◆2
食堂の仕事を終えた後、ルシィはバスケットを持って自警団の詰め所の辺りをウロウロした。
そうしたら、すぐにトリスが気づいて出てきてくれた。
それというのも、自警団の男たちが窓に張りついてルシィを観賞していたからだ。高嶺の花でも、見ているだけならタダである。
「行けそうかしら?」
「うん、行こう」
トリスは腰に剣を佩いている。
今のルシィは魔力も戻っているので、もう暴漢くらいはのしてしまえるが、それは秘密だ。か弱いふりをしておく。
前に採った薬草も乾してあるのだが、あれはすり潰して粉末にしてある。今回はフレッシュなものを用意したい。
ヒヨスはいくらあっても足りないのでまた摘むとして、イノンド、ウォーターミント、ヘンルーダ、イリュリアン、ティシマール――これらを確保したい。
「俺も手伝うよ」
草むらに這いつくばって細かい薬草を摘んでいると、トリスもしゃがみ込んだ。
「じゃあ、お願い。この薬草を摘んでほしいのだけど、根っこも使うから、全部採ってね」
「根っこも?」
トリスは不思議そうに、ルシィが指さした白い蕾をつけた剣のような葉っぱの植物に手を伸ばした。
「その葉、手を切るから気をつけて」
「う、うん」
トリスは慎重に、薬草イリュリアンと格闘し始めた。草の青臭さがルシィには好ましい。
手を動かしながらトリスはぽつりと零す。
「セイディが時々眠れなくなるのは、昔からなんだ」
「心因性でしょう? あなたやハンナが家族になってくれたからといっても、血の繋がらない引け目があるのは仕方がないわ」
これを言うと、トリスはハッとして顔を上げた。
「ルシィ、それ、セイディから聞いたのか?」
「セイディが孤児だっていう話ならそうよ。随分前にね」
するとトリスは、そっか、とつぶやいてまた薬草に視線を落とした。
心配は心配なのだろう。ただ、トリスにはどうすることもできないと思っている。
そんなことはないのに。
むしろ、トリスだけが取り除ける不安がある。
「セイディって、三日に一回は交際の申し込みがあるじゃない? 結婚したら孤児だとか、そういうの関係なくなるわよ。だって、夫婦なんて他人同士が家庭を作るわけでしょ?」
ポイッとウォーターミントをバスケットに放りながら言うと、トリスは目を瞬かせ、それ以外のところの動きを止めた。
「手が止まってるわ」
手伝って苦情を言われる筋合いはないはずが、人のいいトリスは謝ってきた。
「ご、ごめん」
「ほら、そんな焦ってつかむと手を切るわ」
目に見えて動揺しているから注意したのに、手遅れだった。トリスはイリュリアンの葉でスッパリと手を切っていた。
「っ……」
ルシィは嘆息しつつ、そこに生えていたヨモギを軽く揉んで傷口に貼りつけ、ハンカチを巻いてやった。
「帰ったら傷薬を塗ってあげる」
「ありがとう」
まるで叱られて耳を垂れた子犬だ。ルシィは笑ってしまった。
「手伝わせたのは私だもの。こっちこそごめんなさいね」
何がそんなにもトリスを動揺させるのか、そこにとても興味があった。
ただし、この青年は正面から押してはならない。笑顔で本音を押し込める。
ある意味、クリフよりも厄介かもしれない。
「セイディはね、いいお嫁さんになるわ」
ルシィも回りくどい言い方をしておいた。すると、トリスもにこりと笑って答えた。
「うん、もちろん。俺もそう思うよ」
――そろそろわかってきた。このトリスタンという青年のことが。
多分、ルシィが苦労して用意した惚れ薬は要らないのだ。
トリスが手を切ったので、ルシィは薬草採取を早々に切り上げることにした。その代わり、またつき合ってもらうことにしたのだ。
一度に採るよりも新鮮なものがほしいのも本音だ。
今日の分で睡眠薬と傷薬くらいなら作れるだろう。セイディの症状が続くようなら、もう少し強めの薬にした方がいいかもしれないので、そこは様子を見よう。
トリスと家に戻ると、食堂ではクリフが待っていた。ハンナがハーブティーを淹れてもてなしていたようだが、機嫌はよろしくない。
ルシィは小声でトリスに言った。
「町の外に出ていたことは内緒ね」
「う、うん」
一人では行かなかったが、そもそも行くなとうるさいことを言われそうなのだ。
ルシィはクリフの向かいの席に座るなり、言った。
「明日、私から館にお邪魔するわね」
それを言うと、クリフは意表を突かれたようだったが、少し照れた。
「ああ、わかった」
「お庭を貸してほしいの」
多分、期待していた言葉と違ったのだ。
クリフは、ん、と短く答えたが、何かを堪えているからそういう返事になったようにも聞こえた。
ルシィは精一杯の笑顔を向ける。
「あのね、王都で注文した秤が届いたのよ。とっても気に入ったわ。ありがとう」
これは本当だ。作業が随分楽になるから、感謝している。
クリフはルシィをじっと見て、それから目を細めた。
「それならよかった」
優しくて、甘い目つきだ。クリフがルシィを好きなのは事実で、あのプロポーズも本気なのだろう。
ただ、魔力が戻りつつあるルシィとしては複雑なところである。
完全に力が戻ったらルシィの方が強いのだから、そうしたら護られる存在ではなくなる。強い女は嫌いだろうか。
クリフが帰ってから、セイディにつぶやかれた。
「ルシィがクリフ様を手玉に取ってる……」
このところ、クリフが喜んだりガッカリしたりを露骨に顔に出すようになったから、傍目にそう見えてしまうらしい。
「ルシィって、悪女?」
トリスまでついでに変なことを言った。
「失礼ね。あっ、トリスが手を切ったのよ。私、傷薬を取ってくるから、その隙にセイディに傷口を洗ってもらって」
すると、トリスはハンカチを巻いた手をサッと後ろに隠した。
「いいよ、セイディは母さんの手伝いがあるし。自分でやるから」
「怪我したの、手なんでしょ? ほら、井戸まで来て」
セイディは有無を言わさず、トリスの腕を抱き込むようにして引っ張っていった。トリスの世話を焼くのがセイディにとっては清涼剤になる。
そんな子供たちを、ハンナはあたたかく見守っていた。




