◆4
出来上がった軟膏をハンナにプレゼントする。
ジャムの瓶に入っているが、効力は保証する。結構な力を込めて仕上げたのだから。
「ハンナ、この軟膏を毎日膝に塗って。きっと楽になるわ」
椅子に座って膝を摩っているハンナに、ルシィは薄緑色をした軟膏を渡した。ハンナは目を瞬かせ、それから微笑んだ。
「ありがとうよ、ルシィ」
きっと、何をしても今さらよくはならないと思っているが、ルシィがせっかくくれたのだから効かないとは言えないのだ。
それは伝わったが、使ってびっくりするのもルシィはわかっているから気にしない。
「きっとよくなるから」
にっこりと笑った。
そうして、またトリスを薬草摘みに駆り出す。
この時、セイディは用事があると言って出かけようとした。
なんとなくよそよそしく感じられたので、ルシィはトリスに聞こえないよう、セイディの耳元でささやいた。
「あら、用事ってデートかしら? トリスはいいの?」
そんなわけはない。
わかっていて言ったのは、セイディが隠し事をしているようで寂しかったから、少しからかっただけだ。
セイディは可愛らしく頬を膨らませ、ルシィを上目遣いで見た。それから目を逸らし、小さく零す。
「教会に」
「え? 教会?」
いつからそんなに信心深くなったのだろう。年に数えるくらいしか行かないと言っていたくせに。
教会に行くのが何故そんなに疚しいのかと思ったら、ルシィに聞かせたくないだけだった。
「前にルシィが大怪我をした時に教会でお祈りしたの。ルシィを助けてくださいって。今まで寄りつかなかったくせに、困った時だけ縋りついたのよ。ルシィを助けてくれたらこれからはちゃんと通いますって。だから……」
あの時、見舞いに顔を見せてくれた以上にセイディはルシィを想ってくれていた。
セイディは恩着せがましくて言いたくなかったのかもしれないが、ルシィはそれを聞けてよかった。
心のままにセイディを力いっぱい抱き締めた。
「い、痛いってばっ」
そう言いながらも笑いを含んだ声だ。
「好きよ、セイディ。大好き」
「うん、私も」
セイディが抱き締め返してくる。
可愛いセイディがもっともっと幸せになれますように、と、信心深くないルシィはトリスに祈っておいた。
「二人とも何やってんだ? ルシィ、行くんじゃないのか?」
まったく伝わらず、のん気に言われたけれど。
セイディを教会へ送り出し、ルシィとトリスは町を出る。
また手を切るかもしれないので、今日は最初から手袋を用意しておいた。
「今日はね、ヘレボルスもほしいの。あと、キクニガナも」
「……ルシィって、本当に変なのばっかりほしがるなぁ」
「何言ってるのよ。どれも薬草なんだから」
「はいはい」
口の前に手を動かさないと帰れないのだと、トリスも学んでくれたらしい。せっせと薬草を摘んでいる。
二人、無言で薬草を摘み、駕籠がそろそろいっぱいになったかという頃になって、トリスは体が固まって痛くなったのか立ち上がった。
そうして、海を眺めていたかと思うと、目を見開いていた。
「……なんだ、あれ?」
「え?」
ルシィも立ち上がって海を見た。
すると、日差しを受けて煌めく海に岩のような黒い塊が浮いていた。
浮いているというのも違う。それはかなりの速度で進んでいた。シェブロンの町へ向けて。
「魔族ではないわよね?」
「うん。でも、帆もないから船じゃないよな?」
二人して呆然とその塊を眺めた。
あれは一体何なのか。まるで要塞が海に浮かんでいるようだ。
どんどん近づき、その塊の姿が見えてくる。上には人が乗っていた。一人、二人ではない。
何十人、もしかすると、何百人といるのかもしれない。あれだけの数を乗せ、帆も張らずに動かすのなら、あれは普通の船ではない。
あんな鉄の塊のような船を作るのは、多分セーブル帝国だろう。
しかし、甲板にいる男たちの中にはアージェント王国の軍服をまとった者がいた。これは一体何なのか。
そこでルシィはハッとした。
まさか、二国が協力して魔女であるルシィをここまで捜しに来たなんてことがあるのだろうか。
けれどそれ以外になんの用があって、あんな物々しい船をアジュールの港へ着けようとするのだろう。余程、火急の用事でもなければやらない行為だ。
アジュールとこの二国は同盟国でこそないが、大陸が分かれていることもあり、互いに干渉し合うことはほぼない。それにしても不躾だ。侵略行為と見なされても仕方がない。
そうなったとしても、魔女であるルシィをアジュールに渡してはならないと思っているのだろうか。
ドキドキと、心臓がいつになく騒いだ。
ルシィでもそうなのだから、トリスは顔色を失っている。故郷が荒らされようとしているのだから無理もない。
「何が起こってるんだ?」
すぐに町に戻るべきか、様子を窺うべきか、ルシィは迷った。
まず、あの船の責任者は、領主であるクリフに会うはずだ。クリフはどうするだろう。
彼のことだから、いきなり喧嘩腰で話したりはしないと思うが、向こうの目的次第だ。
「俺、町に戻る!」
セイディとハンナのことが心配なのはもちろんだが、トリスは自警団で、町の人々も護る役割がある。ここでぼうっとしているわけには行かないと感じたのだろう。
ルシィは戻るべきか、ここに潜んでいるべきか悩んだ。
狙いがルシィなら、町にいない方がいい。しかし、ルシィが出て行かないと収拾がつかないかもしれない。
ルシィの魔力が完全に戻れば問題はない。蹴散らしてやる。
あとどれくらいで戻るのだろう。それを待っていて間に合うだろうか。
駆け出そうとしたトリスを、ルシィは引き留めた。
「トリス、少しだけ待って!」
そうして、空に向けて呼びかける。
「ねえ、何が起こっているの? 誰か、教えて!」
トリスにしてみたら、ルシィが変になったというところかもしれないが、もちろん変になったわけではない。
ルシィの呼びかけに、空を飛んでいた海鳥が答えてくれた。
『黒い大岩からヒトが続々と出てくるよ。何か喚いて、町中の娘を広場に集めているね』
町中の娘を集めている――。
これは間違いない。魔女狩りだ。どうしようか。
そこでルシィは嫌なことを考えてしまった。
「娘って、セイディも……?」
セイディも若い娘である。広場に集められているかもしれない。
しかし、魔女の容姿を知っている者が選別するのなら、セイディはすぐに除外されるだろうか。心配してルシィが飛び込む方がまずいかもしれない。
もしルシィが連れ去られることになったら、クリフは立場を忘れて振る舞う可能性もなくはない。
ルシィのつぶやきをトリスが拾って眉根を寄せた。
「ルシィ、セイディがどうしたって?」
いつもの童顔が引き攣っている。どう答えたらいいだろう。
「……ねえ、トリス。あの船みたいなものは多分、セーブルとアージェントの連合軍よ。なんでアジュールの港に乗りつけたのかはわからないけど」
「なんだそれ!?」
トリスはそれ以上ルシィの話を聞かず、バスケットを放って駆け出した。
ルシィは大きく深呼吸をし、考える。
――このまま、また逃げようか。
そうすると、クリフたちとは別れることになる。
嫌だな、とこの時はっきりと思った。
森に帰ろうかと、森を捨てられないつもりでいたけれど、今はこの町も好きだった。
クリフやシェルヴィー家の皆が好きだ。別れるのは悲しい。
それなら、一か八か、力が近いうちに戻ることを願って立ち向かうしかない。
ルシィは覚悟を決め、空を仰いだ。
キラキラと輝かしい光が降り注ぐ。
人間たちの愚行とは裏腹に、世界は美しい。




