◆7
庭に兵士はいない。ルシィの薬作りのせいで焦げついた一角を目がけて降りる。
領主館に誰がいようと、ルシィに指一本触れることはできないのだ。恐れることもなく館へ続くアーケードを歩く。
横手の扉は施錠されており、開かなかったので壊した。後で怒られるかもしれないが、非常時だ。
廊下を歩くと、館の中は静かだった。誰もいないのかと思うほど静かである。
ルシィはずかずかと歩き、クリフがいると思われる執務室の扉を無言で開いた。そうしたら、中にはモリンズと見知らぬ男がいた。
「……あら? だぁれ?」
「ル、ルシィさん!」
モリンズは椅子にくくりつけられており、男は軍服を着ていた。味方ではないだろう。
「女と……子供?」
子供扱いされたが、トリスに怒っている暇はない。男は一人だけだったため、トリスは素早く踏み込み、男が手にしていたものを使う前に手の甲を斬りつけた。
トリスの剣さばきは、いつ抜いたのかもわからないほど速い。
「なっ!」
男が落とした鉄の塊を、ルシィは見遣っただけで破壊した。
あれは、セーブルの武器だ。引き金を引くだけで、使用者の魔力を殺傷能力の高い弾にして撃つ〈銃〉と呼ばれるもの。
ということは、この黒い軍服の男はセーブル人ということだろう。
ルシィは魔法で銃を捻じ曲げた後、セーブル人を昏倒させた。傍目には勝手に倒れたように見えるだろうけれど、ルシィが頭を殴ったほどの衝撃を与えたのだ。
どさりと倒れた男を放って、ルシィはモリンズの縄を解きに行く。
「クリフはどこ?」
短く問うと、モリンズは焦って口早に答えた。
「あ、あの船に連れていかれました」
「あの船って、黒い塊の?」
老執事は何度もうなずく。
「クリフ様が抵抗もしないで連れていかれるなんて、町の子たちを盾に取られたせいか……」
トリスが苦々しく吐き捨てる。モリンズは手首が痛むのか、摩っていた。
「ええ。……セイディさんもいらっしゃいました」
それを聞き、トリスは胃が絞めつけられたような顔をした。モリンズはそれを気遣いつつ、続ける。
「そこにルシィさんがいらっしゃらなくて、上手く逃れられたのだと安堵していたのですが、まさかこういう登場をされるとは……」
「薬草を採りに、トリスと町の外にいたのよね」
「そうでしたか。町の娘たちはすべて広場に集められ、吟味されていたようです」
「吟味? 可愛い娘だけ選り好みしていたんじゃないでしょうね?」
セイディは可愛いから、どのみち連れていかれてしまう。
――と、これは冗談だ。魔女を捜しているのなら、特徴の近い娘だけを選んだのだろう。
しかし、モリンズの言葉は意外なものだった。
「船に乗せられる時に見た限り、選ばれた娘たちに特徴があるとしたら、まずは年齢でしょうか。五人ほどいましたが、全員がセイディさんと同じくらいです」
「セイディは十八だから、大体が十代後半ね」
「それから、長さは様々でしたが、皆がそろって茶髪でした。これが偶然なのかはよくわかりませんが」
十代後半の茶髪の少女。
ルシィは茶髪ではない。魔女を捜しているのではないのか。
そう思い込んでいたせいか、意味がわからなくなってきた。
しかし、ルシィたちが取るべき行動はひとつだ。
「よくわからないけれど、クリフとセイディを返してもらわないと」
平然と言い放ったルシィに、モリンズはどこか泣きそうな目をした。
「この町で一番の脅威はクリフ様だと判断したので連れ去ったのでしょう。ご無事でいてくださることを信じるよりありませんが……」
あの連合軍が何を企んでいるのかは未知だ。
それでも、クリフが邪魔になるから捕らえた。邪魔になる男を生かしておくつもりはあるだろうか。
それを考えたら、ルシィの中で魔力がとぐろを巻くように駆け巡った。
もし、クリフに何かしたら、あの不格好な船ごと海に沈めてやろう。
ルシィの怒りに、窓ガラスがパリパリと音を立て始めたので我に返った。
「じゃあ、あの船に乗り込んでくるわ。この男もそのうち目を覚ますから、それまでに縛るなりしておいて。あなたも気をつけて」
「ル、ルシィさん、またそんな無茶を。クリフ様を悲しませるようなことは――」
「平気よ。私は強いから」
にこりと笑って、ルシィは部屋を出た。トリスだけがついてくる。
「さあ、行くわよ」
「う、うん」
庭に出ると、ルシィは一度立ち止まってさっきの箒を呼び寄せた。ルシィの手に飛んできた箒を持ちながらルシィは考える。
「ああ、この庭から灯台に続く崖に出られるのよね。そこから降りたらあの船の甲板に行けるんじゃないかしら」
「……海に落ちないように気をつけないと」
トリスは自分で言いながらゾッとしたようだった。庭を行き、塀の切れ目にある灯台に続く扉の前に辿り着く。
ルシィは箒を持ったまま、ドアノブではなくトリスの手を握った。二人の体はふわりと浮き、塀を軽々と飛び越す。その先の道は絶壁だ。遮るものもなく、風当たりが強い。トリスは風に髪を乱されているが、ルシィは一切の風を遮断してそこに立っている。
「トリス、その剣を貸して」
「え? ああ」
トリスの鞘から抜いたエストックを受け取ると、ルシィは魔力を注いだ。
これでこの剣は鉄でさえも切れないものはないし、決して折れることもない。さっきのような銃の魔弾でさえも防ぐ。
「私の力を込めたから、この剣ならなんでも切れるわ。人間だって縦に真っ二つよ」
「……本気で?」
信じていないというよりは、そこまでしたくないと言いたいのだろう。
しかし、ルシィは厳しい。
「セイディに何かあったらどうするの? それくらいの気持ちで行かないと」
「うん、わかった」
わかったと言うが、少々の無理はしている。顔は強張っていた。
ルシィはその頬をぺちんと叩く。
「もしクリフとセイディが別々のところに捕らわれていたら、セイディのところにはあなたが行くのよ。怖気づいちゃ駄目。私が助けているんだから、あなたは無敵。わかった?」
「わかった」
素直でよろしい。
ただ、口では厳しいことを言っても、ルシィはいつまでも少年のようなトリスを気に入っているから、人殺しなどさせたくないとも思っている。
「まあ、真っ二つにもできるけど、この剣で軽く傷をつけるだけで敵は眠るようにしておいたわ。トリスに敵の頭をかち割らせたら、ハンナに申し訳ないし」
「かちわ……」
無理をして笑ったトリスを再び箒の柄に乗せる。トリスはしみじみとつぶやいた。
「ルシィって、本当に魔女なんだな」
「そうよ。怖い?」
この半年、家族として暮らしてきた。返答によってはルシィも少し悲しいかもしれない。
トリスは箒の柄をグッと握り締め、そして力強く言った。
「怖くはないよ。だって、ルシィだから」
「そう、ありがとう」
ルシィは微笑んで、空へと飛び上った。




