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魔女ルシエンヌの物語  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅳ「異端の森」
45/73

◆8

 町を歩くと、人通りが異常に少なかった。

 皆がグレシャムの話に衝撃を受けているせいかもしれない。家の中で縮こまっている。


 この場合、怯えているのは何に対してなのだろうか。

 人間がこんなにもあっさりと恩を忘れる生き物なのだとは知らなかった。


 ルシィは釈然としないままで坂を上った。



 領主館の門の奥にはグレシャムの私兵がいた。建物は同じなのに、それだけで違う場所に来てしまったような気分になる。

 グレシャムの私兵は近づいてくるルシィを警戒するのではなく、鼻の下を伸ばした。

 呆れつつ、誰何される前にこちらから言った。


「執事のモリンズを呼んで頂戴」


 下手に出るつもりもなかったので、偉そうにしてやった。

 そうしたら、どこかの令嬢かと思ったのか、素直に従った。主に似て馬鹿だ。


 クリフの名を出さずにモリンズを呼んだ方が話が早いと考えた。その判断は、多分間違っていない。

 やってきたモリンズは、顔を土気色にしていた。


「……あなた、ひどい顔色ね」



 いつもならもっと威勢のいい老執事が、心底困った表情を浮かべている。


「ルシィさん……。どうぞこちらへ」


 あっさりと通してくれた。歩きながらルシィは訊ねる。


「クリフはどこ? この屋敷――いえ、町を出ていくのでしょう?」

「ええ。罷免状がある限り、クリフォード様にはどうすることもおできにならないそうです」


 奥歯を噛み砕かんばかりの勢いで歯噛みしていた。モリンズも今回のことは理不尽すぎて受け入れられないらしい。


「……あなたはどうするの? クリフと共に行くのか、ノックス家の方に行くの?」


 それを問うと、モリンズは急に勢いを失くした。


「私はノックス家の使用人ではございません。もともとこの館に従事しておりました。クリフォード様にお仕えしていたのは、この六年のみです」

「まあ。それじゃああなた、あの人の使用人だったの?」


 モリンズは領主館の主に仕えているのだ。それなら、今後はあのグレシャムが主となるわけだが、以前はそうだったということなので、扱いにも慣れているのだろうか。


「昔ならいざ知らず、クリフォード様に六年もお仕えした後ではもう、正直に申しましてそんな気にはなれません。クリフォード様は素晴らしい主でした。お優しく、ご苦労を厭わず、謙虚で……。できることならばこのままずっとクリフォード様にお仕えしたいと考えておりました。それが叶わぬ以上、職を辞そうと思っておりますが――」

「後釜が決まらないと辞められないのね?」

「そういうことです」


 口惜しそうに言った。

 モリンズはクリフに仕えることに喜びを感じていて、魔族の血がどうしたと、そんなことで忠誠心は揺るがないらしい。


 ルシィはそれが嬉しかったが、モリンズにもしがらみがあり、自由には振る舞えないのだ。

 使用人はモリンズだけではないから、彼が勝手な行動を取ればどこかに皺寄せが行ってしまう。


「私がついていくから安心して」


 これを言ったら余計に嫌な顔をするかと思った。しかし、この時ばかりは違った。

 モリンズは、初孫の誕生に立ち会った老人のごとく目を潤ませた。


「ああ、それをお聞きして安堵しました。どうか、クリフォード様をよろしくお願い致します」

「ええ、落ち込む暇がないほどうるさくしてあげるわ」


 フフ、と二人で笑い合った。こんなことは初めてだったかもしれない。



 モリンズは執務室の扉を叩いた。まだクリフはそこにいるらしい。


「クリフォード様、ルシィさんがお見えになりました」

「……引継ぎの書類を用意しなくてはならないから、あまり時間が取れない。手短に済ませてくれ」


 ぼそぼそとした声が分厚い扉の奥から聞こえた。モリンズは祈るような目でルシィを見て、それから扉を開いた。


 執務室の机にかじりつき、忙しくペンを動かしているクリフは、ルシィの方を見ようともしなかった。


「すまないが、時間がない。言いたいことは山ほどあるとしても、別れの言葉は手短に頼む」


 ルシィは遠慮なく執務室の絨毯を踏み締めてクリフに近づいた。ルシィが一歩近づくたびに緊張が伝わるのに、クリフは書類から顔を上げない。


 理由はわかっている。自分の赤い目を見られたくないのだ。


 けれど、そんなものは今さらだ。

 ルシィは机の上にバンッと勢いよく手を突いた。思った以上に痛かった。


 クリフはやっと顔を上げた。上げたまま、固まっている。


「ちゃんとこっちを見て言いなさい」


 にこり、と微笑む。それでも、クリフは笑わない。強張った顔をしているだけだ。


「ちゃんと私を見て言わないから、こんな簡単なことにも気づけないのよ」

「……簡単なこと?」

「そうよ。ほら」


 と、ルシィはカバンをクリフに突きつけた。


「別れの挨拶をしに来たなんて誰が言ったの? 私もあなたと行くのよ。ねえ、その書類とやらは適当でいいじゃない。どうせあの男がマトモに引き継げるわけがないんだから。さっさと終わらせて行きましょう」


 クリフは愕然としていた。これは夢かと疑っているらしい。


「君は私がどこへ行くと思っているんだ? この前のような旅行とは違う」

「時間がないと言ったのはあなたでしょう? 急いだ方がいいのではないの?」


 言い合いをしている場合ではないと思ったのか、クリフは再び下を向いて無言でペンを走らせ始めた。

 ただし、字が少し震えていた。わかりやすい動揺をルシィは楽しみながらそばで待った。

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