20 街を救う
――カンカンカンカンカン!
真夜中、けたたましい警鐘の音で目が覚めた。
「わふぅ?」
「なんやなんや、なんやねん!?」
「何この音……うるさい……」
リリは布団に包まって二度寝を決め込もうとしたが、アルゴに布団を引っ張られて起こされた。寒さで頭が覚醒する。
「マリエル、これ何の音!?」
「たぶん警鐘や! 聞くのは初めてやけど!」
大声で喋らなければお互いの声が聞き取り辛い程、今も大音量で鐘が鳴っている。
「マリエル! リリちゃん! 起きてるか!」
「「起きてる!」」
「着替えて外に出るんや!」
ガブリエルの切迫した声で、これが只事ではないとようやく分かってきた。二人は急いで着替え、荷物を持って外に出る。宿の表通りには、同じように夜中に起こされた多くの人々が困惑した顔で佇んでいた。二百メートル程離れた街の西門の方から、全身鎧を着けた兵士がこちらにやって来て大声を上げた。
「皆さん! 東門の方に避難して下さい!」
「何があった!?」
「どうしたんだ!」
「瘴魔がこちらへ向かっています! 瘴魔鬼が二体、瘴魔が八体です! 出来るだけ速やかに東門へ向かって下さい!」
警鐘の音に負けないよう兵士が声を張り上げる。「カクタスの鎧」の面々は、ガブリエルとマリエル、リリを囲むようにして東へ移動しようとする。しかし、瘴魔祓い士でもあるウルだけは西門へ向かおうとした。
「ウルはん! 一緒に逃げるんや」
その背中にマリエルが悲痛な叫びを投げかける。
「マリエルちゃん、ごめんね。瘴魔祓い士はこう言う時の為に国からお金を貰ってるの」
その横顔には覚悟が浮かんでいる。ウルの決死の顔を見て、リリの胸はズキンと痛んだ。ダドリーも、瘴魔鬼からマルデラを守る為に戦い、そして死んだ。お父さんもこんな顔をしたんだろうか? 死ぬと分かっていて立ち向かったのだろうか?
「アルゴ!」
「わぅ!」
リリがアルゴの背に飛び乗ると、北に伸びる裏路地へ向かって駆け出す。
「リリーーー!?」
「マリエルごめん! 避難して!」
人混みを抜け、風のような速さでアルゴは走った。一旦北に向かい、適当な所で西に折れる。すれ違う人が驚いて尻餅をつき、リリは心の中でごめんなさいと謝った。直ぐに西側の防壁が見えた。高さは十メートル程。西門は今頃閉じられているだろうし、仮に開いていても子供の自分を通してはくれないだろう。
「アルゴ、壁の上まで行ける?」
「わふっ」
リリは知っていた。アルゴの身体能力が並外れている事を。アルゴなら垂直の壁でも登れるのではないか。そう思って聞いたが、アルゴの答えは「当たり前だ」であった。だが、アルゴの動きは予想外だった。壁を登ると思っていたが、かなり手前から跳躍してそのまま壁のてっぺんに着地したのだ。
「うわっ!? アルゴ凄い!」
「わふぅ!」
防壁の上は幅が一メートルもない。そこから外側を攻撃する想定はしていないようだ。地上より風が強いが凍える程ではなかった。ここからなら迫って来る瘴魔を狙撃出来る。
「アルゴ、どっちから来るか分かる?」
防壁の上で、アルゴの頭は南を向いている。頭を右、つまり西に向けて空中に漂う匂いを嗅ぐ。リリはアルゴの背にしがみついたままだ。
「わふ!」
アルゴの鼻先が一点を向いて止まった。それが示す方向を目で追うと、暗闇の中にぼんやりと光る白い球が複数、ゆらゆら揺れながらこちらに向かっていた。
「見えた」
西門の周りに鎧姿の兵士がかなりの数集まっている。松明や魔道具のカンテラで西方面を照らしているが、ごく狭い範囲しか明るくなっていない。
「もっと明かりを集めろ!」
「ありったけの松明を持ってこい!」
彼等の中にウルの姿が見えた。他にも数人、鎧を着けていない者が居る。そういった者が瘴魔祓い士なのだろう。右往左往する兵士達と違い、彼等は闇を睨み付けていた。
だが、瘴魔が来るのは見当違いの方向だ。リリに見えたのは、もっと北側からこちらへ動いている白い球だった。このままでは、彼等は直前まで瘴魔に気付けないだろう。
リリは白い球から目を離さない。闇に紛れて本体は全く見えないが問題ない。あの白い球だけを撃ち抜けば良いのだから。ただ、暗闇の為距離感を掴めないのがもどかしい。白い球は全部で十。さっき宿の前で兵士が言っていたのと同じ数だ。
「よし、もう撃ってみるね」
リリはアルゴに跨ったまま背を起こして右腕を伸ばした。
(一、)
白い球が一つ弾ける。
(二、)
直ぐ隣の白い球が続けて弾けた。
(三、)
思ったより近くに居たのかも知れない。三つ目が弾ける。
(四、五、)
連射したブレットが二つの球を砕いた。
(六、)
外した。いや、その狙った球は急に横に移動したのだ。落ち着いて別の球を狙う。
(……六、)
命中した。
(七、八、)
一発は命中。だが、もう一発はまた急に移動されて外した。
(八……)
八つ目の球を砕いた。残り二つ。だがその二つは、まるでリリが狙っている事を分かっているかのように、ジグザグに移動している。しかもその移動速度が異常に速い。リリは指先を左右に動かし片方の動きを追う。
(九、九、九!)
動きを予測して三連射する。二発はあらぬ方向へ飛んだが、三発目が見事白い球を捉えた。
「え?」
片方に集中している間に最後の一体を見失った。アルゴが低く唸り姿勢を低くする。リリは咄嗟にアルゴの背にしがみついた。
――ギィィイイイン!
真っ黒な剣のようなものがリリとアルゴに振り下ろされ、アルゴは空中へ飛んだ。剣は防壁を深く抉っている。リリが一体を仕留めている間に、最後に残った瘴魔鬼は全速力で壁に取り付いたのだ。奴はリリを敵と認めて排除にかかった。アルゴが居なければ、リリの体は両断されていただろう。
風魔法を発動し、アルゴは地上にふわりと着地した。リリに背から降りるよう促し、体を小刻みに震わせると二回り大きくなる。
――グルゥォォォオオオオーン!
アルゴの咆哮がバルトシーデルの街に木霊した。恐らく、街の西側三分の一に居る人々は腰を抜かしたに違いない。リリは「アルゴってこんな声も出せるんだ」と平然としている。ちょっとカッコイイとすら思った。
アルゴが威圧の咆哮を放ったのは、瘴魔鬼の狙いを自分に向ける為だった。これが街中でなければ、広範囲の炎魔法一発で倒す事が出来るのだが、それはリリが嫌がるだろう。だが必要なら躊躇う気はない。街の西側が焼け野原になっても、リリの命には代えられないからだ。
果たして瘴魔鬼はアルゴに向かって来た。リリの目には瞬間移動したかのように見える。両拳から黒い剣を生やし、それを振る速度も尋常ではない。だがアルゴはその攻撃を悉く躱した。
「アルゴ、右の太腿!」
リリは離れた場所からアルゴに大声で伝えた。アルゴはそれだけで何をすべきか理解した。リリも、いつでもブレットを撃てるように構えている。
アルゴは射線上にリリが来ないよう、危険を承知でリリの前に移動した。瘴魔鬼はすかさずアルゴを追う。一瞬、その動きが直線的になった。そこへアルゴが風魔法で生み出した風の刃が殺到する。その殆どが右太腿を狙ったものだ。リリの目には、刃の一つが白い球を真っ二つにしたのが見えた。アルゴに剣を振り下ろしたが、剣先から黒い塵となって崩れていく。それはあっという間に全身に広がり、塵は闇に溶けて消えていった。アルゴの風魔法の余波で、防壁に幾筋もの深い溝が出来ていた。
「アルゴ!」
いつものサイズに戻ったアルゴにリリが飛び付く。
「アルゴ、すごくカッコよかったよ!」
「わっふぅ!」
リリに褒められてアルゴはご満悦であった。
もう瘴魔は居ない、と西門の外に集まっている人達に教えたいが、どうやって伝えれば良いか分からない。自分がもう少し大人で、瘴魔祓い士の資格でも持っていれば話に耳を傾けて貰えるのだろう。今それを考えても仕方のない事だ。外の人達には申し訳ないが命の危険はない。夜が明けたら瘴魔の姿が消えている事も分かるだろう。リリは外に伝えるのは諦めて、マリエル達を探す為に東門の方へ向かった。
*****
特級瘴魔祓い士、マルベリーアン・クリープスが到着したのはリリとアルゴが最後の瘴魔鬼を倒した一時間後だった。
可能な限り急いで来た。バルトシーデルはどうなっているだろうか。願わくば、住民の避難が完了して犠牲を最小限に食い留めていて欲しい。馬車が止まらないうちに、マルベリーアンは扉を開けて飛び出した。コンラッド・カークスが慌ててその後を追う。マルベリーアンは西門に向かって走ったが、途中で違和感に気付く。その周辺は松明とカンテラで煌々と照らされている。西門は破られていない。それどころか、誰一人として戦闘を行った形跡がない。
コンラッドの後ろから追い掛けて来た騎士団の中隊長に向かって問い質す。
「おかしいね。あんたの話じゃ、今頃瘴魔どもがバルトシーデルを蹂躙してる筈じゃなかったかい?」
「え、え? そ、その筈ですが……」
「その割に平和そうに見えるがね」
「そ、そうですね……か、確認して来ます!」
マルベリーアンは途中で足を止め、周囲の闇に目を凝らした。師匠の傍で、コンラッドが別の方向を凝視する。しばらくそうしていたが、マルベリーアンが頭を振りながら言った。
「瘴魔どもの気配はないね」
「ええ。僕もそう思います」
一番可能性が高いのは瘴魔が進路を変えた事。これは大いに有り得る。人間が予想した通りの進路を取るとは限らない。その次に可能性が高いのは「誤報」。騎士団が何かと瘴魔を見間違った。だがこれは滅多に起こらない。瘴魔祓い士を動員するには確固たる根拠が必要だからだ。
一度発生した瘴魔が自然に消滅する事はない。であるから、バルトシーデルとは異なる方に向かったのだろう。何にせよ、街が無事なら良かった。夜中に叩き起こされたのは迷惑極まりないが。
「マルベリーアン様!」
西門の前に屯している者達に事情を聴きに行った中隊長が戻って来る。
「瘴魔と瘴魔鬼は、確かに街の直ぐ近くまで来ていたようです」
「何だって?」
「西に斥候に出ていた者が確認し、西門近くの住民を避難させたと言っております」
これだけの大都市が直ぐ傍にあると言うのに、突然方向を変えてどこかに去った? いやそんな事は有り得ない。マルベリーアンの長年の経験から、瘴魔どもは本能的に人間の集団を襲う。目の前の餌を素通りする筈がない。
「師匠、あそこを」
「何だい?」
考えを巡らせているマルベリーアンに、弟子のコンラッドが話し掛け、斜め上を指差す。それは防壁のてっぺん辺りを差していた。
「何か見付けたのかい?」
「ここからでは見えにくいですが、防壁の上が抉れているように見えます」
マルベリーアンとコンラッドは、中隊長と共に街の衛兵に案内させ、防壁の上まで上った。壁の補修や見張りの為に、所々上に登れる階段が設置されているのだ。
「これは……ついさっき抉られたように見えます」
「あんたの言う通りだね」
「一体何が、こんな場所で……」
Vの字に抉られたそこは、周りの石材と比べて白くなっているし、砕けた細かい破片が付近に散らばっていた。明らかについ最近抉られたと思われる。
「中隊長、あんたなら剣でこんな傷を付けられるかい?」
「まさか」
「だよね。私の知る限り、これは瘴魔鬼が拳剣を振るった痕だろう」
それはつまり、瘴魔鬼と何かがここで戦闘を行ったと言う事だ。まさか、既に瘴魔鬼がバルトシーデルの街に侵入している? いや、それにしては静か過ぎる。訝しく思いながら壁の上から降り、今度は抉れた辺りの真下に来た。
「師匠、確実にここで戦闘がありましたね」
「ああ。これは……風刃かね? それにしてはかなりの威力のようだが」
「風刃? 瘴魔は高位の浄化魔法か超高温の炎魔法でしか倒せないんですよね?」
「ああそうさ。これは瘴魔鬼の拳剣に対抗したのか……いや、瘴魔鬼の近接戦闘について行ける魔術師なんて聞いた事ないけどね」
中隊長の問いにマルベリーアンが答えた。結局、何者かがここで瘴魔鬼と戦い、恐らくは高位の浄化魔法で倒したのだろう、と結論付けた。その何者かがここに居ないのだから、それ以上は推測しても無駄であった。