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145 大氾濫

 黒影鳥(カラドリウス)のノアから齎された報せ。それを受けて各部隊の代表者とリリが、かねてから決めていた通り領主別邸の応接室に集まった。


「それで、場所はどの辺りか掴めているのでしょうか?」


 公国の第二騎士団、マーカス・ペルドン副団長が口火を切る。応接室は、屋敷にいる優秀な使用人やメイドの手によって一時的に会議室のようになっていた。中央に立ったまま囲める大きな机、その横に大きな黒板が立て掛けられている。机と黒板には帝国中央から北部の簡易な地図が用意されていた。


『ノア、場所は分かる?』


 リリがアルゴの首辺りに止まっているノアに尋ねると、彼はパタパタと飛んでリリの左肩に移動し、地図をじっと見る。そして机に飛び移り、羽根の先で場所を示した。


『だいたいこの辺りのはずだ』


 それは、ここサウステルから南南東に直線で約五十キロ地点。帝国の領土で言えば北部中央付近である。


「この辺りの詳細地図はあるか!?」


 「暁の星」のリーダー、トレッド・バートンが誰にともなく声を上げる。すると、マデリン王女の護衛を務める騎士の一人が歩み出て地図を渡してくれた。この場に王女はいないが、騎士数名と侍女が参加している。リリ様たちの役に立つことは全部おやりなさい、と命令を受けているそうだ。今差し出された地図も、本来なら帝国の軍事機密と言えそうな詳細地図だった。ノアが示した地点に赤い木の駒が置かれる。


「……近くに三つ、街があるな」


 地図ではどれくらいの規模か分からないが、赤い駒を囲むように三つの街があるのが分かった。


『ノア、大氾濫になるまでどれくらいの時間があると思う?』

『う~ん……長くて三日かな』


 思ったより事態は切迫している。


「大氾濫まで、長くて三日だそうです!」

「早馬を三騎出します。今からなら明日の早朝には着くでしょう」


 大氾濫発生前に可能な限り住民を避難させたい。そのためにまずは発生場所を知らせる必要がある。マーカス副団長が部下に指示を出し、その部下が廊下に控えた騎士に伝達した。


『ノア、周辺に高台はあるか?』


 詳細な地図でも標高までは表示されていない。現地を見ているノアにアルゴが訪ねた。


『この辺りが、平地より二百メートルくらい高いはず』


 ノアが黒い羽根の先で示したのは、赤い駒の北。


「ここが高台になっているそうです」


 そこに白い駒が置かれた。地図の縮尺から考えて、赤い駒から十キロ程度離れているようだ。


『うむ。我が実際に見て来よう。往復で一時間もかからぬ。リリ、その間だけ離れても良いか?』

『うん、こっちは大丈夫。気を付けてね?』

『うむ!』


 リリに心配されたのが嬉しかったのか、アルゴは意気揚々と偵察に向かった。


「アルゴが今から現地を見てきます。私たちが陣を敷くのに良い場所を探してくれるはずです」

「神獣様なら間違いないな」


 「暁」のトレッドが感想を漏らすと、皆が深く頷いた。


「それじゃあ……あ、グエンさんたちは公国の馬車に出来るだけ乗ってください」

「そんなに違うの?」

「はい、倍近く早く着けると思うので」

「分かった。優秀な者を優先して乗せよう」


 それから、マデリン王女の騎士から提供された詳細な地図で現地までのルートを確認する。帝国には部隊の通行を予告しているので問題は起きないと思いたい。


 最後に公国魔術師団副師団長のシード・モリスとグエン、そしてマルベリーアンが残り、その他は各自出発の準備にかかり始めた。


「これまでの話し合い通り、最初に私と神獣たちが神位魔法を放ちます」

「帝国がなくならなければいいけどねぇ」


 それまで口を噤んでいたマルベリーアンが軽口を叩く。


「……加減はするそうです」

「冗談だよ。人の命が懸かってるんだ、少しくらい地形が変わっても問題ないさ」


 地形……確かに変わりそう。それに関しては、帝国にも目を瞑ってもらうしかない。


「我々はなるべく広く展開して討ち漏らしを倒していくわけですね」

「はい」


 シード副師団長が確認し、リリが肯定した。


「あとは現場次第ってとこだね?」

「ええ。アルゴが帰って来れば、瘴魔を迎え撃つのに良い場所が分かるはずです。あとは現地に向かいながら具体的に決めましょう」


 グエンは集結した者の中で最も実戦経験が豊富である。伊達に長く生きていない。見た目はアレだが頼りになる存在だ。彼は自分の判断でシェルタッド王国の魔術師たちを動かしてくれるだろう。シードとグエンの二人も準備に向かった。


「リリ、あんまり気負い過ぎるんじゃないよ?」

「アンさん……」

「あんたが一人で背負う必要はないんだ。自分に出来ることだけを精一杯やれば良いんだよ」

「……はい! ありがとうございます、師匠!」


 マルベリーアンはリリの肩を優しく叩いてから屋敷を出て行った。


 さっきまで人が多かった応接室だが、今は片付けを始めた使用人とリリだけになった。そこへジェイクたち、シャリーとアリシアーナ、そしてコンラッドが顔を出す。皆の顔を見て、リリは思った以上の安堵を覚えた。


「リリ、問題ねぇか?」

「うん。みんな早速出発の準備に行ったよ。時間がないから準備出来たらすぐに出発だね」

「そうか。『金色の鷹』はお前たちの護衛でいいんだな?」

「うん、お願い」


 ジェイク、アルガン、クライブ、アネッサ、ラーラが口々に「任せて」と告げる。


「オレとアリシアは姉御の傍にずっといるからな!」

「力は及びませんけれど、きっと役に立てるはずですわ!」

「うん、二人ともありがとう!」


 瘴魔祓い士としてパーティを組んだ最初の頃、リリは二人を守らなければと考えていた。それが今では、背中を任せられる頼もしい仲間になった。


「僕は一番近くでリリを守るよ」


 婚約したことで、マルベリーアンはコンラッドにリリの傍にいるよう命じた。自分はもう十分守ってもらったから、これからは未来の嫁さんを守りな。いつものぞんざいな口調だが、それは間違いなく彼とリリに対する気遣いだった。


「はい。近くにいてくださいね?」


 これから迎え撃つ瘴魔の大氾濫は、どれくらいの規模なのか予測出来ない。正直に言って、リリは怖かった。瘴魔が怖いのではなく、誰か大切な人を失うのが怖かった。だから、頼れる家族や仲間、恋人がいて、声を掛けてもらって、勇気をもらうことが出来た。


 リリたちが出発の準備をしているとアルゴが戻ってきた。


『おかえり、アルゴ!』

『ただいま戻った。中々良い場所があったぞ』


 置いていかれた地図を広げ、ジェイクにも一緒に見てもらう。大氾濫発生予想地点と、ノアが示した高台には印が付いていた。


『この辺りは丘になっている。かなり遠くまで見通せる開けた場所だ』

『近くに人が住んでる所はなかった?』

『街道は通っているが町や村はない。たまたまいる人間はどうしようもないがな』


 アルゴから聞いた情報をジェイクに伝える。


「高い場所から出来るだけ削りてぇな」

「最初はこの丘から魔法を撃とう。私とアルゴ、ノア、ラルカンで四方向へ」


 丘を起点に放射状に攻撃する。これでかなり数を減らせるはずだ。


「それから、私とアルゴは一緒に、ノアとラルカンは単独で移動して、こっちとこっち、それとこっちに魔法を撃つ」


 最初に真ん中から、そして左右に分かれて端の方で再度攻撃。瘴魔が少なくなったら、祓い士や魔術師が十人前後の班を作って残った敵を殲滅する。完全にリリと神獣に依存した作戦である。だが現状それが最も勝算の高い方法だった。


 女神の愛し子にして雷と炎の神位魔法を使えるリリ。リリの守護者であるアルゴ。そして愛し子のことが大好きなラルカンとノア。瘴魔の大氾濫という未曾有の危機を迎えたこの時代に、愛し子と神獣たちの存在は人類にとって僥倖だった。


「じゃあ行くか」

「うん。出発しよう!」





*****





 その場に居た者は、そこで見た光景を一生忘れられないと(のち)に語った。


 平原を埋め尽くす死の気配。万に迫る瘴魔の群れは、常人が目の当たりにすればそれだけで正気を失っただろう。日頃から瘴魔と相対する祓い士ですら、膝の震えが止まらなかった。


 蠢く黒い靄は、その勢力を刻々と広げていた。数キロ離れた場所から見ると、どこかで大規模な火災が発生し際限なく黒煙が生み出されているようだ。それが全て瘴魔だと気付けば全身が粟立ち、冷たい汗が背中を伝う。これからあれと戦うのか。とても現実とは思えず、寧ろ悪夢であって欲しいと願った。


 だが、そんな光景は一瞬で塗り替えられることになる。


 丘の上、陣の中心辺りから放たれたのは二筋の閃光と赤い尾を引く球。直後に平原が爆発した。


 自重なしで放たれた二発の雷神殲怒(みかづちのいかり)は、平原を数キロ四方に渡って白く染め上げる。彼らが見たのは膨れ上がる二つの真っ白なドーム。それが弾け、更に広範囲に稲妻が迸った。

 それより左手で赤い尾を引いて爆ぜたのは火神殲舞(かぐつちのまい)。赤いドームが一瞬生まれ、荒れ狂う炎の波が広がった。右手では不可解なことに、瘴魔の群れよりも更に黒い、全ての光を吸い込むかに見える巨大な穴が生まれた。


 それらを認識した数秒後、体を揺らす轟音と熱波に襲われる。そこで初めて、瘴魔へ向けて魔法が放たれたことが分かった。舞い上がった土埃が視界を覆い尽くし、数分間何も見えなくなる。南から吹く風のせいで、北の陣地にいる者たちは視界を奪われ僅かに混乱した。


 しばらくして視界が晴れた時、眼下の光景は一変していた。平原を覆っていた黒煙のような靄は、その濃度が相当程度薄くなっていた。代わりに耕されたばかりに見える黒土の大地が延々と続いている。左手の方は所々オレンジ色の光が残り、右手は遠近感がおかしくなるほどの大穴が口を開いていた。


「「「「「うぉおおおおおー!」」」」」


 その圧倒的な魔法の威力は、先程まで感じていた恐怖を塗り潰し、「何とかなるかも知れない」という希望を抱かせるのに十分であった。





*****





『アルゴ! あっちに行くよ!』

『承知!』


 丘の上、陣地の中心辺りからアルゴと共に雷神殲怒を放った直後、リリは彼の背に跨って丘の東に向かって移動を開始した。魔法の結果を悠長に見ている余裕はない。

 ちなみに火神殲舞を放ったラルカンは、影神暴贄(えいしんのにえ)という特殊な神位魔法を放ったノアに引っ掴まれて西の方へ向かった。相変わらずの捕食シーンにハラハラする。


 リリたちと二体の神獣が東西に分かれたのは、大氾濫の両端から真ん中方向に魔法を放つためである。丘の上から見た限り、瘴魔は東西に四キロ近く、南北方向には二キロ程度の広い範囲に散らばっていた。初撃で真ん中から放射状に攻撃し、二撃目は東西の端から挟むように攻撃する心算だ。これで殆どの範囲をカバー出来るはず。


 二キロを人間の足で移動すると二十~三十分かかるが、アルゴに乗せてもらえば一分ほどである。


 初撃の影響で、まだ土煙がキノコ雲のように舞い上がり視界は効かない。だが、リリには索敵マップがある。半径二キロのマップ上で、どのように瘴魔が残っているかは赤い点の分布で分かった。


『アルゴ、遠目に撃ってもらっていい? 私は近い方に撃つから』


 地面に枝を使ってどこに魔法を撃って欲しいか説明する。


『この方角で良いのだな?』

『うん。着弾地点は五百メートル先くらいで』

『分かった!』


 リリとアルゴは呼吸を合わせ、方角で言うと南南西に向けて雷神殲怒を放つ準備を整えた。丁度その時、一撃目の土埃が晴れて、大地が悲惨な状況になっているのが一瞬見えた気がしたが、きっと気のせいだろう。遠くで歓声が聞こえた気もするが、それも気にせず二撃目を放つ。


 二筋の白い閃光が地面に着弾すると、手前、続いて遠方で大爆発が起きた。距離があるので目を逸らせば眩しさに耐えられることに気付いたのは収穫かも知れない。こんな機会は二度とない方が良いのだけれど。


 ずっと西の方でも低い爆発音が聞こえた。ノアの魔法は音がしないので、きっとラルカンだろう。


 索敵マップで確認すると、最初はマップが真っ赤だったのが、今では数えられる程度にまで減っていた。


『アルゴ、真ん中に戻ろう!』

『うむ!』


 一分ほど西に向かい元の場所に戻った。待ってくれていた仲間たちがホッとした顔になる。ここでリリからの指示を待っていた騎士たちに「行動開始」を伝えると、予め決めていた通り、それぞれの持ち場に伝えるため走って行った。


「姉御! すっげぇ魔法だったんだぞ!!」

「相変わらず規格外ですわ」


 殆ど神獣の魔法だから。規格外なのは神獣だからね? あれで威力は二割くらいらしんだよね……。


「リリ、ご苦労だったな」

「うん。こっちは問題ないかな?」

「ああ、今のところ――」


 言いかけたジェイクが何かの気配を感じ、咄嗟に後ろを振り返る。


「リリ!」


 コンラッドがリリを後ろに突き飛ばした。そこからは世界がスローモーションになる。


 ジェイクの向こう側に、一瞬前までいなかった黒い人型が出現していた。不自然に体が歪み、腕が一本しかない。その腕の先端が尖り、リリの方に向けられる。ジェイクの背中で視界が塞がれたが、彼の右脇腹から黒い棘が突き出すのが見えた。それはぐんぐん伸びてコンラッドの左肩を貫通し、そこでアルゴが放った風刃(ウインドエッジ)に軌道を逸らされ、リリの右上腕に突き刺さって止まる。


「ぐぅっ、神聖浄化っ!!」


 リリを中心に、眩く光る金色の柱が立ち上がった。それに晒された瘴魔王の触腕棘が黒い塵となって消え去る。


『風刃牢!』


 アルゴが風の障壁で王を閉じ込め、その内部に風刃が吹き荒れる。それを確認したリリは、ジェイクとコンラッドの怪我を冷静に観察した。コンラッドは肩、ジェイクは右脇腹。先にジェイクを治療するべきだ。リリは腹を押さえて蹲っているジェイクの隣に膝を突いた。


治癒(ヒール)!」


 右腕からダラダラ血を流しながら、リリはジェイクに治癒を掛けた。


「す、すまねぇな」


 傷が塞がったジェイクはフラフラしながらも立ち上がった。


「コンラッドさん、後回しにしてごめん!」

「僕は大丈夫。先に自分を――」

治癒(ヒール)!」


 リリはコンラッドの言葉を遮り、肩に優しく手を添えて治癒を掛ける。腕の痛みで額に脂汗が浮かんだ。


「ふぅ……じゃあ自分に、っと」


 最後に自分の腕を治療して、アルゴの魔法に囚われている瘴魔王に目を向けた。風刃は障壁の中で数千数万回、その実体を持った体を切り裂いているはずだが、恐ろしい速さで再生している。いつの間にか、失っていた片腕さえも再生したようだ。つまり、この瘴魔王が持っている特性はこの超再生とでもいう力なのだろう。


 気付けば、「金色の鷹」の五人とシャリー、アリシアーナがリリを庇うように前に立っていた。アルゴは一番前で瘴魔王に牙を剥いている。


 前線に多くの人が向かった今、大きな魔法を撃つのは危険だ。リリは少し前に考案した魔法を試すことに決めた。


神聖雷弾(ホーリーボルト)!」


 直径五ミリの球に神聖浄化魔法をありったけ込める。その外側に直径十ミリの球を作り、中間の層にこれでもかというくらい雷を詰め込んだ。アルゴが一瞬障壁を解除した隙に、瘴魔王の体の中心に魔法を撃ち込む。すぐにアルゴが障壁を張り直した。


 障壁内部で金色の稲妻が縦横無尽に迸った。それは雷だけの時より少しマシな光だが、眩しいのには変わりがない。リリたちには見ることが出来ないが、神聖浄化魔法を纏った雷が瘴魔王の体の隅々までを蹂躙し、再生する前に塵に変えていくのをアルゴの目が捉えていた。


 金色の光が収まった時、瘴魔王の姿は消えていた。全員がホッと安堵し、すぐに気を引き締め直す。


 ノアとラルカンが戻って来て、リリたちは索敵マップと神獣たちの探知を頼りに警戒を続けた。瘴魔の大氾濫を鎮圧したと確信出来たのは、それから八時間後だった。

明日の146話が最終話になります。

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