第五話 お腹ですか……? 僕のお腹が一体どうしたっていうんですか?
◆◇◆
会議が終わり、医務室に向かう。
指示を受けて中年位の歳の女医の先生と医療班の女性隊員が三人いて、軽く挨拶を済ませると、早速僕の診察が始まり説明を受ける。
「あ、あの、この診察って、診る時は下着も脱がなきゃダメなんですか……?」
「はい、そうして頂かないと判別が出来ないと言いますか、ザーコッシュ様の今の胸部の発育状態がどこまで進んでいらっしゃるのかを貴女本人にお伝え出来ないので」
自分の胸の状態がどうなっているのかを知る為に、まずは人に見せて触らせる必要があるらしい、すごく恥ずかしいけれど女の子の身体の事なんて僕は何も知らないのだから、医者に従うしかない。
「わ、わかりました……自分の事なのに今更嫌々言ってても仕方がありませんからね。よ、よろしくお願いします……」
服を脱ぎ、ブラも外す。上半身が裸になり視線を下に向けると、胸に付いた二つの膨らみはそこまで大きくは無いのだけれど、確かにその存在を僕に主張してくる。相変わらず自分の裸に戸惑っていたら、グレイスさん達が近づいてきておもむろに僕の腕や肩を触り始める。
「わぁ、ザーコッシュ様ほんとに女の子の身体になってるんですね、顔も赤くなってますしまだご自身も見慣れて無いのですか?」
「肌は白くて、背中や腕もすべすべですよ……これは身体が変化した際にグレイス様が処理なさったので?」
「それがね~、流石にお肌はより繊細になったようだけど、毛の方は桜ちゃん本人曰く女の子になる前からこうだったらしくてねぇ、最初はメアリーちゃんでムダ毛を生えにくくしようと思ってたんだけど、やる意味が無かったわ」
「ええ!? それはす、すごいですね……ケアが楽でいいなぁ……」
僕の身体を四人で囲って、女性隊員と付き添いに来たグレイスさん達のガールズトークが始まる。
僕以外全員成人しているので、この場合ガールという表現は適切なのかわからないのだけれど、それを言ってしまうと僕は何をされるのか怖いので、身体をペタペタ触られながら本題を尋ねる。
「あ、あのっ、皆さんっ……これが診察なんですか……? そんなに触られると、くっ、くすぐったいのですがっ……」
「ちょっと貴女達、いつまでもそうしていたら私が診察出来ないでしょ! ザーコッシュ様もそんな訳ありませんから、もう少し抵抗しても宜しいのですよ」
どうやら違ったらしい。で、ですよね……
先生に注意され、渋々僕から離れる彼女達。用意された椅子に座るよう指示され、僕はそこに座り診察が始まった。
まずは聴診器を当てられ、言われるままに息を吸ったり吐いたりを繰り返した。ひんやりとした感触に思わず声が出そうになったけれど、後ろで見ているグレイスさん達にからかわれそうだったので、何とか我慢してみたが、その後の触診で胸を直に触られた時には耐えきれず声が漏れてしまう。
「お胸を軽く触診されただけで、声が出ちゃうなんて毎回新鮮な反応しちゃって桜ちゃんってばほんと可愛いわねぇ。それで、どうかしら?」
「はい、確かにザーコッシュ様の胸部の膨らみは女性特有の物と断定出来ると思います。この後機械を使って身体の内部構造を調べますが、年齢相応の発育状態でしょう」
そ、そうなんですか。ただそれを言われても今の僕の頭ではいっぱいいっぱいなので、検査結果だけを頭の片隅に置いておく留めるだけにしておく。
自分で自分の胸を触るのにも躊躇うのに、診察とはいえ本格的に触られるとは。とりあえずこれで僕の身体は女の子だって証明されたと思うので、これ以上一人だけ裸でいるのもあれだから急いで脱いだ服を再び着る。
「あの、とりあえず結果の方はわかりました……服はもう脱ぐ必要は無いんですよね?」
「えぇ~? 何を言ってるの~? 桜ちゃんの身体でもう一か所調べておかなきゃいけない大事な部分があるわよ?」
シャツのボタンを留めながら訊ねると、もう一か所調べる必要がある、と言われる。大事な部分とは何だろう? と、思考が明後日の方向に行きかけるとグレイスさんが近づいてきて、いつもより優しい微笑みを浮かべて徐に僕のお腹の下辺りにそっと手を添えて来た。
「へ? お腹ですか……? 僕のお腹が一体どうしたっていうんですか?」
「どうしたも何も、今の桜ちゃんのお腹の中にはとっても大切にしなきゃいけない所があるからよ? 前に裸を一通り確認して、外側の何処がどうなっているのかはお姉さん全部知っちゃったけど、ここが今どうなっているのかは桜ちゃんも知っておく必要があるのよ?」
そう言ってグレイスさんはニコニコと微笑みながら、僕のお腹の下辺りを優しく撫でている。
どういう事なのかいまいちわからないでいると、先に女性隊員の方が居た堪れなくなったのか、医務室に置かれてある使い込まれた医学書を持って来ると、本を開いて目次を調べ、該当する項目があるページを捲ってから僕にそれを見せてくれた。
「ザーコッシュ様、つまり、その……貴女の身体で調べる必要がある場所と言うのは、ここなんです。よく知らないのは仕方が無いとは言え、余りにもここまで何もわかっていないご様子だと、かえってこっちが恥ずかしいですよ……」
女性隊員は気まずそうに僕から目を逸らしている。僕は彼女が教えようとしている事を確かめる為に本のページに目を向ける。
そこには男性と女性の下半身の断面図が描かれていた。男女の違いが細かく描かれていてそれぞれの性別ごとに何処に何を有しているのか理解出来る。
僕は視界に入るそれの内容を理解したと同時に、彼女が伝えたい事の意図と、グレイスさんが触っている僕の身体の部分に意識が向かう。
「え……? あっ! へぇえぁっ!?」
思わず変な声を上げてしまう。グレイスさんは僕の何処を触っているのか理解した途端、さっと手を放し嬉しそうに半歩下がる。
「ようやくわかってくれたようねぇ。普通年頃の男の子なんてどんなに格好つけててもムッツリスケベさんだから、異性の身体の事は教えなくても自分から反応してくれると思ってたんだけどね」
思ったような反応を僕が見せて来なかった為か、少し不満気な顔をしながらグレイスさんはそう語る。
「生真面目な桜ちゃんはここまでしないと自分の身体に結び付けてくれないから、お姉さん達からかいようが無くて大変だったのよ?」
「ひへぇえゃあぁ……」
調べたい場所の意味を理解し、思わず手で顔を押さえてしまい、僕の顔は途端に熱くなるのを手の先から感じる。
情けなく声を出す事しか出来なくなった僕に、さっきはペタペタ身体を触ってきた女性隊員達も何も言わずにただ優しく微笑んでくるだけになる。
この後、見かねたグレイスさんが僕を椅子に座らせて、数分掛けてようやく落ち着いた頃に、先生から声を掛けられて診察の続きが始まるのだった。
◆◇◆
僕の反応があんまりにもからかって欲しく無いものに受け取られたのか、流石にその後の診察では皆真面目に対応してくれた。
ただ、僕が下着を脱いだ途端に一際真剣な表情で見つめてくるのはとても恥ずかしかったし、実際の診察の内容はもっと恥ずかしかった。
医学書に描いてある通りの身体の構造であるかを確認する為に、まさかああいう事をしなくてはいけないとは……結果、僕は下半身も無事? 女の子でした。
一通り触診が済んだ後は、触診で検査出来ない部分を機械で調べて、血液検査も行った。
最初から機械で調べればと思ったけれど、僕に自覚を促す為に触診は必要な行為だったと先生含むその場にいた全員に念を押されてしまう。
「しかし、私達は診察に立ち会っただけですけど、ザーコッシュ様って色々凄いですね。お肌のツヤも素晴らしかったんですが、特に無駄な毛が一切無いとは……」
「な、なんですか……そんなに言ってくるなんて、貴女達もグレイスさんと同じで、僕のそういった事情が気になっていたんですか……? そう反応されても、生えてこない物は生えてこなかったんですからっ、僕だって知らないんですよぉ……」
診察中の出来事を思い出してしまい恥ずかしさのあまり、顔が熱くなってしまう。そんなに僕の身体が珍しいのだろうか、あんなに真剣な表情をされてしまうと誰でも耐えられないと思う。
「ちょっ!? そ、そんな表情しないで下さいよ! まるで私達が悪者みたいじゃないですか!」
「僕達悪の組織の一員なんだから、僕含め最初から全員悪者ですよ……何を言ってるんですかぁ……」
僕がこんな事になっているのは、そもそも悪の組織として潜入任務を行う為の大事な下準備なのだから、誰も何も間違った事はしていない。
ただ、僕一人がとっても恥ずかしがっているだけで、寧ろ責められるべきは四天王としてもっとしっかりしないといけない僕の方である。
頭ではわかっているつもりでも、心が追い付いてこないだけなんだ。女性隊員達が反省しているような表情で僕を見つめてきて、こちらも申し訳無く思っていると。ふいに僕の頭にポンと手を置かれグレイスさんにそのまま頭を撫でられる。
「よしよし、ごめんなさいね桜ちゃん。この子がこんなに反応しちゃってるのは元は私のせいだから、貴女達は悪くないのよ」
僕は頭を撫でられ宥められ、無暗に人に言いふらしたりしない事を約束させて、この場は何とか落ち着けた。ただ、僕の髪は珍しい色だからこの手の話はずっと起こるのだと自分に言い聞かせ、僕が強くなるしかないと決意する。がんばれ僕。
自分で自分を勇気付けていると、お腹が空いてきた。医務室に備え付けられた時計を見るとお昼を少し過ぎた時間になっている。
僕がご飯を食べに行くと提案すると、検査結果を提出する必要がある先生を除く全員が付いてくる事になった。
食堂に行く間、頬や髪を触られたり化粧やファッションのあれこれを指導され、色々教わると同時に先程の気まずい雰囲気も解消出来て、後腐れ無くお昼の時間を過ごせた。
その後は部屋に戻り渡された書類にサインをしたり、夕方にグレイスさんが僕が着る用の服を持ってきてどれが似合うか話し合い、そのまま晩の入浴時にあれこれあったりと、一日が終わり引っ越しの日までの間、必要最低限の身嗜みや覚えておかないといけない知識等を叩きこまれたのであった。
◆◇◆
日は進み、今日は引っ越し当日。
場所はS&Rグループと呼ばれる企業が経営している若者向けのマンションの一室になる。
S&Rグループとは、シャドウレコードが表向きに運営している総合企業であり、特に衣住食の方面に力を入れて事業を手掛けていて、老若男女種族問わず大衆人気も結構あると聞いている。
ここの代表は勿論レオ様で、本社で働く社員も全員シャドウレコードの隊員になり、今日の引っ越しを行う業者にも扮して引っ越しトラックとワゴン車に乗っていた。
今日もグレイスさんは付き添いに来ている。女の子になってから事あるごとに僕を優先して面倒を見てくれている。このひと月の間に僕に構ってばかりいて、グレイスさん自身の仕事は大丈夫なのかと一度訪ねたら、しばらくは僕に知識を叩きこむのが仕事だと胸を張って言っていた。
そんな彼女は、人前に出ると目立ってしまうから今日は変装していて、髪を黒く変化させ眼鏡を掛けて服装も露出が控えめになっている。ここまで来るのに車まで用意してくれて、僕を乗せてマンションまで送って貰っている。
「今日でお引っ越ししちゃうのよねぇ。桜ちゃんと基地で会えなくなると思うと、寂しくなるわね」
「あはは、寂しくなるのは僕も同じですよ。でも、定期的に報告で通信しますから顔は見れますよ」
「うーん、そういう事じゃないんだけどねぇ。あら、会話してたら目的地に着いちゃったわね」
目的地のマンションに到着して、グレイスさんにお礼を言い車から降りる。
車を駐車場に停める為に僕が先に車から降りて、隊員達が停めてある引っ越しトラックに近付き状況を見る。
トラックは少し早く到着しており、今から積み荷を運ぶ作業が始まろうとしていた。僕は今日一日肉体労働をしてくれる彼等の側まで行き挨拶をする。
「おはようございます皆さん。今日は僕達の引っ越し準備の為に来て下さって、ありがとうございます。積み荷の持ち運びは大変だと思いますが、一日宜しくお願いしますね」
「さ、桜様!? おはようございますっ! いやあ、これ位の量ならあっという間に終わってしまいますよ! 荷運びは俺達に任せてのんびりしてて下さいよ!」
そう言って作業着を着た屈強な男達が数人、僕の前に並び立つ。
業者に扮したシャドウレコードの戦闘部隊に所属している隊員達が、僕に挨拶と共に敬礼をしてくる。全員逞しい身体つきをしており、服の上からでも鍛え上げられた肉体を主張していて、こういう身体に憧れがあった僕には何だか羨ましく思える。
彼等は背筋をピンと伸ばし、僕が何か特別な事を言った訳でも無いのにやたらと張り切っている。
今日もこうして彼らが張り切っているのは、少しでも逞しい活躍を見せ僕に気に入られようとしているのだと思うと、途端に微笑ましく感じて、つい顔にもそれが出てくる。
「本当ですか? 皆さんの負担にならないように荷物を減らそうと考えたりもしましたけれど、大丈夫なんですね」
「ハハハッ! 任せてくださいよ桜様! これ位楽勝ですよ。軽すぎて後十人分は行けますって! なあ、お前ら!」
『おうよっ!』『うっす!』と彼らは威勢よく掛け声を出す。
荷物がいっぱいあって大変だなぁ、と僕は思っていたのだけれど彼等曰く本当に少ないようだ。
「そもそも僕自身余り物を持っていないらしくて、もっと物を持った方が良いってグレイスさんに言われてあれこれ詰め込まれていたのですが、それでもあっという間に終わってしまうというのならとても頼もしい限りです」
彼等が張り切っているのは別に今日に限った事では無い。
これは時間を少し遡って、グレイスさんに服を用意して貰った日の後に、全体朝礼にその服を着て行った僕の姿を見た時から、明らかに組織全体の様子がおかしくなり始めた。
用意された服は普通の洋服だったし、直に着てみて鏡で確認して何度もおかしな所は無いって調べたのだけれど、あの日は本当に大変な事になってしまった。
僕の部隊の隊員は、朝礼の後に挨拶に出向くと僕を見て何故か泣いている人もいたし、他の部隊から僕の部隊へ転属願を出す隊員が急増して騒ぎになったり、女性隊員の距離感が全体的に近くなったような気がしたりもする。極めつけは僕の呼び名がザーコッシュから桜様に統一されてしまった事だ。
僕のせいで迷惑事が増えて、取り巻く環境の変化に何だか怖くなってレオ様達他四天王に相談してみたが、お前はそのままのお前で良いと一同から笑顔で総意を受け取ってしまう。
そのまま少し日が経ち、隊員達の僕に対しての意識は変わったが、何か害しようという気は無いという事はわかったので、変化に戸惑いつつも次第に慣れるようになる。
ただ、逞しい身体には憧れてはいるけれど、こう複数人でグイグイと迫られるのはまだ慣れない。彼らの迫力に圧されていると、不意に声が掛けられる。
「貴方達随分と元気が良いですね。桜様の荷物を運び終わったら、次は私の荷物が残っている事をお忘れではないですよね?」
「あっ、メイさん! おはようございます」
僕達に声を掛けてきた、黒い髪を肩の辺りで切りそろえた家政婦の様な格好をした女性。
彼女は僕の部下で、名前は紫奧 メイさんという。身長は僕より少し高く、まだ二十歳で僕とそんなに歳が離れていないのに、キリっとした黒目や落ち着いた佇まいが大人びた印象を与える。
メイさんは僕と隊員達の間に割って入るように立ち、彼等をじっと見つめる。そんな彼女に威圧されたのか、隊員達はうっと小さく唸り一歩後ずさる。
「こうして桜様にお声掛けする程に余裕がおありでしたら、わざわざ私が私の荷物を持ち運びする必要はありませんね。桜様のお世話は私の仕事なので、貴方達はご自分の作業にお戻り下さい」
そう言ってメイさんはニコリと微笑む。たじろいだ隊員達はそそくさと荷物運びの作業に戻る。
彼等が退散すると、メイさんはふう、と一息吐いて僕に振り向く。
「おはようございます、桜様。先程は大丈夫でしたか? 誰にでも対等に接しようとするそのお姿は素敵ですが、次からは私に一声お声掛けして頂けますと安心かと」
「うっ、うん、そうだね。姿はそんなに変わって無い筈なのに、女の子の格好をしだしてから隊員達の距離感が急に変わっちゃって、未だに測り間違えちゃうしメイさんも迷惑だよね……」
本当、なんでなんだろうね。素顔も中身も今まで通りの僕なのに、急に何もかも変わっちゃって。
どっちも仮面を着けていた頃は、尋ねれば対応はしてくれていたが僕の部隊以外の隊員は必要以上に絡んでは来なかった筈なのに。
ただ、女性隊員の方は、僕にあれこれ教えたくてうずうずしている感じだったのに、今の男性隊員の方は、フランクな感じを装っているけれど、目を見れば何だかぎらぎらしている。
シャドウレコードの中で僕に対する対応が一番明らかにおかしくなったのは、レオ様なんだけれど、他の男性隊員とは違ってレオ様が僕を見る目はとても真剣な眼差しをしていて、僕はそっちの方が何だか安心出来る。
人によって距離感が変わってしまった事に慣れず、何度も変な空気にしてしまう自分の駄目さ加減についため息を吐くと、メイさんが両手で僕の手を握りだした。
「そんな事はございません桜様、寧ろ私にどんどん頼って下さい。それに今更桜様の魅力を知り、近づこうとする男共等最初から見る目が無いのです。レオ様や他の四天王様達の足元にすら及びません」
「いや、魅力も何も少し前まで僕男だったからね? 見る目も何も、当時の僕にあの人達が過度にグイグイ来る理由なんて無いんじゃないの……?」
男だった僕に、男性隊員がグイグイ来る理由なんて無いだろうと僕はそう思っていると、メイさんが僕の魅力についてあれこれと語りだした。
因みに彼女は数年前に僕の部隊に配属されて、親しくなって素顔を見せる前から僕に付き従ってくれていた人でもある。
そんな彼女がそう言うのだから、何か思う所があるのだろうと僕はそう感じたが、メイさんは僕を見て何もわかっていないと言いたげな顔をしている。
そんなメイさんの顔を見て、改めて自分自身を考え直してみる。
男だった僕が、仮面を着けて服装も男性用の服を着てたのだから、彼等が僕に興味を示さないのは当然である。でも今は女の子で、素顔を出して服も女性用になっている。僕に対しての周囲の評価が変わったのは、女の子になった翌日に着る物も無いまま制服姿に素顔のままで食堂に行った時だから、服装じゃなく顔を見て印象が変わったのだと思う。
僕の顔自体は変わっていない事は僕自身そう思っているし、素顔を知っていたレオ様達もそう言っている。じゃあ、男の頃でも基地内で素顔を出していたら、隊員達は僕に対して今のような反応をしてきたという事になる……?
……ちょっと自分でも何でそうなるのかがわからない。でも皆今の僕にとても興味深々のようだし、男だと頼り無い顔だったけれど今の僕なら魅力的に映るのかな?
一人で混乱していると、車を停め終わったグレイスさんがつかつかと僕の所に寄ってきて様子を尋ねてくる。
「どうしたのよメイちゃん、そんな所で桜ちゃんの手を握っちゃって、桜ちゃんも何か考え事でもしているの?」
自分一人では考えが上手く纏まらないので、グレイスさんに顔を向けて僕の事をどう思っているのか尋ねてしまう。
「グレイスさん、この際だから聞きますけれど、僕は自分の素顔をひ弱で頼りない顔だと思って仮面で隠していたのですが、もしかして他人からはそうは見えないのですか?」
「えっ? どうしたの急に、そんな事聞いてきて。でもそうねぇ、私は桜ちゃんの素顔は男の子だった頃から可愛いと思ってたし好きだけど?」
グレイスさんから見ると、僕の顔は可愛いという評価になるようだ。わざわざ好きとまで言ってきたのだから、相当高い評価に値すると思われる。
親しくして貰っている間柄の人からそう言われてしまうと、何だか嬉しく感じて思わず頬が緩みそうになるけれど、それを聞きたくて聞いた訳では無いので、更に質問をしてみる。
「あ、あの……そういう評価をして頂けるのはありがたいのですが、もしかしてなんですけれど、僕が男だった頃に仮面で顔を隠していなかったら、隊員達は今の僕みたいな距離感で接して来ていたのでしょうか?」
身体が変わって素顔を晒した後に、このひと月で直に受けて来た印象を頭の中で整理しながら聞く事にしてみる。
「女性隊員達は多分グレイスさんと似たような感情で接してくれているのでありがたいのですが、最近の男性隊員達も僕に親切にしてはくれているのですが、全員そうでは無いとは思うんですけれど、何だか目つきがおかしく感じて……」
僕の言葉にきょとんとした表情をするグレイスさん、口元に手を当てて少し考えてくれた後返事が返ってくる。
「あぁ……うん、そういう事ねぇ。今まで桜ちゃんお顔を隠してたものねぇ……本人を前にして非常に言い辛いんだけどね、多分桜ちゃんの言いたい事は合ってると思うわ。ただ男女比が多少変わっていたかもしれないけどねぇ……それでも男からもそういう目線は向けられてたかもねぇ」
凄く言い辛そうにしながら、グレイスさんが僕の質問に答えてくれる。
そんなに僕と周囲とではここまで認識に差があるとは思わなかった。僕の手を握っていたメイさんも気まずそうに目を逸らしている。
僕が仲良くなって、素顔を見せた部下達はメイさんを含めてそんな素振りを見せてこなかったからとても衝撃を受ける。思わず肩に提げていたポーチからある物を取り出した。
「あら、桜ちゃんそれって、レオ様が桜ちゃんにプレゼントしてくれた仮面じゃない?」
レオ様から貰ったとても大事な仮面を両手で持ちながら呟く。
「僕は今まで、組織の掟もありましたが、自分では頼りなく思っていて悩みでもあったこの顔を、自信がついて頼れる顔になるその時まで隠していても良いんだと、その時が訪れるのを待つと、この仮面を直々にレオ様から貰った時にそう言われていたのですが……頼りになるならない以前にこうなってしまうとは……」
レオ様直々に貰い受けたこの仮面は、僕を絶対に見捨てないという意思を感じさせ、今まで表で活動できる機会が訪れなくて落ち込む僕を、何度も支えて来てくれた。
とても希少な素材で作られたこの仮面は、今まで傷一つ付けずに僕の目元を覆っていてくれていた。
俯きながら見つめるその仮面が僕の顔を映す。ぼんやりと見えた僕の顔は、やっぱりとても頼りなく見える。
この仮面が大事な物ではあるのは今でも変わらないのだけれど、それに頼り過ぎてしまい、僕と周りで認識の差が出来てしまったのは事実でもあり、何だか複雑な気持ちになってしまう。
そんな僕にメイさん達は声を掛けて来るのだった。
「桜様、それでしたら尚の事、この作戦絶対に成功させ自信を付けましょう! 大丈夫です、見た目の上での力強さや逞しさだけがレオ様の言う頼れる顔の要素ではございません」
そう言ってメイさんは、今も作業を行っている男性隊員の方に視線を向けるので、僕もそれに合わせて顔をそちらに向ける。
「現に私はあそこで荷物運びをしている男共より遥かに細身ですが、彼等が十倍の数になって襲い掛かってきても絶対に負けませんし、グレイス様なら百倍になっても勝ってます」
「そうよ、桜ちゃん。もし仮にレオ様の言う頼りになる要素が見た目だけだったら、桜ちゃんだけじゃなくて私やイグアノなんかも四天王になんて選ばれなかったでしょう? メイちゃんの言う事が正しいわ」
メイさんが本気を出せばそれ位は出来る事は知っている。グレイスさんもそういう能力を扱えるので、僕はいまいち話の意味をわからずにいると、グレイスさんが頼りになる存在は見た目だけではなり得ないのだと説明してくれる。
「それに今の桜ちゃんは男の子の頃とは違った視点で動けるのよ? 女の子としての戦い方なんて幾らでもあるんだから、それを磨けば貴女は誰よりも輝ける筈よ」
男の頃ではそういう見た目に意識が向きがちになるが、今はそうでは無いのだとグレイスさんは語る。僕は二人の事もとても頼りになる存在だと思っているので、その言葉に思わずハッとさせられる。
「メイさん、グレイスさん……そ、そうですか? 本当に僕はこれからもやっていけるんですか? ……わかりました! 僕、頑張ります! 頑張ってこの作戦を成功させて、レオ様が頼りにしてくれるような立派な四天王になります!」
レオ様やウルフさんのような頼れる逞しい身体への憧れは、未だにあるけれど、メイさんとグレイスさんは女性からの視点から見て、それ以外にも道があるのだと教えてくれた。
今の僕に目指すべき道はそこなのだと、意識の差に衝撃を受け、気持ちが沈んでいた僕を救い上げてくれた二人には感謝してもしきれない。
僕はレオ様から貰った仮面を両手でギュっと胸に抱きしめ、改めて決意を胸に誓うと、その姿を二人が見ているのに気が付いた。
二人は何も言わずに微笑ましく僕を見つめていたので、思わず恥ずかしくなって照れてしまうとグレイスさんがケラケラと笑い出して、僕の頬を両手で優しく撫でて来る。
「さて、桜ちゃんの新しい戦いに向けて、二人の荷解きが軽く終わり次第買い出しに行くわよ~? 車を出すからメイちゃんも勿論着いて来てくれるわよね?」
「はい、当然です。私は桜様の護衛も務めさせて頂きますので、その護るべき主が向かう戦場への下準備等、私のやるべき任務ですから。ただ、その前に……」
終始にこやかな表情でグレイスさんが僕のほっぺをもにもにして、荷解きを軽く済ませてからの今日の予定を話し合っていた二人。
ただ、メイさんがフッと冷静な顔になって後ろを振り向いたと思ったら、グレイスさんも僕の頬から手を離しメイさんと同じ方向に身体を向ける。僕も気になって二人の向いている方に顔を向けると、そこにはずっと荷運びをしていたであろう男性隊員達の姿があった。
「まずは桜ちゃんにちょっかいをかけて来た男達を軽く注意しないとねぇ。いい歳した大人が一体何を考えているのかしら? 桜ちゃんはまだ十五歳だっていうのにねぇ……」
「そうです、幾ら四天王といえども、桜様はまだ年齢的に手を出してはいけないお方の筈です。更に言えば少し前まで同じ性別だった訳ですし、ちょっとでも考えれば自制が効くのが当たり前だと言うのに、あの男共は自分達が変態の暴漢に成り下がろうとしていました。例え我々が悪の組織の一員であろうと、外道にまで落ちたつもりはありません」
背中越しから彼女達の圧を感じる。これが先程僕に言っていた女の子としての戦い方というのだろうか。僕も勉強すれば使えるようになるのかな?
つかつかと二人で隊員達の所に向かうと、彼等は途端に顔が青ざめていく。少し離れてしまってよく聞き取れないが、グレイスさんが一言二言何かを言ったかと思うと、隊員達が悲鳴を上げている。
その後は彼等の作業スピードが体感五割増しで上がったような気がして、あっという間に荷運びが終わってしまった。
僕と会話していた時はあんなに張り切っていた逞しい身体も、疲労と緊張で何だか萎縮してしまっているように思える。何だか可哀想に見えたので、せめて今日のお礼を言おうと彼等の元に駆け寄ろうとしたら、いつの間にか側にいたグレイスさんに不意に抱きしめられ頭を撫でられる。
「もう、桜ちゃんってば、あの人達に近付こうとするなんて、何されるかわかんないのに危ないわよ?」
「グ、グレイスさんっ、ただ僕は今日の作業のお礼を言おうとしただけですよ?」
「桜様はなんとお優しいお心をお持ちなんでしょうか。貴方達、桜様がお怒りの様子ではございませんのでこれ以上は何もしませんが、図体ばかり鍛えないで少しは自制する精神を鍛えなさい。いい歳でありながら十五歳の少女に色目を使うなどと……」
ぜぇはぁと息を吐きながら、隊員達は『すいませぇん』『桜様が可愛すぎてつい』『背徳の香りに脳が』『うっす』等、それぞれ謝罪の言葉を述べていた。
余程グレイスさんの何かを刺激したのか、もう既に荷物運びの仕事をやり終えた彼等に帰って欲しそうな顔をしている。ただ、酷使しすぎて最早トラックを運転する体力も無さそうだった。
本当にどうしようも無いので、僕の能力で体力を回復する事にした。ここはピースアライアンスの管轄内の地区なので戦闘に関する能力には制限がかかるのだが、緊急性を要する可能性がある回復能力には制限は無く、問題なく使用する事が出来た。
回復させた彼等にお礼を言われ、ササっと引っ越しトラックは帰っていった。
僕達は入居する部屋へと向かい、それぞれの部屋で軽く荷解きを済ませる。メイさんの部屋は隣の部屋になる。僕の分の荷物は少ないので、途中からグレイスさんはメイさんの部屋に向って行く。
あれも足りないこれも足りないと、グレイスさんにあれこれ詰め込まれた荷物の箱からクッションを取り出し、そこに座って少し休む。僕の為に借りた部屋はシャドウレコードの僕の部屋より広く、メイさんの部屋も同じ広さだと思う。
「今日からここで僕は暮らしていくんだ……思ってたより広いね、グレイスさんの言った通り確かに物が少ないのかもしれないね……」
壁には備え付けの姿見用の鏡が掛けられていて、クローゼットもある。あそこを服で埋め尽くすのに何か月掛かるんだろうか。
少しボーっと辺りを見渡していると、メイさんの方の荷解きも軽く済ませたようで、グレイスさんと一緒に玄関で僕を呼ぶ声が聞こえて来るので、僕は立ち上がって二人の元に向かう。
「おまたせー桜ちゃん。じゃあこれからお買い物に行くわよ!」
「二人とも一緒になって楽しそうにしてましたしね。所で一体何を買いに行くつもりなんです?」
「近所にショッピングモールがあるらしくてね、そこに行って桜ちゃんに必要になる物を買いに行くのよ! ほら、さっき女の子の戦い方を教えてあげるって言ったじゃない? それのお勉強よ」
なるほど、そうなんですか。そこに行けば僕もちゃんと戦えるようになるんですね。
戦いと聞くと、さっき背中から威圧する様な迫力を出していたけれど、あれは一体どうやるんだろうか。
道中の車内の中で、それとなく二人に聞き出してみたものの、僕がそれを使うと最悪の場合死人が出ると物騒な事を言われ全く教えてくれなかった。
目的地に着いて、二人に手を引っ張られながら早速必要になる物がある場所に向かう。そこはなんと、女性用下着売り場だった。
「えっ? あの、ここって下着売り場のようですけれど、本当に僕に必要な物があるんですか?」
「えぇ~? 何とぼけてるの桜ちゃん、私結構前に言った記憶があるんだけど? 地味な下着だけじゃ絶対怪しまれるって」
そう言うグレイスさんに、確かにそんな事があったなと僕は身体が変わって最初の頃を思い出す。
「それに検査の結果によると、順調に身体の機能が働いていたらもうすぐ来ちゃうんでしょ。体温だって起きた時に毎日測ってメモするだけで良いって言ったのに、あれから何故か私にも律義に毎日教えてくれるじゃない? 色々知っちゃったからにはもう私だって最後まで面倒見るしか無いのよっ」
追加でグレイスさんが言い出した事の内容が、一体何の事を言っているのか僕の頭じゃわからない。下着の事は思い出したけれど、もうすぐ来るとは何が来るんだろう?
あの触手で滅茶苦茶にされた苦い記憶のある僕の身体は、全く変な所は無く、無事に女の子になったのが証明されてそれで終わった話の筈だし、体温だって、体温計を渡されたから言われた通りに、毎日測ってメモはしているし、グレイスさんに教えるのも義務だと思ったから四天王会議の時にこっそり報告していただけで、僕が何か変な事をしたのだろうか。
「あの、僕が何か変な事をしていたのでしょうか? 下着の件は色々覚える事があって忘れていたのは謝りますが、もうすぐ来るとは何が来るんですか? 身体はあんな滅茶苦茶な方法で無理矢理弄られたのに何処にも異常が無くて健康そのものでしたよね?」
どういう事なのか、もう少し具体的に説明して貰わないと理解出来そうになかったので、そういう意図で尋ねてみると、グレイスさんは頭を手で押さえて唸り出した。
「あぁー、うん……これは完全に私の判断ミスだわ……もっと最初の段階でちゃんとハッキリ言っておくべきだったわぁー……桜ちゃんお勉強は得意でも特定の分野だとそれを自分に結び付けるのが下手だったわよねぇ、ごめんね桜ちゃん。貴女は悪くないの……メイちゃんちょっといい?」
そう言ってグレイスさんは何かを察した表情のメイさんを連れて、ショッピングモールの隅っこでごにょごにょ何か話し合っている。数分後二人が帰ってきて、何かを決意した表情のメイさんが僕に近付く。
「桜様、ちょっとお耳を拝借しても宜しいですか? これは桜様にとって重要な事ですので……」
メイさんが僕の耳にそっと小声で話し掛けて来る。メイさんは僕に色んな事を教えてくれた。
僕の身体がすこぶる健康だとどうなるのかだとか、もうすぐ来るの意味だとか、体温を測ってメモをする理由だとか、今日何でいきなり下着売り場に来たのかだとか、色々教えてくれました。
確か診察で検査した際、僕を診てくれた先生もちゃんと言っていたような気がするし、僕だって医学書で断面図を見た時、何がどうなってこうなるとか調べた筈だ。
でも何故か、現実味が無さ過ぎていつの間にか頭の中からすっぽりと抜け落ちていた。こんなデリケートな話、本来女性同士だったらこっそりとしているのだろうけれど、僕は元々男なので、向こうから話を振るのも憚られていただろうし、僕から相談してこない限り助け舟も出せなかったんだろう。
結論を言うと、メイさんの耳打ちが終わる頃には僕の顔はゆでだこのように真っ赤になってました。
「という訳でして……って、桜様!? お顔が大変な事に!」
「はい、今の僕に確かに必要な物でした……本当に迷惑を掛けてごめんなさいグレイスさん……メイさんも来た時にはちゃんと言うのでその時はよろしくお願いしますね……」
「ま、まあ、ちゃんとわかったんならそれで良いのよ? それで、桜ちゃん大丈夫? ちょっと休んでから行こっか?」
余りに顔を顔が熱過ぎて、ショッピングモールの店内に置かれている鏡に映った自分の顔が、真っ赤になってしまっている姿を確認してしまった。思わずグレイスさんも気を遣ってくる程で、今の僕には逆にそれが恥ずかしく感じてしまう。
「だ、大丈夫ですっ、早く行きましょう。僕が本当に何も知らない無知の馬鹿でした……今日はもう素直に言う事も聞くので、下着も服も派手すぎないのであれば自由に選んでください……」
「え? ほんとに良いの? まあそこまで言うんだったら、ちゃんととびっきりの可愛くて似合うやつ見繕ってあげちゃうからね?」
その後、店に入り言われるがままに身体のサイズを測られ、グレイスさんとメイさんにあれやこれやと下着や服を用意され、着せ替え人形となった。
下着を買う時にちゃんとその時用の下着も数枚一緒に買って貰い、必要そうな物も一通り揃えて貰った。
自分のそういう日も把握出来てなかった奴に何も言う資格は無いので、ただただ心を無にして二人の指示に従う事にする。
最初は皆、教わっても来る時まで自覚出来ずにそういうものだったって、失敗する子の方が多いって励ましなのか何なのかわからない言葉を頂き帰路に着く。
翌日にはグレイスさんは帰らないといけないので、寝る時は僕の部屋で一緒に寝たいと言い出した。
僕の部屋の布団は一つだけなので、添い寝をするのかと思いきや、メイさんが予備の布団を持ってきていたので何とか事無きを得た。
グレイスさんがシャドウレコードに帰って、いよいよ入学式が始まる数日前に、その日が訪れたりしててんやわんやな日々が続きました。
そしていよいよ入学式当日が始まる。