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120 ビーストテラン侯爵

 時は遡る。


 マリエルを誘拐し、リリを誑かそうとしていたゴルドバ・ビーストテランとその一味が捕縛されて一週間後。スードランド帝国北西部にあるビーストテラン侯爵領にゴルドバ捕縛の報せが齎された。


「全く、子供一人連れ帰ることが出来ぬとは呆れて物も言えん」


 領地の中央付近にある侯爵邸。その二階にある執務室で、自身の抱える間諜がその場にいるにも関わらず、グスタフ・ビーストテラン侯爵は溜息と共にそんな台詞を吐き出した。実弟が捕らえられたというのにその口調は冷淡そのものだった。


 内戦が続くリングガルド王国の難民と身分を偽り、スナイデル公国に潜入していたゴルドバは非常に珍しい魔法「精神操作(マインドコントロール)」に長けていた。精神操作魔法の行使は帝国でも厳しく制限されている。この魔法が使える魔術師は国の官吏となることが義務付けられ、国が認めた場合しか魔法を使用できない。

 だが、その有用性にいち早く気付いたグスタフは弟を国から隠した。その上でスナイデル公国において様々な工作に従事させることにした。


 グスタフ・ビーストテランの悲願、それはレンドラン王国の復興であった。


 およそ六十年前、帝国に併呑された今は無きレンドラン王国。ビーストテラン侯爵家は滅ぼされた王族の血を引く唯一の末裔である。グスタフは直接帝国と干戈を交えたわけではないが、先々代と先代から帝国の軍門に下った際の忸怩たる思いを呪詛のように聞かされ続けた。そしていつしかその思いはグスタフの心に刻まれ、彼自身がレンドラン王国復興に取り憑かれたのである。


 帝国内で「領土拡大派」と呼ばれる貴族たちは、実は帝国の領土拡大を目論んでいるのではなく、それぞれが帝国から独立して自分たちの国を興すことを願っていた。そしてその願いを実現するには、スナイデル公国を手中に収めることが必要であった。

 スナイデル公国は小国だが、周辺国を統合すれば帝国と十分渡り合える大国となり得る。資源の豊富さ、魔道具の開発能力、地理的要因、それらが「独立派」から見て理想的だったのだ。


 しかし、公国は「瘴魔祓い士」という特記戦力を有している。数はそれほど多くないものの、最上位炎魔法の使い手が少なくとも二百人以上はいる。これは帝国全土から掻き集めた人数の十倍である。もしスナイデル公国に進軍したとして、それらの炎魔法で迎撃されれば相当な損耗が避けられない。


 だからこそ、「瘴魔祓い士」の対策をゴルドバに命じたのだ。デンズリード魔法学院の試験と入学式で悲惨な()()を起こし、学院への不信感を植え付ける。或いは直接的な恐怖を植え付けてもいい。そしてその犯人が元瘴魔祓い士ならば、スナイデル公国内では疑心暗鬼が生まれる。そこから徐々に切り崩し、戦力を削いでいけば良かった。

 だが、その計画は悉く頓挫した。いや、事件そのものは起きたのに、人的被害が全く出なかったのだ。何故被害が防がれたのか詳細は不明だ。ただ弟のゴルドバが無能であることがこれではっきりとした。精神操作魔法が少し使えるだけの役立たずであることが証明されたのだった。


「ウィード!」

「閣下、お呼びでございましょうか」

「ゴルドバが公国に捕縛されたことを皇帝陛下に奏上する。帝国国民二十名以上が不当に捕らえられていると書状に認めよ」

「仰せのままに」


 グスタフに呼ばれて入室した執事のウィードは、音もなく部屋から出て行った。


「お前は、その『ウジャトの目』を持つ少女について調べよ」

「調べるだけで良いのですか?」

「調べるだけだ。まだ手は出すな」

「御意」


 ゴルドバ捕縛の情報を携えてきた間諜は闇に溶けるように姿を消した。


「ゴルドバにも少しは役立ってもらわねばな」


 皇帝に奏上したところで、帝国軍が動かないのは分かり切っている。貴族ならまだしも、捕えられたのは爵位を持たないゴルドバと彼が雇った傭兵だ。その上少し調べれば公国に捕らえられた理由も明らかになる。他国で罪を犯した者が、その国の法で裁かれるのは当然のことだ。


 だが、皇帝が()()()()という事実こそがグスタフにとっては重要だった。領土拡大派、その実「独立派」の貴族たちに向かって「大切な肉親が捕らえられたのに帝国は動かない。帝国は我々をいつでも切り捨てるつもりだ」と喧伝できる。帝国への不安を煽って公国へ挙兵し、自分たちの国を興すための第一歩を踏み出すには十分な理由となるはずだ。


 ゴルドバはそのための捨て石だった。そうするために「ウジャトの目」を持つ少女を侯爵領へ連れ帰るよう命じたのだ。連れ帰ることが出来れば良し、そうでなくても弟を救うために挙兵するという大義名分が成り立つ。この点に関して弟は役に立ったと言える。


「いよいよだな。レンドラン王国復興が遂に始まるのだ……」


 感極まったように呟く侯爵。だが、グスタフ・ビーストテランは最も重要な情報を手にしていなかった。それは、「ウジャトの目」を持つ少女の傍には彼女を庇護する神獣が三体控えているということである。ただ彼がその情報を持っていないのはある意味仕方のないことだった。神獣の情報は公国でも知っている人間がごく僅かなのだから。





 帝国中央から見れば辺境に当たる北西部から西部に領地を持つ貴族十二家は、ビーストテラン侯爵から齎された情報に憤慨し、今こそスナイデル公国に攻め入る時だと意見の一致を見た。その情報とは、侯爵の実弟が不当に捕らえられ、それに対し帝国が何ら動こうとしないことだった。


 皇帝に書簡を送ったのがひと月前。返事が届くとしてもまだひと月以上かかるだろう。だから本当に皇帝が何らの措置も講じないつもりなのかどうかは分からない。だが彼らにとって真実はどうでも良かった。彼らは帝国に反旗を翻すわけではない。公国に天誅を下し、侯爵の弟を救うために進軍するのだ。本当の目的がスナイデル公国を攻め落としてそこで独立することだとしても、自分たちの正義を信じて疑わなかった。


 進軍の準備はそれから二か月近くかかった。各領の騎士団と兵士は合わせて二万。それらを数か月食わせるための膨大な食糧を準備し、リングガルド王国内を通るための調整を行うのにそれだけの時間を要した。


 季節は冬となったが、帝国からリングガルド王国は大陸南部で雪は少ない。スナイデル公国南部を冬の間に制圧し、春の訪れと共に首都を落とす心算であった。


「時は満ちた! 大義は我らに有り!」


 グスタフが檄を飛ばし、兵たちがそれに呼応する。二万の帝国貴族連合軍はリングガルド王国の国境へ向け進軍を開始したのだった。





*****





「全く愚か者どもが。大氾濫の前に、下手すれば神獣様によって滅びかねんぞ」


 リングガルド王国を北上する帝国軍の情報は、スナイデル公国の情報部によっていち早くカルキュリア・バスタルド・スナイデル大公に届けられた。


「仰る通りですな。しかし既に準備は整っております」


 大公が吐き捨てた言葉を肯定しつつ、ホランド・メイルラード宰相が思い出させるような言葉を口にした。


 リリの誘拐を企てた主犯がゴルドバ・ビーストテランであることが分かった時点で、その兄のグスタフが裏にいることは容易に想像できた。そして、調べが進むうちに帝国の「領土拡大派」の思惑も透けて見えた。彼らの本当の目的は帝国からの独立。その第一歩として公国を狙っていることが知れた。


 そこまで分かっていれば、公国が取る手段は一つ。防衛である。敵がどこから進軍してくるか分かっていれば、守りを固めるのは容易い。

 公国と南のリングガルド王国を分かつ国境は急峻な山岳地帯であり、山越えは現実的に不可能だ。唯一二国を結ぶ道は東西を高い崖に挟まれた幅二十メートルの隘路である。公国側にはそこに砦を築いており、騎士二百人が常駐して国境を警備していた。


 現在、そこには平時の二十倍に及ぶ戦力が集結している。敵の数二万に対して四千では少ないと考える向きもあるだろう。しかし地理的有利でその差は十分に補える。幅二十メートルしかない国境の道は、南北に一キロ近く続いている。敵軍は縦に間延びして進まざるを得ない。そして、公国側は上から攻撃できるよう足場を作っている。四千の自軍には最上位炎魔法が使える瘴魔祓い士八十人が含まれていた。彼らが崖の上から紅炎(プロミネンス)獄炎(フォルテ)を放つ。それで国境の隘路は火の海になるだろう。後ろから押し寄せる味方のせいで後退することも出来ず、隘路に入った敵軍兵士は成す術もなく焼け死ぬ。


「負ける心配はしておらんよ。公国の民を守ることは何よりも重要だからな。ただ、戦わずに退いてくれないかと思っただけだ」


 物言わぬ黒焦げの骸が積み上がった光景を想像して、大公がポツリと零した。


「敵方とは言え、騎士や兵士は主君の命に従うだけですからな。初撃で敵わぬと悟って兵を退く賢明さがあれば良いのですが」

「そう、だな……戦争に犠牲はつきもの、か」


 建国以来三百年、小競り合いはあっても本格的な戦争は起きていない。公国に生きる者で本物の戦争を経験した者はいないのだ。なにも自分が大公を務める間に戦争が起こらなくても、とカルキュリアは心の中で愚痴を吐く。「ウジャトの目」と神獣様のことだけでも胃が痛いのに、と。


 だがそれも、五大公爵家に生まれた者の宿命。国を守り、民を守る。それが公爵家に課せられた使命なのだ。カルキュリア大公は顔を引き締め直し、宰相に告げる。


「敵に情けは無用。公国は何者にも屈しないことを示すのだ」

「御意」


 二人は立ち上がり、各騎士団長と防衛大臣、防衛省瘴魔対策庁長官の待つ会議室へと向かった。





*****





 リリはノアの話を聞いて自分の部屋で神獣たちと話をしていた。アルゴ、ラルカン、ノアと三体の神獣がそれほど広くもない部屋に集まっている。のんびりクッキーを食べ、果実水を飲みながら話しているのだが、この光景を大公や宰相が見たら胃痛が酷くなること請け合いであった。


「さて、どうしたものかねぇ~」


 ポリポリポリ。


『リリはどうしたいの~?』


 サクサクサク。


『さっさと殲滅するべきだろう?』


 ガリガリガリ。


『あ~、このクッキーってヤツは美味いな!』


 コツコツコツ。


 一部物騒な意見も混ざっているが、概ね暢気なものである。


『我が行って吹き飛ばして来よう』

『アルゴばっかりずるい! 僕も行きたい!』

『俺が空からパパっと魔法撃てばすぐ終わるよ?』


 まるで遊びに行く前の幼子のようだ。リリは軽く頭痛を覚えた。


『待って待って。いったん落ち着こう』


 帝国が攻めて来るのはあくまで帝国のせいであり、リリに責任はないはずだ。ゴルドバ・ビーストテランが捕縛されたのも自業自得である。しかしリリはそんな風に考えることが出来なかった。多少なりとも自分のせいだと考えてしまう。


 帝国と公国が戦争になれば、双方に多数の犠牲者が出るだろう。そのほとんどは上の命令に従っているだけの者である。

 公国側に限って言えば、防衛のため迎撃するのは当然のことだ。そこには国と民を守るという大義が歴然と存在している。だが帝国側はどんな理由を上げようと「侵略」に他ならない。何も知らない兵士たちは侵略者の片棒を担ぎ、何も知らないままに死んでいくのだ。


 それで良いのだろうか?


 普通は疑念を抱いても何も出来ないのだが、リリは何か出来ることがあるはずだと考える。自分の魔法はどうやら普通ではないようだし、目の能力もあるからだ。


『戦争が始まる前に、帝国軍を退かせることは出来ないかな?』


 リリの言葉に、三体の神獣が同じ方向に首を傾げた。息ぴったり。可愛い。


『公国にも帝国にも犠牲を出したくないの。何か良い方法はないかな?』


 三体が同時に逆方向へ首を傾げる。ここまで来るとあざとい。


『うーむ……一番簡単なのは進軍の先頭辺りを吹っ飛ばすことだが』

『それじゃたくさん死んじゃうよ? リリの望みが叶わないじゃん』

『大風で邪魔しても進軍自体は止まらないだろうな……』


 一応ちゃんと考えてくれているようだ。


『ねぇ。私が近くまで行って、離れた所に「雷神殲怒(みかづちのいかり)」を撃つのは?』

『ふむ。それも良いかも知れんが、公国を我らが守っていると思わせれば良いのではないか?』

『そっか、帝国は僕たちが公国にいることを知らないんだ』

『しかし、それをどうやって奴らに知らせるんだ?』


 ノアの言葉に、胡坐をかいたリリは腕を組んで眉根を寄せた。


『そこなんだよねぇ。姿を見せて「神獣だぞ!」って言っても普通は信じないよね』

『ラルカン、それならお主が例の姿になれば良いではないか。ノア、お主も』

『『ああ、アレね……』』


 ラルカンとノアは少し嫌そうな顔をする。いや、トカゲと鷹の姿なのではっきりと表情は分からないのだが、そんな雰囲気である。


『例の姿? って何?』

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