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魔女ルシエンヌの物語  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅴ「割れ得ぬ鏡」

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◆18

 森の外にセーブルの乗り物が控えている。

 あの船と同じくらい趣味の悪い鉄の塊だ。形は馬車の車体に似ているが、馬に曳かせるものではないらしい。


「空からついていくわ」


 地面に降りもせず、近づいただけでルシィが告げると、軍人たちは頭を下げて乗り物に乗り込んだ。少々のデコボコ道をものともせずに走っていく車輪が見える。ルシィはその乗り物の遅さに苛立ちつつも大人しくついていった。


 森から海沿いへと進んでいく。

 兵器の射程に障害物があってはならないからだ。

 その装置は岩だらけの海岸に設置されていた。油の混ざった鉄臭さを潮風が運ぶ。


 〈祈り(プレケス)〉という柔らかな名とは裏腹に、物々しい。光を受けて黒く輝く威容が、どちらが魔族かわからないほどだ。

 これをセイディの父親が考え出したという。


 組み上げられた兵器は、ハンナの食堂よりも大きい。ルシィは地面に降りてその全貌を見上げた。

 銃を大きくしたような細長い筒、上の方には輪っかがついている。下の方では研究員たちが群がって操作していた。

 この無機質な塊が世界を救う――はずである。


「……魔界の門の様子は?」


 アンセルムが研究員の一人に声をかけた。よく見ると、近くにウィシャートもいる。

 研究員は畏まって答える。


「昨日の牽制が効いているようで、今のところはまだ次なる出現はありません。風向きもよく、今が最良かと」


 その答えにアンセルムは満足したようだった。研究員からウズラの卵ほどの〈魔封石〉を五つ連ねた鎖を受け取り、それを持ってルシィに近づく。


「これに力を込めてくれ」


 蛍石に似ていて、水色の中に虹が見える。

 魔力が籠っていない時はこうした色で、魔力が充填されると紫色になるのだ。


 鎖を受け取ろうと手を伸ばし、ルシィは手前で一度止めた。

 ルシィの一挙手一投足にセーブル人もアージェント人も過敏になっている。

 焦らすつもりでやっているわけではないが、ほんの少し心の準備をしただけだ。


 ルシィは改めてその鎖を手に取った。

 アンセルムは鎖から手を放すと、ウィシャートに声をかける。


「よし、発射準備を開始しろ」

「はい!」


 ウィシャートは、死んで腐った魚のような目から生気をみなぎらせ、兵器に備えた画面を食い入るように見つめ始める。


「出力1700まで、あと962!」


 ルシィは〈魔封石〉を握り締め、深呼吸をしながら魔力を込めていく。

 以前は勝手に、何も念じずともこの石が家の中にあっただけで魔力を吸われた。だから、こうして手に持っていると吸収が速い。

 それもルシィの方から与えているのだから、五つある石はすでに薄紫色に染まっていた。


「あと668!」


 キィィイ、と耳馴染みのない音が高まっていく。兵器が立てている音だ。

 人の緊張が、はち切れんばかりに充満していた。海風もそれを散らすことはできない。


 ここにいるアージェント兵たちは魔科学に関しては門外漢だ。国王であっても、固唾を呑んで見守るしかない。


 アンセルムはルシィを見つめていた。ルシィ自身のことを多少は心配はしてくれているのも伝わる。


 ――こう、一気に魔力を吸われると疲労感がひどい。

 息を切らしながらもルシィが石に魔力を詰めると、石はアメシストに似た紫色に移り変わっていく。


「あと312!」


 確か、マーシャルの設計図では出力1701までであり、必要量の2250までに満たないから、その不足分をルシィが補うのだ。

 ルシィの力が550を上回る計算になる。それなら、この魔封石ひとつが110相当ということで――。


「あと106!」


 魔封石が黒ずんでいると思えるほど濃い紫に変わった。

 ルシィには加減がよくわからなかったのだ。そろそろかと思ったのだが、入れすぎてしまったらしい。魔封石のひとつがピシッと音を立てて欠けた。


「あ……っ」


 アンセルムが愕然としてルシィから魔封石を奪い取った。ルシィは汗を流しながらそれを見遣る。


「……まずい」


 ひと言零すと、アンセルムは魔封石を持ってウィシャートのもとへ走った。皆が慌てふためいている。

 この場合、ルシィが悪いのか。協力していたのにひどい話だ。


 重たい体を引きずってアンセルムたちのところへ近づくと、魔封石は〈プレケス〉の中に取り込まれた後だった。研究員たちが懸命に操作を続けている。


「どうだ、足りるか!?」


 アンセルムの声が震えている。

 悲願が叶うかどうかの瀬戸際だ。気が昂るのも当然かもしれないが。


 研究員は、乾いた声で告げる。


「しゅ、出力2199……」


 2250必要だと言った。

 微妙に足りない。あと少しだ。


 ルシィは肩で息をしつつ、アンセルムに声をかける。


「あの石はもうないの?」

「ない。あれで全部だ」


 アンセルムはクリフたち魔術師を使おうとも考えていた。

 それならば、直に魔力を注ぐこともできるのではないのか。


「直に魔力を注いだら?」


 すると、これにはウィシャートが答える。

 目が、先ほどの輝きを失って炭団に戻ったようだ。その暗さは絶望の色なのか。


「ただの人間がそんなことをしても、出力は1すら上げられない。たとえすべての魔力を根こそぎ注いだとしてもだ」


 希望を見せて、潰える。

 運命は人を弄ぶのが好きなのだ。そんなことは知っていたつもりなのに。


 ルシィは、嫌だなぁと嘆息した。

 その途端にアンセルムが皮手袋を脱ぎながら前に出る。


「……私がやる」

「陛下っ!?」


 そう、この男がやるに相応しいことだ。命を落としたとしても。


 けれど、残念ながらアンセルムでは力不足である。

 ルシィは場違いながらにくすりと笑ってやった。


「あなたじゃないでしょう? それができるのは私だけよ」


 魔力はまだ、体の中に残っている。

 けれど、それはもう半分以下――いいや、もっと少ない。


 それがわかっているくせにまだこんな大口を叩いてしまう。染みついた性分は変わらない。

 アンセルムはルシィの強がりに眉を顰めた。


「お前はもういい。十分だ」

「どこが十分なの? 足りてないじゃない」


 一歩前に進むと、足がもつれた。

 よく転ぶルシィだが、今のはいつもと違う。足に力が入らなかった。


 アンセルムの腕がルシィを抱き留める。知らない感覚ではないのに、今は体が受け入れられなかった。

 ここは違う。間に合っている。お呼びでない。


 ルシィは自分の足で立つと、アンセルムを押しのけた。

 アンセルムが痛々しいものを見るような目つきを向ける。その目が気に入らない。


「魔力と肉体とを切り離さずに使えば、体の方が耐えきれない。死ぬぞ」


 魔力は血のようなもの。

 〈プレケス〉に力を注ぐなら、ルシィは自らの血を与える覚悟でいなくてはならない。

 アンセルムの言葉もただの脅しではないのだ。


 ――死を身近に感じたのはこれが初めてではない。

 頭を殴られて死にかけた。あれは本当にゾッとするような体験だった。


 だからといって、ここですべてを無にしてしまっては意味がないのだ。


「死なないわよ。私を誰だと思っているの?」


 血の気の失せた顔でルシィは強がりを吐き、髪を掻き上げる。

 喪えない。だから、戦う。


「……どこに力を注げばいいの?」


 汗が頬を伝ってぽたりと地面に落ちる。こんなにも余裕のない顔は無様だ。

 それでも、そんな自分が嫌いではないかもしれない。


 護る者のために身を削るクリフが乗り移ったみたいだ。

 そうだ、疲れたから彼に介抱してもらおう。とことん甘えて困らせたい。

 世界を救うのなら、それくらいのわがままはささやかに思える。


「こ、ここの炉に……」


 研究員がタンタン、とボタンを叩いて炉とやらの入り口を開く。そこは兵器の大きさからすれば小さな穴だった。

 ルシィは炉に手を翳し、魔力を放出する。キィィイィ、と再び音が鳴り出した。


「――出力2201!」


 雷に打たれたような痺れと、骨が軋むような痛みが追ってきた。


「出力2206!」


 ほら見たことか。

 ただの人間とは違う。ルシィは魔女だ。ルシィにならできる。


 ハッ、ハッ、と浅い呼吸を繰り返していると、アンセルムの手がルシィの肩に回った。それを振り払う余裕がない。


「出力2214――2216!」


 息がしづらい。目の前が霞む。

 意識が吹き飛びそうだ。どうやって立っているのだろう。


「2241! あと少し!!」


 あと少し。その少しがキツい。

 空っぽだ。今、ルシィは森の中で無力さを感じた時以上に自分が空っぽであることを痛感していた。


 それでも、あと少しだ。

 命を絞るように魔力を捻り出す。目の前が真っ白になった。


「出力2249――2250! 到達しました!!」

「発射準備! 撃て!!」


 アンセルムの声と手を振った振動。そして、〈プレケス〉の唸り声を確かに聞いた。


 それがルシィの知る最後であった――。

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