26 ルノイド共和国
アルゴの風魔法のおかげで旅程は順調だった。更に人里離れた場所でも魔物と一切遭遇しない。街道近くに出る魔物の脅威度は低いが、全く出くわさないというのは異例であった。勿論これもアルゴのおかげである。ファンデルを出発して五日後、最初の目的地テストデルに到着した。この町で、第五騎士団の一個中隊と輜重隊、それに八人の瘴魔祓い士と合流するのだ。
スナイデル公国の北東端に位置するテストデルは、隣国ルノイド共和国との国境から半日程度の場所にある。テストデル自体は内陸にあるが、二時間ほど北に行けばもう海だ。マリエルが言っていた「ファンデルの北にある港町」より緯度的に更に北にある為、まだ真冬でもないのに極寒と言ってよかった。
リリは防寒着一式を買ってくれたマルベリーアンに感謝しつつ、それに着替える。ぶかぶかでお世辞にもお洒落とは言えないが凍えるより遥かにマシだ。着込んだ途端に寒風が遮られ、じわじわと温かくなる。
騎士団と輜重隊は既に到着し、テストデルの東側で天幕を張って休憩していた。瘴魔祓い士も予定していた八人のうち六人が到着していた。その中にリリの知った顔があり、思わずリリは大声で呼び掛けた。
「ウルさん! お久しぶりです!」
「え、リリちゃん!? 何でこんな所にいるの?」
しまった。何も考えてなかった……知り合いに会えた喜びに舞い上がり、自分がここに居る理由をどう説明するか考える前に声を掛けてしまった。
「何だい、あんた達は知り合いかい?」
「クリープス様!?」
「久しいね、ウル」
「あ、ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」
「そう言うあんたも元気そうじゃないか」
ウル・ハートリッチとは、ファンデルまでの旅で約一か月共に過ごした。「カクタスの鎧」には助っ人で参加していたので、今回はダルトン商会の護衛をしないのだろうか。
「リリは料理の腕を見込んで連れて来たんだ。瘴魔祓い士の仕事にも興味あるって聞いたもんでね」
リリがウルの問いに何と答えようか困っていると、マルベリーアンが助け舟を出してくれた。
「そ、そうなんですね……クリープス様の近くに居れば安全ですしね」
三級のウルにとって特級は雲の上の人。絶大な信頼を寄せているようだ。
「まぁそう言わずに、あんたもリリと仲良くしておくれ」
「ええ、もちろんです!」
そう言ってマルベリーアンはコンラッドの方へ歩き去った。
「リリちゃん……クリープス様と知り合いだったのね」
マリエルはマルベリーアンとの関係をウルや「カクタスの鎧」の面々に伝えていない。自分がそれを教えるのは違うだろう。
「ええ……たまたま、偶然、ファンデルで知り合ったんです」
苦しいが嘘ではない。
「ウルさんは、今回ダルトン商会の護衛には参加しないんですか?」
「いえ、こっちが終わったらシュエルタクスで合流しようと思ってるわ」
「そうなんですね! 私も同じです!」
「じゃあ一緒に行けそうね。リリちゃんが居るのはびっくりしたけど、これでまた美味しい料理が食べられるわぁ」
自分で作ろうと思わないのがウルらしかった。さすがに騎士団全員分は難しいが、料理は好きなのでウル一人増えるくらい問題ない。
その日はテストデルの宿に泊まり、残る二名の瘴魔祓い士を待つ事になった。
翌日の昼には二人の瘴魔祓い士も到着し、一行は東に向けて出発した。ビンディは御者台に追いやられ、馬車の中にはリリ、ウル、マルベリーアン、コンラッドが座っている。アルゴは変わらず外だ。寒くないか心配したリリだが、アルゴは全く平気そうだった。
「予定では十日後に現場付近に到着します。ルノイド共和国の国境を越えた所で向こうの兵が出迎え、首都近郊で三個中隊と合流して目的地に移動します」
コンラッドが今後の予定を教えてくれた。三個中隊とは約百五十名らしい。輜重隊と合わせると約三百名。スナイデル公国側の約百二十名と合わせ、約四百二十名という一大行軍になる。南側に位置するシェルタッド王国に余計な疑念を抱かれないよう、ルノイド共和国の北側、海沿いを進むそうだ。聞いただけで寒そうである。
ルノイド共和国に瘴魔祓い士は居ないが、国軍の中に浄化魔法や炎魔法の使い手がいるそうだ。平時はそれで充分対応可能なのだが、今回は瘴魔の数が多く、万全を期す為に同盟国であるスナイデル公国に増援を依頼したらしい。
「十日の半分は野営になります。後の半分は宿に泊まります」
最悪ずっと野営を覚悟していたので、半分でも宿に泊まれるのは有難い。
「最新の情報では、瘴魔は百体以上いるようです。ただしかなり広い地域に散開しているようで、群れとしては多くても十体程度。国軍と我が国の騎士団が南北に展開して各個撃破の予定。我々瘴魔祓い士は瘴魔鬼の殲滅に注力します。現在確認されている瘴魔鬼は四体です」
あの動きの速い瘴魔鬼を、瘴魔祓い士の人達はどうやって倒すのだろう? 魔法を当てるだけでも難しそうだが。リリのそんな疑問は十日後に解消される事になる。
国境を越えた所で、騎乗したルノイド共和国の兵士十名と合流したリリ達は、そのまま国の北部を東西に走る街道を進んだ。
ルノイド共和国の国土はシェルタッド王国やリリの住むアルストン王国の三分の一程度、海水から精製する塩を内陸の国に輸出するのが主な産業だ。魚介類は豊富に獲れるが、輸送手段の問題で輸出はされていない。塩の他には真珠、美しい貝殻を使った宝飾品等も輸出されている。銅と鉄の鉱脈もあり、それらを製錬して輸出しているが少量らしい。
スナイデル公国とルノイド共和国が同盟を結んだのは、公国が成立した約三百年前に遡る。当時独立を阻もうとする旧メルタリカ王国軍の侵攻を、ルノイド共和国軍が協力して押し止めた。これには自国防衛の意味も多分に含まれていたが、それ以来スナイデルとルノイドは同盟国となり、友好的な関係を続けている。
街道を東へと進む間、リリはルノイド共和国について学んだ。野営と宿での宿泊を繰り返してあっという間に一週間が経ち、首都ベイルズ北部で国軍と合流。そのまま更に東へ進み、目的地まであと一日程度の所まで来た。
そこで各地に散っている斥候から報告があり、部隊をどのように分けるか協議される。北と南に散った瘴魔は約五十。これは共和国軍が小隊単位で分散して倒す。中央寄りに残り五十の瘴魔と四体の瘴魔鬼。瘴魔祓い士と公国の騎士団はこれに当たる。
これを聞いても、マルベリーアンやウルを始めとした瘴魔祓い士達は一切の動揺を見せなかった。唯一、コンラッドが緊張した面持ちである。
リリがこれまで対峙した中で最も数が多かったのはバルトシーデルが襲われた時。瘴魔八体と瘴魔鬼二体だった。だがあの時は真っ暗で、殆ど遠距離から狙撃して倒した為あまり実感がない。
協議を終えると、共和国軍は北と南へ向かう小隊を編成し、直ぐに出発した。リリ達は明日の早朝、日の出前に出発の予定だ。会敵前の最後の夜、リリは簡易ベッドではなく、アルゴに包まれるようにして眠った。
翌朝、まだ満天の星が瞬く中で行軍の準備が行われる。水魔法で出した水で顔を洗っていると背中から声を掛けられた。
「リリ、おはよう」
「アンさん、おはようございます」
「……戦う時はあたしとコンラッドの傍を離れるなと言ったのは憶えてるかい?」
「はい、もちろん」
「それはあんたに戦うなと言ってる訳じゃないからね」
「え?」
「弱点を遠くから撃ち抜くのがあんたの倒し方だろ? 倒せるなら倒しちまいな」
「いいんですか?」
「誰かが怪我したり、死んじまったりするよりずっといいさ」
「そうですよね、分かりました……あの、アルゴは?」
「わふ?」
隣に居たアルゴも、リリと一緒に首を傾げる。
「アルゴは……いやその前に、アルゴには瘴魔は倒せないだろう?」
「わふっ!」
「倒せるそうです」
「…………」
「わぅわふぅ!」
「え、ほんと? ……炎で一網打尽だそうです」
「……頭痛がしてきたよ」
アルゴがもしマルベリーアンの想像通りなら、その力は人知が及ばない桁外れのものだろう。確かに頼もしくはあるが、乱戦になった場合は仲間まで巻き込んでしまう。
「アルゴ、あんたは奥の手だ。リリを守ることを優先してくれ」
「わぅ」
「本当に危ない時は手を貸して欲しい」
「わふ!」
「分かったみたいです」
アルゴの言葉が分かるリリも大概おかしい。従魔と心を通わせていると言えば聞こえはいいが、言葉が分かるのはそれとは全く別次元の話である。リリは無自覚らしいが、また時間がある時にゆっくり言い聞かせねばなるまい。
マルベリーアンはそう決めて気持ちを切り替える。今考えるべきは瘴魔や瘴魔鬼との戦い。特級瘴魔祓い士といえども別の事を考えながら勝てるほど甘い相手ではない。
公国の騎士団、輜重隊、瘴魔祓い士の準備が整い、真東への行軍を開始した頃には、東の空が白みかけていた。いつも通りの面子で馬車に乗るが、今日は皆言葉数が少ない。コンラッドに至っては緊張のあまり顔色が白くなっている。そんな調子で大丈夫なのか、リリは非常に心配だが掛ける言葉が見当たらない。そうやって三時間ほど進んだ頃、俄かに先頭辺りが慌ただしくなった。伝令の騎士が馬に乗ってリリ達の馬車までやって来る。マルベリーアンが窓を開けると寒風と共に騎士の声が飛び込んできた。
「この先三十分ほどで会敵します!」
マルベリーアンは騎士に頷き、直ぐに窓を閉めた。
騎士が同行する場合の瘴魔祓い士の戦い方。はっきり言って、瘴魔との戦いで騎士は殆ど役に立たない。騎士が同行するのは、道中で魔物や盗賊が襲ってきた時に露払いをするのが目的だ。
火魔法を使える者も居るので、そういった騎士達は牽制に回る。そうでない騎士達は後方へ下がるか囮になるくらいしか出来ない。
そういった事情から、瘴魔祓い士の乗った馬車三台が行軍の先頭付近に上がる。それより前に居る騎士は火魔法が使える者。人数は二十名と思ったより多い。前に四名、横に四名、後ろに二名が馬車を囲むようにして付き従う。馬車は徐々に速度を落とし、やがて完全に停車した。御者が一目散に後ろへ走って行く姿が一瞬見える。
「さあ、仕事の時間だ」
マルベリーアンに促され、リリ、ウル、コンラッドも馬車から降りる。残り二台の馬車から七人の瘴魔祓い士が降りてきた。横一列に間隔を空けて並ぶ。
リリはマルベリーアンの後ろ側にアルゴと共に立っている。街道のど真ん中だ。街道の左右は膝丈くらいの枯草に覆われた草原で、木は疎らに生えているだけ。見通しは悪くない。街道は二百メートルくらい先から下り坂になっている。もっと高い場所に陣取れたら良いのに。そう思ったリリはマルベリーアンに尋ねる。
「アンさん、馬車の屋根に上ってもいいですか?」
リリの意図を察したマルベリーアンは首肯し、コンラッドに指示する。
「コンラッド、リリの近くにいな!」
「はい、師匠」
ガチガチに緊張したコンラッドは、意味を考える事無く機械的に返事をした。先頭に止まっている馬車の御者台から屋根によじ登ろうとするリリの足を下から持ち上げて手助けする。アルゴは下で待機だ。
馬車の屋根の上で立ち上がったリリの目に、街道の先から迫って来る真っ黒い靄の塊が映った。
評価、ブックマークして下さった読者様、本当にありがとうございます!
この作品は今までと違う作風なので受け入れられるか不安だったのですが、気に入って下さる読者様がいらっしゃって安心すると共に大変嬉しく思っています。
今後、たまにおふざけも入れつつ話を進めて行こうと思いますので、よろしくお願いします!!




