24 リリ、連行される
ダルトン家から馬車で帰る道すがら、マルベリーアンはリリの事を考えていた。
瘴魔祓い士になって四十六年。特級に昇級したのは三十九歳の時だったから、それから二十二年経つ。その間、彼女は八人の弟子をとった。今の弟子、コンラッド・カークスが八人目である。そのうち二人は瘴魔との戦いで死に、三人は様々な事情で引退。現役で活動しているのはコンラッドを含めて三人だ。
マルベリーアンは、自身のことを特別な才能がない人間だと思っている。彼女は上位の浄化魔法を使って瘴魔を倒す。人より少しだけ魔力が多く、人より少しだけ魔力の制御が上手い。それを長年に渡って研鑽した。長くやっていればそれなりに上手く出来るようになるというものだ。彼女はそんな風に考えている。
だが、他者の評価は違う。想像を絶する努力の末、いくつもの死線を乗り越えた傑物。マルベリーアン・クリープスこそが真の特級瘴魔祓い士である。スナイデル公国は彼女が居てくれるおかげで瘴魔に怯えずに済む。そんな風に称賛されている。当の本人は自分を称賛する言葉を聞くと必ず「フン」と鼻で笑うのだが。
マリエルの友達であるリリとその従魔、アルゴの話を反芻する。リリは瘴魔の弱点が見えるのだと言う。長年瘴魔祓い士をしているマルベリーアンも、そんな話を聞いたのは初めてだ。それが本当なら瘴魔との戦いがグッと楽になるが、見えるのがリリだけなら他の祓い士にはあまり関係ないだろう。
「無属性の魔力弾でねぇ……」
魔力弾を使う人はあまりいない。威力が低く射程も短い上、狙った所に当てるのが非常に難しいと言われているのだ。アルゴが魔法を使うという話にしろ、瘴魔の弱点や魔力弾の話にしろ、これがもし人伝に聞いた話なら眉唾だと切り捨てただろう。
だが、リリがマルベリーアンに嘘をつく理由が見当たらない。そもそも彼女は瘴魔祓い士になりたい訳ではないのだ。バルトシーデルを救ったと報奨金目当てで名乗り出る訳でもない。むしろあまり人に知られたくないという話し方だった。
「全部本当だと仮定すると……いや、考え過ぎだろうね」
マルベリーアンは一つの可能性に行き当たった。御伽噺に出てくる「ウジャトの目」を持つ聖女の話だ。公国の祖の妻とはまた別人である。
およそ千年前、世界には今よりもかなり多くの瘴魔が跋扈し、人々は日々怯えて隠れるように暮らしていた。そこに「ウジャトの目」という天恵を持つ女性が現れ、彼女は各地を移動しながら瘴魔を退治したのだと言う。その功績を称え、人々は彼女を「聖女」と呼び始めた。その聖女が使っていたのが「魔力弾」なのだ。
聖女は銀色の毛を持つ獣を従え、どれだけ多くの瘴魔を前にしても怯む事無く、魔力弾一発で確実に一体の瘴魔を倒した。それはまるで、浄化の力が込められた弾のようだった。無数の瘴魔、数多くの瘴魔鬼、そして五十体を超える瘴魔王を倒し、この地に平和が訪れると聖女は姿を消したと言う。御伽噺では、役目を終えた聖女様が天に還られた、と締めくくられている。
「ウジャトの目」を持つ者は、それ以降に二人現れた。一人は三百年前にスナイデル公国を興した後の大公となる男の妻。もう一人は百六十年程前、遠く東にあるクルーセルド王国の初代女王。十六の小国に分かれていたクルーセルド地方を、争いもなく平和的に一つの国に纏め上げたと言われる人物である。
「まぁ、何にせよあの子は悪い子ではなさそうだ。もし瘴魔祓い士になりたいなら、是非弟子にしたいもんだねぇ……」
馬車の窓から外の景色を眺めて独り言ちる。コンラッドも決して出来の悪い弟子ではない。料理を作らせたら正体不明の物質が出来上がるし、瘴魔と戦わせたらいちいちビビるが、優しくて頭が良く根性もある。いい奴過ぎて独り立ちさせられないのだ。もう少し世間というものを知らないと、いいように利用されてしまうから。
「努力型のコンラッド、天才型のリリ、か……」
二人がコンビを組んだら面白い。そんな未来を想像して、マルベリーアンは馬車の中でニヤニヤするのだった。
*****
ファンデルに来て三週間が経った。さすがにやる事がなくなってきた。歩いて行ける所はマリエルが全部案内してくれたし、作れる料理も一通り作った。ついでにマヨネーズも披露したら、やはりガブリエルから「うちで売らせてくれ!」と懇願された。マヨネーズとゆで卵を混ぜてタルタルソースを作り、固くなったパンを削ってパン粉も作り、青ガリーダでエビフライも作った。マリエルとプリミア母娘は無言になって食べまくり、ガブリエルが遂に、金を出すからファンデルで料理屋をしてくれとまで言い出して困った。
そのガブリエルも忙しそうだ。あと十日もしないうちに今度は東に向けて旅に出る。リリとアルゴもそれに同乗してマルデラに帰るのだ。もちろんマリエルも一緒だし、護衛はまた「カクタスの鎧」が受けてくれる。ガブリエルはシェルタッド王国、アルストン王国で売る品物の仕入れに余念がない。
「お母さんとミルケにジェイクおじさん達、元気かな……」
マルデラに持って帰るお土産で、食べ物以外のものは既に買った。ミリーには髪飾り、ミルケにはおもちゃ、「金色の鷹」の面々には靴下やマフラーといった小物。これらの代金は、リリが三年間冒険者として稼いで貯めたお金の一部を使った。あとは、出発の直前に日持ちのする菓子などを購入するつもりである。
自分の為に絵の具や絵筆を買いたかったが、お金が足りなくなりそうで断念した。またお金を貯めて、いつかファンデルに来よう。リリはそう固く誓った。
マルデラに帰るまでにどこに寄りたいかをマリエルと話をしていると、家の前に慌ただしく馬車が止まり、玄関を叩く音がした。
「こちらにリリアージュ・オルデン殿が居るとお聞きしたのですが!!」
聞いた事のない男性の声に、マリエルとリリが身を固くした。アルゴは平然としているので敵意のある人物ではなさそうだ。
「どちら様ですか?」
「公国騎士団のビンディ・マルドーと申します! マルベリーアン・クリープス様のご指示によりリリアージュ・オルデン殿とその従魔をお迎えに上がりました!」
マリエルがドア越しに尋ねると男性が返答した。マリエルがドアを開けて外を見ると、貴族が乗るような馬車が一台、家の前に止まっていた。リリはマリエルの肩越しに騎士団の男性を見る。鎧は身に着けておらず、制服らしき濃紺の上着と白いズボン姿。顔の周りの靄は薄い黄色と薄い青。興味と少しの緊張だ。
「えっと騎士団のお兄さん、行き先は聞いてはりますか?」
「はっ、お手紙を預かっております」
ビンディから手渡された手紙には、確かにクリープス家の封蠟が施してあった。開いて中を見る。
『マリエル、瘴魔祓い士の仕事を見せる為にリリを借りていくよ。公国からの依頼で、行き先はルノイド共和国の東だ。仕事が終わったらリリをシュエルタクスに連れて行ってあんた達が来るのを待つ。 マルベリーアン』
「おばあちゃん、マイペースが過ぎるやろ……」
「何て書いてあったの?」
マリエルは手紙をリリに見せた。
「ルノイド共和国って……」
「公国の東、シェルタッド王国の北にある小さい国や。公国の同盟国やな」
ルノイド共和国は領土が狭く、その東端から南に下ると丁度シェルタッド王国の王都シュエルタクス辺りになるらしい。
「シュエルタクスで合流って事は……」
「ファンデルからシュエルタクスまで二十日はかからんくらいやな。今から考えたらひと月後くらいって事になるな」
「ひと月……」
マルベリーアンとは一度会っただけ、他の人は会った事もない。ほぼ知らない人達とひと月も過ごすのか。新卒の研修のようではないか。マリエルのように誰とでも直ぐに仲良くなれる訳ではないリリは、そう考えて気が重くなる。
「わふぅ?」
そんなリリの隣にアルゴが寄り添った。まるで、俺が居るから心配するなと言ってくれているようだ。アルゴが居れば独りぼっちではない。知らない人ばかりで気を遣うだろうが、特級瘴魔祓い士の仕事を間近で見れる機会なんて滅多にない筈。
リリはこの旅で、初めて自身の将来について考えるようになった。いや、今まで目を逸らしていたと言った方が良いかも知れない。瘴魔を倒す事が仕事になる。人々を救い、感謝された上にお金も貰えるという事を知った。将来の選択肢の一つに間違いなく入る。であれば、瘴魔祓い士がどんな仕事なのかこの目で確かめるべきだろう。
知らない人達とひと月も過ごすのはうんざりするが、自分の将来、延いてはミリーやミルケにも間接的に関わってくる事だ。我慢する価値はある。アルゴも居るし。ここファンデルでする事も無くなってきたし。
「リリ、嫌やったら断ってもええんやで?」
「ううん。私、行く。マリエル、あとの事は頼める?」
「それは勿論大丈夫や。ほんまにええんか?」
「うん、自分の将来を決めるためにも必要だと思うし」
「そうか……うん、そうやな。じゃあひと月後にシュエルタクスで合流しよな!」
「うん! ガブリエルさんやプリミアさんによろしく!」
リリは手早く荷物を纏めた。買ったお土産は一纏めにしてマリエルに頼む。そしてアルゴと一緒に馬車に近付いた。アルゴに慄いた馬がその場で足踏みをするが、さすがに騎士団で訓練された馬だ、ビンディと御者台に座る別の男性が宥めると落ち着きを取り戻した。
馬車は四人掛けの小さなものなのでアルゴは乗れない。馬を刺激しないよう、馬車の後ろから追い掛けてくれるようだ。リリが客室に乗り込もうとするとビンディが扉を開けてくれた。
「ありがとうございます」
「いえ。では参りましょう」
馬車が動き出すとビンディが説明してくれる。このままファンデルの北門を抜け、バルトシーデルの北にある街、ノルトシーデルでマルベリーアン達と合流するらしい。
「その後北東の国境に向かいます。ノルトシーデルを出たらアンライデル、トルマーデル、国境に近い町がテストデルです。そこに第五騎士団の一個中隊と輜重隊が集結します」
「あの、一個中隊とは何人くらいなんでしょうか?」
「中隊は五個小隊、五十名です」
「そんなに」
「騎士団以外では、瘴魔祓い士様が他に八名ほどお集まりになる予定です」
「……一体ルノイド共和国で何が起こってるんでしょう?」
「申し訳ありません。私の口からは申せません」
「あの、ビンディさん。私に敬語は不要ですので」
「いえ、クリープス様のご客人と聞いておりますから」
マルベリーアンは余程尊敬されているのか、それとも怖れられているのか。十一歳の小娘に対して騎士が慇懃な態度を取らねばならない程度には、尊敬か畏怖の対象なのだろう。
しかし、騎士五十名に瘴魔祓い士がマルベリーアンとその弟子まで入れて十名という大所帯とは……。補給を支援する輜重隊も合わせると軽く百名を超えるだろう。それ程の大人数が必要な事態、リリが思い当たるのは「氾濫」だった。ただし、リリが聞いた事のある氾濫とは魔物の氾濫である。瘴魔にも氾濫があるのかは知らない。
マルベリーアンの仕事ぶりを見学するとしたら生易しい現場ではないだろうと思っていたが、まさかこれほどの人数で当たる事態だとは。リリは急に恐ろしくなってきた。それが伝わったのだろう、ビンディが優しい声で言ってくれる。
「オルデン殿、大丈夫です。クリープス様がいらっしゃれば問題ありませんよ」
マルベリーアンへの信頼感が凄い。これが特級瘴魔祓い士という存在なのだろうか。その後、馬車の中で当たり障りの無ない散発的な会話をし、特に話す事もなくなったリリがウトウトし始めた頃、ノルトシーデルの街に到着した。
「リリ! 突然呼び出して悪かったね……何だい、その恰好は? そんなんじゃ凍え死んじまうよ?」
「あ……アンさん、こんにちは。この上衣じゃ駄目ですか?」
「ルノイド共和国は寒いんだよ。ちょっと買い物に付き合いな」
ノルトシーデルに着いた途端、マルベリーアンはリリの手をグイグイと引っ張って行く。ここまで送り届けたビンディは呆気に取られてそれを見送った。二人を追い掛けて来るのは、リリと同じ髪色をした少年だった。
「アンさん? あの、追い掛けて来る人は……?」
「ああ、忘れてた。紹介するよ、私の弟子でコンラッドだ」
「はぁはぁ……コンラッド・カークスです」
「あ、はじめまして、リリアージュ・オルデンと申します」
マルベリーアンに引っ張られながら後ろを振り返って挨拶するリリと、重そうな荷物を担いで懸命に追いすがるコンラッド。
「あとでゆっくり話せばいい。先に買い物を済ませるよ」
街の服屋……ではなく、冒険者向けの装備を売っている店に連れて行かれ、防寒着を見繕う。それは機能重視で可愛さは微塵もない上衣とズボンであった。上下とも黒、表地は水や雪を弾く魔物の皮で出来ており、裏地には羊毛がこれでもかと言うくらい貼られている。上衣の袖の中も羊毛に包まれており、裏表を引っ繰り返すと羊に見えるのでは? と思えるくらいだった。表地と裏地の間には水鳥の羽が隙間なく詰め込まれているらしい。
上衣とズボンのお値段を見ると……二千五百六十スニード。日本円だと約二十五万六千円。
「うわっ!? こんな高いの買えません!!」
「何言ってんだい。あたしが買うんだよ。あたしが呼んだんだから」
「え、でも」
「子供が遠慮すんじゃないよ」
「あ……はい、ありがとうございます」
試着してみるとかなりダボダボだったが着れない程ではない。ただし前述の通りお洒落とは無縁であった。
「ああ、ブーツも要るね」
ブーツも防水性に優れ、羊毛に包まれるタイプの物。結局全部で三千スニード程の買い物となった。
「よし、じゃあ出発するよ」
「あ、泊まらないんですね」
「急ぎだからね」
僅か三十分程滞在しただけで、慌ただしくノルトシーデルから出発するのだった。




