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一話完結の短篇集

私が法

作者: 雨霧樹

「……落ちてんじゃん」

 登校しようと自転車を漕いで駐輪場に到着した時、隣の自転車の下に放置されている本を見つけた。ぱっと見で背表紙は重厚で、高そうな本だと分かる。一体何の本なのだろう、もしかしたら貴重なものかもしれないと、私はその本を拾い上げた。

「タイトルは『Je(ジュ)suis(スイス)』……って英語じゃないじゃん」

 拾い上げたそんな本の表題は、アルファベットこそ使われているが、明らかに英語ではなかった。英語は別に苦手にではないが、英語以外の言語など母国語以外に知る由もない。背表紙や裏表紙を眺め、図書室の本だったり、所有者の名前でも書いてないかと探してみるが、それらしい名前は一切ない。


「うーん……ここは文明の利器に頼るか」

ポケットからスマホを取り出し、画像から文字を認識しようと試みる。パシャリと写真を撮って、あっと言う間に翻訳結果がでた。

「何々……『Je suis la loi』で、フランス語か。意味は『私は法律です』……どういうこと?」

 こんな短い文章で翻訳ミスなのか、全然意味が判らなかった。流石に誤訳だろうと思い、結果をコピペして他のサイトでも試してみる……が、どれも似たような翻訳結果になってしまった。


 結果が不明瞭で、消化不良でやりきれない感情が胸中を渦巻く。そもそもこの本の持ち主は、この自転車の持ち主の可能性が高いだろう。

――そうだ、この自転車の写真を撮って、先生と一緒に渡せば、きっと持ち主の元に返っていくだろう。それまで私の手元に持っていてもいいんじゃないか。それまでにこの本の謎を解き明かしてしまえば問題ない筈だ。そう考えた私は、鞄にその本を仕舞いこんだ。


「ふぁぁぁ……」

 友人と昼食を食べた後の五時間目というのは、なんでここまで眠いのだろうか。日本史の授業を子守歌にして、夢の世界に飛び込む寸前の事だった。

「――よって、この時の法律の形成は、フランスの影響を強く受けたのです」

 先生の解説の言葉に、自分の意識は覚醒する。そうだ、まだ謎を何も解決していないんだと。先生に気づかれないよう、ひっそりとカバンの中から本を取り出した。スマホを取り出すのは流石に不味いから、何か別の手がかりを探さなければ。

 

 ――そういえば、まだ本を読んでないじゃん。

 十中八九フランス語だろうが、チャレンジしてみよう。そうして私はページをめくった。

『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。』

「はぁぁ⁉」

「何か質問でもありますか?」

 クラスの視線が情けない声を出した私に一斉に向き、先生からも声が飛んできた。

「あ、いや、勘違いでした……」

「そうですか。……で、その出来事によって――」

 中断した授業は、何事もなかったかのように再開していき、再びクラスに静寂が訪れたが、私の心臓は早鐘を打っていた。

 フランス語のタイトルなんだから、当然中身もフランス語だと思っていた。しかし、書かれていたのは、想定外も想定外、日本国憲法の条文だったのだから。

 まさかと思いつつも、私はページをめくっていく。

『すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』『公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する』

 だが、どれだけページが進んでも、この仰々しい本には、日本憲法の条文しか乗っていなかった。

「はぁ……」

 そういえば、この学校には少人数のフランス語の授業があると聞いたことがある。もしや、その授業で使われていた小道具なのかもしれない。そんな事が頭をよぎり、思わずため息が零れる。

「ってあれ?」

 異変に気が付いたのは次のページを惰性でめくったからだ。なぜかそのページは、多少黄ばんで汚れてはいるが、白紙が現れたからだ。――そのとき、自分でもどうにかしていたと思う。だが、どうにかやり返さなければ気が済まなかった。私は、自然とシャーペンを手に取っていた。

『すべての国民は、授業中に寝なければいけない権利を有する』

「これでよし、っと」

 一人でこっそりと笑いながら、私は条文モドキを書き足した。どうせ白紙のページだし簡単に消えるだろう。手に取った消しゴムで、書いた文字を擦り始めた。


「……あれ」

 対して力を込めた気はしないが、書かれた文字は、そのページにこびりついたように全く落ちなかった。まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()

「ちょっと、え? ホントに困るんだけど」

 これは誰かの本だ。流石に傷つけた状態で返したらなにを言われるか分かったもんじゃない。弁償、その二文字が思い浮かび、血の気が引いた。私は、消しゴムをこする手に、より一層力を入れた。――だが、文字は消えることは無く、むしろ文字は黒くなっていった。

 その時、私はいつのまにか、先生の声が聞こえなくなっている事に気が付いた。あわてて教室を見渡せば、クラスの全員が、先生を含めて居眠りをしていた。

「嘘でしょ……」

 その光景をみた私は、突如として猛烈な眠気が襲ってきた。そういえば、さっき書いた条文は……

 徐々にぼやけていく視界の中、今日の授業のテーマとして、黒板に書かれた文字が目に入った。 

 

 『法の作成者は、その法に最も縛られるべき存在である』

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