134 国境の町へ
明日からは18時台の更新となります。
その夜、宿にベイルラッドがやって来た。
「リリ、本っ当にすまない!」
「頭をお上げください。ベイルラッド様のせいじゃないって分かってますから」
応接室で、旅の同行者全員がいるにも関わらず、ベイルラッドは机に額が付くほど頭を下げた。
今回の一件で、ベイルラッドがスナイデル公国への移住を勧めてくれた意味が身に染みた。あのままマルデラに住んでいたら、遅かれ早かれ同じようなことが起きただろう。その時アルゴが何をするか想像に難くない。ベイルラッドは陰でこの国を救ったと言っても過言ではない。
「マデリン殿下から手紙を預かってきた」
上質な封筒には透かしが入り、王家の紋章が封蝋に押されていた。
『リリアージュ様。父上の非礼、心よりお詫び申し上げます。
わたくしはリリアージュ様のことを恩人と思っております。王家に対しての印象は最悪かも知れませんが、可能なら友人としてお慕いさせていただきとう存じます』
短いが、丁寧に認められた手紙からは誠意を感じた。
正直言って、リリは今回のことに然程腹を立てていない。リリが怒りを感じる前に、アルゴが激怒してくれたからである。人は自分より怒っている人が近くにいると、存外冷静になれるものだ。リリが感じているのは、怒りよりも呆れだった。あの国王だと、臣下のみなさんは大変だろうなぁ、と他人事のように考えていた。
「あの後、マデリン殿下が烈火の如く陛下に怒りを向けられていた」
ベイルラッドによれば、マデリンは顔を真っ赤にし、泣きながら国王を責め立てたのだと言う。娘の恩人に対し、あの態度は余りにも無礼だと。娘と辺境伯の顔を潰した上、大陸で最も優秀な治癒魔術師との縁を自ら断ち切ったのだと。
目に入れても痛くないほど可愛がっていたマデリンから「リリアージュ様に謝罪しないのなら親子の縁を切ります」とまで言われ、国王は一気に歳を取って見えたそうな。背中を丸め、悲壮感丸出しで執務室に引き籠ったらしい。
「マデリン殿下がそこまで怒って下さっただけで十分です」
謝罪と称してまた王宮に呼ばれたらたまったもんじゃないよね。リリは急いで手紙を認めてベイルラッドに預けることにした。
マデリン殿下と友人になれたら自分も嬉しい、それほど怒ってないから国王の謝罪は不要。たった二つの内容だが、アリシアーナの助けを借りて貴族風に美辞麗句で飾り立てて体裁を整えた。
ベイルラッドからは再三謝られたが、本当に気にしてないし、こんな事でクノトォス家との関係が悪くなることは絶対にないと言い切ってようやく納得してもらえた。手紙を預け、最後にハグをして別れた。
「じゃあ明日出発だな?」
「そうだねぇ。みんな王都でやることはない?」
特にやり残したこともないようなので、リリが王宮に呼びつけられる前に出発しようと全員の意見が一致した。
翌日の昼前。旅支度を終え、いざファンデルに向けて出発しようとした一行の前に、一羽の黒い鳥が舞い降りた。
「ノア?」
『久しぶりだな、リリ! あのな、魔物暴走が起きそうだから知らせに来たんだ』
『えぇ!?』
出発を一時中断し、馬車を道の端に寄せてノアの話に耳を傾ける。帝国の貴族連合軍を退けた後、ノアは定期的に帝国中部から北部の監視をしてくれていた。
『えーと、場所は分かる?』
『帝国の北西部、王国との国境近くの迷宮だな』
『もう魔物暴走は始まってるの?』
『かなり多くの魔物が迷宮から出て来てる。本格的に始まるのは二~三日後ってとこかな?』
『アルゴ、どうしたらいいと思う?』
『リリはどうしたいのだ?』
アルゴの問いに、リリはふと考える。スードランド帝国やアルストン王国に義理があるかと言われれば、否と答える。帝国との国境付近に見知った人はいないし、何かの恩があるわけでもない。そもそも、リリたちが魔物暴走の現場に行ったところで、助けになるかも分からない。
それでも、マデリン王女が見せた屈託のない笑顔を思い出す。王国に被害が及べば、彼女はきっと悲しむだろう。そして、見たこともない人々の中には、王女よりもっと幼い子供たちが大勢いるのだ。
『私に出来ることがあるなら、助けになりたい』
自分に出来ることがあると知っていながら犠牲を見過ごすことは出来ない。
『うむ。ならば冒険者ギルドへ行ってその迷宮の場所を確かめるのだ。最も近い町は恐らく国境沿いだろうから、そこに移動しよう』
国境の警備次第では、アルストン王国には被害が及ばないだろう。だが帝国側には確実に被害が出る。いずれにせよ、迷宮とその周辺に関する情報が必要だ。
「お父さん! 冒険者ギルドに行こう!」
「おう!」
ジェイクの馬にラーラが乗り、彼は馬車の中でリリの説明を聞く。そうしながら王都グレゴールの冒険者ギルドに向かった。
ギルドには、代表してジェイクとアルガンが入っていく。全員で押し掛けても意味はない。残った者は、ギルド建物の傍で集まる。
「リリちゃん、どうするつもりなの?」
「自分でも、まだはっきりとは分からない。でも、何か出来ることがあると思う」
アネッサの問いに、リリは自信なさげに答えた。
「要するに魔物がわんさか出るんだろ?」
「想像もつきませんわ」
シャリーは暢気に、アリシアーナは深刻に考えている。
「魔物暴走と言っても、その規模は様々だからな。発生した迷宮の大きさによる」
「私は一度だけ応援に行ったことがあるわ。その時は小規模って言われたけど、それでも千体は下らなかった」
クライブとラーラが情報を教えてくれた。
「第一に、アルストン王国側の被害を食い止めたいと思う。こっちが安全なら、状況を見て帝国側の様子も知りたいかな」
リリは自分の考えを述べた。出来ることなら一人の犠牲者も出さずに魔物暴走を止めたいが、自分の大切な人たちを危険に晒してまでそうしようとは思わない。先程の想いとは矛盾するかも知れないが、聖人君子ではないのだからどうしても優先順位はある。
リリは自分の安全には無頓着だが、大切な人の身に危険が迫るのは避けたいのだ。顔も知らない人々の安全よりも、家族や仲間、友達の安全を優先するのはある意味当然だろう。
国境の状況などはベイルラッドに頼めば調べてくれるかも知れないが、時間が無い。
「色々と調べてきたぞ」
「まだギルドには魔物暴走の情報は入ってないって」
ジェイクとアルガンが戻って来たので、その場で軽く打ち合わせを行う。王国南西部と帝国北西部が描かれている大雑把な地図も入手していた。
「帝国北西部の迷宮で国境に近いのはここだな」
ジェイクが指で示した場所には予め×印が書かれていた。そこは「鎧魔の迷宮」と呼ばれ、固い甲殻に覆われた昆虫系の魔物が多いらしい。
「剣を使う前衛には分が悪ぃから魔法中心だな。俺たちの役目は後衛に魔物を近付けないことだ」
昆虫系は固い上に飛ぶ魔物が多いので剣や槍の間合いではそもそも攻撃が届かない。その代わり、炎や氷の魔法に弱いものが多いらしい。
「鎧魔の迷宮」の周囲は森になっている。国境からは十五キロほど離れており、一番近いのは迷宮から南へ八キロ下った帝国の町だと言う。王都グレゴールから国境までは、普通の馬車だと五日かかる。リリたちの馬車で二~三日。丁度ノアが予測する魔物暴走の発生と合致するが、それでは「間に合う」とは言えない。
「ギルドには、帝国のギルドに危険喚起を頼んだ。向こうがそれを真剣に受け取れば、被害は抑えられると思うんだが」
リリたちが向かうのは、「鎧魔の迷宮」から直線で北に二十キロの場所にある「プレデール」という王国領の町。帝国との交易の中継地点であり、それは以前住んでいたマルデラと似たような役割だ。ただ、帝国との交易の方が規模は大きいので、町もそれなりに大きいらしい。
「まずはプレデールを目指す。そこから先は着いてからだな」
ジェイクの決定に異を唱える者は誰もいない。既に旅支度を終えていたので、リリたちは早速プレデールを目指して出発することにした。
「そう言えば、その迷宮があるのは帝国の何て言う領なの?」
「…………ビーストテラン領だ」
少し逡巡した後、ジェイクが教えてくれた。
帝国北西部に広大な領地を持つビーストテラン侯爵。マリエル誘拐の首謀者は、その弟であるゴルドバ・ビーストテランだった。彼は現在、スナイデル公国の法で裁かれ犯罪奴隷として鉱山労働に服している。だが、ゴルドバに指示していたのは兄のグスタフ・ビーストテラン侯爵であることが分かっていた。
帝国貴族連合軍を率いて公国に攻め込もうとしていたのもグスタフだが、それについてリリは知らない。
「ビーストテラン侯爵領かぁ。何だか因果を感じるねぇ」
侯爵を助ける義理は全くないが、そこに住む人々に罪はない。
「そもそも間に合うかも分からないし。とにかく行ってみるしかないよね」
「そうだな」
ジェイクはリリの頭をくしゃっと撫でる。ビーストテランが絡んでいると知れば、リリは行くのを止めるかも知れない。そうなっても当然だとジェイクは思っていたし、それでリリを責めるつもりは毛頭なかった。しかし彼女はあっけらかんとしていた。恨みを引きずってはいないのだ。大した娘だ、とジェイクは嬉しくなった。
リリは怒ったフリをしながら、ジェイクに乱された髪を手で直す。父になったジェイクの、ちょっと荒っぽい撫で方がリリは好きだが、決して本人に言うつもりはない。そうしてようやく一行は出発するのだった。
王国南西部、国境に一番近い町プレデールに到着したのは、王都を発った翌々日の夜だった。かなりの強行軍に聞こえるが無理はしていない。足回りを改造した馬車、馬たちへ掛ける治癒魔法、そしてアルゴの風魔法によるアシストの三つが揃えばこれだけ旅程が短縮されるのだ。
夜ではあったが、ジェイクとアルガンが代表してプレデールの冒険者ギルドへ向かった。残ったリリたちは宿探しである。帝国と交易する場合の中継地となるこの町は、商人向けの宿が多い。僅かだが貴族向けの高級宿もある。どの宿も馬と馬車を預かってくれるとのことで、商人向けの宿では十分な部屋を確保できなかったため、お値段高めの貴族向けの宿を取った。こういう時、お金を稼いでいて良かったと思うリリである。
クライブとラーラがギルドのジェイクとアルガンに宿の場所と名前を知らせに行ってくれた。……最近、あの二人が一緒にいるのを良く見る気がする。これはもしや……。
余計な詮索は控え、リリたちは宿に食事を頼んだ。食事が出来上がった頃、丁度四人が戻って来た。
「ギルドはまだ『魔物暴走』とは認めてねぇが、『鎧魔の迷宮』周辺で魔物が相当数増えてるのは確認してるそうだ」
「…………そんな悠長な感じで大丈夫なの?」
「帝国側では緊急で冒険者を集めて、領軍にも応援を求めてるらしいよ?」
帝国と王国の国境は深い渓谷になっており、そこに長さ二百メートルを超える橋が掛かっている。有事の際はその橋を落とすそうだ。それで魔物の侵攻も防げると考えていると言うのだが――。
「でも、昆虫系なんだよね?」
「どうも『鎧魔の迷宮』の情報が足りてねぇようだな」
ここプレデールの町から国境までは五キロほど離れていて、町には防壁もあるから油断しているのかも知れない。橋も防壁も飛ぶ相手には何の役にも立たないのに。
プレデールの冒険者ギルドでも、ジェイクたちの話を聞いて冒険者を招集することが決まったそうだ。だが、この近辺では商人の護衛以外は冒険者が非常に少ないのだと言う。
「ここの領主様とかに協力してもらえないのかな?」
「要請はすると言ってたが、到着するのは早くても三日後くらいだろうな」
領軍が来ても飛ぶ魔物には歯が立たないだろう。せいぜい住民を守りながら避難の誘導をするくらいか。
『リリが吹き飛ばせば良かろう?』
何を悩むことがあるのかと言わんばかりにアルゴが念話を飛ばしてくる。
『……帝国の領土で、魔法をぶっ放しても大丈夫かな?』
『公国でさんざんぶっ放しているではないか』
『いや、だって帝国だよ? いわば敵国でしょ?』
『全部我がしたことにすれば良い』
『えぇぇ……』
アルゴが凄く楽しそうだけど、何でかな? 私が暴れるのが好きとか?
『リリの雷神殲怒、あれは気持ちが良い』
『そ、そうなんだ』
『我も撃つからな? どちらが魔物を多く倒すか競おう』
いや、神獣に勝てるわけないじゃん。て言うか、魔物暴走ってそんな遊び感覚で対応していいの?
『……誰が数えるの?』
『ラルカンとノアを呼ぼう。奴らに数えさせる』
『えぇぇ……』
アルゴは、帝国貴族連合軍を退けた際、自分だけ魔法が撃てなかったことを少し僻んでいた。リリの前でかっこいい所を見せる良い機会だったのに、ラルカンとノアが魔法を放ち、リリに褒められたことを根に持っているのだ。
今度は我が褒められる番なのだ!
この魔物暴走で失地回復、名誉挽回しようと心に決めているアルゴ。リリは常にアルゴに感謝しているし、彼を尊敬し、凄いと思っているのだが、それはそれ、これはこれである。好きな女子の前で格好良い所を見せたい男子の気持ちと言えば伝わるだろうか。
それでいいのか、神獣よ。
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今月下旬には完結の予定です。
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