115 白髪の少年
今日から第7章になります。
スナイデル公国の結婚は、神殿で誓いの言葉を交わし、その場で婚姻届を出せば法的に成立する。結婚式や披露宴の習慣があるのは貴族だけで、平民は特に何もしない家が多い。少し裕福な家になると、自宅や店に親しい者を呼んで宴席を開く。
ジェイクがミリーと結婚すると宣言して二週間後、無事法的に夫婦となった二人は、「鷹の嘴亭」でパーティを開いた。
リリ、ミルケはもちろんのこと、「金色の鷹」の四人、「鷹の嘴亭」の従業員、マリエル、ガブリエル、プリミア、シャリー、アリシアーナ、マルベリーアン、コンラッド、そして「暁の星」のリーダー、トレッド・バートンに「血塗れのメル」ことメル・リーダス、さらに「黒炎団」のバトーラスらしき人も参加していた。
他にもリリが見たことのない人が何人もいる。ジェイクの冒険者仲間か、「鷹の嘴亭」の仕入れ先などの人であろう。三十人近い人々が立食形式で料理や酒を楽しんでいた。
店は臨時休業にし、パーティ参加者は無料で飲み食いしてもらっている。お祝いの贈り物や祝い金も不要と事前に伝えていた。さすがはSランク冒険者と人気飲食店オーナー。太っ腹である。
「ジェイクのおっちゃんも、遂に観念したんやなぁ」
「観念って……決心、だと思うよ?」
「姉御、ジェイクのおっさんだったら強いから安心だな!」
「そ、そうだね」
「うぅ……リリ、本当に良かったですわ!」
「なんでアリシアが泣いてんの!?」
リリの周りにはマリエル、シャリー、アリシアーナが集まりそれぞれがお祝い(?)の言葉を掛けてくれた。ちなみにアルゴは店の外で寝そべっている。一緒に入ろうと誘ったのだが、人が多過ぎて煩わしいらしい。後で料理を持って行ってあげるつもりだ。
女子四人で話していると、アルガンとクライブ、ラーラとアネッサがやって来てそれぞれが祝福してくれた。
「次は俺がお兄ちゃんになる番だよね!」
「いや、それは難しいんじゃないかな?」
「えぇぇ……」
アルガンは未だにリリの兄になりたいようだ。
「アルガンお兄ちゃんはずっと前から本当のお兄ちゃんみたいだと思ってるよ?」
「ほ、ほんとかい?」
「うん、もちろん」
「そうか……うん、そうだね!」
一瞬落ち込んだアルガンだったが、リリの言葉で即座に復活した。
「リリ……俺はダドリーさんに命を救われた。この恩はずっと忘れない。何かあったらいつでも頼ってくれ」
「うん。クライブお兄ちゃん、ありがとう」
いつも無口なクライブは、少し目を赤くしてそう言ってくれた。
「ミリーさん、すごく幸せそう。何だか私も結婚したくなっちゃった」
「え、アネッサも!? 実は私も。あの二人を見てると、結婚もいいなぁって思うよね」
「二人とも、恋人はいるの?」
「「…………」」
結婚への憧れを口にしたアネッサとラーラだが、リリの問いかけに口を閉ざし、遠い目をした。リリに悪気があったわけではない。恋人がいるならどんな人なのか気になっただけである。
「な、なんかごめん」
「リリちゃん! いい人がいたら紹介して!!」
「わ、私も!」
アネッサ、二十五歳、ラーラ、二十七歳。二人ともいい大人である。十四歳を目前にしたリリに男の紹介を頼むのはいかがなものか。
「う、うん。いい人がいたらね」
二人の目が思いのほか真剣だったのでリリは断れなかった。
「リリ、おめでとう。これであんたも安心なんじゃないかい?」
「アンさん! ありがとうございます。ええ、そうですね。母もそうですけど、弟もまだ小さいので安心です」
マルベリーアンにも祝いの言葉を頂いた。
「次はあんたたちの番かねぇ……」
「え?」
「何でもないよ」
マルベリーアンは手をひらひら振って離れていく。周りがガヤガヤしているので、彼女の呟きはリリの耳に届かなかった。
「リリ、お母さんとジェイクさんの結婚おめでとう」
「ありがとうございます、コンラッドさん」
「二人とも素敵だね」
コンラッドに言われて、リリは改めて二人の方を見遣る。母は薄い桃色のドレス、ジェイクは光沢のあるグレーのスーツを着ている。その姿もそうだが、何より幸せそうな笑顔を浮かべる二人はリリの目にも素敵に見えた。
(結婚、かぁ……)
前世でも結婚はしていない、はずだ。就職してからは、日々の忙しさで結婚を考える余裕もなかった、ような気がする。
リリは隣にいるコンラッドの横顔を見上げた。眩しそうに目を細めて主役の二人を見ている。
「コンラッドさんも、結婚に興味あります?」
「え!? そ、そりゃあるよ。でも、もう少し先かなぁ」
「そ、そうですよねぇ」
コンラッドはリリの四つ上で十八歳。この世界では結婚するのに早過ぎる年齢ではない。むしろ平民では十五~十六歳で結婚する者が多い。
(もしかして、私が成人するのを待ってくれてる、とか?)
リリは妄想を膨らませたが、恥ずかしくなって両手で頬を押さえクネクネと体を捩じった。
「姉御、どうした? トイレか?」
「違うよっ!」
「まあ! そうでしたのね……ええ、とても良いと思いますわよ?」
「何がっ!?」
見当外れのシャリーと、何かを確信した風のアリシアーナ。二人にツッコミを入れている間にコンラッドはマルベリーアンの方に離れて行ってしまった。
「うん、リリ。ウチは応援してんで?」
「うっ……ありがとう」
マリエルがリリの背中をバシバシ叩く。彼女には、リリの気持ちをいつの間にか見透かされていたのだ。そういう面でも「直観」が働くらしい。
その時、小さなポシェットに入れていた伝言板が震えた。リリがシャリーとアリシアーナを見ると、二人とも気付いたようだ。伝言板を取り出してメッセージを確認する。
『ファンデルの南に瘴魔三十。オルデン隊に出動を要請』
内容を見て小さく溜息を吐く。何も今日じゃなくてもいいじゃない。文句も言いたくなるが、瘴魔は空気を読んでくれない。傍にいたマリエルに事情を伝え、ミリーとジェイクにも任務が入ったことを伝える。
「分かったわ。気を付けるのよ?」
「こっちは任せとけ。早く終わったら戻って来いよ?」
「うん。行って来るね」
『了解。オルデン隊三人は鷹の嘴亭で待つ』
リリは伝言板に返信を書き込み送信した。
特務隊に籍を置く以上、いつ討伐任務が入るか分からない。そのため、リリたちは常に着替えを準備している。従業員用の更衣室で三人は動きやすい服に着替えた。店の外に出ると、アルゴがのっそりと起き上がる。
『帰るのか?』
『ううん。瘴魔が出たって』
『そうか! 行くのだな!』
『うん』
余程退屈だったのか、アルゴは嬉しそうだ。窓越しに店の中を覗くと、ミリーとジェイクがこちらを見ていた。少し心配そうな顔をしているので、リリは笑顔で手を振る。大丈夫、瘴魔なんかに負けないから。楽しんでね?
やがて迎えに来た馬車に乗り込み、リリたち三人は南へ向かった。
「数は多かったけど楽勝だったな!」
「そうですわね、鬼もいませんでしたし」
討伐自体はシャリーが言うように難しくなかった。瘴魔は三十体以上いたがそれだけだ。リリたちは近くに発生した中規模の瘴気溜まりも浄化して帰途に就いた。太陽はとっくに沈み、魔道具の灯を頼りに馬車はゆっくりとファンデルに向かっている。
ここはファンデルから南へ三時間ほどの場所。同行の騎士たちに野営か帰還かを聞かれ、このくらいの距離なら帰った方が良いだろうと考えたのだった。
「今回の任務、特務隊じゃなくても良かった気がするっす」
「う~ん……だけどソロの祓い士だと厳しいでしょう」
「それもそうっすね。リリさんたちの戦い方を見てると、他の祓い士の皆さんもパーティ組むべきだって思うっす」
ラムリーの呟きを拾い、リリは真面目に返した。二人の会話をシャリーとアリシアーナも真剣に聞いている。
「そっか。オレたちはいつも三人だから気付かないけど、あれを一人で相手するのは結構大変だぞ?」
「囲まれたら終わりかも知れませんわね」
「いや、二人なら大丈夫だと思うよ。油断さえしなければ」
実際、シャリーとアリシアーナの成長は目を見張るものがある。今日もほとんどの瘴魔を二人で倒してしまった。リリの仕事は索敵マップや俯瞰視で瘴魔のいる場所を教えたり討ち漏らしがないか確認することだった。
とは言え、やはり瘴魔鬼や瘴魔王が出現した場合、二人では心許ない。鬼も一~二体なら対処できると思うが、それ以上だと危険である。これは二人に限った話ではなく、三級以下の他の祓い士には全員が当てはまることだとリリは考えている。
馬車がゆっくりと進むにつれ、昼間の疲れも相俟ってリリたちは瞼が閉じそうになるのに抵抗できなくなってきた。本来は気を抜くべきではないのだが、護衛の騎士、そして最強の護衛であるアルゴがいるからついつい気を抜いてしまうのだ。
『君に伝えたいことがあるんだ』
夢と現実の狭間でふわふわしていたリリの頭に、少年のような声が優しく語り掛けた。リリは覚醒しようと意識するが、何かに邪魔されているように目を開くことが出来ない。
『明日の昼、君の家に行く。待ってて欲しい』
え、家に来るの? 家はちょっと遠慮して欲しいんだけど……。
『フフフ。じゃあ東区の中央広場にある噴水の前で。十二時に』
えーと、あなたは誰……?
『来たら教えるよ』
それきり声は聞こえなくなった。その途端、目がパチッと開き意識もはっきりとする。
(夢……にしては凄く具体的だったな)
これまでも何度か似たようなことがあった。それらはリリの能力に関すること、神と思しき存在が関与することだった。だが、これまでは夢現の中で全て完結していた。場所と時間を指定されて何かを伝えると言われたことはない。
まだ眠っている三人の寝顔を眺め、一体誰が、或いは何が接触してきたのか考えながら、リリは馬車の揺れに身を任せるのだった。
翌日。リリは二日酔いで苦しむミリーとジェイクに治癒を掛けた後、ミルケ、アルゴと一緒に朝食を食べた。母が先に起きてきたのでスープを温めて出し、準備をしてからアルゴと一緒に出掛けた。
目的地は東区中央広場である。リリはそこに行ったことはないが、何度か近くを通っている。場所は冒険者ギルド・瘴魔祓い士東区支部などが集まった区画から二本東に入った道沿いだ。
季節は間もなく秋を迎える。僅かに白みがかった空はどこまでも高く続いているかのようだ。過ごしやすい季節だが、日差しがある日中は動くと少し汗ばむ。
『今日は背に乗らぬのか?』
『時間があるから歩いて行こっか』
アルゴは昨夜の話をリリから聞いていた。もし相手に悪意があるのなら、有無を言わさず攻撃を仕掛けてくるだろう。昨夜はそうしなかったのだから今のところ敵ではなさそうだと考えている。だからと言って味方とも限らない。
今では見慣れてきたファンデルの街並みを何とはなしに眺めながら歩く。この街に来て一年半、リリとその家族はすっかり街に馴染んでいる。アルストン王国のマルデラからスナイデル公国への移住はベイルラッド・クノトォス辺境伯の勧めだった。最終的に決めたのはリリだが、最初の頃はそれで本当に良かったのか少し不安も感じたものだった。だが今となっては、移住して良かったと断言できる。
アルゴと念話で雑談しながら歩いていると、十二時少し前に中央広場に着いた。リリは念の為立ち上げていた索敵マップをもう一度確認した上で、靄を可視化した。
『赤い点はないねぇ。靄も、気になる人はいないよ』
『そうか。だが油断するなよ?』
『うん』
広場の真ん中にある噴水に近付く。相手はこちらを知っているようだったが、こちらはもちろん相手の容姿を知らない。噴水の周りは芝生になっていて、あちこちにベンチも置いてある。子供連れやカップルが芝生に座って弁当を広げたり、ベンチでお茶を楽しんでいる人が多く見られた。誰もリリに注意を払ってはいない。
「やあ、来てくれたね」
突然後ろから呼び掛けられて振り向く。
「え……」
そこに立っていたのは雪のように白い髪をした少年だった。しかし、少年がいる場所には索敵マップに何も表示されていない。それだけでなく、少年の周りには一切の靄がない。
『リリ、どうしたのだ?』
『え!? アルゴには見えてないの?』
『何が?』
『私の目の前に男の子がいる! 真っ白な髪の男の子が!』
『何だと?』
アルゴの感知能力と嗅覚は人間を遥かに凌駕する。それなのに、アルゴにはリリの前に立つ少年が見えていない。アルゴの知る限り、そんな真似が出来るのは――。
「安心して。君とフェンリルを傷付けるつもりはないから」
「あの、あなたは誰ですか?」
「僕は瘴神。この世界で、魔力と瘴気の管理をしている神だよ」
白髪の少年は自らを神と名乗り、にっこりと微笑んだ。




