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28 リリの魔法はおかしいようです

 さらに東へ向かって二日目の昼。もう間もなく人が住めない領域、半島の根本付近に差し掛かる。共和国軍の小隊も三分の二が合流し、一団は二百五十名を超えていた。公国の騎士団と共和国軍から斥候が三十名ほど放たれ、森の中を捜索している。

 マルベリーアンを始めとした瘴魔祓い士達、共和国軍と公国騎士団の中隊長達が話し合い、やはり原因は瘴気溜まりだろうと結論付けた。斥候達が探しているのはその瘴気溜まりである。彼等が仮に見付けられなくても無駄ではない。その方面には「ない」という事が分かるだけで、その後捜索する範囲を絞る事が出来るからだ。


 だが、斥候の一人が早々に見付けてくれた。それは街道の終点から北東に三キロほど森へ入った所だった。公国の瘴魔祓い士達、騎士団の中隊長、共和国軍の中隊長達が一つの天幕に集まる。大雑把な地図を机に広げて現状の報告と作戦会議を行う。リリはアルゴと一緒に別の天幕でお留守番である。


「斥候の情報では森のこの辺り。横二百メートル、縦百五十メートル程の沼から瘴気が立ち昇っていたということです」

「近くに瘴魔は?」

「確認できなかったそうです」

「その広さだと、あたし一人ではいっぺんに浄化出来ないねぇ」


 マルベリーアンの最上位浄化魔法の効果範囲は半径約五十メートル。彼女一人ではとても足りない。


「ティーガー、あんたの浄化魔法はどんくらいの範囲に届くんだっけ?」

「最上位だと半径三十ってとこですね」

「ブランドン?」

「私は二十くらいです」

「他に誰か浄化魔法を使えたかい?」


 残りの瘴魔祓い士達が力なく首を横に振る。


「共和国軍に、それなりの浄化魔法を使える者が六名ほどおります。ただ、彼らは半径十メートルがせいぜいだったかと」

「いや、それでも助かるよ、中隊長殿」


 いずれにせよ、沼の中心までは届かない。


「何度かに分けて縁を浄化してから沼の中に入るしかなさそうだね」

「公国騎士団の輜重隊が組み立て式の舟を持っている筈です」

「おお! それは助かるよ。舟があれば、時間さえ掛ければ沼全体を浄化できそうだね」


 その後は瘴気溜まりと化した沼までどれくらいの人数で行くか、どのような陣形で進むか話し合われた。二艘の舟を運ぶ人員は輜重隊から十六名、その護衛に公国騎士団から二個小隊(二十名)、瘴魔祓い士は十名全員とリリ、アルゴ、その護衛としてやはり公国騎士団から三個中隊、先遣隊として共和国軍から三個中隊、総勢八十七名プラス一頭で向かうことが決まった。リリとアルゴに関して、公国騎士団と共和国軍から疑問の声が上がったが、その実力を知っている瘴魔祓い士達が全一致で「連れて行く」となったのでそれ以上の文句は出なかった。


 出発は明日の日の出と同時と決まり、騎士団と国軍の中隊長達は部隊の編成に向かう。マルベリーアンとウルはリリとアルゴが待つ天幕へと戻った。


「リリ、瘴気溜まりの場所が分かった。明日の日の出に出発するからそのつもりでいるんだよ」

「はい、分かりました」

「リリちゃんはすっかり行く気なのね」

「瘴魔祓い士になるなら瘴気溜まりも見ておいた方がいいだろ?」

「それはそうですね」

「あの、瘴気溜まりを浄化するんですよね?」

「そうだよ」

「浄化魔法でしか浄化は出来ないんですか?」

「一般的にはそうだ。炎でも浄化できるんだが、かなり効率が悪いんだよ」


 瘴気溜まりというのは、だいたい「沼」の様相を呈している。元々沼や泉だった場所に出来やすいそうだ。浄化魔法なら、ある程度の深さまで一度で浄化出来るのだが、炎の場合は表面しか浄化出来ない。沼の水分を全て蒸発させる勢いで炎をぶつけ続ける必要があり、小さな瘴気溜まりならまだしも、今回のような規模では先に魔力が枯渇してしまう。そんな風にマルベリーアンが詳しく教えてくれた。


「私も浄化魔法が使えたらいいんですけど」

「あら、リリちゃん使えるじゃない」

「私のは、体や服を綺麗にしたり、食材の悪い菌を殺すくらいがせいぜいですよ」

「わふっ!」


 リリが卑下するように言うと、アルゴが「そんな事はない!」と言ってくれているようだった。アルゴはリリの浄化魔法が大のお気に入りなのだ。


「……リリ、ちょっとあたしに掛けてみな」

「あ、はい」


 腕組みをしながら何か考えている風だったマルベリーアンから言われて、リリは自分の浄化魔法を彼女に掛けた。優しい金色の光がマルベリーアンを包む。彼女は目を閉じてその感触を確かめているようだ。


「……リリ、この浄化魔法は誰に習ったんだい?」

「お父さんの仲間だった冒険者です。幼い頃からの知り合いです」

「その人はあんたの魔法について何か言ってたかい?」

「いえ、やり方を見せてもらっただけで……あとは自分で練習したので、魔法は見せてないと思います」

「なるほどねぇ……」


 リリは浄化魔法のやり方を「金色の鷹」のアネッサに教えてもらった。その場で直ぐに出来た訳ではなく、練習して出来るようになるまでしばらく掛かった。その時はマヨネーズを安全に作りたい一心であった。


「あんたの浄化魔法だけど、どうも『治癒魔法』が混ざってる気がする」

「「えっ!?」」


 リリとウルが揃って声を上げた。この世界で「治癒魔法」を使える者は非常に少ないと言われている。リリの国ではその殆どが神官になる。マルデラの救護所のように各地に治療施設があって、神官はそこで働く。治療代は割と高額で神官の給金は結構高いと聞いたことがあった。ただ、治癒魔法は使う者によって効果にかなりばらつきがある。同じ怪我でも治るまでの時間が魔法を掛ける人によって変わってしまうらしい。


「えっと、それは私に治癒魔法が使えるってことですか!?」

「そうとは限らないんだよねぇ。いや、そもそもこれが治癒魔法かどうか、あたしにははっきりと判断できない。本職の神官に見てもらった方がいいかも知れないね」


 マルベリーアンは過去に何度も治癒魔法を受けた事があるそうで、その時の感覚に似ていたそうだ。リリはこれまで誰かに治癒魔法を掛けてもらった事が無い。浄化魔法は自分に何度も掛けているが、怪我が治ったような記憶もない。


「んー、あたしの勘違いかねぇ。まぁいい、今は置いとこう。それより、浄化魔法は確かに浄化の効果がある。リリ、あんたさっきのでどれくらい魔力を使った?」

「……え?」

「だから魔力をどれくらい使ったかって聞いてるんだよ」

「どれくらい? ……えーと、アンさん、魔法を使うと自分でどれくらい魔力を使ったか普通は分かるんですか?」

「「は?」」


 今度はマルベリーアンとウルが揃っておかしな声を出した。魔力には限りがあり、どの魔法をどれくらいの威力で使うか、魔法を使う者は皆それをマネジメントしている。魔力が枯渇すると恐ろしい程の倦怠感に襲われ、身動きすらままならない。敵が居る所でそうなったら即ち死を意味する。だから、普通は二割程度の魔力を残すように魔法を使う。


「普通は分かるだろ。ねぇウル?」

「そうですね、分かります」


 どれくらいの魔力を使ったか、人によって捉え方は様々だ。魔力が百あるうちの二十使ったとか、今五分の一魔力が減ったとか、あと八割くらい残っている、などである。全て同じ事を表しているが、そんな風に感覚的に分かるのだ。


「むぅ…………」

「リリ、あんたもしかして分かんないのかい?」

「…………はい。今まで気にした事がありませんでした」

「あの瘴魔を倒す魔力弾、あれはどれくらい撃てるんだい?」

「試しに連続で千発撃った事があるんですけど、その時もまだまだ撃てそうでした」

「千……?」


 無属性の魔力弾は消費魔力が少ないとは言え、普通は二~三十発も撃てば魔力が枯渇してもおかしくない。それが千発? 特級瘴魔祓い士のマルベリーアンでさえ、最上位の浄化魔法は一日十発が限界である。


「リリ、さっきの浄化魔法だけど、思いっ切り魔力を込めて出せるかい?」

「思いっ切りですか? うーん、やってみます」


 リリは全身に力を込め、顔を真っ赤にしてマルベリーアンに浄化魔法を掛ける。


「いや、さっきと全然変わってないよ。あんたのそれは力が入ってるだけで魔力は込められてないね。どうやらあんたは魔力の込め方が分かってないみたいだ」


 魔力を込めるって何? どうやって込めるの? 全っ然分からないんですけど!?


「フフフ! リリちゃん可愛かったわよ?」

「ええぇ……」

「そうか……リリは誰かにちゃんと魔法を習った事がないんだね?」

「……はい」


 マルベリーアンが驚く程に瘴魔を易々と倒していたので、リリには魔法の心得があるのだと勝手に勘違いしていた。だがそうではないのだ。リリは自分一人で魔力弾を磨き上げ、見よう見まねで浄化魔法を習得した。魔法の理論や体系、効果的な使い方など一切知らない。そもそもどうやって魔法が発動しているのかも良く分かっていないのである。

 リリの父ダドリーが生きていれば、リリが求めればいくらでも教えてくれただろう。だがそうする前にダドリーはこの世を去ってしまった。


「リリ、安心おし。ちゃんと学べば、あんたはきっととんでもない魔術師になるよ。恐らく魔力量はあたしなんかの比じゃない。歴代最高の瘴魔祓い士にだってなれるかも知れないね」


 マルベリーアンはそう言ってくれるが、果たして魔法を学ぶ機会なんてあるのだろうか。それに、学んだからといってちゃんと魔法が使えるとは限らない。

 そもそも自分はそんなに魔法を使いたいだろうか。今でも十分ではないだろうか。ブレット(弾丸)は自分や家族、大切な人を守る為に磨いた。浄化魔法はマヨネーズを作りたかったからだ。歴代最高の瘴魔祓い士とやらになろうと思っていた訳ではない。


『今はそれで良いのだ』


 また頭の中で声がした。思わずアルゴを見ると、彼は伏せの姿勢のままリリをじぃっと見つめていた。

 これまでも、アルゴとは言葉が通じている気がしていたが、はっきりとした人間の言葉として理解していた訳ではなかった。声が聞こえてきたのはこれで二度目だ。リリには、それがアルゴの声だと分かっている。アルゴが「それで良い」と言うならそれで良いのだろう。もし変わらなければならない時が来たら、きっとアルゴが教えてくれる。


「とにかく、瘴気溜まりの浄化にはリリが役に立たないのだけは分かったね」


 酷い言われようだが、リリは気にならなかった。だってアルゴが「今はそれで良い」と言ってくれたのだから。


「大丈夫よ、リリちゃん。瘴気溜まりの浄化では私も役に立たないし」

「ウル、あんたそれ大丈夫とは言わないよ?」

「ぐはっ!」


 艶々した真っ赤なロングヘアを振り乱し、胸を押さえて大袈裟に痛そうな演技をするウル。きっとリリを慰めようとしてくれているのだろう。マルベリーアンだって、物言いは辛辣な時もあるが決して悪い人ではない。リリの力を認めてくれているし、頭を下げてお礼まで言ってくれたのだ。


「役立たずでも、見学していいですか?」

「ああ、もちろんさ」

「私と一緒に見学しようね」

「あんたは多少働きな」

「ぐふっ!」


 リリ達の天幕に笑い声が満ちる。ああ、アンさんについて来て良かった。こんなに良い人達と知り合えて本当に良かった。私は人に恵まれている。リリは改めてそんな風に思うのだった。

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