102 デートのはずだったのに!
『アルゴ、王がいるのかな?』
『うーむ、今のところ気配はない。しかし先日のように、瘴魔に紛れている可能性がないとは言えん』
リリの神聖浄化魔法なら、索敵マップに見えている赤い点、すなわち瘴魔と瘴魔鬼は殲滅出来るだろう。ただ、この前戦った瘴魔王のように、神聖浄化魔法に耐えられる「王」がいた場合は不味い事態になり兼ねない。いくら規格外の魔法を使えると言っても、同時に二つ以上の魔法は発動出来ない。そうなるとここにいる者たちを危険に晒すことになってしまう。
アルゴが「雷神殲怒」を放てば一発で解決するが、ここは首都ファンデルに近すぎる。雷がたくさん落ちたんです、という作り話が通用しなかったら、色々と問題が起きそうだ。
もしアルゴが国から危険視されるようなことがあったら……たくさんの人から怖れられるようなことになったら……。それは絶対に嫌だ、とリリは思う。だってこんなに優しくて頼りになるアルゴが、みんなから嫌われちゃうなんて考えただけで涙が出そうになる。
「リリ、僕たちもいる。大丈夫、僕たちだって戦える」
「そ、そうよ! 魔力は残り少ないけど」
コンラッドとウルに言われて気付いた。リリ一人の力で解決する必要はないのだ。
「こっちに来た瘴魔はお二人に任せます。私は鬼と、もしいたら王を倒します」
「分かった! 雑魚は任せてくれ!」
「やってやるわ! 魔力少ないけど!」
コンラッドが力強く、ウルは心許ない感じで答えてくれた。
『アルゴ!』
『うむ! 正面突破して奥へ行くぞ』
リリを背に乗せたアルゴが瘴魔の群れに向かって飛び出した。リリは上体を起こした姿勢でブレットを撃ちまくる。闇雲に放つのではなく、一発で一体の瘴魔を塵に帰していく。アルゴは前方に無数の風刃を放ち、木々と一緒に瘴魔を薙ぎ倒す。
正面を切り崩された瘴魔の群れは左右に分かれた。左にはコンラッドが立ち塞がる。長剣に炎を纏わせて縦横無尽に剣を振るう。
リリのこれまでの経験から、瘴魔の弱点である白い球がある場所はある程度決まっていると聞いた。頭部・喉・心臓・鳩尾・腹部の順で確率が高い。四肢の末端にあったことはこれまでなく、低い確率で太腿や肩にある。
それが分かっていれば、確率の高い所から順に斬っていけばいい。上手くいけば一撃、運が悪くても十連撃も食らわせば倒せる。力は要らない。ただ手数を増やせばいいのだ。コンラッドは目にも止まらぬ速さで剣を振り続ける。
右にはウルが控えていた。リリ達が到着するまでの間、一人で瘴魔を倒していた彼女は本当に魔力の残りが少ない。仕事をするのが嫌で言っていたわけではなかった。
それでも、リリとアルゴは最も瘴魔が多い正面に飛び込んでいったのだ。先輩であり、二級瘴魔祓い士である自分が逃げ出すという選択肢はなかった。
魔力の残りが少なければ、少ないなりの戦い方がある。ウルは出来るだけ瘴魔を引きつけ、近距離から獄炎を放つ。熱で髪の毛や眉が焦げ、じりじりと肌が焼けるが気にしない。獄炎で一度に十体近くの瘴魔を倒し、次の群れに備える。
リリはアルゴの背からブレットを放ちながら時折マップを見た。目立つ動きをしている赤い点はまだない。その時、左右前方から同時に迫る赤い点があった。
『鬼が二体いるぞ』
『分かった!』
アルゴが木々を縫うように疾走すると、瘴魔鬼の姿はすぐ目に入った。
「雷撃針!」
瘴魔鬼を倒すのに雷針は百本も要らない。白い球に当てることだけを考え、左右前方に三本ずつ放った。着弾と同時に目も眩む閃光が迸り、木々を巻き込んで爆発が起こった。瘴魔鬼は塵になる間もなく消滅していた。
「さ、三本もいらなかった……」
弱点に当たれば倒せるのだから、よく考えなくても一本で良かった。リリもそんな気はしていたのだが、初めて瘴魔に使うので保険を掛けたのだった。
『うむ、見事! 制御も問題なかったな』
褒めてくれたアルゴに礼を言い、もう一度マップをチェックする。
「あれ? もうこの辺にはいないねぇ……」
瘴魔が発生している中心と思しき場所を目指して来たのだが、何か見落としたのだろうか? 赤い点はいくつか残っているが、群れから逸れた瘴魔だろう。と、赤い点の一つがリリ達の方にゆっくり近づきながら大きくなるのが見えた。
『リリ、上だ!』
アルゴは瞬時にその場から離れた。直後に隕石が落ちて来たような衝撃で地面が抉れ、盛大に土埃が舞う。
『え……これも瘴魔、なの?』
『こいつは王だ』
光を吸い込むような黒。そのため細部は分からないが、シルエットはどう見ても人型ではない。巨大な四足獣に、その巨躯を遥かに上回る翼を付けた姿。空想上の天馬や竜とは似ても似つかない、まるでカバに蝙蝠の翼を付けたような歪な形をしていた。そして体中に散らばった数十の白い球。
『瘴魔王って……飛べるんだね』
瘴魔は全て人型をしているという固定観念のせいで、目の前の現実をうまく処理できない。瘴魔王って何でもありなの!? と頭の片隅でツッコミを入れた。
『来るぞ!』
翼の先端から、先日の瘴魔王のような棘触手が伸びる。そこが伸びるんだ! と思っている間にアルゴはそれを軽やかに躱した。前回ほどの速さはない。普通の弓で射られた矢くらいだ。前回は初めて瘴魔王と遭遇し、スピードがあまりにも速かったために色々と考える余裕がなかった。だが二回目で、前ほどのスピードがないなら――。
「ブレット!」
試しにブレットを撃ってみる。五発中三発は外皮で弾かれたが、二発は白い球を貫いた。ああ……予想はしてたけど、弱点を狙うならあの白い球を全部撃たないと駄目そうだね。
「浄化!」
こちらに突進してくる瘴魔王の前に金色の光が立ち上がる。すると突進を止めて大きく後退した。この瘴魔王には神聖浄化魔法が効くのか、少なくとも嫌がるようだ。
「雷撃針!」
リリは百本の雷針を放った。その瞬間、瘴魔王は空中へと飛び上がって避けようとするが、間に合わずに半分くらい被弾する。大きな爆発が起こり、森が真っ白い光で染まった。
くぅ、切実にサングラスが欲しい。これ、毎回目が眩むんだよね……威力が高いのは間違いないけど、周りが見えなくなるのはいただけない。靄の可視化、俯瞰視、マップの三つを駆使して瘴魔王の動きを探るが、着弾した場所から動いていない。ダメージで動けないとしても、まだそこに存在している。
『リリ、あの雷球を放つのが良いぞ?』
「分かった。雷球!」
アルゴのアドバイスに従い、リリは「雷球」を放つ。着弾する寸前にぎゅっと目を閉じる。直後に目を閉じていても分かるほどの白い閃光が溢れ返り、続いて轟音と衝撃が届く。目を閉じていても使える索敵マップを見ると、瘴魔王がいた場所の赤い点は消えていた。
そっと目を開けるが土埃で何も見えない。辺りに金属が焦げたような匂いが充満している。アルゴが風魔法で土埃を払うと、雷球の着弾地点から先が扇状に抉れていた。地面は深く穿たれ、木々がなくなって空が良く見える。
雷神殲怒よりは被害が少ない、かな……?
『うむ。王を倒したな』
『うん……アルゴがいなかったら潰されちゃってたけどね』
まさか瘴魔王が空から落ちてくるとは思ってなかったからね。
「アルゴ、二人の所に戻ろう!」
『承知した!』
僅かに残った瘴魔を撃ち倒しながら大急ぎで戻る。草原に戻るとコンラッドが最後の瘴魔を倒しているところだった。ウルは――。
「ウルさんっ!?」
草の上にウルが倒れている。アルゴの背から飛び降りて駆け寄るとコンラッドもこちらに走って来た。
「リリ、大丈夫か!?」
「私は大丈夫です。ウルさんは……」
「恐らく魔力枯渇だ。少し火傷もしているようだけど」
うつ伏せのウルを、コンラッドが抱えて仰向けにした。胸が上下しているのを見てホッとする。だが美しい赤髪が所々焦げて縮れ、顔や手に赤い水膨れが出来ていた。
「治療します。浄化……治癒」
優しい黄緑色の光がウルを包み、光の粒子が肌に吸い込まれて行く。見る見るうちに水膨れが消え、元の綺麗な肌に戻った。服も少し焦げ、穴が開いている部分がある。コンラッドが上着を脱いでウルに掛けた。
治癒で魔力枯渇まで治せるわけではない。自然回復に任せるしかない。
「騎士の方を呼んできます!」
「あ、僕が――」
「コンラッドさんは座ってて!」
コンラッドだって相当疲れているはずだ。こちらに流れて来た瘴魔は五十体以上いた。それを二人で倒したのだ。リリは街道まで走り、馬車の傍で待機していた騎士に声を掛けた。四人のうち二人がリリと一緒に戻り、二人がかりでウルを馬車に運び入れた。
元々四人乗りの馬車で、ウルを寝かせるとあと二人しか乗れない。御者台も一人用だ。ラムリーがいるので、馬車に乗れるのはあと一人だけ。
「コンラッドさん、馬車に乗ってください」
「いや、君が乗って帰るんだ。僕は歩いて行くから」
「ダメです! コンラッドさん疲れてるでしょ?」
「いや、それを言うならリリだって」
お互い相手が馬車に乗るべきと言って譲らない二人を見て、ラムリーは自分が歩いて帰ると言い出せなくなった。
『二人とも歩いて帰ればどうだ?』
『ハッ!? そ、そうだね。アルゴ、コンラッドさんを背中に乗せるのは構わない?』
『…………仕方ない』
ちょっと嫌そうだが了承してくれた。私はまだ全然元気だけど、コンラッドさんがしんどくなったらアルゴに乗ってもらおう。
「コンラッドさん、二人で歩きましょう」
「え? いや、だったらリリだけでも――」
「ほら、デートの続きです!」
リリは自分からコンラッドの腕に右腕を絡ませた。
「ラムリーさん、報告は帰ってからしますね?」
「了解しましたっす」
ラムリーは空気を読んで馬車を出発させた。騎乗した騎士たちもそれに続く。リリとコンラッドはゆっくりとファンデルの北門に向かって歩き出した。
「あ……歩きにくいです?」
「そそそそんなことないよ」
「フフ。あの、疲れたら言ってください。二人でアルゴに乗せてもらいましょう」
「ああ……アルゴはすごいね」
特に話すわけでもなく、寄り添ったまま二人は歩いた。気付けば陽が少し傾き、左側に影が伸びている。前を歩くアルゴの影もリリ達と同じ速さで動いている。リリとコンラッドの影は重なって一人に見えた。
「ねぇコンラッドさん?」
「なんだい?」
「さんざんな初デートでしたね」
「……本当にそうだね」
「でもステーキはとっても美味しかったです」
「うん」
絡めた右腕からコンラッドの温かい体温を感じる。触れているのは腕だけなのに、体全体がポカポカした。
「森の奥で物凄い音がしたけど」
「雷です」
「雷?」
「雷が落ちました」
「そ、そう、なんだ」
「はい」
コンラッドが空を仰ぎ見る。薄い青とオレンジが混ざった空には、薄い雲が棚引いていた。雷雲の気配は全くない。
リリは攻撃魔法の訓練をすると言っていた。そこで雷魔法を挙げていた。いくらリリでも、こんなに早く「失われた魔法」を習得することはないだろう。フェンリルであるアルゴが何かしたのだろうが、リリが雷というならそれでいい。
リリがコンラッドと初めて会ったのは十一歳の時。彼はその時十五歳だった。あれから二年半で、彼は随分と背が伸び、頼りない印象が薄れて大人っぽくなった。自分と同じ枯草色の髪、父と同じ濃い青の瞳。その目で見られると、父が見守ってくれていた時のような安心感を覚える。横顔にはまだ少年っぽさが残り、その笑顔は出会った頃と変わらず優しい。
この気持ちは恋なのだろうか? それとも、お父さんを重ねているだけなのだろうか?
それはリリにもまだはっきりと分からない。分からないままでもいい、と思った。今はただ、右腕から伝わる温もりが心地よい。
結局二人はアルゴに乗せてもらうことなく北門まで歩いたのだった。




