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魔女ルシエンヌの物語  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅴ「割れ得ぬ鏡」

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◆6

 トリスは広場で捕らえられていた。

 護身用の剣も取り上げられ、三人の兵士に押さえつけられている。

 殴られたのか、口の端が切れていた。それを見た時、ルシィの怒りがまた再燃した。


「――まったく、手こずらせやがって」

「こんな子供相手に本気になるなよ」


 兵士たちが軽口をたたいている。それをルシィは一瞬で跳ね飛ばした。

 突風が吹いたような感覚だっただろうか。大の男の体が二階に到達するほどに飛んだのだ。トリスだけを残して。


 トリスは愕然としていた。目にしたものが信じられないようだ。そんなトリスの前に、取り上げられた剣がカシャン、と音を立てて戻ってきた。

 それがさらに、トリスが夢を見ているのではないかと疑う現象だった。


「トリス、無事ね?」


 どこからともなくやってきたルシィが手を差し伸べると、トリスは半信半疑でその手を取り、立ち上がった。


「ルシィ……。いつの間に町に戻ったんだ?」

「あなたが揉めている間に、こっそり」


 くすりと笑ってみせる。

 ルシィの変化に、今のトリスは気づけないらしい。相当に気が焦っている。


「ハンナは家で休ませてきたけれど、セイディは捕まっているわ。助けに行かなくちゃ」


 それを聞くなり、トリスは唇をギュッと噛み締めた。口の中に滲む血の味が現実だと知らしめてくれたことだろう。

 そんな彼に向けてルシィは問いかける。


「もちろん、助けに行くわよね?」


 すると、トリスは大きくうなずいた。その決意を疑うわけではない。


「セイディが捕まってるなら、行くに決まってるだろ」


 トリスの手が、剣の柄を握ってカタカタと震える。怖気づいているのではない。感情を持て余しているように見えた。

 こんな時に意地悪かもしれないが、ルシィは言った。


「大事な妹だものね」

「うん」

「血の繋がらない、大事な妹よね。トリスはセイディが妹じゃなかったら助けに行かないの?」


 その途端、トリスは大きく目を見開いた。ルシィの言葉の意味を噛み砕きたくないのかもしれない。


「たとえば、セイディがお嫁に行っていたら、血の繋がらないセイディはもう家族じゃないの? 違う家に保護されていたら、セイディはトリスの妹じゃないわ。妹じゃないセイディだったら助けに行かないの?」


 セイディは今、怖い思いをしている。

 そこで必死に自分を保とうと耐えている。トリスが助けに来てくれたらと願っている。


 そんなセイディに向かって、助けに現れるなり無神経なことを言ってはいけない。

 妹だから助けに行くのは兄の義務だなんて、そんな言葉をセイディは求めていないのだから。


 それがわかるから、ルシィは先に厳しいことを言っておく。

 トリスは戸惑いながらゆるくかぶりを振った。


「セイディは、セイディだ。どんな立場でも、俺は助けに行くよ」


 これが精一杯の言葉だろう。ルシィはそこで納得した。


「あなた、セイディがどんな気持ちで毎日過ごしていたか、本当は気づいているんじゃないの?」


 本当はセイディが問いかけるべきことだが、ルシィも聞きたくなった。

 トリスは観念したのか、少し笑う。


「一緒に暮らしている女の子のことが好きだって自覚した少年はどうしたらよかったと思う?」

「好きだって言えば?」

「ルシィならそうかもしれないけどさ。俺は、家族三人でいたかったんだ。気持ちに蓋をして、鈍感になる癖がついたのも仕方がないことなんだよ」


 トリスにはトリスなりの苦労もあったらしい。それを聞けて、ルシィもほっとした。


「大丈夫よ。これからは私とクリフもあなたたちの味方になってあげるから」


 そう言って笑いかけると、トリスは顔を赤らめた。こんな表情は初めて見たかもしれない。

 善良で嘘つきなトリスの、偽らない本心だ。


「じゃあ、助けに行きましょう」

「――って、まさかルシィまで行く気か?」

「そうよ。むしろ、私がいなくちゃ無理でしょうね」


 はっきりと言いきったルシィに、トリスは戸惑っている。それでも構わずにルシィは辺りを見回しながらつぶやいた。


「ええと、まずは領主館に行って、クリフがどうしているのか知らないと。あそこまで行きましょう」


 クリフはきっと拘束されているだろう。セイディたちもどこへ連れていかれたのかを知らなければ。


「行きましょうって、道は兵士だらけだし、多分封鎖されてる。簡単には行けないよ」

「そうねぇ」


 ルシィは煉瓦の壁に立てかけてあった(ほうき)を見つけた。

 駆け寄ってそれを取ってくる。トリスには奇行にしか見えないだろうが。


「……今から掃除?」

「そんなわけないでしょう。これが丁度いいのよ」


 ルシィが箒を手放して横に倒すと、箒は石畳の上に倒れることなく浮いた。トリスは目を疑い、実際に何度も擦っている。

 ルシィはその箒に横座りして、隣を指さす。


「あなたは慣れていないから、ちゃんとしがみついた方がいいわよ」

「どういうこと?」

「空を飛ぶから」

「…………」


 前から変な人だとは思っていたけれど――という目をされた。ひどい。

 ルシィは少し苛立ちながら言った。


「急ぐから、早く」


 箒は浮いているし、ルシィは変だし――で、トリスはもう深く考えることをやめたのかもしれない。

 箒に座ると、両手でしっかりと柄を握った。ルシィはうなずく。


「本当はね、こんなのなくったって飛べるのよ。でも、あった方がいいの」


 魔女は箒を使って飛ぶと誤解されがちだが、本当は違う。なくても飛べるのだ。

 ただし、スカートでそれをしたら中が丸見えである。こう、何かに腰かける形で飛ばないと。


「驚いて舌を噛まないでね」


 それだけ断ると、ルシィはモーティマー通りの入り口広場から浮き上がった。トリスの動揺が隣にいて伝わる。

 墓地も教会も、〈カラスとオリーブの枝亭〉も、領主館へ続く坂も、港も、海も見える。


 空では誰にも邪魔されない。海鳥たちよりも高く飛んだ。

 風を切り、言葉を失くしているトリスに、ルシィは言う。


「あのね、私の名前はルシエンヌっていうの」


 ルシエンヌ。森の中の魔女。

 しかし、トリスは――。


「……俺はトリスタンだよ」

「知ってるわよ、それくらい」


 名前の長さを競っているのではない。

 どうやら、海を挟んだアジュールにまで魔女の名前は知れ渡っていなかったらしい。


「私は魔女なのよ。もっとも、つい最近まで魔法が使えなかったんだけど」


 クリフではなく、どういうわけかトリスに真っ先に告白することになってしまった。

 思えば、ルシィを拾ってきたのはトリスなのだから、この流れも自然だと言えなくはない。


「魔女?」


 本当に、トリスには現状が抱えきれないものになってしまったらしく、呆然としていた。

 そんな彼を空から落としてしまわないように気をつけつつ、ルシィは領主館の庭へ急降下した。

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