116 この世界の「バグ」
「僕は瘴神。この世界で、魔力と瘴気の管理をしている神だよ」
白髪の少年からそう告げられ微笑みかけられたリリは小首を傾げた。
「魔力と瘴気の、管理?」
「そう。本来はあまり地上に干渉しちゃいけないんだけど、ミュール様の愛し子である君にはある程度教えてもいいってお許しが出たから。どんな子か興味もあったから会いに来たんだ」
なんだ、ただの興味本位か。それにしても神様ってマップに映らないんだね。靄も見えないし。
「あの、アルゴ――フェンリルにも姿を見えるようにしていただけませんか?」
「おっと、ごめんごめん。ほら、もう見えるでしょ?」
リリはアルゴの様子を確かめる。
『アルゴ、見える?』
『ああ、今は見えている。声も聞こえるようになったぞ』
『瘴神様なんだって。この世界の魔力と瘴気を管理してるそうだよ。よく分からないけど私に教えたいことがあるみたい』
『瘴神……女神ミュールの下位神だな。うむ、敵ではないようだ』
神様が敵とか怖すぎるから。
「ちょっと座ろうか?」
「あ、はい」
瘴神に促され、リリは彼と一緒に近くのベンチに座った。アルゴはリリの足元で目を光らせている。敵ではないが警戒を解く気はないようだ。
「まずはこの世界に於ける魔力と瘴気の話から」
瘴神はそう言って話し始めた。
「大前提として神といえども完璧ではない。そこは頭に入れておいて欲しいんだけど」
「はい」
転生する時に「目を良くして欲しい」って言ったら「神眼」を授かっちゃったからね。完璧じゃないのは知ってる。
「瘴魔の発生は、この世界の綻び――君に分かりやすく言うと『バグ』なんだ」
創造神(ミュールとは別の神)がこの世界を作り出した時、魔法のある世界にしようと考えた。魔法の源は魔力である。その魔力という摩訶不思議なエネルギーを、知性のある生き物から零れる負の感情――瘴気から生み出す試みを行った、らしい。
「瘴気は自然と迷宮に集まり、そこで魔素に変換されて魔物を生み出す。地上に出た魔物が死ぬと大気中に魔力を拡散させる。君たち人間は、大気中の魔力を体に取り込んで魔法に変換する。これが基本ね」
体に取り込める魔力が多い人を「魔力量が多い」と言うらしい。それにしても、ダンジョンは「変換装置」だったんだね。
「それはそうと、君の魔力量は馬鹿げてるね! 君、本当に人間?」
「人間です!!」
失礼な。人間に決まってるじゃない。
「まぁいいや。それで瘴魔なんだけど、創造神の想定以上に負の感情が多かったみたいなんだよね。要するに迷宮に集まり切らない瘴気があるわけ。で、瘴気っていうのは一か所に溜まりやすい性質を持つんだ」
ふむふむ。それが瘴気溜まりね。
「それだけならただの瘴気なんだけど、魂の欠片と結びつくと瘴魔になっちゃうの」
「魂の欠片?」
「うん。知性ある生き物が死ぬと、魂は輪廻転生のため神の御許へ召される。だけど憎悪、嫉妬、憤怒、悲憤などでこの世界に強い執着がある場合、欠片がこの世界に残るんだ」
魂の欠片はあくまで単なる欠片であって魂そのものではない。むしろ、その欠片が残ることで魂が清らかになるそうだ。
「ここからがさっき言った『バグ』なんだけど。瘴気が一定量以上溜まると、その欠片を取り込もうとする本能が生まれるんだ。負の感情から生まれた瘴気が、強い負の感情の塊である魂の欠片に惹かれるんだね」
なるほど。以前見た白い球体、あれは魂の欠片だったんだ。瘴気溜まりから生まれた触腕が、その欠片を取り込もうとしてた。そして取り込んだ瞬間に瘴魔へと変化した。
「私が弱点だと思ってたのは、その魂の欠片……?」
「ああ、弱点っていうのは正しいよ。瘴魔の『核』って僕たちは呼んでるけどね」
瘴魔の核。リリがブレットで撃ち抜いていたのは、負の感情の塊、すでにこの世を去った人が残した魂の欠片だった。核を失った瘴魔は、瘴気を経ずに魔力へと変換される。だから黒い塵のようになって消えるのだ。
「ちょっと待ってください。ということは、この世界に人間がいる限り、瘴魔がいなくなることはないんですか?」
「まぁそういうことだね」
むしろ負の感情を多く吐き出す人間が増えたことにより、瘴魔がより多く発生しているのだと言う。
更に瘴神が教えてくれたことによれば、瘴魔鬼とは瘴魔が魔力の多い生物を取り込んで変化したもの、瘴魔王とは発生時に偶然大量の魂の欠片を取り込んだことで生まれるそうだ。
「あの、今聞いたことって他の人に教えてもいいんですか?」
「別にいいよ? 知られても不都合はないし」
負の感情が瘴魔を生み出すなら、なるべく負の感情が生まれないようにすれば良い。完全に無くすのは無理かも知れないが、それを全ての人が知れば犯罪や戦争も起きなくなるのではないだろうか。リリは瘴神にそう聞いてみたが、それは無理だと言われた。人間には大なり小なり欲望がある。争いの多くはその欲望が原因だ。だから瘴魔がいなくなる日は来ないだろう、と。
「それでも、努力することは出来ると思います」
「うん、そうだね。僕もそうして欲しいと思う。
そこで一旦、二人は黙り込んだ。広場に集まる人々を見ると、さっきまでと変わらず穏やかな光景が広がっている。アルゴも警戒を解いたようで、芝生に寝そべっていた。
「それじゃあ、ここからが本題」
「えっ!? 今までは前置きですか?」
「うん。えーとね、近いうちに瘴魔の大氾濫が起きそうだよ。千年前と同じか、それ以上の規模になりそう」
瘴魔の大氾濫。それは数千体の瘴魔が一度に発生する現象である。もちろん、鬼や王も多数出現する。
千年前の大氾濫を治めたのは、後に聖女と呼ばれたメルディエールとフェンリルを中心としたある国の軍だった。大氾濫の原因は、長年続いた多国間の戦争だったらしい。数十万人に及ぶ戦死者の負の感情が瘴気となって世界を満たし、数千の瘴魔が発生した。
「今回の原因は、君たちが『スードランド帝国』と呼んでいる国が作った魔道具だよ」
瘴魔を人為的に発生させる魔道具、「魔箱」。それは自然に発生する瘴気とは異なり、世界の均衡を狂わせているそうだ。
「帝国の中央から北部、そのどこかで大氾濫が発生する」
「それで、私はどうすれば……?」
「この国まで被害は及ばないと思うから、しばらくはあっちに近付かないで欲しいかな」
「え?」
「だから、危ない所に行っちゃ駄目だよって話さ」
てっきり大氾濫を未然に防ぐか、起きてしまったら治めて欲しいって話かと思ったのに。
「何もしなくていいんですか?」
「何かしたかったらしてもいいよ。瘴魔ってほら、放っておけば三~四か月で消滅するし」
「えっ!? そうなんですか!?」
「あれ、知らなかった?」
「知らなかったです」
「あのね、核がそれほど長くもたないんだよ。例外は瘴魔鬼と瘴魔王で、鬼は一年ほど、王になると取り込んだ全ての核が消滅しない限りは存在するね」
自然消滅しないと、この世界は瘴魔だらけになっちゃうよ。瘴神はそう言ってクスクスと笑った。
「あの、大氾濫が起こる時期って……?」
「それはまだはっきりしていない。一応予兆があるから、それから一年以内っていうのが目安かな」
最も分かりやすい予兆は「迷宮の氾濫」だそうだ。瘴気を魔力に変換して魔物を生み出す迷宮では、瘴気が増えると魔物も増える。一度に取り込む瘴気が多ければ多いほど、一度に生まれる魔物も増える。増えすぎた魔物は迷宮からあっという間に溢れ出す。これが迷宮の氾濫だ。大量の魔物を生み出しても、後から後から瘴気が供給されるので、魔物は際限なく生み出される。そうして、各地の冒険者ギルドが最も警戒する「魔物暴走」へと繋がるのだ。
魔物暴走は人口の多い街の近くで発生すれば大惨事になりかねない。しかしそれが予兆に過ぎないということは、瘴魔の大氾濫は国を、それも複数の国を滅ぼすほどの悪夢に他ならなかった。
「僕が伝えたかったのはこれくらいかな。何か聞きたいことがある?」
瘴神との邂逅、そして教えられた事実と予測。それらの衝撃が強過ぎて、今はそれを消化するのでいっぱいだ。聞かなければならないことがあるような気がするが思い付かない。
「あ! あの、瘴神様は瘴魔の大氾濫を止められないんですか?」
「止めることはしない」
出来ないのではなく、やらない、ってことか。地上に干渉してはいけないって言ってたから、それが理由だろう。
「それでは、瘴神様は味方ですか?」
「う~ん……誰の味方でもない、っていうのが一番正しいかな? でも愛し子のことは僕も気に入ったよ」
気に入られるようなことはしてないと思うんだけど、何が良かったんだろう?
「だからあんまり無茶しないでね?」
「……はい、ありがとうございます」
「うん。じゃあ、もう会うことはないと思うけど、体に気を付けて、幸せになってね」
「あ……はい!」
その瞬間、隣に座っていた瘴神の姿が消えた。
『行ったか』
『うん、行っちゃった……親切な神様だったね』
『親切なら大氾濫を止めるだろう』
『そう、なのかな……だけど教えてくれるだけ親切だと思う』
広場で食事を広げていた人たちは、食べ終えて片付けを始めていた。噴水の近くでは水に手を伸ばす幼い子供と、その子を抱く母親が笑い声を上げている。
ここファンデルには危険は及ばないと言われた。しかし大氾濫が起きたら他の国で少なくない犠牲者が出るだろう。それはこの広場で寛いでいる人々と何ら変わらない、普通の生活を送り、普通の幸せを求める人々だと思う。
そんな人たちを守るために、私に出来ることがあるかな……?
『とりあえず帰ってお昼ご飯にしよっか』
『そうだな!』
リリとアルゴは中央広場を後にした。
瘴神から重要な話を聞いた翌日、リリはマルベリーアンにそれを伝えた。瘴魔が発生する原因、鬼や王に関する情報などは知ったところで何か対策が打てるわけではない。しかし大氾濫については、時期も分からずスナイデル公国に影響がほとんどないと言っても未曽有の大災害になる恐れがある。だからプレストン長官を通じて国に報告するべきだろうということで話は纏まった。長官にはマルベリーアンが概要を伝えてくれることになった。
リリは知る由もないことだが、プレストン長官にその話が伝わった後、公国の中枢は上を下への大騒ぎとなった。
スードランド帝国はスナイデル公国を虎視眈々と狙っており、敵国と言っても差し支えない。その国がどうなろうが知ったことではないという者、罪のない帝国民を見捨てるのは憚られるという者、帝国と隣接するアルストン王国やリングガルド王国の被害を心配する者、その他いくつもの意見が出たが、大国であるスードランド帝国が瘴魔の大氾濫で滅びることになれば、自国を含めた周辺国の経済に大きな打撃となるという意見には全員が賛同した。
それを踏まえて公国としてはどうするのか、という議論に移る。帝国を含めた周辺国に警告を発する、というのが最初の案。しかし、大氾濫が確実に起きるという裏付けは一切ない。公国貴族の中でも懐疑的な者が多いくらいだ。公国がいくら声高に大氾濫に備えよと叫んだところで相手にされないどころか、国の信用を失う可能性すらあった。
次善の策として、大氾濫に対応できる戦力の増強が挙げられた。いざ帝国で大氾濫が発生した際に公国が支援するという案だ。もちろんこの案にも問題が多い。優秀な瘴魔祓い士は一朝一夕で育成できるわけではない。更に、戦力の増強は他国への侵攻準備と見られかねない。
「まったく、問題が山積しているな」
執務室で、カルキュリア・バスタルド・スナイデル大公が呟いた。
「帝国が危機に陥った時、我々が救いの手を差し伸べるのが理想ですな」
宰相のホランド・メイルラード侯爵が大公の呟きに答える。
「それはそうだが、そう上手くいくか?」
「それについて、一つ考えがございます」
人払いをした執務室には大公と宰相しかいない。それでも、ホランドは声を抑えてカルキュリアの耳元で囁いた。宰相が離れると、大公は腕を組んで宙を睨んだ。
「うーむ……。彼女を巻き込むのは気が進まん」
「もちろん強制は出来ません。ですが娘から話を聞く限り、彼女が協力してくれる可能性は高いかと」
「協力が得られたとして、実現可能なのか?」
「可能性は低いでしょう。それでも何もやらないよりはマシと言うもの」
「ふむ。対策の一つと言うことならば、打診する価値はあるか」
帝国を救うと言うより、自国はもちろん周辺国への影響を出来る限り軽微にするのが目的だ。元より、報告を全て信じるならば瘴魔の大氾濫は帝国が招いたようなもの。言わば自業自得である。欲深い大国の尻拭いをする羽目になるとは思ってもみなかったが、これは帝国の力を大きく削ぐまたとない機会でもある。
もちろん、全てが上手くいけばの話だが。
「まずは冒険者ギルドの協力を得る必要があるな。帝国中央から北部の迷宮について、魔物暴走の兆候があればすぐに情報が欲しい」
「手配いたします」
その後夜半過ぎまで、執務室の灯りが消えることはなかった。




