108 祝福の儀
名もなき迷宮でワイバーンと遭遇してから四日ほど経った頃、リリたちは特務隊のラムリーから通信魔道具――通信板を渡された。国から貸与された訳だが、そのおかげで連絡を取り合うのが非常に楽になった。
特務隊の任務についてはラムリーから一斉にメッセージが入り、特務隊か騎士団の馬車がそれぞれを迎えに行き、その後合流して任務に当たる。
瘴魔の討伐はそれほど頻繁ではない。瘴魔祓い士協会との兼ね合いもあり、特務隊が請け負うのは十体以上の群れ、または瘴魔鬼が含まれるものに限る。そのような討伐任務は一週間に一度あるかないかという頻度だ。
では、任務以外の時間は何をしているかと言うと、基本的に「待機」という名の自由時間だ。招集に応じることさえ出来れば何をしていても良い。
オルデン小隊――リリたち三人のパーティは便宜上そう呼ばれることになった――は、週に二度ほど街の外で自主的に訓練を行っている。たまにラーラとアネッサがそこに混ざっているのは、雷魔法を習得するためだ。イメージはかなり上手く出来ているはずだが、リリ以外はまだ誰も習得に至っていない。どうやら消費魔力量が半端ないようで、現在は魔力量を抑えて使えないか模索中である。
訓練というとストイックな印象だが、リリたちは訓練を午前中で切り上げ、その後お洒落な店でランチやカフェを楽しむというスケジュールになっている。女子力向上、大事。
「行きますわよ! 浄罪!」
左後方のアリシアーナが自らを中心に直径百メートルの浄化魔法を発動。その範囲にいた瘴魔が瞬く間に塵となって消える。
「こっちは任せろ! 獄炎!」
リリの右後方に立つシャリーが、右側面に固まっていた瘴魔四体に獄炎を放つ。今日はファンデル南の街道沿いに出没した瘴魔の討伐に来た。瘴魔十五体、瘴魔鬼が一体である。
「雷撃針!」
リリは正三角形の頂点に立ち、全方位を警戒しながら遠方の敵に雷針の雨を浴びせる。
「鬼が来るよ!」
「紅炎! っ、避けたぞ!?」
「任せて! 雷撃針!」
数十の雷撃針はブレットと遜色ない速度で飛び、面による攻撃を可能とした。瘴魔鬼は避けようとするが攻撃範囲から逃れられず、真っ黒な塵になって消滅した。
「全方位敵影なし! 任務完了!」
「「おつかれさまでした!」」
アリシアーナの浄化魔法で近くの瘴魔を殲滅しつつ、結界のように使用。浄化魔法の範囲から漏れた瘴魔はシャリーの炎魔法で倒す。リリは索敵マップを駆使して敵の動きを把握、遠方および素早い敵をブレットや雷魔法で倒す。これがオルデン隊として確立した基本的な戦い方だ。任務を何度かこなし、それぞれの能力を把握し、安全と効率を重視した結果である。この戦い方に固執するつもりはなく、適宜アップデートする予定だ。
常にリリの傍にいるアルゴはスーパーバイザーのような役割。余程の強敵でなければ手出しするつもりもないようだ。ただ、アルゴがいてくれると目的地までの道中魔物に襲われないので非常に助かっている。
「「「「お見事でした!」」」」
同行の騎士四人が言葉を揃えて出迎えてくれる。
「おつかれさまっす! 相変わらず安定の戦いっぷりっすね!」
騎士と一緒に見守ってくれていたラムリーからも労いの言葉を掛けられた。オルデン隊が発足して二か月。これまで七度の瘴魔討伐任務に就き、当然ながら損耗率ゼロ。三人が倒した瘴魔は百十三体、瘴魔鬼九体。毎月の給金以外に受け取れる討伐報酬は、誰が倒したかに関わらず三人で均等に分けている。
瘴魔は一体につき三千スニード。瘴魔鬼は一体五万スニードの討伐報酬だ。オルデン隊はふた月で七十八万九千スニードの討伐報酬を得たことになる。一人あたま二十六万三千スニード(二千六百三十万円)だ。このペースだと、年間一人百万スニード(一億円)を超える報酬になりそうである。侯爵令嬢のアリシアーナは平然とし、元々大きなお金が怖いリリは現実から目を背けているが、シャリーは大喜びして更にやる気を漲らせていた。
シャリーとアリシアーナはまだ五級祓い士だが、半年に一回の査定で四か月後には確実に四級に上がるだろう。一年で三級昇格も十分視野に入っている。
空を飛べる瘴魔王を倒して以来、王とは遭遇していない。王には決まった討伐報酬が設定されていないが、最低でも百万スニードらしい。
「さて、帰ろうか」
「ああ!」
「はい!」
「わふっ!」
今日も無事討伐報酬を稼いだ三人は馬車に乗り込み、ラムリーも巻き込みつつ年相応の女の子らしくお喋りに興じながらファンデルに帰るのだった。
リリの通信板には、コンラッドの連絡先が登録されている。正確に言うとコンラッドではなくマルベリーアンだが。コンラッドは現在二級祓い士で、まだ通信板を貸与されていないのだ。マルベリーアンは特級なので当然持たされているが、管理されているようで自分で持つのが嫌らしい。それで常にコンラッドが持っている。これ幸いと、リリはコンラッドと私的な連絡を取り合っていた。
今もベッドでうつ伏せになりながら、リリはコンラッドとやり取りしていた。
「ウフフ!」
『ご機嫌だな』
『コンラッドさんが、次の休みに食事に行こうって!』
『それは良かったな』
『うん!』
実は初デート以来、何度か約束はしたのだが、お互いのスケジュールが合わず全てお流れとなっている。次の約束もまた流れてしまうかも知れないが、その時はその時。誘ってもらえること自体が嬉しいのだ。
「リリー? マリエルちゃんが来たわよー!」
「はーい!」
夕食後のこの時間にマリエルが来るのは決して珍しいことではない。家は二軒隣だし、お互い忙しいから逆にこの時間の方が落ち着いて話が出来るのだ。
美容治癒についても、リリは可能な限り時間を作っている。現在は月に二~三件の依頼をこなしている最中。ただ、今入っている予約をこなすのに、このペースでは二年以上かかりそうだ。
「リリ、お邪魔すんで」
「マリエル、いらっしゃい」
マリエルは二人分の果実水とクッキーを入れた小皿を載せたトレイを持ってリリの部屋に入ってきた。勝手知ったる何とやら、である。マリエルに言わせると、ミリーの手を煩わせるのが申し訳ないらしい。
「来月の予定やねんけど、ちょっと変更が入ってん」
「うん」
相手は貴族のご婦人なので予定の変更はよくある話だ。
「月末くらいにエリザベート・バスタルド様を割り込ませたんや」
そう言って、マリエルはニヤリと悪い笑みを見せる。バスタルド? どっかで聞いたことあるような気が……。
「現大公、カルキュリア・バスタルド・スナイデル様の長女や!」
「現大公……って大公様!?」
大公ってこの国で一番偉い人だよね? その人の娘? え、大丈夫なの?
「メイルラード侯爵夫人からのご紹介や。これは気合入れなあかんでぇ!」
「う、うん、がんばろう!」
気合を入れると言っても、やることはいつもと同じだ。魔力を強めに、とかする必要はない。これまで十七人の貴族夫人に美容治癒を施して、リリも貴族に会うのは少しだけ慣れた。要は失礼のないよう心掛ければ良いのだ。相手もこちらが平民だと分かっているから、貴族のような所作や話し方は求めていないのが分かったのである。
「エリザベート様が見違えたら、他の公爵家もやりたいって言い出すやろな……フフフ、ウチらの時代がそこまで来てるでぇ!!」
時代のことはよく分からないが、マリエルが大層喜んでいるのでリリも嬉しくなる。
来月末ってことは祝福の儀の後かぁ。もし天恵がみんなの言う通り「ウジャトの目」だったとしても、それで何かが変わるようなことないよね……?
胸に一抹の不安を抱きながらも、その後は眠くなるまでマリエルと女子トークに興じたのだった。
よく晴れた初夏の朝。今日はリリが祝福の儀を受ける日だ。
リリの誕生日は秋だが、祝福の儀はその年に十四歳を迎える者が受ける。リリの場合はたまたま誕生日より前になっただけ。それは普通のことなので誰も疑問には思っていない。「ウジャトの目」を持っている可能性があるから、出来るだけ早くそれを確認したいという国の思惑が働いているなど、誰一人考えもしなかった。
今日は主役のリリは当然として、ミリー、ミルケ、ジェイク、そしてアルゴと東区の神殿へ向かう。ダルトン家は用事があって来ることが出来なかった。その代わり、アルガン、ラーラ、アネッサ、クライブの四人が来てくれている。祝福の儀が終わったら家で記念のパーティーを行うので、アルガンたちの目当ては半分がそれだ。
生成り色の半袖ワンピースは袖と裾にフリルが施され、ウエストを幅広のベルトで締めている。足元は素足にサンダル。つばの広い帽子で日焼け対策もばっちり。
「リリちゃんも大人っぽくなったわよねぇ」
「うんうん。こーんなにちっちゃかったのに。月日の経つのが早いわ」
ラーラと出会ったのは十二歳になる前。アネッサは彼女が「金色の鷹」に加わってからなので一歳くらいからリリを知っている。
「……大人になったな」
いつも寡黙なクライブは既に涙ぐんでいた。クライブはミリーが妊娠する前からのパーティメンバーだから、生まれた時からリリを知っているのだ。それはジェイクとアルガンも同様である。
「ダドリーさんも、きっと喜んでるよね」
「そうだな。あいつが一番喜んでるさ」
ジェイクとアルガンは何となく空を仰いで呟いた。ダドリーが生きていたら大騒ぎだっただろう。泣いて手に負えなかったかも知れない。
リリも、今日と言う日を父と過ごしたかったと思う。ダドリーが亡くなって五年経つが、今でも父がすぐ傍にいるように感じる時がある。お父さんはきっと私のことをいつも見守ってくれている。それが嬉しい反面、父を縛り付けているようで胸が苦しい時もあった。
ミリーはミルケと手を繋ぎながら、ダドリーが亡くなった直後のことを思い出していた。危うく娘まで失うところだったあの日。ミリーは口に出さずとも、リリを心の底から愛している。瘴魔祓い士になったリリを誰よりも心配しているのがミリーだ。しかし娘のためにそれを態度に出さない。娘がやりたいことを思い切りやらせる、それが自分の務めだと信じているからだった。
それぞれが感慨に耽りながら歩いていると、程なく神殿に到着した。今日祝福の儀を受ける子供とその家族が既にたくさん訪れている。アルゴは邪魔にならないよう、入口から少し離れた場所に腰を落ち着けた。リリたち八人は揃って神殿の中に足を踏み入れる。
去年の秋、マリエルが祝福の儀を受けた時から中の様子は変わっていない。一番奥に子供サイズの女神像が鎮座し、色とりどりの花で飾られている。高い場所に設けられたステンドグラスを通した光が女神像に当たって幻想的な美しさを醸し出していた。
白い詰襟の神官服を着た男性が次々に子供の名前を読み上げ、呼ばれた子は右奥の扉を通って中に消えていく。これも去年見た通り。違うのは、今日はリリもあそこに入ることだ。
「リリアージュ・オルデンさん」
リリの名前が呼ばれた。
「行ってきます!」
内心の緊張を隠し、リリは七人に笑顔を向けてから扉に向かった。中に入ると右側は大きな窓ガラスが並び、左に扉が四つある。一番奥の扉が開けられ、老年に差し掛かった人の好さそうな神官が立っていた。そこに入れ、ということらしい。
「リリアージュ・オルデンさんですね? 私は神官のコルドールと申します。今日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いいたします」
小部屋に入ると、正面に小さな女神像が、その手前に八角柱の水晶が置かれていた。右側には半球型の水晶が置かれている。
「まずは八角柱に触れてください。女神ミュール様より天恵が授けられます」
リリは女神像に一礼してから水晶に手を触れた。その瞬間、目の前が真っ白になった。上も下も右も左も全て真っ白で平衡感覚がなくなっていく。そして気が付くと、目の前に金色の光を放つ球が浮かんでいた。
『リリアージュ・オルデン。リリちゃんと呼んでも?』
優しく柔らかな女性の声。
『はい』
『お話するのは二度目ね。どう、こちらの世界は?』
『あ、概ね順調です。ありがとうございます』
『それは良かった。あなたに謝らねばならないことがあります』
『謝ること、ですか?』
『ええ。脅威を打ち払う者を送る、と言いましたが、ちょっとした手違いで、あなたより前の時代に送ってしまいました』
『前……ってどのくらいですか?』
『ほんの千年ほど前、ですね』
千年は「ほんの」じゃないと思う。前から思ってたけど、この神様って結構うっかりさんじゃないだろうか?
『ん? 千年って、もしかしてメルディエール様のことですか?』
『この世界ではそのような名でしたね』
なんと!? 本来なら、私はメルディエール様と同じ時代に生きるはずだったのか!
『ま、まぁ、過ぎたことは仕方ないです』
『そう言ってくれると嬉しいです』
『あ、あの、女神様! 私、今幸せです。家族に愛されて、家族同然の人たちからも大切にされて、アルゴ……フェンリルがいて、サラマンドラがいて、友達がいて、みんなのことが大好きです。お父さんは死んじゃったけど、それ以外はとっても幸せなんです。本当にありがとうございます』
これは噓偽りのない気持ちだ。女神様に直接感謝を伝える機会なんて二度とないかも知れないから、今言っておかないと。
『まぁ! 愛し子たちを救ってくれたあなたは、既に私の愛し子です。思うままに生き、これからも幸せでいなさい』
球だから表情は分からないけど、喜んでくれている雰囲気が伝わってきた。
『あ、お願いというかご提案があります!』
『何でしょう?』
『ダンジョン――迷宮なんですが、もっとロマンが欲しいです!』
『ロマン……?』
リリは女神ミュールに説明した。迷宮の壁は光ると良い、魔物は倒したら素材と魔石を残して消えて欲しい、宝箱があれば尚良い。
『なるほど、そういうのも面白いですね』
『可能ならお願いします!』
『約束は出来ませんが検討してみましょう』
『ありがとうございます!』
『さて、あなたの能力は今を以て全て解放されました。今後もあなたが良いと思うことに力を振るいなさい。例えそれが国を滅ぼすようなことであっても、躊躇わずに』
『え……?』
『難しい選択を迫られたら、正しいことを選ぶのではなく心の赴くまま振る舞いなさい』
『わ、分かりました?』
次の瞬間、元の小部屋に戻っていた。
「おお、何ということだ……あなたの天恵は『ウジャトの目』。私が生きているうちにウジャトの目を授かる方にお会い出来るとは……」
初老の神官は、その場に膝を突いて涙を流しながらリリの手を両手で握っている。八角柱の水晶には青白い光の文字が浮かび上がり、「ウジャトの目」と記されていた。
「あ、あの、神官様? 魔法適性は……」
「おお、そうでした。こちらの水晶に手を置いてください」
リリは神官から手を引っ張られ、半球状の水晶に手を置いた。そこで判定されたのは炎と水。どうやら雷は判定で出ないようだ。この魔法適性についてはアルゴから聞いていた通り、あまり当てにしない方が良いのだろう。
その後、リリは別室に連れて行かれた。担当してくれた神官と、もう一人別の神官から天恵についての説明を受ける。
スナイデル公国では、天恵は自分が教えたい人にだけ知らせれば良い。ただし、勇者や賢者といった稀少な天恵は国へ報告する義務がある。「ウジャトの目」はその最たるもの。この神殿から国へ報告するが、悪意があってするわけではないのでどうか理解して欲しい。
それは事前に知っていたので、そうして下さい、と伝えると二人の神官は心からホッとした表情になり、次に目の前で跪かれて恭しく手を握られた。公国の祖と同じ天恵だから仕方ないと思ってひたすら我慢する。
「あの、そろそろ……家族が心配しますし」
「ああ、申し訳ございません!」
ようやく解放されたリリは家族たちの所へ戻った。
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ストックが10話を切りました!ヒリヒリするぅ!
出来るだけ更新が途切れないよう頑張ります!




