙なく終了した。浄化魔法を使用した者達は一様に疲れた顔をしているが、同時にやり遂げた事への安堵と達成感にも満ちていた。森を出て野営地に戻ったマルベリーアンはリリに告げる。


「思ってたより早く片付いたね。約束通りあんたをシュエルタクスに連れて行って、そこでマリエル達を待とうか」

「アンさん。実はウルさんもシュエルタクスに向かうそうなんです」

「クリープス様。もし良かったら、私がリリちゃんをシュエルタクスに連れて行きましょうか? クリープス様がシュエルタクスまで行ったら大幅な遠回りになりますから」


 ウルがそう提案した。確かに、マルベリーアンはリリを送っていく以外の用事はシュエルタクスにない。


「リリはそれでも良いのかい?」

「私は大丈夫です。アルゴもいますし」

「そうかい。じゃあウル、任せても良いかい?」

「はい、任されました! リリちゃん、よろしくね!」

「はいウルさん。よろしくお願いします」


 その日は野営地に一泊し、翌日一番近い町に戻った。そこから南へと向かう街道が伸びており、シェルタッド王国の王都シュエルタクスまで、馬車でおよそ五日の距離らしい。スナイデル公国に向かうマルベリーアンやコンラッドと、街道の分岐点で別れを告げる。


「リリ、少しは参考になったかい?」

「はい、とっても! アンさん、本当にありがとうございました」

「瘴魔祓い士になる、ならないは別にして、公国に来たら必ず顔を出すんだよ?」

「はいっ!」


 マルベリーアンと握手しようとしたら、彼女はリリを優しく抱きしめてくれた。


「コンラッドさんも、ありがとうございました」

「こちらこそ。また会おうね、リリ」

「はい!」


 コンラッドとは握手を交わす。アルゴは二人に体を擦り付けて親愛の情を表した。ウルが雇った馬車に乗り込みながら二人に向かって手を振る。


「ありがとー! また会いましょー!」


 リリとアルゴ、ウルは南へ。マルベリーアンとコンラッド達は西へ。それぞれが目的地へと進んだ。アルゴはまたリリ達が乗る馬車の後ろから付いて来る。

 馬車の中でリリはちょっと涙ぐんでいた。来る前は知らない人ばかりだと思って気が重かった。でも今は心から来て良かったと思う。マルベリーアンにコンラッド、ティーガーにブランドン、他の瘴魔祓い士達。公国騎士団、共和国軍の人達。皆いい人だった。

 自分は魔術師としては未熟もいい所だが、魔力はかなり多そうな事、学べば色んな魔法が使えるかも知れない事も分かった。他の人が瘴魔と戦う所や瘴気溜まりの浄化も見る事が出来た。普通では出来ない経験だったと思う。


 この数日間の事を思い出したり、ウルとお喋りしたり、時々外に出てアルゴの背に乗せてもらったりしながら、リリ達はひたすら南を目指した。街道は公国のように整備されていなかったが、アルゴがこっそり風魔法を使ってくれた事で思っていたより快適かつ早く移動できた。一番驚いていたのは御者の女性、パルカだ。この人はシュエルタクスから偶々公国の首都ファンデルに客を乗せて来ていたらしく、そこをウルに雇われたのだそうだ。女性の御者は珍しいそうで、一人旅になると思っていたウルは相場よりも少し高いお金を払って雇ったと教えてくれた。


 道中ではこれまでのようにリリが料理を担当し、ウルはいつも通り喜び、パルカもまた大層喜んでくれた。

 アルゴの気配で魔物も出現する事無く、予定より早い四日目には無事シュエルタクスに到着した。


「いやぁ、こんなに早く到着するとは思わなかったっすよ!」

「本当にそうね。ここまでご苦労様、ありがとう」

「パルカさん、ありがとうございました!」

「わふっ!」

「こちらこそありがとうございましたっす! またのご利用お待ちしているっす!」


 パルカは元気に挨拶して去って行った。


「リリちゃん、宿を取る前に冒険者ギルドに行って構わない?」

「ええ、いいですよ」


 通信手段がないこの世界では待ち合わせが難しい。日にちを決めていない場合は特に。そういった場合、冒険者ギルドが僅かな手数料で伝言を預かってくれるらしい。ついでにお勧めの宿も聞くつもりのようだった。

 リリも一応冒険者なのだが、マルデラ以外のギルドを訪れるのは初めてで少し緊張する。ウルに続いてリリとアルゴがギルドの建物に入ると、中に居た冒険者や職員が全員注目した。主にアルゴに。


 ウルはスタスタと受付カウンターに行ってしまい、リリとアルゴは入口を少し入った所に取り残された。そこに一人の男性冒険者が近付いて来る。


「お嬢ちゃん、こいつは従魔なのか?」

「そ、そうです」

「へぇ! すげぇ従魔だな!」


 テンプレで絡まれるのかと警戒したリリだが、意外にもアルゴを褒められて肩透かしを食った。


「こんな魔物を従えるなんて、お嬢ちゃんは見かけによらずすげぇんだな!」

「え、えへへ」

「そうよ、この子は本当に凄いんだから! この建物の中に居る人なんか一分も掛からず皆殺しに出来るわよ?」


 そこにウルが割り込む。そんな喧嘩を売るような台詞は止めて欲しい……せっかく平和な雰囲気だったのに。


「へぇ、そいつは聞き捨てならねぇな。こんな嬢ちゃんが俺より強ぇってのか?」


 ほら。冒険者さんの目が据わってる。


「そんな、私なんか全然よわよわで――」

「そうよ! あんたなんか瞬殺だわ!」

「ほぅ、面白ぇ。嬢ちゃん、ちょっと模擬戦に付き合ってくれよ」


 リリは頭を抱えそうになった。アルゴは面白そうに尻尾をゆらゆらと揺らしている。


「いや、私は――」

「いいわよ! リリちゃん、やっておしまいなさい!」


 なんでこうなった? 空気を読まないウルのせいで、リリはギルド裏にある訓練所にトボトボと歩いて行くのだった。

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