25 アルゴの気遣い
アルゴはマルベリーアンに引っ張られて行くリリを馬車の傍で見送った。この馬車にリリとマルベリーアン、その弟子、迎えに来た騎士のビンディの四人が乗り目的地を目指すそうだ。と言う事は、追い掛けずともリリはここに戻って来る。マルベリーアンという女はかなり強そうだし、街中ならそれほど危険はないだろう。今のうちに馬と仲良くなっておこう。せめて自分に怯えないようになってもらおう。
外を並走していても馬車内の会話が聞こえていたアルゴは、これがちょっとした旅になる事を察した。ならば馬には早いうちに慣れてもらった方が色々と都合が良い。
スナイデル公国の大きな街道は軒並み石畳で整備されているから馬車も速度を出せる。だがそれはあくまで普通の街道と比較しての話。アルゴが風魔法を使って馬車を僅かに下から持ち上げ、その上で馬に追い風を吹かせれば更に移動速度は上がるだろう。旅では移動する速度が速いほど休む時間を長く取れる。結果的に旅の疲れは最小限で済む。その為に馬と馬車に魔法を掛ける訳だが、自分を信頼して貰わないと馬が混乱してしまう。
全てはリリの為である。アルゴの過保護っぷりが極まっていた。
アルゴは早速二頭の馬にそれとなく近付き、ある程度離れた所で地面に伏せた。決して馬の方は見ない。そのまま明後日の方向に顔を向けながらじりじりとにじり寄る。見方によっては狼が獲物を狙っているようにも見える。勿論アルゴには馬を食べる気はない。だが馬の方はそう思わないようで、徐々に近付いて来るアルゴにソワソワし始める。
御者の男性は休憩でこの場を外しており、馬車の中に居るビンディはアルゴの涙ぐましい努力に気付かなかった。
馬留の横木に手綱が繋がれている為、馬はこの場から離れられない。アルゴはある程度まで近付いて動きを止めた。馬が落ち着くまで辛抱強く待つ。アルゴに人間のような手があったら、優しく首の辺りを撫でてやっただろう。片方の馬は、アルゴの匂いを嗅ぐように頭を下げて来た。順調だ。
そう思った時、遠くにリリが戻って来る姿を認めた。伏せていたアルゴは反射的に立ち上がる。それに驚いた馬が、二頭とも棹立ちになり掛けた。
『静まれ』
アルゴは念じ、風魔法で馬を上から押さえ付けた。膝を折る程ではないが、馬は四つの脚を踏ん張って耐える。
『大人しくしろ』
二頭の馬は小さく「ヒヒン」と鳴き、アルゴに向かって首を垂れた。何だ、最初からこうしておけば良かった。態々下等な動物と親しくなる必要などなかったのだ。圧倒的な力で押さえつければ良いのだ。リリと過ごすうちにフェンリルとしての自覚が薄れていたアルゴは改めてそう思った。
「アルゴ、お待たせ…………馬を苛めてないよね?」
アルゴに声を掛けたリリは、二頭の馬がアルゴを見る目に怯えがあるのを見抜き、そう問い質した。アルゴはリリから目を逸らした。
「アルゴ? 仲良くしてね?」
やはり時間を掛けてでも馬達と親しくなろう。アルゴは一瞬で改心した。
走り出した馬車の中で、マルベリーアンが今回の依頼について説明してくれている。リリはマルベリーアンの隣、向かい側にコンラッドとビンディが並んで座っている。買って貰った服や荷物は馬車後部の荷物入れに積んである。アルゴは変わらず外だ。
「ルノイド共和国の東の端で瘴魔が溢れ出したという話だよ」
ルノイド共和国は海に沿った小さな国。東端は半島状に海に突き出ており、その先は海ばかりで他の国とは接していない。半島はほぼ全域が森で、半島の根本に当たる部分から西に人が居住している。半島に近い場所にある二つの村が、既に全滅したのだと言う。
「瘴魔の数は正確には分かってない。五十は下らないという話だ。瘴魔鬼も少なくとも三体は居る。それがゆっくりと西に向かっているそうだ」
ルノイド共和国からの依頼は瘴魔の殲滅、および溢れ出した原因の究明と排除、という事らしい。
「会敵したら、あたしとコンラッドから離れるんじゃないよ?」
「分かりました。コンラッドさん、よろしくお願いします」
「あ、うん。よろしく」
「そこはよろしくじゃなくて任せろ、だろ? まったく」
「す、すみません師匠」
コンラッドはリリより四つ年上の十五歳。祝福の儀で火属性魔法が最も適していると判断された。その後マルベリーアンに弟子入りしたそうだ。五級瘴魔祓い士の資格を持っている。天恵は「魔法属性付与」。現在、槍や剣に火か浄化の魔法を付与出来ないか修行しているらしい。
本来、資格を取得した瘴魔祓い士は一人前と見做されて独立する。だがマルベリーアンはコンラッドの独立をまだ許していない。
「この子は少し臆病なんだよ。才能はあるし努力もしてるんだけどね」
「し、師匠! 女の子の前で臆病って……」
「何だい? 本当の事だろ?」
「…………」
「私は臆病でも悪くないと思います。勇敢と無謀を履き違えるより、臆病なくらい慎重な方が長生きするんじゃないでしょうか」
「リリ……あんた時々大人みたいな事言うね」
「す、すみません生意気言って」
「いや、良いさ。間違った事は言ってない」
結果的にコンラッドを擁護するような形になってしまい、それに気づいたリリは顔を赤くして俯いた。一年以上マルベリーアンに指導を受け、辛辣な言葉ばかり浴びせられているコンラッドは、リリの言葉で胸が温かくなった。
「リリさん、ありがとう」
「いえ。あの、リリでいいです」
「あ、うん」
「何だい何だい? そういうのは他所でやっとくれ」
マルベリーアンに茶化されて若い二人は頬を染めて俯く。因みに騎士ビンディは一切会話に入って来ない。コンラッドの隣で完全に空気と化していた。
「それにしても、この馬車は随分乗り心地がいいね。騎士団の最新式かい?」
突然話し掛けられたビンディが肩をビクッと震わせた。
「い、いえ。いつもと同じ筈ですが……確かに揺れが少ないですね」
「そうなのかい……良い馬車だからあたしも買おうかと思ったのに」
アルゴの風魔法が車体を下から押し上げる事で、車輪に掛かる負荷がかなり減っている。完全に浮いている訳ではないが、おかげで揺れが激減していた。同時に馬への負担も減り、魔法による追い風まで受け、馬車の速度は普段の二割増しになっていた。一番首を傾げているのは御者の男性である。二頭の馬はいつもより楽に走れる上に疲れないので大層喜んでいる。出発前に風魔法の洗礼を受けた為、これがアルゴのおかげである事も理解していた。
予定よりもかなり早く野営予定地に到着し、ビンディとコンラッドが天幕を張る。御者は馬の世話だ。リリは手ごろな石で竃を作り料理の準備をした。馬車の荷物入れには、保存のきく野菜と干し魚、干し肉、焼き固めたパン等が荷物と別に置いてあった。野営では定番の食材と言える。自分の荷物から調味料入れを取り出す。ファンデルまで来る間にも活躍したリリの調味料は、ガブリエルやマリエル、「カクタスの鎧」のメンバーにも絶賛された。
「オルデン殿、料理は私が」
「あ、私料理が好きなので。やらせていただいても良いですか?」
鍋に水魔法で出した水を張り火にかけているとビンディから止められそうになった。ビンディは困ったようにマルベリーアンを見る。
「リリに任せな。この子の料理は絶品だよ」
「そんな……ただ好きなだけです」
まな板の上で軽快に野菜を刻みながら答えるリリ。その包丁さばきは腕の立つ料理人と遜色ない。ビンディも思わず「ほぅ」と声を漏らした。コンラッドと御者は遠くから見ているだけである。特にコンラッドは絶対に料理に関わるなとマルベリーアンに厳命されている。
いつものように干し肉を湯通しし、一度湯を捨てるリリを見てビンディが尋ねる。
「この茹で汁は捨てるのですか?」
「はい。干し肉は塩味が強過ぎて、スープにすると塩がききすぎるんです。味を付けるには一度湯通しした方がいいんです」
「ほぅ」
騎士団で野営する時は、味よりも効率的に腹を満たす事が重要視される。行軍では汗をかくので塩味が強くても気にならない。騎士団員には女性も居るが、野営料理はこんなもの、という先入観がある為いつも同じような料理になりがちだ。
リリは湯通しした干し肉の半分をスープに投入し、野菜と一緒に煮込み始める。残った半分は酒と味醂で伸ばした味噌を少量塗って串に刺し、焚き火から少し離して焼き始める。スープには小麦粉、バター、ノルトシーデルで買ったミルクを入れてシチュー仕立てにした。
「出来ました!」
椀にシチューをよそい、味噌が少し焦げた干し肉は皿に盛る。そこに切った固パンを添えれば完成だ。
「何だこれはっ!? いつもの材料で作ったとは思えない!」
「そうだろう? 言ったじゃないか、この子の料理は絶品だって」
ビンディが驚きの声を上げ、マルベリーアンが自慢する。コンラッドと御者は食べるのに夢中になっていた。アルゴにもいつも通り同じ料理を振る舞い、アルゴも嬉しそうに食べている。そんな様子をニコニコしながらリリは眺めた。
簡単な料理一つでこんなに喜んで貰えて良かった。知らない人ばかりで気が重かったけど、これならやっていけそう。
「師匠から聞いてたけど、リリは本当に料理が上手なんだね」
「母が料理屋をやっていて、七歳の頃から手伝っているので」
「なるほど、そういう事か! すごいね!」
「えへへ」
褒められて照れ笑いするリリの顔を、沈みかけた黄金色の陽が照らす。コンラッドは一瞬それに見惚れてしまった。一方のリリも、自分と同じ髪色で、ダドリーと同じ瞳をしているコンラッドに好感を抱いていた。彼の顔にはまだ幼さが残り、異性と言うより親戚のお兄ちゃんという感じだが。
「さあさあ、食べたら片付けだよ!」
マルベリーアンの声で我に返り、リリとコンラッドは片付けを始める。後は寝るだけという段になると、マルベリーアンが全員に浄化魔法を掛けてくれた。体と服が清潔になるだけではなく、何だか体の芯が温まるような感覚だった。
二つ張った天幕の片方で、マルベリーアンとリリが眠る事になっている。と言ってもアルゴも一緒である。二人きりになると、マルベリーアンがリリに尋ねた。
「この前、瘴魔の弱点が見えるって言ってただろう?」
「はい」
「その事は誰かに話したのかい?」
「はい。亡くなる前の父、それに母とマリエル、あとはアンさんです……あ」
「うん?」
「えーと、アルゴも知ってると思います」
「わふっ」
地面に寝そべっているアルゴが小さく返事する。
「……そのアルゴだけど、どうやって従魔にしたんだい?」
「どうやって、とは?」
「いや、あたしはあんまり詳しくないけど、従魔使いは普通、魔物を服従させて契約魔法で縛るだろ?」
「え! そうなんですか?」
「……何であんたが知らないのさ……ん? ちょっと待ちな。魔法で契約してないのかい?」
「……してないですね」
「それにしては、アルゴはあんたにすっかり服従してるみたいだけど」
「服従じゃありません。アルゴは家族なんです」
「家族……お互いそれだけ信用してるってことか」
「信用、信頼……それ以上の絆で結ばれてるって思ってます」
「わふぅ!」
アルゴが頭を上げて、嬉しそうにリリの手をペロリと舐めた。
「あのね、リリ。あんた達の関係は普通じゃない。アルゴも普通の魔物とは思えない。だから契約してないなんて人に言うんじゃないよ?」
マルベリーアンは親切心で言っているのであろう。それが分かっても、リリの中で反発する気持ちが湧き上がる。普通って何? 普通じゃなければ何だって言うの? 私とアルゴは一心同体、これから先も絶対に離れるつもりなんてない。誰が何と言おうとも。
『今は素直にはい、と言っておけ』
その時、突然頭の中で声がした。リリはびっくりしてアルゴを見る。彼はじぃっとリリを見ていた。
「……はい。分かりました、アンさん」
「うん、それでいい」
少し心臓がドキドキして、リリはアルゴに手を伸ばした。アルゴはリリの手に顔を擦り付ける。いつも通りのアルゴに安心して動悸が収まってくる。アルゴの柔らかく温かい感触を確かめているうちに、いつの間にか眠っていた。