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魔女ルシエンヌの物語  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅴ「割れ得ぬ鏡」

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◇11

 セイディは幼い頃のことなど何も覚えていない。

 出自がどうであれ、セイディにできることなど何もないというのに、この男たちはそれを許してくれないのだ。


「放して!」


 廊下を歩かされながらやっとそれだけを言ったが、声がかすれた。セイディの怯えを見て取り、兵士たちは嘲笑っただけだった。

 二人がかりで掴まれている腕はセイディの思い通りには動かない。


「どこをどう調べようか?」


 セイディの頭上の方で、両脇を押さえている男たちがボソボソと小声で話す。


「あの中でこの子が一番好みだったんだよな」

「俺も。まずは身体検査からかなぁ」

「結構着痩せするタイプかもよ」


 そんなことを言って笑っている。どこまでが冗談なのだろうか。

 セイディは囚人ではないのに、それに等しいような扱いをされている。


 不意に、セイディを拘束している男の手が腰に回された。

 気持ちが悪くて、体が強張る。脚が震えて転びそうになった。


 クリフでさえ捕まっている。こんなところまでトリスに助けに来てほしいと願うのは無理なことだ。

 わかっているのに、願わずにはいられない。助けて、と。


 セイディが廊下を連れられていく時、上に続く階段があった。しかし、男たちはそこを素通りした。

 手を振り払って階段を上がったところで逃げられない。それでも逃げ出したかった。


 どれだけ調べても、セイディは何も知らないし、何も持っていない。

 この男たちもそんなことはわかっていて、それでもあのウィシャートにつき合っているだけではないのかという気がした。もしくはただの気晴らしのつもりか。


 階段を通り過ぎ、数歩歩いた時、頬に微かな風を感じた。すると、セイディの左にいた男がくずおれる。


 何が起こったのかと、セイディは目を見開いたが、その時にはすでに右の男もセイディから手を放して倒れた。

 屈強な男二人でも抗えない何が起こったのだ。


 戸惑うセイディに、潜めた声がかかる。


「セイディ!」


 その声を聞きたいと願いすぎたから、幻聴が聞こえてしまったのかと思った。

 けれど、セイディの肩をつかんだのは、紛れもなくトリスであった。いつものエストックを手に、顔は感情が高ぶって赤らんでいた。


 剣一本を武器に、ここまで来たというのだろうか。

 セイディのために。


 思わず涙が溢れそうになる。


「ト、トリス……?」


 ここはまだ敵陣の最中だ。気を抜いてはいけない。

 そう思うのに、トリスの顔を見た途端にこのまま死んでしまってもいいとさえ思えた。


 妹だから。家族だから。

 震えていれば抱き締めてくれる。


 多くは望まない。今はなんでもいい。

 抱き締めて震えを止めてほしかった。


 トリスの首に腕を回し、セイディはこれが夢でないことを願った。

 剣の刃を気にしながらトリスはセイディを抱き締め返し、耳朶をくすぐるように名を呼んだ。


「無事でよかった……」


 答えようとしたけれど、感情が洪水のようで、理性が決壊して声にならない。僅かに呻き声を上げると、トリスがセイディを抱き締める力がきつくなった。


「俺、もうセイディの兄貴はやめる」


 トリスの発言がいきなりすぎて、セイディの涙が止まった。

 意味を受け取り損ねたセイディは、トリスの真意が知りたくて顔を上げる。その顔に、軽く唇が触れた。

 思考が停止するには十分な衝撃だった。


「覚悟するのが遅くてごめん」


 幼さの残る顔立ちがいつもよりも凛々しく見えた。

 唇が触れたのはほんの刹那で、気のせいかと思うほど短かったのに、体中が熱を持ったように狂い出す。


「……本物のトリスよね?」


 思わずそんなことを言ってしまうほどにはらしくない。偽者か、幻か。

 けれど、トリスは苦笑した。


「ずっとセイディのことが好きだった。でも、家族だったから、変化が怖くて」

「ずっと? あたしだってずっと、トリスが好きだったのに」

「セイディはどれだけ告白されても他の男は全部断ってくれるって信じてた」


 随分勝手なことを言う。

 トリスの笑顔は巧妙に作られていて、そんな感情は見えてこなかったのに。不安に堪えた方の身にもなってほしい。


「断る理由が言えなくて苦しかった。でも、本当は誰かをトリス以上に好きになれたらいいのにって、そういう人が現れるのを待ってたの。……でも、無理で、どうしても」


 それを言うと、またトリスに力いっぱい抱き締められた。そんな場合ではないのに、気持ちが通じ合ったことで状況も忘れて幸せな心地がした。


 ただ、少し痛い。鏡のペンダントが肌に食い込んでいる。

 セイディはトリスの腕が緩むと、ペンダントを服の下から引っ張り出した。


「そんなヤツ、いて堪るか。……でも、ルシィが男じゃなくてよかったな。とても勝てないし」


 トリスの言い分に、セイディは涙を拭いながら笑った。


「そうね。あたしもトリスがルシィの好みじゃなくて助かったと思ってる。とても勝てないもの」


 ルシィは、トリスのことが好きだと初めて言えた相手だ。

 それまでは誰にも言えずに秘め続けていた。ルシィは応援してくれたから、それで随分力をもらえた。


 フワフワと、信じられないような気分だったが、廊下に倒れている兵士たちが目の端に入って現実に引き戻された。


「……ねえ、トリス。この倒れている人たちってどうしたの?」


 一向に起きないので、冷静になると不安になった。死んではいないようだが。


「これは、ルシィの力なんだ」


 トリスの返答に、セイディは首をかしげる。


「剣にルシィの薬を塗ってきたのね?」


 ルシィの薬は効き目が抜群だ。それにしても即効性がありすぎるとは思うが。

 すると、トリスはどう説明したものかと、困ったような顔をした。


「詳しいことはまた後だな。ルシィもこの船に乗り込んでて、下層のクリフ様を助けに行ったんだ」

「ルシィが? 一人で? そんな……っ」


 あのクリフが捕まるような相手なのだ。そそっかしいルシィがどうにかできるとは思えない。

 美人だから、相手が油断してくれたとしても難しいだろう。

 トリスはセイディを助けるためにルシィとは別行動を取るしかなかったのか。


 愕然としたセイディに、トリスは言う。


「ルシィは心配要らないと思う。それより、セイディと一緒に捕まった他の女の子のことも助けないといけない」

「心配要らないって……?」

「むしろ、ルシィが合流するまで頑張らないとな」


 トリスは本気で言っているようだった。ルシィには何か秘策があるということなのかもしれない。

 だからといって、まったく心配要らないということはない。


 セイディはルシィとクリフの無事を祈った。皆で生きて帰りたい。

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