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114 家族の始まり

ここまでが第六章になります。

「リリさん、この度は本当に申し訳ございませんでした」

「いえいえ、エリザベート様の責任じゃないですから! 頭をお上げください!」


 ビーストテラン侯爵の弟を名乗る男を捕えた翌日。リリはエリザベート・バスタルド・スナイデルたっての希望で大公邸を訪れていた。呼びつけるような形になったことを謝った後、エリザベートはリリに再度頭を下げた。マリエルの誘拐から始まった事件に対する謝罪である。


「帝国の者たちが我が国で凶行に及んだのは、彼らの動向を掴めなかった国の、延いては大公家の落ち度です」


 エリザベートは無念そうに吐露する。国で一番偉い人の娘さんなのに、平民に向かって過ちを認めて謝罪するって凄いな、とリリはある種の感動を覚えた。


「私は大丈夫です。公国や大公家の方々に悪感情を抱くようなことはありません」


 エリザベートが最も心配なのはそこだろう、そう思ってはっきりと自分の考えを口にした。マリエルが誘拐されたのは今でも許せないが、それはあくまでも誘拐犯に対する怒りだ。それを未然に防ぐ責任が公国にあるとは考えていない。それよりも、クリステラ村に多数の精鋭を派遣してくれたことへ感謝する気持ちの方が強かった。


 しかし、エリザベートがわざわざリリに謝罪するという事実一つを取っても、大公家がリリと神獣の扱いに相当神経を尖らせているのが分かる。それが申し訳ないような、少し煩わしいような気がするリリだった。


「そう言っていただけると助かります。今回の主犯と目されているゴルドバ・ビーストテランは、今の所こちらの取り調べに協力的です。逐次、リリさんにも調査の結果をご報告させていただきますね」

「えーと、それは私が知っても問題ないんでしょうか?」

「はい。リリさんには何も隠す必要がありませんから」


 にっこりと笑ってそう言い放つエリザベート。いや、私、国家機密とか知りたくないですよ?


「それで、あの……神獣様にご挨拶してもよろしくて?」


 乙女のようにモジモジしながら、エリザベートが遠慮がちに口にした。今日はアルゴも一緒に大公邸に来ているのだ。


『アルゴ、エリザベート様がアルゴに挨拶したいって。いいかな?』

『構わんぞ』

「エリザベート様、どうぞ」


 リリがそう声をかけると、エリザベートはおずおずとアルゴの前に進み出て、その前に膝を突いた。


「神獣フェンリル様、お初にお目にかかります。現大公家が長女、エリザベート・バスタルド・スナイデルでございます」

『うむ、承った。我が主をよろしく頼む』

「えー、私のことをよろしく頼む、だそうです」

「この命に代えましても」


 重い、重すぎますよ、エリザベート様……。


 用事が終わったのでリリとアルゴは大公邸を辞去する。来る時も迎えにきてくれた大公家の馬車が玄関の前で待機しており、リリは再び恐縮しながら乗り込んだ。アルゴは気配を消してその後ろを付いて行く。ダルトン商会の辺りで降ろしてもらい、そこから歩いて自宅に戻った。





「う~ん……アルゴおはよう……あれ、アルゴ?」


 翌朝リリが目を覚ますと、いつも同じ部屋にいるアルゴの姿がない。八歳でアルゴと出会ってから、目覚めた時にアルゴが傍にいなかったのは、カノン・ウィザーノットに変装してクズーリ・ギャルガンの捕縛に向かった時くらい。演習などで泊まりになってもアルゴは気配を消して近くにいてくれた。リリは急に不安になり、ベッドから飛び起きて階下に駆け降りる。


「あら、リリ。おはよう」

「お母さん、アルゴがいない!」

「アルゴならお庭にいると思うわよ?」

「へ?」


 リリはパジャマのままで庭に走って行く。果たしてそこには、いつもと変わらない姿のアルゴがいた。


『アルゴ!』


 リリはアルゴに抱き着いて、そのふわふわした毛に顔を埋めた。安堵のせいで目に涙が滲む。


『リリ、ど、どうしたのだ!?』

『アルゴが……いなくなっちゃったかと思ったの』

『そう、か……それはすまないことをした。こやつに用事があってな』

『こやつ?』


 アルゴ成分を補充して落ち着きを取り戻したリリは、そこで初めて第三者の視線を感じた。視線の主を探して見上げると、庭木に鷹に似た鳥が止まっていた。濡れ羽色の羽毛で胸の部分が白い。湾曲した嘴と足は黄色。金色の瞳がリリをじぃっと見ていた。


『あ、邪魔してごめんなさい』

『フェンリルよ。それが人間の主か』

『その通りだ、カラドリウス。どうだ、可愛らしかろう』


 本人の前で「可愛らしかろう」はやめて欲しい。カラドリウスと呼ばれた鳥は、リリを見て小首を傾げた。念話を使ってるってことは、また神獣かな? 鳥だから神鳥か。


『ふむ。人間にしては、まあまあだな』

『お前、我に喧嘩を売っておるのか?』

『やめて。私が一番恥ずかしいから』


 本人の前で、可愛い・可愛くないで喧嘩しないで欲しい。恥ずかしいし、神獣同士が喧嘩したら大惨事だよ。


『それで、えーとカラドリウスさん? に用事って何だったの?』

『うむ。こやつに国境辺りの監視を頼んでいたところだ』

『国境……リングガルドとの?』

『そうだ。帝国が攻めてくるとしたら南からであろう』

『攻めてくるの?』

『今の段階では何とも言えん。だが、侯爵の弟とやらがこの国に捕らわれたことは、戦の口実になり得るからな』


 戦争には大義名分が必要だ。自国の正当性が明らかでなければ、戦争に参加する騎士や兵士、それらを供出する貴族から反発が生まれる。侯爵の弟であるゴルドバ・ビーストテランが理由もなく公国に捕らわれれば、確かに大義名分にはなるかも知れない。もちろん捕らわれた理由はあるのだが、平然と誘拐を企図するような者が、自分の不利になることを声高に宣言はしないだろう。


『戦争……嫌だな』

『うむ。愚かであるな』

『それで、カラドリウスさんは協力してくれるの?』


 リリは凛とした姿で枝に止まるカラドリウスを仰ぎ見る。


『協力するのはやぶさかではない。その代わり、頼みがある』


 ゴクリ、とリリは唾を飲み込んだ。神鳥の頼みって、とんでもなく大変なことなんじゃない?


『俺に名前を付けてくれ』

「はい?」

『名前だ。フェンリルとサラマンドラだけズルいだろ? 俺だって愛し子に名前で呼ばれたいぞ!』

『そ、そうなんだ』


 黒いからノアールでいいかな? 短くノアにする?


『それじゃあ、「ノア」はどう?』


 カラドリウスは感情の伺えない金色の目で、リリをじぃっと見つめる。ちょっと怖い。


『ノア……ノア! ああ、気に入った! たった今から俺の名はノアだ!』


 黒い翼をバサバサさせながら、カラドリウス改めノアがゆっくりと枝から降りてくる。近くで見ると、思ったより小さい。翼を広げると一メートル近いが、体は三十センチもなさそうだ。リリの目の前でいつまでも滞空しているので、何となく左腕を前に出す。するとノアはそこに止まった。


 鷹匠は腕を保護するために肘まである革手袋をつけてたよなぁ……。怪我するかも、と一瞬身構えたが全く痛くない。それどころか重みもほとんど感じない。それなのに圧倒的な存在感がある。


『リリと呼んでいいか?』

『うん、いいよ。ノア、凄く軽いんだね』

『風魔法で浮いてるからな!』


 さっきまでツンツンしてたのに急に懐いたな。


『それでカラ――ノアよ。監視は頼めるか?』

『おう、任せておけ!』


 リリはいったん庭木の枝にノアを移し、家に入って砕いたクッキーと細切れの生肉を小皿に入れて持ってきた。餌付けである。


『ノア、クッキーかお肉食べる?』

『おお!? どっちも食べる!』


 リリが地面に小皿を置くと、ノアも地面に降りて肉を啄み始めた。ぺろりと平らげてクッキーも嬉しそうに食べる。リリは腰を下ろしてその様子を微笑ましく眺め、頭の後ろから背中辺りをそっと撫でる。嫌がるどころか、ノアは気持ちよさそうに目を細めた。


『ノア、いつでも遊びに来てね?』

『いいのか?』

『もちろん!』


 あ、ちょっと待てよ?


『ねぇアルゴ』

『うん?』

『ノアも神獣――神鳥なの?』

『うむ。こやつは風と影を司る神獣だ』


 やっぱり神獣か。アルゴ、ラルカン、ノアと三体もの神獣が公国にいることになるけど問題ないのかな? リリはその疑問をアルゴに投げかけた。


『…………まぁ、大丈夫だろう、たぶん』


 なにそれめっちゃ怖いんですけど! 大公家が知ったら心労が酷くならない?


『……うん、黙っておこう』

『それが良いと思うぞ』


 ノアのことは、少なくとも聞かれるまでは黙っておくことに決めた。それからしばらく庭で戯れた後、ノアは張り切って監視に飛び立っていった。





「リリ、ミルケ。話がある」


 その日の夜、夕食後にジェイクが改まった調子で口を開いた。ジェイクの隣にはミリー。リリとミルケはその向かいに並んで座っている。普段と変わらない、いつもの光景だ。だがジェイクの真剣な口調に、リリとミルケは思わず背筋を伸ばした。


「実は……ミリーと結婚することに決めた」


 その言葉に、ミリーは頬を赤らめて俯く。ミルケは目をキラキラさせ、リリは内心で「やっとか」と安堵の吐息をついた。


「お母さん、おめでとう! ジェイクおじちゃん、お母さんをお願いします」

「おめでとー!」


 リリの後ろで床に寝そべっていたアルゴは、耳だけをピクピクと動かしていたがそれほど興味もないのか目を閉じたままだ。


 リリとミルケから祝福の言葉を掛けられたミリーは躊躇いがちに口を開いた。


「二人とも、ありがとう。あのね、これは忘れないで欲しいんだけど、ダドリー――あなたたちのお父さんのことは今でも愛しているの。だけど、ジェイクのことも同じくらい愛しているのよ」


 ミリーから「愛している」と言われ、ジェイクが息を吞んでそっぽを向いた。どうやら照れているらしい。


 リリは母の言葉を聞いて酷く嬉しかった。父――ダドリーは忘れ去られたわけではない。母の胸の内でちゃんと生き続けている。

 リリは思うのだ。肉体が無くなった時にその人が死ぬのではない。人々の記憶から消えてしまった時、真にその人が死ぬのだと。だから自分が生きているうちは父のことを絶対に忘れない。忘れないということが、父がこの世に生きた証であるような気がしていた。


「うん。私も、お父さんのことは今でも大好きだし、忘れることはない。でも、ジェイク()()()()のことも、同じくらい大好きだよ」


 リリの言葉を聞いたジェイクは「うぐっ」と唸って両目を手で覆った。


「おとうさんって呼んでいいの?」


 ミルケの純粋な問いかけに、とうとうジェイクの涙腺が決壊する。目を覆った左手の隙間から涙が流れた。ミリーもそんな様子を見て口を押さえて嗚咽を堪えていた。


「ミルケ、お父さんって呼んでくれるか?」

「うん、おとうさん!」


 ダドリーが亡くなったのはミルケが一歳の時。彼に父親の記憶はない。リリの描いた絵と、母や姉から聞かせてもらった話でしか父を知らないのだ。彼が今まで「お父さん」と呼べる相手はいなかったが、一番近い存在がジェイクだった。だから、ミルケはジェイクをお父さんと呼べるのが心から嬉しいのだ。


 ジェイクは椅子から立ち上がり、座ったままのミルケを抱きしめた。しばらくして顔を上げたジェイクは、赤くなった目でリリを見る。


「ハグしていいか?」

「えぇ? い、いいけど」


 リリも立ち上がり、ジェイクの抱擁を受け入れた。あと少しで十四歳なのに、父親と抱き合うのって普通かな? ああ、日本では見ないけど外国なら割と普通か。じゃあ異世界でもおかしくはないのかも。


「ありがとな、リリ」


 ジェイクがリリにだけ聞こえる声でそっと囁いた。


「ううん。こっちこそ、ありがとう。お父さん」


 リリも、ジェイクに合わせて小声で伝える。


 ジェイク、三十四歳。ミリー、三十三歳。二人ともまだまだ若い。人生だって、これからの方がきっと長く続く。ジェイクは、最初は義務感からリリたちの傍にいた。ダドリーの家族を、自分を守って死んだダドリーの家族を、彼に代わって自分が守らなければならないという義務感。使命感と言ってもいい。だが、六年近く家族同然に過ごし、そこに確かな絆が生まれた。結果的にミリー、そしてリリやミルケと本当の家族になることを決意した。


 リリも、ジェイクでなければ簡単に受け入れることは出来なかっただろう。母が選んだ人であっても、壁を作ってしまったと思う。ずっと自分たち家族を見守ってくれて来たジェイクだからこそ、自然に受け入れたのだ。


「お母さん、幸せになってね」

「うん。あなたもミルケも、一緒に幸せになるのよ?」

「そうだね」


 もう既に幸せだよ、とは言わなかった。母はきっと、これからもっと幸せになるという意味で言ったと思うからだ。


 湿っぽくなったが、ジェイクとミリーも落ち着きを取り戻して和やかな雰囲気となった。二人が結婚しても、これまでと生活が大きく変化するわけではない。むしろ呼び方以外はほとんど変わらない。それでも、四人の絆がこれまでより強くなったように、リリは感じるのだった。





 自室に戻ったリリは、月明かりが差し込む窓辺でダドリーの遺品を撫でていた。父の声や匂いは記憶から薄れている。それでも、優しかった眼差しや温かい手の温もりは今でも鮮明に憶えていた。父のことを忘れないよう、たくさんの絵も描いてきた。


 母がジェイクと結婚することは、父なら絶対に反対しないだろう。むしろジェイクなら安心して任せられると言って祝福してくれるに違いない。


 二人の結婚が嬉しいのは本心だ。でも、心のどこかで寂しい気持ちもある。まるで父を蔑ろにしているような、僅かな後ろめたさもあった。しかし、二人が結婚することをリリは以前から望んでいた。それは母に幸せになって欲しかったからだ。


 お父さん。ジェイクおじちゃんとお母さんが結婚するよ。嬉しいのに、少しだけ悲しいの。なんでかな?


 リリの問いに答える者はいない。


 ジェイクおじちゃんを、これから「お父さん」って呼ぶよ。だからってダドリーお父さんを忘れるわけじゃないから。これからもずっと忘れないから。だから許してね?


 リリの頬を一粒の涙が伝わる。それは月明かりを反射して銀色に煌めいていた。


 十四年に満たない人生で、今日が一つの区切りに思えた。ダドリーをお父さんと呼んでいた今までと、ジェイクをお父さんと呼ぶこれから。ダドリーはきっとそれを喜んでいるだろう。大切な家族が死者に捉われて歩みを止めるのは彼の本意ではない。


 腰に押し付けられる温もりに気付いて、リリはそっと寄り添ってくれたアルゴを撫でる。その温もりは、かつての父の手のようだった。

ブックマークして下さった読者様、本当にありがとうございます!

このお話はあと2章で終わる予定です。まだ第7章の途中までしか書けていませんが、頑張って書きます!

明日から第7章を投稿します。引き続きよろしくお願いいたします。

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