136 パルストルの町
アルゴが全員に隠密を掛け、そろりそろりと町に近付く。馬車と馬は、周囲に魔物除けの魔道具を設置して離れた場所に隠して来た。
町に近付くと遮蔽物があまりないので、いくら隠密が掛かっていてもいつ魔物に見つかるか分からない。緊張しながらも可能な限り気配を消してゆっくり進む。
リリが俯瞰視を使い、防壁の外側で遮蔽物になるものをいくつか見つけた。大きな岩、崩れかけた小屋、立木。その中で全員が一度に身を隠せる巨岩の陰にようやく辿り着く。ここは町の北東に位置し、リリたちから見ると右斜め前方に町がある。町と言うか、今は魔物が集っている何かにしか見えないが。
リリの立てた作戦はこうだ。
三百メートル前後離れた場所から、なるべく防壁を傷付けない角度でリリがブレットで魔物を倒す。ここで重要なのは倒す数ではない。魔物に、背後から攻撃されていると気付かせることだ。リリに気付いた魔物は防壁に守られた町ではなく、無防備に体を晒しているリリの方へ来るだろう。町の防壁から魔物を引き剝がし、十分距離が離れたらそこにアネッサ、ラーラ、シャリー、アリシアーナの四人が魔法を撃ち込む。
万が一想定以上の魔物がこちらへ来て対応が追い付かない場合、リリの電撃領域で全員を守る。その間、アルゴが町になるべく被害が出ないよう、集まってきた魔物を狩って安全を確保するという寸法だ。
初めからアルゴに頼れば良いのでは、という意見もあるかも知れないが、忘れてならないのはアルゴにとっての優先順位である。彼の優先順位、ダントツ一位は言うまでもなくリリで、その次が仲間たち。そして、目の前で魔物に襲われている町とその住民など、彼にとってはその辺の石ころと同程度の価値しかない。つまりアルゴに頼むと町ごと魔物を吹っ飛ばす可能性があるということだ。
もちろんリリが事前に頼めばアルゴは希望に添うよう尽力してくれるだろうが、神獣の力をホイホイ借りてはいけない気がする。自分たちの力で何とか出来るなら、何とかするべきだとリリは考えている。
ということで、早速リリは隠れていた巨岩から出て町の方へ少しだけ近寄った。右手を拳銃の形にして前に伸ばし、左手で下から支える。
(ブレット)
不可視の魔力弾は音もなく放たれ、防壁に取り付いていたムカデ型魔物の頭蓋を撃ち抜いた。そいつは壁から落ちて別の魔物とぶつかる。
(あ、あれ?)
一体倒したくらいでは、興奮状態の魔物たちは後ろからの攻撃に気付かない。そもそも防壁の上から町を守る兵や冒険者が魔物に攻撃しているのだ。それと区別はつかないだろう。だが、リリは少しムカついた。結果、一秒間に五発、三十秒で百五十体の魔物を屠った。
先に気付いたのは防壁の上にいる冒険者。壁を登ろうとする魔物が次々と落ちていくので、何事かとこちらを見た。そしてリリと目が合う。何か悪いことをしているのを見付かったかのように、リリはビクッと肩を震わせた。が、その時壁に取り付いていた魔物がこちらを見ていることに気付く。そして、魔物は一斉にリリの方へ向かって来た。
「ひぃっ」
怖いと言うより気持ち悪い。人間サイズのムカデ、それより大きな蟻や蜘蛛型の魔物が昆虫らしからぬ足音を立てながら、数百の群れを成して迫って来るのだ。リリでなくても小さな悲鳴くらい上げるだろう。
リリが岩の方に向かって走り始めると、その陰から残り七人と一体が飛び出してくる。アルゴが風よりも早くリリの元へ駆け寄り、リリはその背中に跨った。魔物が防壁から二百メートルほど離れた所で、アネッサたちが魔法を発動する。
「雷撃針!」
「雷球!」
「獄雷炎!」
「嵐刃!」
「えぇぇっ!?」
魔物の群れが閃光と爆炎に包まれ、轟音が辺りに響く。リリは、四人が雷魔法を使ったことに驚きの声を上げた。四人はそれぞれ胸を張ってドヤ顔をキメている。その前で、ジェイク、アルガン、クライブの三人が魔法を逃れた魔物を物理で叩き伏せていた。いつだって男性陣は女性を守るために身を粉にしなければならないのだ。
数百の魔物は今の攻撃で倒したが、他の魔物たちもこちらに気付いて移動を始めていた。しかし、防壁から十分離れた途端にアネッサたち四人が魔法を食らわせ、確実に削っている。
『アルゴ、向こうに回り込んで!』
『承知!』
リリはアルゴに跨ったまま、雷撃針を放ちながら町の裏側に回りこむ。防壁から少し離れていた魔物は、その身に雷の針を受けて次々と絶命していく。アルゴも適当に風刃を放つ。後ろに魔物の骸を積み上げながらリリたちは防壁の外側を一周した。その頃には、魔物の数は三分の一に減っていた。
「「「「うぉぉおおおー!」」」」
防壁の上にいた兵士や冒険者から歓声が上がった。彼らが気付いた時には、見たこともない数の魔物が町を取り囲み、その侵入を防ぐため決死の覚悟で上から攻撃していたのだ。しかし投擲武器の数には限りがあり、攻撃魔法を使える者は数える程しかいない。最早肉弾戦を覚悟していた時、北から彼らがやって来たのである。そして、自分たちがあれだけ苦労していた魔物を、僅か数分で三分の一にまで減らしたのだ。
希望を運んできたリリたちは、彼らにとって救世主であり英雄であった。
彼らがそんな気持ちだと知らないリリは、アルゴの背でびくりと体を震わせる。急に野太い大声が上がれば驚くのも当たり前というものだ。
『もう一周しよう』
『いいぞ』
数を減らした魔物は、生存本能が勝った個体から町を離れて始めた。無理に追わず、まだしつこく防壁をよじ登ろうとしている魔物をブレットで丁寧に仕留めていく。二周目が終わる頃、当初二千体以上いた魔物は百体ほどまで減った。
「姉御! だいぶ減ったぞ!」
「もう町の人間だけで対応できるんじゃねぇか?」
ジェイクたちの所まで来る魔物も疎らになり、余裕を持って倒せている。残った魔物はアルゴの気配に気付き、散り散りになって町から離れて行く所だ。
その時、固く閉ざされていた町の門が開き、数名の兵士が恐る恐る顔を覗かせた。積み重なった魔物が全て死骸であることを確認し、周りを警戒しながらリリたちに近付いて来る。その中の年配の男性が声を上げた。
「ありがとう! 助かりました!」
全員の視線がジェイクに集中して、彼は苦笑いを浮かべながら男性と相対した。
「間に合って良かった。冒険者パーティ『金色の鷹』のジェイクだ」
ジェイクが剣を鞘に納めて右手を差し出すと、男性がその手を握る。
「パルスタル――この町の衛兵長、レンダ・ストールだ。改めて礼を言わせてくれ。君たちのお陰で町が救われた。本当に感謝する」
握った手を離し、男性――レンダが深く頭を下げた。
ジェイクとレンダのやり取りを横目に、リリたちは魔物の処理をどうするか相談を始めた。これだけ大量の死骸は、放置すると腐臭や疫病の元になるし、最悪瘴気溜まりが発生する。一体一体から魔石を回収する手間と得られる収入、死骸を放置するリスクを天秤にかけると、処理した方が良い。リリたちはそう思ったのだが――。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 魔石は町の貴重な収入源になるんだ。死骸の処理は任せてくれ」
レンダの言葉通り、パルスタルの町から人が大勢現れる。手には鉈や斧、ナイフを持っていて一見物騒だ。その後ろからは荷車を引く人、シャベルを肩に担ぐ人が続く。
「あ。穴だけ掘りましょうか?」
「え? いいのか?」
「はい。どの辺がいいですかね?」
リリが提案すると、レンダは恐縮しながら穴を掘る場所を示した。そこに、アルゴとシャリーが土魔法で深い穴を作り出す。それは穴というより最早「深淵」。一分ほどで出来た底が見えない穴に、レンダの開いた口が塞がらない。しかしパルスタルの住民は強かで、魔石を抜き取った魔物の死骸が次々とその穴に放り込まれていく。
そうしているうちに、身なりの良い青年が近付いてきた。
「パルストルの代官、ファルムス・ビーストテランです。町を代表して感謝いたします」
話し掛けられたジェイクは、ビーストテランの名を聞いてピクリと眉を動かす。それを見ていたリリが歩み出た。
「お初にお目にかかります。スナイデル公国で準男爵位を賜っております、リリアージュ・オルデン・ライダーと申します」
リリが貴族の礼を執ると、ファルムスは目を丸くした。貴族の礼と言っても、今は動きやすいショートパンツ姿。エアでスカートの裾を摘まみ上げたのである。
「スナイデル公国のご貴族でいらっしゃいましたか……それは失礼いたしました。しかし、公国の貴族が何故このような場所に?」
言うまでもなく、このパルストルの町から一番近いのはアルストン王国。スナイデル公国から来るなら、リングガルド王国側、つまり帝国の西側から入国するのが普通だ。
「アルストン王国の王都グレゴールに用がありまして……帝国北西部で魔物暴走の兆候があると知り、何か出来ることがないかと参りました」
「そ、そうでしたか……いや、いずれにせよ助かりました。大したもてなしは出来ませんが、町でお休みになられてはいかがでしょうか?」
靄を確認すると敵意はなく親愛と好奇のみ。自分たちを害そうという隠れた意図はなさそうだ。まぁ、あれだけの戦力を見たら手出ししようと思う方がどうかしてると思うけど。
「その前に確認させていただきたいことがございます。グスタフ・ビーストテラン侯爵様とのご関係は……?」
「ああ、伯父をご存じでしたか! 私はグスタフの甥に当たります」
「そうなのですね。あ、直接の面識はございませんので」
「そうですか……いや、これも何かのご縁。ぜひ今日は町でお休みください」
「ありがとうございます。馬と馬車を離れた所に置いておりますので、後ほどお伺いいたします」
そう言ってリリはにっこりと微笑む。ファルムスも人好きのする笑顔を浮かべ、では後ほどと言って町へ戻った。
防壁の外側は、まるでお祭り騒ぎのようだ。嬉々として魔物の体に刃物を突き立てる住民の姿は少し怖い。リリたちは馬たちを迎えに行くべく、北へ向かうのだった。
三十分ほどしてパルストルに戻って来ると、魔物の死骸が半分程に減っていて驚いた。
「やる気に満ち溢れていますわね」
「元々迷宮が近いから慣れてるのかなぁ」
「美味い飯があればいいんだぞ!」
馬車の中でそれぞれが思ったことを口にするが、シャリーはお腹が空いているようだ。もしかしたら、エルフという種族は燃費が悪いのかも知れない。今更ながら、リリはそんなことを思い浮かべた。
「それはそうと、みんないつの間に雷魔法が使えるようになったの?」
魔力の循環と制御に関して、アルゴが四人に例のアレを施していたのは知っていた。だがアルゴによれば、雷魔法の習得には時間がかかるだろうとのことだったのだ。まさかこの旅の間に使えるようになっているとは。
「へっへー! 姉御をびっくりさせたかったんだ!」
「あの時のリリの顔! 気持ち良かったですわ!」
「リリちゃんには遠く及ばないけどね」
「いやラーラさん。私が言うのも何ですけど、失われた魔法ですよ?」
「リリちゃんに言われても説得力ないけど……魔法講習で色々見せてくれたでしょ? あれでイメージはバッチリだったのよ。後は制御の問題だったみたい」
「そうなんだ」
四人が雷魔法を使えるようになって素直に嬉しい。何と言うか、雷魔法ってファンタジーでは最強のイメージだもんね。うんうん。……ということは、ここに最強の魔術師が集まっているのでは……?
自分のことを棚に上げて、リリは興奮を隠せなかった。大切な友達が強くなったことが嬉しいし、何だかワクワクする。
「シャリーとアリシアは得意魔法と雷を合わせたんだね!」
「そうですわ!」
「だぞ!」
守るべき対象から共に戦う仲間に……うわっ、何か青春って感じ。
青春ではないのだが、友達の成長が嬉しくてリリの思考はおかしな方へ飛んでいた。口元がムニムニするのを両手で押さえ、その姿を三人が不思議そうに見ている。そうこうしているうちにパルストルの門を潜り町中に入った。門兵は先頭で馬に乗るジェイクに丁寧な礼をして、後続には笑顔で手を振ってくれる。ジェイクが門兵に代官の居場所を尋ねてから進んだ。
リリたちが入ったのはパルストルの北門に当たり、南北を貫く大き目の通りがある。町中は魔物襲来の余波で慌ただしいが悲壮感はない。鎧姿の兵士や装備を付けた冒険者の姿が多く見られる。彼らの顔には疲れの中にも安堵が浮かんでいた。
そのまま南へ下ると中心部に五階建ての庁舎があり、その隣に立派な屋敷が建っていた。門兵によればそこが代官の屋敷だ。庁舎の前に立っていた若い男性がジェイクに気付き、そのまま隣の屋敷に案内してくれる。
リリたちは馬車のまま、屋敷の敷地に入って行った。




