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魔女ルシエンヌの物語  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅴ「割れ得ぬ鏡」

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◇9

 セイディには、たった数時間の出来事が目まぐるしく感じられた。


 これは白昼夢か何かかと自問してみるが、傍らで泣いている少女たちの嘆きが現実味を帯びていた。

 皆、同世代の子たちだ。食堂の手伝いで忙しいセイディはあまりつるむことをしなかったけれど、互いのことは知っている。


 そのうちの一人、リベカは以前、セイディに告白してきた男のことで突っかかってきたことがある。セイディの方が媚びたくせに、気を持たせて振るのが楽しいだけだろうと。


 怒ってはいないが、相手にもしなかった。そのリベカも泣いている。

 セイディは泣かなかった。泣いても解決しないからだ。


 何が起こっているのかをまず正確に知らなくてはならない。

 この部屋は、絨毯が敷かれているだけで家具も何もない。窓すらない。船の底の方だからだろうか。


 急に町を占拠したこの軍隊はなんなのか。

 食堂に押し入ってセイディを捕まえたが、突き飛ばされた母はあの後どうしたのだろう。トリスと薬草採取に外へ出かけたルシィが捕まっていないといい。

 娘たちを盾にされ、大人しく拘束されたクリフもこの船の中にいるに違いないが、無事だろうか。


 このままどこかへ連れ去られるとしたら、二度とトリスに会えなくなるのか。

 それだけは考えてはいけない。考えると、思考が麻痺するほどに悲しくなる。発狂しそうだ。

 セイディは強く唇を噛み締めて正気を保った。


 そうしていると、学者らしき気難しそうな男が部屋に来た。五十代後半くらいか。鷲鼻で痩せて筋張っている。

 すすり泣く少女たちを鬱陶しそうに見遣った。


「これで全員か?」

「はい」


 見張りの兵が答えた。男は娘たちを品定めするように見ている。その目つきはどこか憎しみすら感じさせるものがあった。ゾッとする、海底ほどに冷たい目だ。

 その目がセイディに留まる。それでも、セイディは目を逸らさなかった。疚しいことなどない。


「……この娘だな。ヤツの面影がある」


 何を言っているのだろう。セイディが眉を顰めると、男の目にはさらなる憎しみが浮かんだ。


「お前がマーシャルの娘だ。そうだろう?」


 マーシャルとは誰のことなのかもわからない。セイディには答えようがなかった。

 だからか、男はセイディに向けて言った。


「ロダリック・マーシャル。セーブルの魔科学者だ。十年以上前に死去したがな」


 知らない。

 セイディはアジュールの孤児だ。セーブルと関りなどない。

 それなのに、何故かこの男の言うことがセイディにとって意味があるような気がしてしまう。


 ――夜間に夢を見て、慌てて起きるともう眠れなくなる。

 その夢には決まってある男性がいた。

 セイディと同じ茶髪の、ところどころが跳ねている。身だしなみには無頓着で、それでも目が優しい。


 小さな子をあやすように語りかけ、離れる。

 あれはもしかすると、セイディと血の繋がりがある人なのではないのかと何度か考えた。

 けれど、夢は所詮夢で、孤児のセイディが勝手に夢想して作り上げた人物にも思えた。


 その男性は、セイディに小さな鏡のついたペンダントをかけて、そうして抱き締めて離れるのだ。

 ペンダントは、瓦礫のそばで泣いていたセイディが唯一持ち続けることのできた品だった。服も靴もボロボロだったけれど、この鏡は丈夫で割れなかった。


 スプーンくらいの小さな鏡で、化粧直しの役にも立たない子供の玩具だ。それでも、この丈夫さを思うといいものだろうと大事にしてきた。

 身元に繋がる品かもしれないから、大事にした方がいいと母にも言われた。


 けれど、セイディは自分がどこの誰なのかなんてことは知らない方がいいという気になっていた。

 それくらい、母もトリスもセイディを可愛がってくれた。二人といたいと思った。


 自分の素性がまったく気にならなかったわけではない。夢を見てうなされてしまうのは、本当の両親を忘れた後ろめたさからだろうと考える。


 それが今、どこの誰とも知れない男に事実を突きつけられている。

 もし、その人物が本当にセイディの父親だとしたら、すでに生きてはいないのだ。多分そうだろうとは思っていたけれど、はっきりしてみると心にグラスの縁が欠けたような微かな痛みがある。


「ヤツは危機感から幼い娘を船に乗せて逃がした。そのことは巧妙に隠されていて、探り当てるまでにこんなにも時間がかかってしまったが、ようやく突き止めることができた」


 セイディは無言だった。

 それで、だからといってセイディに何を求めているのかがわからない。

 セイディはハンナに助けてもらい、育てられたのだ。できることは料理や洗濯、掃除といった家事くらいで、どこにでもいる娘でしかない。


 怯えている自分を自覚したくないがために、セイディは心を無にしていた。


「ウィシャート博士、この娘を取り調べればよいのですか?」


 学者はウィシャートというらしい。

 ウィシャートはうなずいた。


「ああ、殺さん程度にな」


 口ではそう言うが、いっそ惨たらしく死ねばいいとでも思っているのが伝わる。

 この男とは初対面だ。恨みを買った覚えはない。この男は、余程、セイディの実父のことが嫌いだったのだろう。

 面影に憎悪を滾らせられても迷惑だ。


「立て」


 兵士に腕を引っ張って立たされた。

 毅然と、それこそルシィのようにいつでも平然と微笑んでいたいのに、セイディにはそれが難しかった。


 怖い。本当は、叫び出したくて堪らなかった。ただし、それをすれば殴られるだけだという分別だけが残っていてそれをさせないだけだ。


 セイディが両腕をつかまれて部屋から出される時、他の娘たちは不安そうに震えていた。

 しかし、彼女たちを気遣うゆとりがセイディにあったはずもない――。

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