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魔女ルシエンヌの物語  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅰ「魔女-魔=??」
9/73

◆8

「トリスさん、セイディさん、ようこそいらっしゃいました」


 館には片眼鏡(モノクル)をつけた老執事がいて、トリスとセイディを見るなり顔を綻ばせたのだが、ルシィを見るなり警戒の色を滲ませた。


「こちらは?」

「ルシィです。彼女のことでクリフ様にご相談があって参りました」


 セイディが丁寧に説明すると、老執事はうなずいた。


「……お取次ぎ致します。応接室の方でお待ちください」

「ありがとう、モリンズさん」


 老執事はモリンズというらしい。トリスが礼を言った。


 メイドに連れられて応接室へ向かう。長椅子(セティー)に座り、薔薇の浮き出し加工の壁紙を眺めながら待つと、茶が運ばれてくるよりも早く、その人はやってきた。待たされたとも言えないくらいに早かったのだ。


 扉を開けた男は、確かに常人とは違った。

 藍色の上着と白いベスト、皮革のブーツ、清潔感のある身だしなみに育ちの良さが表れている。

 細身の長身で、顔立ちは絵に描いたように整っていた。ただ、まっすぐな髪は白銀で、目と同じ赤いリボンでまとめ、背中に流している。肌の色も日焼けなどしたことがないのか、相当に白い。


 容姿を口にされるのが嫌いなわけだ。白銀の髪に赤い目とは悪目立ちしたことだろう。

 しかし、それよりも、ルシィは息が詰まるほど強い魔力を彼から感じていた。これが人であるはずがない。人間が持ち得る魔力の量ではないのだ。


 この男には魔族の血が混ざっている。ルシィはそれを半ば確信した。


「クリフ様、急に来てすみません」


 トリスが人懐っこい笑顔を向けて立ち上がった。セイディも立ち上がる。


「お忙しいところ、ごめんなさい」


 けれど、クリフは二人に微笑み返すのではなく、険しい顔をしてルシィをじっと見つめていた。

 正体がバレたのかとヒヤリとするが、今のルシィには魔力がない。初対面で気づかれるとは思えなかった。


「ルシィ、ご挨拶しなくちゃ」


 セイディがこっそりと耳打ちした。未だ腰を上げないルシィが気に入らなくてその表情なのか。

 仕方なくルシィは立ち上がると、スカートをつまんで優雅に一礼してみせた。


「初めまして」


 魅惑の微笑みを浮かべているのに、クリフは仏頂面である。

 またか。そうだ、クリフはトリスの親戚だった。

 この血統はルシィの魅力が伝わらないのだ。嫌な一族だ。


 クリフは、スタスタと室内に入ってきたかと思うと、ルシィの前に立って腕を組んだ。やはり、そこにいるだけで溢れ出るような濃い魔力を持っている。


 この魔力、どうにか使えないものだろうか。

 ルシィが不穏なことを考えたせいか、クリフは態度を軟化させるどころかさらに厳しい目をした。


「君は名乗りもしないのか?」


 礼を欠いていると言いたいらしいが、正直に言ってルシィが敬うべき人間などいない。皇帝だろうと国王だろうとただの人間だと思っている。

 領主代理というが、精々が貴族なのに偉そうだ。


 ルシィはくすりと笑った。


「ルシィよ。これでいいかしら?」


 敬語も使わないルシィに、セイディが慌てていた。腕を引っ張られる。


「ルシィってば!」


 しかし、クリフは眉を跳ね上げただけで怒鳴り返したりはしなかった。


「君はどこか名のある家の令嬢か何かなのか?」


 態度がでかいのは、身分が高いからかと言うのだろう。そこへトリスも割って入った。


「い、いえ、その、ルシィは記憶がないんです。嵐の日に町の近くで倒れていて、それで保護したんです。クリフ様にお伝えしないわけには行かないので、こうして連れてきたんですけど」


 すると、クリフは、ほぅ、と小さくつぶやいた。

 じっと探るようにルシィを見下ろすので、ルシィは目を逸らさずにクリフの赤い目を見た。

 赤いふたつの宝石のようだ。飾っておくにはいいが、こんなにも物を言うなら要らない。


「何も覚えていないというわりには不安そうでもないが」

「あら、これでも不安で胸が張り裂けそうなのに」


 真顔で言ったからか、クリフは信じなかった。

 実際、どうすれば魔力が戻るのか、魔力が戻るまでどうしていればいいのか、考え出したらきりがない。ただ、不安とは縁遠い暮らしをしていたから、いざとなって不安に馴染めないだけだ。


「あ、あの、しばらくうちで様子を見てもいいでしょうか? すぐに記憶が戻るかもしれないし」


 セイディが優しいことを言ってくれた。しかし、クリフは首を縦に振らない。


「記憶喪失だからといって、不審な人間を町に滞在させることはできない。放り出すようなことはしないが、王都に連絡を取り、しかるべきところへ預けよう」

「…………」


 王都と。

 放り出されないのはありがたいが、そこにルシィの顔を知っている者が万が一いたらどうしようか。これは逃げた方がいい流れかもしれない。


「不審って……。ルシィはか弱い女性ですよ」


 トリスも困ったようにつぶやいた。兄妹に対し、クリフはふと表情を和らげる。

 可愛がってくれていると聞いたが、それは本当のようだ。ルシィに向けるような厳しさはない。


「当人よりも背後に問題を抱えているかもしれない。私はこの町を預かっているに過ぎないから、軽はずみなことはできないんだ」


 諭すように言った。まあ、言っていることは真っ当だ。

 兄妹はしょんぼりと肩を落とす。


「すぐに追い出せとは言わない。段取りがつくまではお前たちの家に置いてやるといい」


 ポン、とクリフはトリスの肩に手を置く。トリスはさらに何か言いかけて、やめた。


 クリフはそれ以上、ルシィの件に関しては話を続けさせてくれなかった。兄妹も諦めて帰るしかない。

 帰り道は二人ともルシィ以上に落ち込んでいて、何故二人がそこまで落ち込むのか、ルシィの方がよくわからない。他人事でしかないのに。しかも、昨日知り合ったばかりの他人だ。


 食堂に戻ると、ハンナに事情を説明しながら、トリスは不意に立ち上がった。


「また明日、お願いしに行ってみるよ」

「え? 何を?」


 ルシィの方が首をかしげた。話は終わったはずだ。

 しかし、セイディはトリスに同調する。


「あたしも。ここまで関わって、あとは人任せになんてできないわ」


 この時、一番冷静だったのはやはりハンナだった。年の功か。それを言ったら、ここで一番の年長者はルシィかもしれないが。

 ハンナはふぅ、と息をつく。


「落ち着きなさい、二人とも。自分たちの想いだけで突っ走るんじゃないよ。何が一番ルシィのためになるのかを考えなさい」


 王都に見送った方がルシィのためだと、少なくともハンナは思うのだろう。それは当然かもしれない。保護するというのだから。


「でも……」


 セイディは口ごもりながらルシィに目を向けた。


「ルシィは王都へ行きたい?」

「いいえ、ちっとも」


 それを聞くなり、ハンナの方が困った。申し訳ないが、行きたくない。


「ほら。やっぱりこの町に残れるようにクリフ様を説得しないと」


 聞き分けのない息子をハンナは目で咎める。


「あまりクリフ様を困らせてはいけないよ。あの方は無慈悲で仰っているわけではないんだから」

「それは、わかってるよ……」

「さあ、夕食の支度をしてしまおうかね。セイディ、手伝っておくれ」


 ハンナは立ち上がると、ルシィに表情で詫びていた。本当は力になれたらよかったと思ってくれたのだろうか。


 偶々知り合っただけなのに、そんな情けをかけていたら、この家は捨て犬捨て猫だらけになるのではないのか。

 それとも、犬猫ではなくて人間だから情が移ったのか。記憶のない、可哀想なルシィだから。嫌になるくらい善良な親子だ。


 ハンナとセイディが店の台所に入ると、トリスは座り直した。ルシィは机を挟んでトリスと顔を突き合わせる。


「もう少し、ギリギリまで手を打ってみるから」


 トリスは兄妹喧嘩をして叱られた後の子供のように見えた。だからか、ルシィは少し笑った。


「そんなにしてもらっても、私は宝石しかあげられないわ。他にどうしたらいいの?」


 それを言ったら、トリスはどこか傷ついたふうだった。


「どうしたらって、何かがほしいわけじゃないし。このまま別れたら、どこかでルシィが傷ついているんじゃないかって思えて、手を放していいのかわからないんだ」

「あら素敵。それって口説いてくれているのかしら?」


 フフ、と笑うと、トリスはまた傷ついた顔をした。

 真心に対し、ルシィが真剣に向き合わないからだろうか。けれど、彼らの心を信じる根拠がない。


 親切な人たちだとは思う。誰に対しても優しいのだろう。

 しかし、ルシィは普通の人間ではない。彼らの普通に当てはめて考えることはできない存在だ。彼らがそれを知らないだけで。


 ――やはり、ここは素直に出ていくべきかもしれない。


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