第二十話 え、えっと、私が箱に入るんですか?
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予定されていた体力測定も無事に終わり、僕は僕が思っていた以上に身体が柔らかくなったのだと言う事を周りの反応から、またもや知らされる事になった。
女の子の身体の方が柔軟性があると過去に勉強した際に、うっすらと把握していた事ではあったけれど、まさか自分の身体でそれを比較する事になるとは……
確かに、ストレッチをする際に以前よりも身体がスムーズに動かせるとは思っていたけれど、それは体重が減ったからだと考えていたから、僕自身もこうして数字に出されると驚くしかなかった。
僕の身体の柔らかさが想像以上だと桃瀬さんも驚いていて、両足を床に着ける一八〇度開脚が出来るのでは無いかと言われ、若干怖さもあったけれど思い切って脚を開くと案の定出来てしまって僕自身も最早笑うしかなかった。
その光景を見ていた周囲から、そのままバレエとか新体操をやっている人が得意そうな片方の足を上げてバランスを取るポーズを強要されたりもして、当然やった事なんて一度も無かったのでその時は断ったけれど、家に帰って転んで万が一の事が無いようにメイさんに見て貰いながら携帯端末で調べた画像を見よう見まねで再現したら、これもすんなりと出来てしまって僕は女の子の身体の凄さを思い知る事になる。
身体の柔らかさ以外は特に良かったという所は無く、持久力はそれ程変わってはいなかったけれど、握力は落ちていたし、筋力も女子の中での平均的な数値ではあった。
そんな体力測定が終わり、週末のお昼休み。僕達は昼食を済ませ食後の会話に桃瀬さんがその事を話題にして来たので、僕も思い出しながら周囲に家での出来事を話す。
「それで、家に帰った後に皆さんが言っていた事を調べてみまして、私も見よう見まねでやってみたら案外すんなりと出来てしまいまして……」
「ええっ!? 日和さんあの後やってみたんだ! すんなり出来るとか正直見てみたいけど、でも人前でやって欲しくないって気持ちも湧いて来るんだよねー」
「さ、流石に私もあんな姿勢は人前では無理ですよ? それに、服装もキチンと運動に適した格好を用意しないといけませんし」
下がスカートの制服姿では、あのポーズは色々と僕に不都合な事ばかりで無理である。今日は体育の授業も無いので体操服も持って来ていないので、きっぱりと頼まれても出来ない事を告げると、桃瀬さんはやって欲しい訳では無いと慌てて訂正して来た。
「ち、違うわよっ!? 私は日和さんを自慢したいけど、日和さんには気品ある姿でいて欲しいのよ!」
「チュンちゃんそれってつまりどういう事? 日和さんの身体の柔らかさは周知させたいけど、あのポーズはちゃんとした格好でして欲しいって事?」
「そう、そうなの! 例えばだけど、私達だけで貸し切りにした体育ホールか何処かでレオタード姿で新体操を踊る日和さんが見てみたいっていうか……!」
「な、何でそうなるんですか。私、新体操なんて習った事ありませんよ? それに、どうしてレオタード姿なんですか……?」
「気品があって柔軟性も証明するなら、新体操が当て嵌まるからじゃない? でも、日和さんにレオタードは流石にチュンちゃんスケベ過ぎだよー。スタイル抜群だから凄く似合うとは思うけどさぁ」
そのまま桃瀬さんと南野さんで、周知させたいのに貸し切りはどうなのかとか、どんなレオタードが似合うのかだとかの会話が続いていく。
僕の話をするのは別に気にはならないのだけれど、想像の中とはいえ格好が格好なので恥ずかしくなって二人を止める。
ヒートアップしつつあった二人を抑え、途中から僕達の会話を真っ赤な顔にして聞いていた吉田さんが、正気を戻し話題を変えようと僕に身体の柔らかさについて尋ねて来る。
「でも日和さん、ストレッチをするだけでも身体が引き締まったり、柔らかくなったり出来る物なの? この前聞きそびれちゃったけど、一体何をどうするの?」
「そうですね、私の場合はまず身体を鍛えようとして、疲労や負担を減らす目的で始めてみたんですよ。ストレッチだけでも十分に効果がありますから、まずは普段使わない筋肉を意識しながら動かして身体を緩めていくんです」
そう言いながら、僕は吉田さんに幾つか簡単なストレッチの方法を椅子に座った状態で腕や足を使って軽く教えてみる。
シャドウレコード内で隊員達も良く使っている基礎的な方法ではあるけれど、僕も昔は幾つか試してみた方法を話していく。
話していく途中で、吉田さんとは違う声の相槌が聞こえて来て、気が付けば真剣に僕の話を聞いている女子達に囲まれていたので、僕は驚いてしまう。
どうやら普通の女子高生の常識の範囲では無かったらしく、桃瀬さんも何だか表情を変えて僕を見ていた。
「ねえ、日和さん……基本に忠実な内容だったけど、随分と本格的で詳しいのね? ヒーロー支部にこの話をして徹底させたい位にね」
桃瀬さんの顔つきは何時もとは全く違う雰囲気になっている。その異様な表情に、僕も周囲も思わず息を呑んでしまう。
「ど、どうしたのさチュンちゃん……? 日和さんの話は凄かったけど、何か変な所でもあったの?」
「いいえ、春風、寧ろお手本にしたい位よ。仮にもヒーローの私がそう思うくらいなのよ……? 日和さん、一体どうやってそんなに勉強したの?」
桃瀬さんの目付きも普段は僕に向けないような鋭い物になっている。僕はただストレッチの話をしただけなのに、何か彼女の癇に障るような迂闊な事でも言っただろうか……?
シャドウレコード内でも貧弱な部類であった僕でも出来る範囲の内容であるし、身体を動かす事自体は僕自身の両方の能力を把握する為にも必要な事でもあったので、知られてはいけない大事な部分をぼかしつつ桃瀬さんに説明する。
「え、えっと……身体を動かす事は、一応私の能力を私自身が把握する為にも必要な事だったと言いますか、効率良く身体を治すには筋肉や関節の動きも勉強する必要がありましたので……身体を鍛える目的と合わせていたら、自然と覚えるようになっていたんです……」
雰囲気に圧されて、恐る恐る説明していく。一応は嘘はついてはいないので、これでどうにか納得して欲しい。
すると、僕の説明を聞いた桃瀬さんは、そう、と一言言い放つと僕からは表情が見えない程に首を下げ、肩も震え出した。僕はこの状況に困惑して南野さんの方に顔を向けるが、彼女も同様に困惑していた。
桃瀬さんは一体どうしてしまったのか、訳がわからない僕は思わず彼女の方に手を伸ばして尋ねる。
「あ、あの、桃瀬さん……一体どうしっ、ひゃあっ!?」
「わああああんっ! 日和さああああん! どうやったら日和さんみたいな身体のケアの大事さを知ってる子を増やせるのおおおおっ!」
桃瀬さんは突如立ち上がり、声を掛けて伸ばした僕の手を両手で大事に握り締めながら、今にも泣きだしそうな位にしょんぼりとした悲痛な顔で僕にそう訴えて来た。
なんでも桃瀬さん曰く、彼女が所属しているヒーロー支部では下級のヒーロー達は能力を鍛える事に感けて、肉体の基礎的な鍛錬が疎かになりがちになるらしい。一応与えられるトレーニングメニューはこなしているようではあるけれど、クールダウンが不十分で肉体的疲労を残したまま能力鍛錬に励もうとしているので、全体的なトレーニングの効率低下を嘆いている。
僕に向けていた視線も、護衛対象の僕でも理解しているような事を、何故ヒーロー側が理解出来無いのかという感情からだった。
睨むような視線を僕に向けていた事を謝罪しながら、桃瀬さんは僕の手を両手で揉みつつ愚痴っていく。
「護るべきお姫様が皆を癒す為に一生懸命学んでいる大事な事を、どうしてウチのバカ達は私が言っても聞こうとしないのよー!」
現状を嘆きつつも僕の手を堪能するかのように触りながらメンタルを回復している桃瀬さんは、雰囲気も何時もの調子に戻っているので驚いていた周囲も落ち着いている。いっその事、僕を医療スタッフとして勧誘すればもしかしたら言う事を聞いてくれるのでは無いのかと、桃瀬さんが大胆な事を言い出し始めた時に、廊下から僕を呼ぶ声が聞こえる。
「失礼、日和 桜さんはいますわよね? 今回こそは直前で取り止める事の無いきちんとした勝負内容を思い付きましたのよ! 聞いて下さいまし!」
声のする方向に顔を向けると、其処には桔梗院さんと影野さんがいた。またもや僕と勝負をする為にその内容を考えて来たと言っている。
彼女の話にきちんと対応するべく、僕は椅子から立ち上がって桔梗院さんの元まで近づく。同様に興味を持った表情の桃瀬さん達も僕の後ろに立ち並び、突然の来訪者にも関わらず笑顔になった桃瀬さんが声を掛ける。
「数日ぶりね、桔梗院さん! 別に日和さんとの勝負じゃなくても、私達に会いに来てくれても良いのよ~?」
そう言って、桃瀬さんは僕の前に歩み出て行き、桔梗院さんに近付こうとして影野さんに阻まれている。スキンシップに失敗して揉めている桃瀬さんを他所に、少し間を置いて僕は話を続ける。
「そ、それで、桔梗院さん。今回で三度目でしょうか。その肝心の勝負の内容というのは一体……」
「全く、あの方はもう少し適度な距離感を保って欲しい物ですわね。それはそれとして日和さん、今回の勝負は学校の行事とは離れた内容といたしましたわ。事前に生徒会室へ赴き、既に翠様の許可も頂きましたの」
三度目の正直と言った所だろうか、今回は事前に青峰先輩に許可を貰っての話となる。先輩が許可を出したと言う事は、身の危険が及ぶ可能性の無い物ではあるのだけれど、身体測定や体力測定の時とは違って本格的に考えて来たであろう事に、僕も緊張してしまう。
どんな内容が出るのだろうと身構えていると、桔梗院さんは二本の指を立てた手を僕に向けて来た。
「日にちは明日の土曜日! 時刻は午後の一時半で、場所は我が桔梗院家が事業を行うアミューズメント施設にて、わたくしと影野のペアと日和さんとそちらの吉田さんでペアを組んで、二対二での娯楽勝負を行いますわ!」
桔梗院さんが今回の勝負内容を提示する。どういう訳か吉田さんも巻き込まれてしまい、後ろを振り向くと吉田さん本人も驚いた顔になっていた。
これにはどういうことなのかと、桃瀬さんも桔梗院さんに尋ねだした。
「ちょっと、桔梗院さん? 幾ら勝負内容が娯楽とは言っても、どうして吉田さんも一緒になる訳?」
「そうですよ、私だけならともかく吉田さんも巻き込むのは、一体どういう事ですか?」
桃瀬さんに続いて、僕も尋ねる。すると桔梗院さんは堂々とした表情で僕達に説明し始めた。
「ふふん、それはこの前A組に訪れた際に、その吉田さんが日和さんの従者になるのも悪く無いと反応を示していたからですわ。それでしたら今回勝負に協力して貰おうかと」
僕達の勝負に、協力して貰う形で吉田さんまで巻き込んでしまうとは。娯楽という内容なだけに、どういった物なのかはそれだけでは判断のしようが無いのだけれど、友達の吉田さんを僕の都合で従えさせるつもりは無いので断ろうかと思っていると、肝心の吉田さんがやたらと張り切った顔になっていた。
「よ、要するに私が日和さんと組めば、お姫様の従者になれるって事だよね! 日和さん、私、協力するよ! 勝負内容も何だか楽しそうだし」
「えぇっ!? い、良いんですか? 吉田さんに迷惑では無いかと思い勝負を断ろうかと考えていましたが……」
一体どうしてなのかと僕が思っていると、吉田さんは微塵も迷惑だとはそんな素振りを見せずに、逆に僕に協力出来ると聞いて途端にやる気になっていた。周囲では話を聞いていた南野さんを含めたクラスメート達が何故か羨ましそうな顔をしている。
「良いなあ吉田さん。まあこの中じゃ桃瀬さんを除けば、日和さんと一番仲良くなったし当然かもね」
「チュンちゃんに付き合わずに私も頑張ってお弁当を自作し始めれば、ワンチャン私が選ばれてたかもかあ……悔しいけど、頑張ってね吉田さん!」
「何の勝負か俺達にはわかんねえけど、吉田さんも日和さんと一緒にいると絵になるよなぁ……騎士派には悪いけど、俺はこっちの方が見てて癒されるしやっぱ姫にはメイド派かなぁ」
いつの間にか教室内は男女問わずすっかり盛り上げムードになっていて、南野さん達が吉田さんを囲み何やら応援を始めている。僕達の話を聞いていた男子が、何やら聞き覚えの無い単語を呟いたかと思えば別の男子に絡まれ、姫の隣は騎士だメイドだと言い争いつつ数人が教室を離れて行った。
……この際、姫が誰なのかは深く考えない事にして、騎士が恐らく桃瀬さんだとすると、メイドが吉田さんと言う事になるのだろうか……? これ以上考えると話が脱線してしまいそうなので、僕は桔梗院さんの方に集中し直す、すると桃瀬さんがA組の雰囲気に圧されそうになっている桔梗院さんに何やら指摘をしていた。
「そう言えば、過去二度の勝負はうやむやになったし、今回は吉田さんも協力させるつもりで提案しているけど、もしこれで日和さんが大敗したとしても、それだけで完全に勝ったって周囲に言えるの?」
その指摘に、桔梗院さんは一瞬ギクリと肩を震わせたかと思ったけれど、すぐに不敵な笑みを浮かべて僕の方に視線を向ける。
「今回の勝負は、あくまでもわたくし自身が大衆の娯楽の分野において、日和さんよりも知識が明るいと言う事を周囲に広めるのが目的なのでしてよ。例えば料理という分野においても、わたくしが直接料理を行わなくても幅広い分野の食を通じて確かな舌を鍛えてますのよ!」
僕と吉田さんに対抗してだろうか、桔梗院さんが例え話をし始める。話は更に進んで、料理以外のその他に、音楽、アニメや漫画、映画、ファッション等々、桔梗院家たる者の務めであると、ありとあらゆる文化から知見を広めているのだと自信満々に語り出す。
桔梗院さんが話題に出す様々な分野の内容を聞いて、周囲も思わず驚きA組の面々の視線は彼女の方に向いていた。
桃瀬さん達も同様に、桔梗院さんの話の内容に感心していた。僕には何が何だかさっぱりだったけれど、何か興味が惹かれる分野の話もあったのだろう。桃瀬さんが振り向いて、今度は僕に尋ねて来る。
「流石桔梗院さんといった感じね! お嬢様なのは伊達じゃなかったわ! ねえ、日和さんはさっきの話を聞いてどう思った?」
「えっ、えっと……その、非常に申し上げにくいのですけれど、今の話、私には何が何だか全然把握出来なくて……」
どうしよう、僕は一般常識としての社会の知識が皆無過ぎる。どうだったと話を振られても、何も知らなくて言葉に詰まってしまった。
さっきまで盛り上がっていたA組のクラスメイト達も、僕のこの反応で一瞬で固まってしまう。桃瀬さんも、何だかやってしまったと言わんばかりの顔をしていて、その後ろでは桔梗院さんが勝ち誇ったような顔になっていた。
「あーら、日和さん。どうやらこの手のお話には随分と疎いようですのね。それ程までというのでしたら、今まで一体どのように暮らして来たのかしら?」
「あはは、はい……正直に言いますと、身嗜みに意識を向けるまでお化粧に使う用品の名前も全く知らなくて、お洋服も面倒を見て下さっている人から、薦められる形で日々学んでいる途中でして。料理も最近始めたばかりで、それ以前は能力についての医学の勉強ばかりしていました……」
能力の都合上、医学の心得は多少は身に着けてはいて、シャドウレコードの四天王として組織にとっての必要な知識も勉強はしていた。けれど、それだけだと言ってしまえばそうでしかない。
料理を本格的に教わり始めたのは最近になり、今の僕の姿を維持するのに必要な事も今年に入ってからになってしまう。今まで必要な事だと思って勉強していた事は、この場には全く役に立たない事を存分に思い知らされる現状に、僕は思わず打ちのめされそうになってしまう。
どういう訳か今日のこの時まで凄い凄いと持て囃されてはいたけれど、本来の僕自身なんてひ弱で頼り無いだけの存在でしかなかったんだ。桔梗院さんとの勝負も、偶然僕にとっての良い方向に結果が向いていただけで、本来得意な分野で言えば彼女の方が圧倒的に多い筈である。
世間知らずな恥ずかしさと、見当違いだった努力の仕方に、僕はただ桔梗院さんに向かって困ったように笑う事しか出来なかった。今回の勝負は桃瀬さんがもしもの場合として例えた事以上に、うやむやになった分を帳消しにしてしまう程に大負けしてしまいそうだ。
そんな内心不安だらけの僕とは裏腹に、さっきまで勝ち誇っていた顔つきだった桔梗院さんの様子がおかしい。どうしたのかと周囲に視線を向けると、クラスメート達の視線が僕に向いている。
その視線は何も知らない僕の事を嘲笑するような冷ややかな物では無くて、何だか大切な物を見つけて守ろうとしているような情が篭った物に感じられた。周囲の変化にどうしたのかと困惑してしまうと、南野さんを含めた、普段から僕に話しかけてくれる女子達が全員納得がいったかの表情をしている。
「いやー、前々からそうなんじゃないかなって思っていたんだけど、今の話の雰囲気で日和さんってば随分な箱入りのお姫様だなぁって、逆に感心しちゃったねぇ。こんなの真似しようと思っても出来ないってばー」
「うんうん、出会って初めの頃の日和さんは見た目が出来過ぎてるし、こういうキャラで高校デビューしようとしてる子なのかなって疑ってたけど、これは完全に素でやってるのねぇ」
「化粧品やファッションとか尋ねたら答えてはくれるし、でも、目立つ割には結構恥じらってる事もあってどういう事なのかなって思ってたら、本当に何も知らない子が言われるがままにしていただけとは。それが似合ってて綺麗って言うのも凄いけど」
「で、でも! それでも身嗜みがきちんとしてる日和さんは凄いよ! それに色々努力もしてるのは皆も知ってるよね? この前だって、桃瀬さん達と遊びに行った時の日和さんの私服も似合ってて可愛かったよ」
吉田さんも会話に加わって僕についての話で盛り上がっていく。特に私服の話で興味を持たれ、南野さんが携帯端末で撮影した僕の姿を周りの友達に見せている。
箱入りがどうだとか、高校デビューがどうとか言われてしまい、先程まで不安でいっぱいだった僕は会話について行けなくて混乱してしまう。
「え、えっと、私が箱に入るんですか? でも、家に私が入れるような大きな箱はありませんし、収納スペースになら中の物を外に出せばどうにか入れはしますけれど……」
引っ越して来た際の積み荷を入れていた段ボール箱になら辛うじて入れるかもしれない。でも、それらは全部、メイさんと二人で資源ゴミの日に処分してしまって家には無い筈だ。箱を求められているのなら帰ってからきちんと用意しなければと考えていると、不意に桃瀬さんが僕の腕に手を触れて来る。
「日和さん、しっかりして!? 箱入り娘って意味だから、貴女を箱に詰めたい訳じゃ無いのよ!」
「えっ? ええと、そういう事? でしたか……てっきり、私が何も知らないから箱に入れて送り返されてしまうのかと」
「そんな可哀想な事、する訳無いじゃない! 仲良くなれたのにここでお別れだなんて私は嫌よ! 私からお姫様を取り上げるなんて許さないからー!」
感情的になった桃瀬さんが僕の腕に抱き着いて来る。僕を守ろうとして必死な顔になる彼女を見て、南野さん達も笑い出す。賑やかな雰囲気に戻ったA組に僕も安心していると、すぐ側で小声で話す桔梗院さん達の声が聞こえる。
「むむぅ……! 何という事なのかしら……! まさか日和さんがこんな離れ技をやってのけてしまうだなんて! 何をどうやったら此処まで上等な箱入り娘になんてなれるというの……!?」
「流石、エリカ様がライバルとお認めになられたお方ですね。知見を広げ周囲からの尊敬を得るエリカ様に対して、その類い稀なる容姿がありながらも能力の研鑚に尽力する事で、日和様自身の神秘性を極限まで高めていらっしゃっていたとは」
二人して、何だか難しい言葉で僕を分析している。箱入り娘といい、神秘性といい、改めて周囲から見た僕に対する評価という物が、気になって仕方が無い。
そもそも箱入り娘という、僕が女の子として生きて来たという前提でなされている会話に、全くそうでは無かった事実を知る身として申し訳無い気持ちになってしまう。
「あの、桃瀬さん。私が世間を知らない事は私自身が痛い程理解していますけれど、皆さんに言われている程私なんて、お姫様でも神秘的でも無いと言いますか……」
「何言ってるのよ、今の今までどう見たって神秘的な箱入りのお姫様だったわ! そうじゃないって言うなら他に一体何だって言うのよ?」
僕が僕自身をそれ程の者では無いと言ってみても、振り解けない程しっかりと僕の腕に抱き着いたままの桃瀬さんから真っ向から否定されてしまう。僕の評価が日に日におかしくなっていくので、恥ずかしくて止めて欲しいのだけれど、他に何だと言われてしまい良い表現も思いつけない。
僕が本当は、元の身体が男で、更にシャドウレコードの四天王なんだと、例え全てを壊す覚悟を持って今ここで告白したとしても、こうなってしまうと誰にも信じて貰えないだろう。
グレイスさんにも前に言われてた事を此処に来て自覚してしまう羽目になり、何か言い返したくても僕の語彙力では言葉に詰まってしまう。ほら、やっぱりと南野さん達も笑顔になって僕の周りに集まり出して来ると、わざと咳をして桔梗院さんが一呼吸おいて話し出した。
「と、とにかく! もう一度言いますけど、今回の勝負は明日の土曜日にそちらの吉田さんを連れて二対二の勝負でしてよ! 時間は午後一時半からで、場所は最近新しく出来ましたゲームセンターで行いますわ!」
桔梗院さんが指定した場所は、この前遊んだ際に桃瀬さん達と行ったことのある場所だった。南野さんもあそこなんだと声にする。それだけ伝えると、彼女はそそくさとA組を後にする。
その後は、僕達二人が全くゲームの経験が無いと言う事を桃瀬さんが周りに伝えると、作戦会議と称して女子達がゲームに詳しい男子も呼んで来て話が始まる。お昼休みの時間も残り少ないので、僕と吉田さんは要点だけをかいつまんで話を聞く。
「――という訳で、明日どんなゲームで勝負するのかはわからないけど、向こうの桔梗院さんだってそれ程難しい物は選ばないとは思うんだ。それにゲーセンのゲームは身体を動かすのも多いから、なるべく動きやすい服の方が良いかもしれないな」
「うん、良くわかったわ。急に呼んじゃってごめんね、色々教えてくれてありがとう。確かに動きやすい服は大事かも!」
「そうですね、この前遊びに行った時は、私達は動きやすいと呼べるような服装でも無かったですしね。何も知らない私ですが、大変参考になりました。ありがとうございます」
「私も幾つかタイトルだけは知ってるって程度だから、教えてくれてありがとうね。でも、そっかぁ、スカートだったりヒールの高い靴だと転んじゃうと大変だもんね」
桃瀬さんが教えてくれた男子にお礼を言い、僕達も頭を下げて感謝の言葉を伝える。彼は顔を赤くしながらも良い笑顔を僕達に向けると、すぐさま他の男子達に掴まれ何処かに連行されていった。
明日桔梗院さんがどんな服装で来るのかはわからないけれど、あの場所にはポーズをとってスコアを競うような内容のゲームもあった筈。それに種類も豊富であった為、動きやすいカジュアルな服の方が疲れにくいだろう。
とはいえ、桃瀬さんが青峰先輩に確認を取ると、ガンバルンジャーも全員強制参加で当日に来るらしい。僕達の護衛役として自分だけ行けば良いと思っていた桃瀬さんは、苦い顔になりながら教えてくれた。
その情報に、周りは色めき立ち途端に吉田さんを羨ましがり始める、吉田さんも、ガンバルンジャーに見られても恥ずかしく無いような服装と、僕の為に動きやすさを重視した服装とで途端に慌て始めた。
「どどど、どうしよう日和さん……見られるのは桃瀬さんだけだと思ってたから、急に赤崎君達も来るって聞くと、恥ずかしく無い格好も考えないとで、き、緊張してきちゃうよぉ……」
「もう、なんなのよ! こういう時にこの場にいないし役にも立たないくせに、吉田さんにプレッシャーを与える事だけはするのねアイツ等! ……よしよし、大丈夫よ~私もいるしそんなに怯えなくても良いのよ」
ぷるぷると震え出した吉田さんを、桃瀬さんがそっと抱き寄せ、優しく宥め始める。僕も赤崎君達が来るって言われたら、格好にも意識をしないといけなくなる。でも、僕達は初心者同士でどれだけ服装を犠牲にした格好になった所で、肝心の腕前は全然である。
こうなってしまっては、勝敗に関係無しに彼等を意識しないようにゲームを全力を楽しむしかないと、僕は吉田さんの肩に手を触れる。
「吉田さん大丈夫です。動きやすい服装も大事ですが、私達は初心者同士ですしやり過ぎた格好になった所で、肝心の腕前がありません。本格的な姿でなくても結果はあまり変わらないと思います。でしたら、赤崎君達に変に思われない程度の格好で、ゲームを楽しみませんか?」
「えっ……? い、良いの? ゲームをする時用のちゃんとした格好って言うのがわからないけど、そんな感じで大丈夫なの?」
「はい。怪我だけはしないように転んだ時に困らない程度の動きやすさにしておきましょう。それに、ゲームに夢中になれば周りの目線も気にならなくなる筈です。勝ち負けよりも明日は楽しみましょう」
「それもそうね。私も出来る範囲でアドバイスを出すし、やるゲームもあんまりにも大変そうって難易度だと思ったら、ちゃんと桔梗院さんを止めるから安心して! まずは二人で楽しんできなさい!」
僕達の励ましで、吉田さんは緊張がとけて、途端に笑顔で頷く。
何が起きるかわからないけれど、勝ち負けにこだわるよりは、まずは友達と楽しめるかが大事になってきた。僕自身も不安になってしまった所を周りに助けられたのだから、僕だって周りを助けないとだね。




