130 アルストン王国へ
お待たせいたしました。本日から第八章の更新を開始します。
春も終わりに差し掛かり、早朝の空気には夏の気配が含まれている。リリの家には昨日からシャリーとアリシアーナが泊まり、今日の出発に備えた。シャリーはともかく侯爵令嬢が侍女もいない家に宿泊して大丈夫なのかと疑問だったが、そもそもアリシアーナは瘴魔討伐任務で何度も野営をこなしているくらいなので問題なかった。
「ミルケ、留守の間お母さんを守ってね」
「任せて! おねえちゃんも無茶しないでよ?」
「う、うん。分かってる」
玄関の外まで見送りに来た弟を、リリは優しく抱きしめた。リリから解放された後、ミルケはアルゴに抱き着いて何やら耳元で囁いている。
「お母さん、行ってくるね」
「気を付けてね。行ってらっしゃい」
母娘はお互いをぎゅっと抱きしめる。少し前まで、娘の顔が母の胸に埋まるくらいの身長だったのに、今では顎が肩に乗っている。その後、ミリーはジェイクともしっかりと抱き合った。
ダルトン商会によってしっかりと足回りを改造され、大公邸の魔道具師に通信魔道具を備え付けられた馬車に、シャリーとアリシアーナ、ラーラが乗る。最後にリリが乗り込み、振り返って母と弟に手を振った。
「行ってきます!」
「「行ってらっしゃい!」」
リリたちと「金色の鷹」の一行はアルストン王国の王都グレゴールに向けて出発した。
足回りを改造した馬車は驚嘆に値する性能を見せた。きっとベイルラッド・クノトォス辺境伯も大いに驚いたことだろう。
スナイデル公国内の移動は街道が整備されているので快適そのもの。さらにアルゴが風魔法でアシストしてくれるので、これまでの馬車とは比べ物にならなかった。
さらに、リリが馬たちに毎日二~三回ほど治癒魔法を施す。体力回復は元より蹄の傷みまで治すので、移動速度の向上も目を見張るものがあった。
これまで、スナイデル公国の首都ファンデルと以前住んでいたアルストン王国のマルデラを行き来するのには約一か月かかっていた。今回、リリたち一行は出発してわずか十三日後にマルデラに到着したのだった。
「え、ジェイクさん? アルガンも……?」
「おう。久しぶりだな」
「おお! 『金色の鷹』みなさんお揃いなんですね!」
「俺たちだけじゃなくてリリもいるぞ?」
「ええ!? リリちゃんも!」
マルデラの西門には、一行が移住する前から門兵を務めている男性がいた。リリも馬車から降りて挨拶する。
「お久しぶりです!」
「おおー! リリちゃん、すっかり大人っぽくなって!」
西門を通り過ぎて町中に入ると、リリやジェイクに気付いた人々が口々に「おかえり!」と声を掛けてくれる。懐かしいのと同時に気恥ずかしい。
ラーラとクライブの二人は、「金色の鷹」と「銀の狼」の移動報告のために冒険者ギルドに向かった。ラーラの叔母、アンヌマリー・ケイマンは健在で、ギルドマスターを変わらずに務めている。ついでに彼女にも挨拶するつもりだろう。リリも会いたかったが、マルデラ滞在の時間は限られているので断念した。ファンデルへの帰り道に挨拶するつもりだ。
リリはマルデラの「鷹の嘴亭」に向かった。ミリーが経営していた時に給仕として働いてくれ、今ではオーナーとなったジャンヌに会うためであった。時刻はまだ午前十時前なので仕込み中の可能性が高い。
「おはようございます。ジャンヌさん、いますか?」
扉を開いて顔だけを中に突っ込み、リリは厨房に向かって声を掛ける。すると懐かしい顔がひょっこり覗いた。
「……まあ、リリちゃん!?」
「ジャンヌさん、お久しぶりです!」
ジャンヌは慌てて洗った手をエプロンで拭いて、リリを抱きしめてくれた。
「良かった、元気そうで……こんなに立派になって……」
リリの頬にジャンヌの涙が落ちる。リリたち家族が公国に移住することになった事情はジャンヌにもある程度知らせていた。
「母もミルケも元気です」
「そう、本当に良かったわ」
本当に心配してくれていたらしい。手紙も出さなかったことを後悔した。
「ジャンヌさん、もっとゆっくりしたかったけど、今日はあまり時間がないんです。今度、母とミルケと一緒に手紙を書きますね!」
「ええ、楽しみにしておくわ!」
後ろ髪を引かれる思いをしながら「鷹の嘴亭」を後にする。丁度ラーラとクライブも戻って来たので出発することにした。今日は領都エバーデンまで行く予定だ。
「リリ、もっとゆっくりしても良かったのではないですか?」
「う~ん……治療を待ってる人がいるからね。出発まで時間がかかったから、その分出来るだけ急ぎたいかな」
「姉御は真面目だな!」
自分ではそんな自覚はない。困っている人、苦しんでいる人がいたらそちらを優先するのが普通だろうと思うだけである。復路でゆっくりする時間が取れるだろう。
名残惜しいが、マルデラの滞在は数十分にとどめてエバーデンに向かうのだった。
領都エバーデンには陽が傾く前に到着した。ジェイクとクライブ、アネッサ、ラーラの四人が宿を押さえに行ってくれている間、リリはアルガンの御者で辺境伯城に赴いた。明日の訪問を先触れするためである。せっかくここまで来たのだから、ベイルラッド・クノトォス辺境伯の妻子であるケイトリンとカリナンには是が非でも会いたかった。
城の門前まで行くと、これまた見知った門兵が立っていた。
「こんにちは、リリアージュ・オルデン・ライダーと申します。覚えていらっしゃいますか?」
「…………おお! リリアージュ様! 大変ご無沙汰しております」
「こちらこそ。あの、明日お城に伺ってケイトリン様とカリナン様にお会いしたいのですが」
「はい、少々お待ちください!」
門兵は軽快に走って行き、詰所の中に入っていった。
ベイルラッドは既に王都へ向けて出発し、不在のはずだ。先に王都へ向かうのは、リリたち一行の滞在準備と王宮へ治癒魔術師来訪を告げるためだと聞いている。
ケイトリン様、お変わりないかな……カリナン様は背も伸びて、私が見上げるくらいになってるのかなぁ。
そんなことを考えていると、門から懐かしい人物が近付いてきた。
「ボームスさん!」
クノトォス家に仕えるボームス・キャリアース。リリの好みどストライクの渋いおじいちゃん執事さんである。
「リリアージュ様、ご無沙汰しております」
「こちらこそ。お元気そうですね!」
「お陰様で、腰も全く痛みません。死ぬまで仕事が出来そうでございます」
「アハハハ……」
執事業を生き甲斐とし、仕事をしながら死にたいと言って憚らないボームスは、全く冗談に聞こえない声音で返答した。リリは苦笑いしか出来ない。
「私が先にリリアージュ様にお会いしたと知れたら、ケイトリン様とカリナン様に妬まれてしまいますな」
「アハハ……」
明日城を訪れるなら午前十時くらいが良いと進言を受け、リリはボームスに礼を言って街中に戻った。途中、ジェイクがリリたちを迎えに来てくれた。ジェイクはアルガンの隣に滑り込み宿まで案内してくれる。案外近くにあった宿の前でシャリーとアリシアーナ、ジェイクを降ろし、リリはそのまま厩に付いて行った。アルゴもそろりと付いて来る。
「アルガンお兄ちゃん、ありがとう」
「いいよ! 明日も送って行くからね」
「うん、お願い。馬たちに浄化と治癒の魔法を掛けるね」
言葉通り、リリは六頭の馬たちに浄化魔法を掛けて体を綺麗にし、労いの気持ちを込めて治癒魔法を掛けた。馬たちはリリの魔法がとても気持ち良いようで、礼代わりに鼻面を押し付けてくる。一頭一頭優しく撫でてから、アルガン、アルゴと共に表に回った。
「ここって、前も泊まったことあるよね?」
「ああ、確かに」
領主城からほど近く、馬と馬車を預かってくれて、そこそこ良いランクの宿となると限られている。ここは以前も利用した宿だった。
「部屋に荷物を置いたら飯にしよう」
ジェイクたちはロビーで待ってくれていた。リリはシャリー、アリシアーナ、アルゴと一緒の四人部屋だ。
部屋で寛ぐ間もなく階下に下りて全員で夕食を摂る。リリ以外はワイン片手に食事を楽しんだが、リリは果実水にしておいた。誕生日にやらかしたことがまだ記憶に新しいのだ。適量というのがいまいち分からないのである。
食事の後は男女分かれて風呂に入る。野営が三日続いたので我先に風呂に向かった。
「リリちゃん……随分成長したね」
誉め言葉なのに刺々しさを滲ませながらラーラが呟く。そう、どことは言わないがリリは成長した。マリエルには及ばないものの、立派に成長したのだ。一方、ラーラは相変わらずのスレンダー体型。どことは言わないがボリューム自体は控え目である。
「い、いやぁ……ラーラさんこそ、ずっとスタイル維持してますよね」
「ええ、まぁね……」
元々背が低く童顔のラーラはかなり幼く見られる。リリもそれほど背が高い方ではないのだが、既にラーラの身長は抜いていた。それ以外の部分も、だいたい抜いている。
アネッサはミリーと同じくらい身長が高い。そして細いのにあるという羨ましい体型だ。
アリシアーナはリリより少し背が高く、女性らしい体型をしている。侯爵令嬢らしく体の隅々まで気を遣っているようだ。ボリューム的にはリリと同等といったところ。
シャリーはスレンダーを地で行っている。今も髪を短くしていて、一人称も「オレ」なのでたまに少年と間違えられる。本人は体型含めて一切気にしていない。今もいち早く浴槽に入って泳いでいた。小学生か! とリリは心の中で突っ込む。
かくして、ラーラがやや落ち込みを見せたものの、女性陣はゆっくりと疲れを癒して風呂から上がったのだった。
ちなみに男性陣三人の入浴風景については特筆すべきことがないので割愛する。
翌朝、リリは何とか間に合ったドレスに袖を通し、領城へ向かった。誕生日にケイトリンから送られた生地を使ったドレスは、出発前にギリギリ一着だけ仕上がったのだ。淡い黄色の生地には白や金の精緻な刺繍が全面に施されている。同色のレースで作られたフリルが、胸元、肩、袖、裾を可愛らしく彩っている。大人過ぎず、かと言って子供っぽくもない、リリに非常に似合うAラインの膝丈ドレスだった。
軽く化粧をして髪を整えたリリが階段を降りると、ロビーにいた宿泊客が一瞬目を奪われる。すかさずジェイクはリリを背中に隠した。リリの後ろから巨大な狼が降りてきたのを見て、宿泊客は全員目を逸らす。そんな光景を見て、リリは笑いを堪えるのに必死だ。
宿を出るとアルガンが出迎えてくれた。
「お手をどうぞ、お嬢様」
「まぁ。ありがとう」
アルガンの軽口にリリも付き合う。まるで貴族令嬢をエスコートする執事のように、アルガンはリリの手を取って馬車に乗るのを支えてくれた。まぁ貴族令嬢というより貴族なのだが。馬車が動き出すと、その後ろをアルゴもゆったりと付いて来る。
城にはリリとアルゴだけで向かい、その他の面々は宿で留守番だ。シャリーとアリシアーナを連れて行くことも考えたが、面識がないし双方気を遣うだろうと思い止めた。
それほど時間も掛からずに城門に到着する。昨日教えてもらった十時よりまだ半刻くらい早い時間であるが、ボームスと六人の侍女が門の内側で待っていた。またアルガンの手を借りて馬車から降りると、アルゴがすぐ横に寄り添う。リリの着飾った姿を認めたボームスが一瞬目を丸くして「ほう」と吐息を漏らした。
「ボームスさん、おはようございます。お待たせしましたか?」
「オルデン・ライダー準男爵様、どうぞお気遣いなく。早速ご案内いたします」
以前も世話になったボームスから貴族扱いされると何だか居た堪れない。
「ボームスさん、出来れば前みたいに気軽な感じが嬉しいです」
「かしこまりました、リリアージュ様」
あまり変わっていない気がするが、良く考えてみるとボームスは前からこんな感じだったので諦める。ボームスの案内で城内を進み、リリも何度か訪れたことのある応接間に着いた。ボームスが中に声を掛けると扉が内側から開かれる。そこには、最後に会った時と変わらない姿のケイトリンと、青年の手前まで成長したカリナンがいた。
「リリさん……ああ、やっと会えたのね」
「……とてもお綺麗です、リリさん」
ケイトリンは口元を押さえて感極まったように言葉を発する。カリナンの声はリリが覚えているよりもずっと低く、男らしいものに変わっていた。
リリはドレスの裾を摘まみ上げ、片足を後ろに引いてお辞儀する。まだぎこちないが、アリシアーナに教えてもらって特訓したカーテシーである。
「お二人ともご無沙汰しております」
「まあ! すっかり淑女らしくなって!」
ケイトリンはもう辛抱出来なくなったらしく、リリに歩み寄って優しく抱きしめた。
「ケイトリン様、素敵な生地をありがとうございました。このドレス、いただいた生地で作ったんです」
「やっぱり! とっても似合ってて素敵よ!」
リリを離したケイトリンは、一歩離れた所から改めてリリを見て満足そうに頷く。
「カリナン様、ご立派になられましたね!」
「いや、リリさんの方こそ……」
「リリさん、お座りになって? お茶を飲みながら、公国へ行ってからのことを聞かせて欲しいわ」
リリは促されるままソファに腰を下ろし、ベイルラッドに聞かせたのと同じような話をするのだった。
更新をお休みしている間、たくさんの読者様にお読みいただき驚くと共に、心から感謝しております!
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第八章で完結の予定です。もうしばらくお付き合いいただければ幸いです。