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132 マデリン王女

 アルストン王国の第三王女、十二歳のマデリン・フォン・アルストニアは部屋の外に向かって大声を上げた。


「わたくしは誰にも会わないと申しておりますっ!」


 いつも身の回りの世話をしてくれる侍女さえ部屋から追い出し、マデリンは自室に籠城した。


 侍女が「陛下からのご伝言です」と前置き、今から治癒魔術師が訪ねてくると告げた。その結果が現在の状況だ。

 この一年、アルストン王国で高名な治癒魔術師が八人、マデリンの所へやって来た。いずれも国王である父と同年代かそれより高齢の男性である。彼らがやって来るたびに、この症状が元に戻るかと期待し、その為ならと肌を晒した。しかし、その期待は悉く裏切られた。


 希望を持てば、叶わなかった時に絶望は深まる。ならば希望など抱かない方が良い。


 マデリンがそこまで臆病になっていることに、国王であり父であるメイラード・フォン・アルストニアは気付いていなかった。彼はただ、どうにかして娘を治したい一心だった。


「マデリン殿下! その治癒魔術師は何年も前の火傷痕を綺麗に治したのです! クノトォス辺境伯様のお子の動かなくなった足さえ治療してみせたのですよ!」


 やめてやめてやめて! わたくしを期待させないで! もしその治癒魔術師にも治せなかったら? もう誰にも治せないということよ! そうなれば二度と人前になんて出られない。絶望に沈んでそのまま死んでしまうかも知れない……。


 侍女も国王と同じ気持ちで、マデリンに治療を受けて欲しい気持ちから声を掛けたのだが、マデリンにとっては逆効果だった。期待すればするほど、治療が上手くいかなかった時の落胆が酷くなるのだ。だから、「駄目で元々」くらいの気軽な気持ちになれる言葉を掛けるべきだった。


 丁度その時、廊下にクノトォス辺境伯とマデリンより少し年上の少女、そして一頭の巨大な狼が現れた。侍女は狼を見て後退りするが、城内にいるということは即ち危険はないのだろう。それが分かっていても怖いものは怖い。


「へ、辺境伯様」

「うむ、どうかしたのか?」


 侍女から事情を聞いたベイルラッドは眉を顰める。


「そもそも治せるかどうか分からないのだから、王女殿下のお気持ちはよく分かりますよ」


 リリはわざと部屋の方に向かって、中に聞こえるよう大きな声を出した。


「辺境伯様、こちらの方は……」

「スナイデル公国のリリアージュ・オルデン・ライダー準男爵。陛下に奏した治癒魔術師は彼女だ」

「まぁ! 治癒魔術師はてっきり男性の方だとばかり思っておりました」


 侍女はそう言って、リリに向かって丁寧に頭を下げた。


「マデリン殿下! お客様がお見えですよ!」


 侍女が再び扉の向こうに声を掛けるが反応はない。


『さて、どうしようかねぇ』

『扉を壊せば良かろう』

『絶対ダメ』


 アルゴは物理で押し通るつもりだったらしい。危ない。う~んと唸りながら、リリは無意識にアルゴの耳の後ろを撫でる。尻尾がパタパタと床を打った。その様子に、先程まで恐怖に腰が引けていた侍女がうっとりした顔をし始める。それを見たリリがハッとした顔になった。


「アルゴ、今日は王女殿下に会うの楽しみにしてたのに、残念だねぇ」

「わふ?」

「こーんなにふわふわして気持ちが良い毛並、王女殿下にも撫でていただきたかったねぇ」

「わぅ!」

「神獣に直接触れる機会なんて、二度とないだろうねぇ」

「わ、わう!」

「あーもったいない。せっかく神獣フェンリルが来てるのに、その姿を見ないなんて」


 次の瞬間、カチャリと音がして僅かに扉が開いた。


 リリは透過視を使い、扉のすぐそばにマデリンがいることを知っていた。動物好きかどうかは賭けだったが、王族ともなれば「神獣」というワードに弱いだろうと考えた。要するにアルゴで釣ったのである。


 扉の隙間からこちらを窺う気配がする。リリは無理に開こうとせず、隙間からアルゴが見えるよう少し移動した。


「ふ、ふわぁ……」


 可愛らしい吐息が漏れた。アルゴの姿が目に入ったのだろう。


「マデリン殿下、触ってみますか?」

「…………良いのですか?」

『アルゴ、マデリン殿下が触れてもいい?』

『仕方あるまい』

「殿下、大いに触れていただいて大丈夫ですよ」


 マデリンは隙間から腕だけを伸ばし、アルゴに恐る恐る触れた。一瞬ぴくりと手を引っ込めたが、やがてゆっくりと撫で始める。


 リリはその腕をじっくり観察した。事前に聞いていたように、皮膚の一部が紫っぽく変色して魚の鱗のようになっていた。


『ふむ。この者には呪いがかかっているぞ』

『呪い?』

『これは人がかけた呪いだな。リリの浄化で解けるだろう』


 呪いかぁ。なら良かった。いや、本当のところ良くはないんだけど、皮膚の変質が遺伝子疾患だったらどうしようと思ってた。遺伝子疾患だと、治しても再発しちゃうもんね。しかも神聖浄化魔法なら解呪できるらしい。


 短い時間でアルゴが教えてくれたのだが、人間の中にもごく稀に呪術を使える者がいる。呪術と言っても、人の命を奪うような強力な呪いは無理なんだそうだ。さらに、解呪するとその呪いは呪術師に還るという。


「マデリン殿下。神獣によれば、このお肌の異常は『呪い』だそうです」

「っ!?」

「ご安心ください。私の浄化魔法なら解呪できるそうですから」


 呪いという言葉を聞いて、ベイルラッドと侍女が息を呑んだ。


「ベイルラッド様。解呪すると、呪いはかけた者に還るそうです」

「……分かった」


 ベイルラッド様なら、この情報を国王陛下に伝えて適切な対処をしてくれるだろう。犯人捜しは私の仕事じゃない。そこは王国に任せよう。


「まず解呪をして、それから皮膚を再生します。えーと、氷風呂と普通のお風呂を用意できますか?」

「は、はい! 直ちに!」

「わたくしに何をするおつもり?」


 扉の隙間から不審そうに問うマデリン。顔は見えないが、声が発せられた辺りに向かったリリはにっこりと微笑んだ。


「先に呪いを解いて、病気の原因を取り除きますね。その後、お肌を新しく生まれ変わらせます」

「生まれ……そんなことがお出来になるの!?」

「ええ、割りと得意分野です」


 美容治癒でさんざんやってるからなぁ。


「お肌が完全に綺麗になるまで五日ほどかかります。氷風呂は副作用を抑えるためです」

「副作用?」

「ええ。とっても痒くなるんです」

「え?」

「今のお肌の下に新しいお肌を作るので、ものすごーく痒くなるんです。五分くらいで痒みは治まりますが、その間、耐え難い痒みに襲われます。氷風呂に浸かると痒みがマシになるんです」


 リリの説明に、マデリンが黙りこくってしまった。痒みを強調し過ぎたかな?


「……治るのですか?」

「ええ。神獣がそう言ってます。マデリン殿下は神獣の言うことが信じられませんか?」

「い、いえ! 信じます」


 マデリンの私室に繋がる浴室では、侍女たちが風呂の準備に追われていた。城に常住する魔術師も呼ばれ、氷風呂と温かい普通の風呂を準備している。


「あの、貴女のお名前は?」

「申し遅れました。スナイデル公国から参りました、リリアージュ・オルデン・ライダーと申します。準男爵位を賜っております」


 リリは扉の隙間に向かって貴族の礼を執る。


「お入りになって?」

「よろしいのですか?」

「貴女と、その、神獣様だけでしたら」

「かしこまりました」


 リリはベイルラッドを見て、彼が頷くのを確認してから王女の私室に入る。アルゴが入るためには扉を大きく開けなければならない。マデリンが部屋の奥の方へ行ったのでアルゴも招き入れた。


「マデリン・フォン・アルストニアです。その、先程は失礼いたしました」


 カーテンが閉め切られた部屋は暗いが、あちこちに魔道具の仄かな灯があるのでぼんやりとその姿が見えた。


 白いドレスを纏った王女は十二歳という年齢にしては小柄だった。顔を隠すように伸ばした髪は恐らく金色。この明るさの中でも、布に覆われていない部分が広く変色しているのが見て取れる。


「謝っていただく必要はございません。マデリン殿下、早速ですが解呪を行ってもよろしいですか?」

「え、ええ」


 王女を椅子に座らせ、リリとアルゴはその傍に移動した。


『アルゴ、普通に神聖浄化魔法を掛ければいいの?』

『うむ。人の体に害はないからな。思い切りやって良いぞ』


 それは強めに掛けろってことだよね?

 靄を可視化してみる。王女の顔周りには警戒と好奇心を示す濃い黄色。それとは別に、胸の中心辺りに紫がかった黒い靄がある。これがアルゴの言う呪いだろう。


「殿下、眩しいと思いますので目を閉じてください」

「は、はい!」

「行きます。神聖浄化!」


 王女の足元を四方から囲むように、神棚を四つ置き、呪いには直接お札を貼るイメージを象った。暗かった部屋は金色の眩い光で満たされる。治癒魔法のように、光の粒子が王女の胸に吸い込まれていく。呪いの靄は立ちどころに霧消した。


『これで呪いは消えた?』

『うむ。綺麗さっぱり消えたな』

『よかったぁ』


 リリが浄化魔法の発動を止めると、元の暗い部屋に戻る。


「はい、終わりました」

「え、もう?」

「はい。アルゴ――神獣(フェンリル)に視てもらったら、呪いは綺麗に消えたそうです」

「まあ!」


 マデリンは両手で口を覆って目を丸くした。許可を貰って風呂に繋がる扉を開けてみると、二つの風呂はすでに準備が整っていた。


「マデリン殿下、お風呂の準備が出来ています。その、出来れば服をお脱ぎいただいて、すぐに入れる状態で治癒魔法を掛けたいのですが」

「あ、そうですね。カトリーヌ――先程の侍女を呼びます」


 そう言ってマデリンは手元のベルを鳴らした。チリンと上品な音がすると、扉の前にいた侍女が駆け付ける。


「お呼びでしょうか」

「ええ。治癒魔法を掛けていただいたらすぐに入浴します。手伝ってくれるかしら?」

「もちろんです!」


 リリが背を向けると衣擦れの音がして、マデリンが寝台に横たわった気配がする。


「オルデン・ライダー準男爵様、殿下のご準備が整いました」


 侍女――カトリーヌの声に振り返り、寝台の横に椅子を動かして腰掛ける。いや、毎回思うけど貴族や王族って人前で裸になるのを全然気にしないよね? 見てるこっちが恥ずかしいんだけど。あまりジロジロ見るのも気まずいので、リリはさっさと治癒魔法を掛けることにした。


 リリは少し勘違いをしているが、貴族や王族は人前で必要以上に肌を晒さない。そうでなければただの露出狂である。入浴などで侍女がお世話をするので、信頼する人間に裸を見られることに慣れているだけだ。


「マデリン殿下、今から治癒魔法を掛けますよ? 治癒(ヒール)!」


 黄緑色の眩い光がマデリンの全身を包む。真っ暗な部屋は先程と違う色の光に満たされた。


「あたたかい……」


 幸い、皮膚の変質はごく表面に留まっていた。全身の肌を万遍なく新しくする必要はない。変質した部分だけ、その下に皮膚を再生させていく。手足の指の間など見落としがないよう気を付ける。次にうつ伏せになってもらい背中側に治癒を施す。耳の裏側もチェック。よし、これで大丈夫。


 黄緑色の光が消え、部屋がまた暗くなる。


「はい、終わりました」

「カ、カトリーヌ!」

「はい!」


 マデリンは終了の合図と共に次女を伴って風呂に駆け込んだ。ザブンと音がしたので、きっと氷風呂に飛び込んだのだろう。ザバッ、ザブン。ザバッ、ザブン。風呂から上がり別の風呂に入る音が届く。


 椅子に座ったまま所在無さげにしていると、リリの傍らにアルゴが寄り添う。リリは柔らかい毛の中に手を突っ込んだ。アルゴに埋まりたがるシャリーの気持ちが良く分かる。昔から知っているが、無性に心地良いのだ。


『アルゴ、ありがとうね』

『む?』

『アルゴのおかげで殿下が扉を開けてくれたし、呪いのことも分かったから』

『まぁ、扉を壊せば済んだのだがな』

『フフフ。アルゴのおかげで扉も無事だったね』


 今頃、王女殿下に呪いを掛けた人物に、その呪いが還っているのだろうか。前世では「人を呪わば穴二つ」なんて言ったよなぁ。確か、誰かを不幸にしようとする者は自分も不幸になる、みたいな意味だったと思う。


 そんな事を考えながら、リリは無意識のうちにアルゴの首元に自分の顔を埋めていた。リリも知らず知らずのうちに緊張していたのだ。アルゴの温もりと柔らかな毛の感触、そして大好きな匂いがリリの緊張を解していく。アルゴの方は、リリにそうされるのが大好きなので、身動きせずに尻尾だけで喜びを表現している。風で部屋を滅茶苦茶にしないよう、ギリギリで自制しているようだ。


 そうしていると風呂に繋がる扉が開き、リリは慌てて立ち上がった。上質なバスローブを羽織って頭にタオルを巻いたマデリンが立っていた。


「リリアージュ様、痒みが治まりました」

「それはようございました」


 リリはマデリンに腰掛けるように促した。


「先程はお肌が綺麗になるまで五日かかると申しましたが、恐らく三~四日ほどで元の美しい状態に戻るでしょう」

「本当に!?」

「お肌の異常が部分的だったので、そこだけ再生しました。今色が変わっている部分は瘡蓋となって剥がれ落ちます。無理に剥がそうとしないよう気を付けてくださいね?」

「は、はい」

「私は一週間ほど王都に滞在する予定です。その間に何か異常がございましたら遠慮なくお呼び出しください」

「分かりました」

「では、今日のところは宿に戻ります」


 リリは一礼して部屋を出ようとする。


「あ、あの!」


 マデリンに声を掛けられ、リリとアルゴが同時に振り返った。


「ありがとう」


 頬を染めて感謝の言葉を口にするマデリンは、確かに王族に相応しい可憐さだった。リリはにっこりと微笑み、もう一度礼をしてアルゴと共に扉を出た。

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