◆3
翌日。
薬の材料を量り、鍋に放り込んでからクリフの館に向かった。
鍋を抱えて歩いているルシィは、差し入れでも持っていくように思われるかもしれないが、中身は美味しいものではない。
今回の薬はそんなに臭わないとは思うが、トリスが嫌がるので厨房は使わないことにする。
作りたい薬はふたつ。でも鍋はひとつしかないので、二日に分けて作るしかなさそうだ。
館に着くと、クリフに顔を見せるよりも先に庭で煉瓦を組み、即席の竈を作った。火をつけるのに魔鉱石を持ってきたが、試しに少し、指先に火を出してみる。
魔力を消費する懐かしい感覚に、ルシィは涙が滲みそうになった。
火は、ついたのだ。ルシィが望むままに。
ただ、やはり無駄遣いをしたくなくて、すぐに魔鉱石に切り替える。
鍋を火にかけながら、ルシィはぼんやりとしていた。
どうして急に魔力が戻りつつあるのだろう。そもそも、何故ルシィの魔力は枯渇したのだろう。
母は、こんな現象の話をしてくれたことはなかった。多分、経験していないからだろう。
魔女たちが、ではなく、ルシィにだけ起こった現象なのか――。
「ルシィ」
背中から声がかかった。クリフが庭に下りてきたらしい。
「煙が上がっていたから、来ていると思って」
発見された理由が面白い。
庭丁が綺麗に整えてくれている庭なのに、煙がもうもうと上がっている。
「……この薬は?」
「睡眠薬」
そう答えたせいか、クリフのまぶたがやや下がっていた。煙の成分に反応しているようだ。相変わらず敏感な。
ルシィが鍋の蓋を閉めると、クリフは持ち直した。
「セイディが不眠症気味だから作ってるの」
「セイディが? 何か気になることでもあるのか」
「あるでしょうよ。お年頃だもの」
おどけて言うと、クリフも苦笑してルシィの隣にしゃがんだ。
「薬で眠るよりも心配事が解決するといいが」
この時、クリフはルシィの目を見つめた。
今、誰よりも至近距離で見つめるクリフは、ルシィの変化を僅かながらに感じたのかもしれない。一瞬、怪訝そうな色を浮かべたのだ。
ルシィは、再び鍋の蓋を開いた。
すると、クリフはまた睡魔と戦い出した。
「この煙の臭いが……」
こてん、とクリフの首がルシィの肩に載る。
一度、ハッとして首をもたげたが、しばらく舟を漕いで抵抗しつつも、やはり落ちた。
火の方に転ぶと危ないので、ルシィはいつかのようにクリフの頭を膝に載せて寝かせた。
すぅすぅとよく眠っている。近頃忙しくしすぎだから丁度いいのかもしれない。
無防備な寝顔を眺めながらクリフの髪を撫でていると、愛しいという気持ちが湧く。
もし、魔力が戻らないままであれば、ずっとクリフのそばにいるという選択をいずれはしたかもしれない。
けれど、状況が変わってきた。
ルシィの寿命は人とは違う。クリフがいなくても生きていかなくてはならないのだ。
やはり、森に帰るべきだろう。あの森は、何百年と変わらずに魔女と共にあったのだから、これからもきっと、あの森だけがルシィの居場所だ。
ただし、母がそうであったように、ルシィも母親になってもいいのかもしれない。
それなら、クリフの子供がいいと思う。その子供はいずれ、ルシィを看取るだろう。
ルシィはそれでいい。幸せだ。
けれど、クリフは納得してくれるだろうか。
それから、寝ているクリフをモリンズに託して帰ると、まずセイディに睡眠薬を渡した。
「グラス一杯の水に三滴でいいわ。入れすぎは駄目よ。効かなかったら一滴増やしてみてもいいけど」
薬草を煮詰めて上澄みだけを取った睡眠薬だ。ジャムの瓶では大きすぎたので、帰り道に小瓶を買ってそれに入れた。
「ありがとう、ルシィ」
セイディは快く受け取ってくれたので、今日は眠れるといい。
――翌朝、セイディは珍しく寝坊したので、よく効いたのは聞かなくてもわかった。
翌日、今度はハンナの膝のための薬を作る。塗りやすい軟膏にしておこう。
またクリフの館の庭でクタクタと薬を煮ていると、クリフがやってきた。煙が出ていたのだろう。
今日は傷薬だから煙にも害がない。
クリフは、ルシィの後ろから手を伸ばし、抱き締めた。
以前なら、誰が見ているかわからないようなところではしなかっただろうに、慣れたのだろうか。それとも、恋は盲目というヤツか。
そんなことをルシィが考えていると、クリフはぼそりと言った。
「……この前の返事はまだもらえないのか?」
ルシィは慌てることなく、ゆっくりと返す。
「そうねぇ。まだそれほど経ってないじゃない」
すると、クリフは腕の力を強めた。
「返事がもらえないのは、君がここに留まるつもりがないからか?」
なかなかに鋭いところを突いてきた。
しかし、それを認める気はない。
「どうしてそう思うの?」
はぐらかすと、クリフはルシィの肩をつかんで振り向かせた。
「君はまだ、自分のことをそれほど語っていない。それは、姿を消した後に捜されたくないからではないのかと考えてしまう。君はいつもつかみどころがなくて、ふとした時にいなくなりそうで不安になる」
いなくなりそうなルシィだから、結婚という形で繋ぎ止めておきたいのだ。
ルシィがその人間の形式に囚われるとしたらの話なのだが。
「黙って消えたりしないわ」
「断って消えても駄目だ」
クリフは、ルシィがなんであれ受け入れてくれる。それくらいの度量がある男だと思う。
魔女だと語ってもいいけれど、驚きはするだろう。とりあえず、もう少し魔力が戻ってから話そうか。
「もう少しだけ待って。別の男が好きだとか、そういうんじゃないんだから」
それを言うと、クリフは渋々引いた。
薬を煮詰めている渋い臭いが漂う中、ルシィは鍋底を掻き混ぜて、それからクリフに寄り添った。




