13 リリ、旅に出る
リリは十一歳になりました。
マリエルがリリの家に初めて泊まった日から、もう三年以上の月日が経った。
あれからマリエルは父ガブリエルに同行し、三月に一度の割合でマルデラを訪れ、その度に数日間リリの家に泊まった。過ごした時間は短くとも密度が濃かった。自分より一つ上のマリエルはいつ会っても明るく好奇心に溢れ裏表がない。彼女はリリが気兼ねなく接する事の出来る親友となっていた。
マリエルは訪れる度に様々な土産話を聞かせてくれた。ダルトン商会があるスナイデル公国のこと、公国とこのアルストン王国の間にあるシェルタッド王国のこと、公国より更に西にあるベイヤード共和国についても色々と教えてくれた。マリエルが三度目にマルデラを訪れた時から、彼女はリリを旅に誘っていた。リリも色々な国や町の話を聞いて、いつか一緒に行けたらいいと思っていた。
しかしこれまでは、「鷹の嘴亭」があり弟のミルケも赤ん坊だったので、とてもリリが旅に出られる状況ではなかった。母を手伝うのは当たり前だと思っていたので、母にも旅に行ってみたいとは言い出せなかった。
だが、ミリーはリリを旅に行かせてあげたいと考えていた。これまでの付き合いでガブリエルが信用出来る人だと分かっているし、マリエルも良い子だ。アルゴが一緒に行けば護衛は不要なくらいである。何よりもマルデラの町しか知らないリリに広い世界を見て欲しかった。ダドリーが生きていれば、きっと同じように考えただろう。
アルゴとマリエルのおかげで、リリはダドリーの死を乗り越えたように見える。一人で夜泣いている事も殆ど無くなったし、屈託のない笑顔が以前より増えた。娘の成長が嬉しいような寂しいよう気持ちだった。
そんなミリーは、リリが旅に出ても問題ないように着々と準備を進めてきた。給仕の女性を雇い、オムレットライスとハンブルグ、新たにメニューに加わったクリームシチューとナポリタンはリリの味を完璧に再現出来るようになった。そしてミルケも四歳になり、営業中に厨房の片隅で一人遊びしてくれるまでに成長した。
リリが旅に出ると言っても何年も行ってしまう訳ではない。ダルトン商会に同行するなら三ヵ月程度だ。
「リリ、今度マリエルちゃんが来たら旅に出てみない?」
「えっ!? ……いやでもお店あるし、ミルケも小さいし」
「おねえちゃん、ボクちっちゃくないよ!」
二階のダイニングテーブルに三人で座り話をしていた。ミルケはリリの隣に座っている。テーブルから辛うじて顔が出ているくらいの背丈だ。間違いなく小さい。
「そ、そうだね。ミルケはおっきくなったもんね」
「そうだよ! すぐにおねえちゃんよりおっきくなるんだから!」
リリがミルケの茶色い髪の毛を優しく撫でると、彼は「えへへ」と満足そうに笑う。
「ミルケも大きくなって、給仕のジャンヌちゃんも任せて問題ない。料理だって四つともちゃんと作れる。リリが少しの間いなくても、こっちは大丈夫よ?」
「えっ、おねえちゃん、どこかにいっちゃうの!?」
ミルケは年の離れた姉が大好きな甘えん坊である。
「うちにたまに来るマリエルちゃん。あの子と、そのお父さんと一緒に少しの間ほかの国を見に行くのよ」
「えー、アルゴは?」
「アルゴはリリの従魔だから。リリから離れないのよ」
「えぇー!? じゃあボクもいく!」
「ミルケも行ったらお母さん独りぼっちになっちゃうじゃない」
「うぅ……」
ミルケは母の事も大好きな甘えん坊であった。
「お母さん、ほんとに行っていいの?」
「もちろんよ。あなたは今までずっとお手伝いを頑張ってくれたし、冒険者のお仕事も頑張ってたでしょ? もう十一歳になったんだし、今のうちに色んな場所を見て、色んな経験をしてみなさい」
前世の知識では、十一歳で旅に出るのは早い気がする。しかし十五歳で成人を迎えるこの世界だとそうでもないのだろう。生まれてからずっとマルデラの町に住んでいるリリは、別の町、別の国に行けると考えたら胸が高鳴った。
「うん……うん、行ってみる! お母さん、ありがとう!」
それから二週間と経たないうちに、またマリエルとガブリエルのダルトン父娘がマルデラを訪れた。
いつものように娘を預けに来たガブリエルに、ミリーはリリとアルゴを同行させてくれないかと頼んだ。マリエルから、これまで何度も「リリと旅したい」と言われていた彼は二つ返事で受け入れた。
「だいたい十日くらいで戻ってきますさかい、その時にリリちゃんを乗せて行きますよって」
現在はアルストン王国の王都グレゴールまで商売の手を伸ばしているダルトン商会。十日後に、リリが生まれて初めての旅に出る事が決まった。
「リリ、ほんとに大丈夫か? やっぱ俺、ついて行こうかな」
旅に出ると聞かされて、ジェイクが過保護っぷりを発揮していた。
ダドリーの死後も「金色の鷹」はマルデラを拠点に活動を続けている。新しいメンバーは加えず、ジェイク、クライブ、アルガン、アネッサの四人だ。四人は頻繁にリリの家や「鷹の嘴亭」に顔を出す。マリエルやガブリエルとも既に顔見知りだった。
「いや、ジェイクのおっちゃん! あんたリーダーやろ。リーダーが一人でついて来てどないすんねん!」
「じゃあ全員で?」
「あほか! ちゃんと護衛は雇っとるわ!」
「いや、金は要らんぞ?」
優秀な冒険者なのだが、リリの事になるとジェイクは途端にポンコツになる。ダドリーの生前からリリを姪っ子のように可愛がり、今では親を通り越して孫を可愛がる祖父のようになっていた。
「ジェイクおじちゃん、私大丈夫だよ?」
アルゴも居るし、とは言わなかった。それを言うとジェイクは拗ねてしまうのだ。従魔にしろと言い出したのはジェイクなのだが、まさかこれ程までにリリとアルゴが絆を深めるとは思っていなかった。自分のポジションを奪われた気がして、ジェイクは激しく後悔していた。それでもアルゴの事は憎めないのだが。
「はぁぁぁー……リリが一人旅か…………」
ジェイクが深い溜息をつきながら遠い目をした。
「いや、一人ちゃうわ! うちも親父殿もいるっちゅうねん!」
それからジェイクは、リリが旅立つその日まで毎日会いに来た。危険な魔物、野営する時の注意点、水場の探し方、盗賊に出会った時の対処法、その他冒険者として培った旅の心得を話して聞かせる。旅に役立ちそうな物を買って来る。終いにはクライブ達に白い目で見られていた。
そして十日後、ガブリエル達が王都から戻り、その翌日、いよいよ出発となる。
「リリ、気を付けるんだぞ。危ないと思ったら自分だけでも逃げるんだ。頼むから約束してくれ」
ジェイクがとんでもない事を約束させようとして、ミリーから頭をぺしっと叩かれていた。
「帰って来たら色々聞かせてくれよ」
「楽しんで来てね」
「体に気を付けて行ってこい」
アルガン、アネッサ、クライブはいつも通りだ。
「おねえちゃん、なるべく早く帰って来てよ?」
「リリ、うちの事は気にせず、ゆっくり楽しんで来なさい!」
ミリーが改めてガブリエルに「娘をお願いします」と頼み、彼は「お任せください!」と力強く返した。
「リリ、忘れもんないか?」
「うん、大丈夫」
「ほな行こか!」
「うん。お母さん、ミルケ、みんな! 行ってきます!」
真ん中の馬車の荷台にリリとマリエル、アルゴが乗り込むと、三台の馬車は出発した。
マルデラの西門を出て、西に伸びる街道をひたすら進む。国境まで約三日、そこから更に三日程進めばシェルタッド王国の最初の町、カリヌランだ。そこに着くまでは野営となる。街道の左右はずっと森が続く。街道から五十メートルくらいは木々が伐採され見通しも悪くない。国境まではアルストン王国の騎士団が街道を巡回しており、ある程度の安全は確保されている。
「思っていたよりずっと乗り心地がいいね」
「せやろ? 見た目よりずっとお金がかかってんねん」
三台連なる幌馬車の真ん中でリリはマリエルと話をしている。先頭と後尾の馬車にはアルストン王国で仕入れた商品で荷台部分が七割方埋まっていた。リリ達が乗る馬車は居住スペースと旅に必要な物資が積まれている。居住スペースには座り心地の良いソファが設置され、旅が少しでも快適になるよう工夫されていた。
この馬車だけ、冷暖房の魔道具と車軸にサスペンションが搭載されている。サスペンションと言っても板バネを用いた所謂リジットサスであるが、それが無い馬車と比較して乗り心地は劇的に改善されている。サスペンション付きの馬車はここ数年で普及し始めており、貴族が乗るような馬車は更に乗り心地が良いらしい。
活版印刷の普及やサスペンション、マルデラのような比較的小さな町でもトイレは水洗で下水道も整備されている。一方で水は井戸から汲み上げるか魔法で出す。文明レベルがちぐはぐだが、発展具合が前世と違うのだろう、とリリは受け入れていた。
三台の馬車を護衛するのは八人の冒険者。隊列の前後で騎乗して警戒に当たる者が四人。御者を務める者が三人。残りの一人はリリ達の馬車に乗っている。女性が三人いるうちの一人である。
彼らは三年前から殆ど顔ぶれが変わらず、ダルトン商会が遠方に赴く際の護衛を頻繁に請け負っているようだ。
「そう言えば名乗ってなかったわね。ウル・ハートリッチよ」
「あ、リリアージュ・オルデンです。リリって呼んで下さい」
リリはウルと名乗った女性と軽く握手をした。顔は見知っているが名を聞くのは初めてだ。年の頃は二十代前半、サラサラの真っ赤な髪を長く伸ばしている。
「ウルはんは『瘴魔祓い士』の資格を持ってんねんで」
「三級だけどね」
「しょうまはらいし?」
「うちらの国、スナイデル公国で認められた国家資格や。下から五級、四級とあって一級の上に特級までランク分けされとる」
「特級なんて国で三人しかいない雲の上の存在よ」
「特級はえげつないで。単騎で『瘴魔王』を倒せるくらい凄いらしい。稼ぎも鬼のようやし、みんなから尊敬もされてるんや」
スナイデル公国にはそんな国家資格があるのか。リリは素直に驚いた。聞けば「瘴魔祓い士」とは瘴魔を倒す事に特化した者で、過酷な訓練と瘴魔を倒した実績によって資格が与えられ、功績に応じてランクが上がるらしい。
「長い旅の間には瘴魔と遭遇する可能性もあるでしょ? だから私のような瘴魔祓い士がいるパーティは結構需要があるのよ」
「せや。ダルトン商会も長い事お世話になってる」
瘴魔の弱点が見える自分なら、瘴魔祓い士になれるだろうか。ふとそんな事を考えるリリだったが、直ぐにその考えを打ち消す。私は家族や大切な人と程々に幸せな暮らしが出来ればいい。態々危険な仕事を選ぶ必要はない。そもそもなれるかどうかも分からないし、遠く離れた国の資格だ。
馬車が速度を落として止まった。今日の野営地点に到着したようだ。
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