27 リリ、称賛されて大いに戸惑う
濃密な黒い靄はリリにとって既に見慣れたものだが、これ程の数を目にするのは初めてだった。まるで悪意が物理的圧力を伴っているようで、少し気分が悪くなる。そのまま数十秒見ていると、徐々にぼんやりと光る白い球体が見える位置まで、瘴魔の群れが坂を上ってきた。
(ブレット)
倒せるなら倒しちまいな。誰かが怪我したり、死んじまったりするよりずっといいさ。リリはマルベリーアンの言ったことを、言葉通りに受け取っていた。即ち、誰かが傷付くより前に瘴魔を倒せ、と。
まるで西部劇のガンマンが連射するように、リリは連続でブレットを放つ。ガンマンのリボルバーと違うのは、リリは弾丸の装填をする必要がないこと。その上、これまでの経験上千発以上撃てることだった。
白い球体が見えた瘴魔を片っ端から狙い撃つ。動きの緩慢な瘴魔は、遠距離から放たれる見えない攻撃を躱す術がない。球体を撃ち抜かれた瘴魔が次から次へと煙のように消えていく。
街道に立つ瘴魔祓い士達は、その様子を呆然となって見ていた。自分達の射程に入る前に瘴魔がその数をどんどん減らしていくのだ。何が起こっているか辛うじて分かっているのはマルベリーアンだけ。その彼女も、話を聞いていただけで実際に見るのは初めてである。まだ二百メートル近く離れているというのに、瘴魔がどんどん消えていく。
「ク、クリープス様! これは一体!?」
「大丈夫だよ! 味方の攻撃で雑魚が消えてるだけさね!」
初めて見る光景に戸惑うウルがマルベリーアンに問うた。味方? きょろきょろと辺りを見回すが、見える範囲に魔法を使っているような人物はいない。ウルも、まさか自分達より後ろに居るリリが攻撃しているとは思っていなかった。
そうこうしているうちに瘴魔は大幅にその数を減らし、残り十五体となっていた。しかし、最後方に居る四体の瘴魔鬼は健在だ。そのうちの一体、頭頂部に白い球体を持つ瘴魔鬼が、まさにこの瞬間リリのブレットに撃ち抜かれて消滅した。
(あと十八)
リリは極度に集中していた。白い球体だけを見ているリリには、瘴魔と瘴魔鬼の区別などついていない。狙いやすい球を順番に狙っているだけだ。今は体を安定させる為に片膝を屋根に着けて膝立ちになっている。
(あと十四)
最後方の白い球が姿を現したが、次の瞬間には一つが左へ、一つが右へと動き出した。リリはそれを無理に追わず、動きの遅い奴を順番に片付けていく。
(あと十)
リリが四十三体目の瘴魔を撃ち抜いた時、マルベリーアンが声を上げた。
「さあ! あたし達もお給金に見合った仕事をするよ!」
「「はい! 紅炎!」」
魔法の射程に入った瘴魔と瘴魔鬼に向かって、リリから見て左右同時に巨大な火球が炸裂した。瘴魔祓い士が放った最上級の炎魔法だ。
「浄罪」
「紅炎」
街道の真ん中に立つマルベリーアンとウルが同時に魔法を放った。最上位の浄化魔法は半径五十メートルの範囲に及び、そこに居る瘴魔を滅ぼす。ウルの炎魔法が範囲から漏れた瘴魔を狙って放たれ、討ち漏らしを防いだ。しかし、一体の瘴魔鬼がいずれの魔法も躱し、爆炎の煙を割ってマルベリーアンの目の前に現れる。その首に向かって拳剣が横薙ぎにされた。
――ギィイイン!
瘴魔鬼の攻撃を防いだのはコンラッドだった。両手で握ったロングソードが瘴魔鬼の拳剣と火花を散らす。コンラッドは瘴魔鬼に押し負け、バランスを崩し掛けた。そこに反対側の拳剣が突きこまれる。だが、瘴魔鬼はその場所に留まり過ぎた。胸の中心辺りにある白い球体をリリが外す筈がなかった。拳剣の剣先がコンラッドの胸に突き刺さる直前、白い球体が撃ち抜かれて砕ける。襲って来る痛みを予想して目を閉じたコンラッドだが、彼の胸に剣先が当たるとそこからボロボロと崩れ、風に舞って消えた。
目を開けたコンラッドは、そこに居た瘴魔鬼が消えている事に驚く。しかしそれ以上に驚いていたのはマルベリーアンだった。
リリは四十三体の瘴魔と二体の瘴魔鬼をたった一人で倒していた。勿論、最後の一体はコンラッドが捨て身で師匠を守ったからこそ狙えたものである。だが瘴魔祓い士なら多かれ少なかれそういう戦い方をするのだ。今回、牽制や囮として騎士団は全く機能しなかったが、普段は彼等が犠牲になる事が少なくない。
そして、外せばコンラッドの命がないという場面で狙いを外さない胆力。とても十一歳の少女とは思えない。修羅場をいくつも潜ってきた歴戦の戦士のようではないか。
馬車を振り返って見ると、リリは安堵したのか馬車の上でぺたんと女の子座りしていた。アルゴは馬車に前足を掛けている。恐らく馬車が揺れないように押さえていたのだろう。
「コンラッド。リリが降りるのを手伝ってやんな」
「は、はい!」
「ク、クリープス様……終わったのでしょうか?」
「ああ、そうだね」
コンラッドに指示し、ウルの問いに答えたマルベリーアンは、討ち漏らしがないか周辺を捜索するよう騎士団に命じた。
コンラッドの手を借りて馬車の屋根から降りたリリは、アルゴに抱き着いて一旦落ち着きを取り戻し、マルベリーアン達の所へやって来る。散らばっていた他の瘴魔祓い士達も集まってきた。
「みんな聞いておくれ。今回、だいぶ離れた場所から瘴魔の数が減っていっただろ?」
皆がコクコクと頷く。
「それは、このリリがやったんだ」
全員が驚いてリリに注目するが、一番驚いたのはリリ自身だった。そんな事を言ってしまって良いのだろうか?
「一体どうやったんですか?」
「それはまだ言えないが、リリにしか出来ないやり方だ」
「彼女しか出来ない……」
「言えないっていうより、言っても信じられないだろう。とにかくリリはあたしらの味方だ。正直、こんなに楽できるなんて思ってなかったよ。リリ、ありがとう。よくやったね」
そう言ったマルベリーアンが、リリに向かって頭を下げた。それを見た周囲の人間が全員ギョッとするが、またも一番あわあわしたのがリリだった。
「アンさん! 頭を上げてください!」
それでもアンは頭を下げ続ける。するとそれに倣って他の瘴魔祓い士達もリリに頭を下げた。仕事ぶりを見学させてもらおうと付いて来たのに、その人達から頭を下げられてリリは目が回りそうになり。ようやく頭を上げたマルベリーアンが祓い士達に釘を刺す。
「リリはまだ十一で祓い士の資格も持っていない。この子の事は、あたしの許可なく広めないと約束しておくれ」
瘴魔祓い士達は口々に承諾の返事をした。もし誰かに告げたとしても、とても信じて貰えないだろう。瘴魔とずっと対峙してきた自分達だからこそ分かる。もしかしたら自分達は途轍もない事に立ち会ったのかも知れない。
「リリちゃん、もしかしてバルトシーデルでも?」
「あ…………はい」
「そんな顔しなくていいわ。あなたは街を救ったのだし、今だって誰一人失わずにあれだけの群れを殲滅したんだから」
「そうだよ、リリ。胸を張りな」
俯きそうになるリリの背を、マルベリーアンがバシッと叩く。これは本当に誇れる事なのだろうか? 瘴魔祓い士さん達の仕事を奪ったのではないか? 小娘が出過ぎた真似をしてしまったのではないだろうか? 私はただ弱点が見えるだけで、それを安全な距離から撃ち抜いているだけだ。あんなに近くまで来られたら、冷静で居られる自信はない。
そういう意味では、瘴魔鬼の攻撃を真正面から受け止め、師匠のマルベリーアンを守ったコンラッドこそがリリの目には英雄に見えた。
他の瘴魔祓い士達から口々に礼を言われ、耳まで真っ赤にして照れるリリ。力を誇示せず、やり遂げた事を驕るでもないリリの姿は、その初心な様子と相俟って全員から好意的に受け止められた。ここに至るまで料理を振る舞っていた事も大いに貢献している。
「リリ、ほんとにすごかったよ! 僕もあんな風に倒せるようになりたいな!」
コンラッドが最後に声を掛けてきた。いいえ、私はあなたの方が凄いと思います。どうやったらあんな風に強くなれるのか教えて欲しいです。コンラッドがあまりにも真っ直ぐにリリを称賛するものだから、彼女は恥ずかしくて言いたい事が言えなかった。
瘴魔が現れた下り坂の先に開けた場所があり、この日はそこで野営する事になった。
「いやぁ、やっぱりリリちゃんの料理は美味しいわぁ」
「騎士団でも噂になってるみたいです」
「リリはあたしが連れて来たんだ。あっちに食わせる義理はないね」
想定より遥かに早く事態が片付き、瘴魔祓い士達だけではなく騎士団にも楽観的な雰囲気が漂っている。祓い士達は一塊になってリリの作った料理に舌鼓を打っていた。
「リリちゃん。瘴魔祓い士になるならマジで俺んとこに弟子入りしない?」
「いくら兄弟子でもそれは譲れん。リリが来るなら俺の所だろう」
リリの料理に魅せられ、取り合っているのは一級のティーガー・ブルースと二級のブランドン・メルガー。この二人は現在活動しているマルベリーアンの弟子である。
「二人とも馬鹿言ってるんじゃないよ。リリにはあたしが先に唾付けたんだ」
それを言うなら私の方が先なのに、とウルは思った。だが特級のマルベリーアンと張り合う事は出来ない。当のリリは、コンラッドとアルゴに挟まれて楽しそうに食事をしている。マルベリーアンはリリに礼を言った後、コンラッドと二人の時に助けに入ってくれた事への感謝を伝えた。彼女なら瘴魔鬼の攻撃を防げたが、それとこれとは別である。恐怖に打ち克って体を動かすのは考えているより難しいものだ。それが出来るコンラッドだからこそ、無茶をしないようにまだ自分の傍に置いている。
「明朝から、騎士団が先行して瘴魔大量発生の原因を探る。十中八九瘴気溜まりだと思うが、新たな瘴魔が湧いてるかも知れない。みんな気を抜くんじゃないよ」
マルベリーアンの言葉に、全員が改めて気を引き締めた。
翌朝、マルベリーアンの言葉通り、騎士団が先行して更に東へ進んだ。道中では瘴魔と遭遇する事もなく、また適した場所を見付けて野営する。その頃には、北と南に散開した共和国軍から各地で瘴魔を倒したという伝令が届き始める。任務を終えた小隊はこちらに合流するべく動いているらしい。
リリは昨日聞いた「瘴気溜まり」が気になっていた。何年か前に母からも聞いた気がする。瘴魔がどういう仕組みで発生するのか、未だにはっきりした事は分かっていない。ただ瘴気溜まりから発生するのは確実らしい。瘴気溜まりを浄化すれば、そこから瘴魔が発生する事はなくなるそうだ。
マルデラを襲った二人の殺人犯が持っていた魔道具。あれは小規模な瘴気溜まりとして機能する魔道具だったらしい。どうやって作ったのか、どこで作られたのかはまだ判明しておらず、アルストン王国が継続して調査している。
リリが気になっているのは、瘴魔に混ざった様々な感情である。真っ黒な靄に垣間見える絶望や悲しみ、怒りといった負の感情。前世の記憶で、色は全て混ぜると黒になるとどこかで見たような気がする。だとすれば、殺人犯の顔周りに見えた真っ黒な靄も、瘴魔が纏う靄も、色んな感情の色が混ざった結果ではないだろうか。
瘴気溜まりを見れば何か分かるかも知れない。ただ、分かった所でそれが何かの役に立つのか、それについてはさっぱり分からない。
思考がループしそうになったので、リリは頭を振ってそれを打ち消した。今考えても分からない事をどれだけ考えても詮無い事だ。答えがあるのなら、いずれ分かる時が来るだろう。




