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魔女ルシエンヌの物語  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅳ「異端の森」
47/73

◆10

「ここから最も近い町はペイレットだ。歩いて行くしかないが、日暮れまでには着きたい」


 クリフが遠い目をして言った。顔が向いている方角にその町があるということらしい。


「まあ、着けなかったら野宿でいいじゃない」


 思いのほかにルシィがあっさりとしていたせいか、クリフは力が抜けた笑みを見せた。


「君は逞しいな」


 これは褒めているのだろうか。そういうつもりで受け取ろう。

 思えば、クリフはこれで領主代理という責務から解き放たれたわけだ。終わり方に悔いは残るかもしれないが、考えようによっては自由になれたとも言える。


「ねえ、あなたはこれで領主代理でもなんでもない、ただの人になったのよ。これからは自分のことを優先して生きたらいいの」


 最初の一歩を踏み締めながらルシィは言った。しかし、クリフはそう簡単に頭を切り替えられないらしい。


「……こんな私を、君は人間だと思うのか?」


 引っかかるのはそこなのか。

 面倒くさい男だな、とルシィはため息をついた。


「あのね、じゃあ訊くけれど、あなたはもし私が人間じゃなかったら嫌うの?」


 ルシィは魔女だ。ただの人間ではない。

 人間ではないと引け目を感じているクリフとは違い、ルシィは別に疚しくない。違いはそこだけだ。

 何も知らないクリフは、ルシィがこれを言った途端に恥じ入ったようだ。


「そんなことはない。悪かった、つまらないことばかり言って」


 本当は、思っていることをほんの少し零しているだけなのだ。もっともっと苦悩は深い。

 切っても切り離せない自分そのものが嫌で仕方がないのに、どうすることもできないのだ。心が悲鳴を上げていて、それが時折言葉の端に出る。


 わかっていても、ルシィは厳しいことを返す。どう言うのが正解なのかなんて、そんなことはルシィにもわからない。

 ただ甘やかせばいいのか、厳しくしかればいいのか、どちらがクリフのためなのかは手探りだ。


 だからルシィは自然に、思うがままに振る舞いながらそばにいる。



 ――ルシィの歩みは遅かった。

 多分、クリフはそれに合わせてくれている。


 大口を叩いていたわりにお荷物だと思っていたら殴るかもしれないが、そんなことを思っていないのは目を見たらわかった。

 ただひたすら、ルシィのことを気遣っている。疲れているのではないか、休んだ方がいいだろうか、何か気の利いたことを言うべきなのか――。


 いろんな思いが透けて見えた。想いを言葉にしなくとも、この男は優しすぎる。


「これから当分は二人だけなのだから、言いたいことを伝える時間はいくらでもあるのよ」


 ルシィがそう切り出すと、クリフは驚いた様子を見せたが、小さくうなずいた。


「今さら君が私の何を知ったからといって驚かないのはわかった」

「そう?」

「これは面白くない話だが……」


 面白くないと前置きをされた話を聞かされる身になってほしいが、まあいいだろう。ルシィは茶々を入れずに聞いた。


「私の母は、トリスの父親の妹に当たる」

「ああ、それは聞いたわ」


 猫から。


 情報源は秘密である。

 クリフは勝手に、あの三人の誰かからだろうと解釈した。


「ハミルトンが生まれて一歳くらいの時、私はいつも一人で遊んでいた。その遊びは……私は遊びのつもりだったのだが、危険だった。魔術を使って大きな水珠を空に浮かせて、それが光を受けて煌めくのを眺めるのが好きだった。忙しい母の気を引きたくて、ある日、それを得意げに見せた」


 その結末が悲惨なことも、ルシィは知っている。

 だから、クリフがすべて吐き出すまでは口を挟まなかった。


「驚いた母は叫び声を上げ、その声で集中を切らした私の魔術は崩れた。水球のいくつかが母に降り注ぎ、母は三日間苦しんだ末に息を引き取った。それから、父は私を許していない」


 可哀想な事故だと、猫のリリスが言っていた。

 無邪気な子供の戯れのはずが、分別がつく前に力だけ持ってしまったのだ。悪意などどこにもなかったのに。


「もともと父は私が実子なのかと疑っていた気がする。髪も目も、どちらにも似ていなかったから。ハミルトンが生まれてからは特にそれが露骨に感じ取れた」


 自分の子供が赤い目をして生まれてきたら驚くのは仕方がないのかもしれない。ハミルトンは父親似だから安心したのもわかる。

 ルシィから言える慰めは、たいしたことではない。


「でも、それって変よね。そんなにあなたのことが嫌いなら、さっさと廃嫡にすればいいじゃない。どうしていつまでもノックスの姓を名乗らせておくのかしらね?」


 こんな話をしながら笑うなと思うかもしれないが、深刻な顔はしたくない。


 あの父親もまた、悪意がなかった子供を許せない自分が嫌いなのではないのか。クリフを苦しめていると自覚しながらも、どうすることもできない弱い自分が。


 本当にクリフのことが嫌いなら、あんなに見なくてもいいのに、穴が開くほどクリフのことを見ていた。

 愚かだと思う。けれど、ほんの少し可愛らしくもある。


「どうして、だろう……」


 クリフはその可能性にすがりたい気持ちを抱いているのか、それとも、そんな夢を抱けるほど図々しくはなれないのか。


 それをつぶやいた彼の表情はそれほど険しくなかったので、ルシィは今はこれでいいかと思えた。

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