◆7
ハンナは先ほどの広場での話を聞くなり、両手で顔を覆ってしまった。その肩をセイディが抱く。
「そんな、クリフ様が魔族だなんてこと、あるわけが……」
ルシィはハンナの言葉に思わず首をかしげてしまった。
「純粋な魔族じゃなくて、魔族の血が混ざっているってことよね。でも、だからってあの男が言ったように、それで魔族が寄ってくるなんて、あるわけないじゃない」
そんなことになったら、魔族はハエで、クリフはハエとり紙だ。自分で考えて可笑しくなったが、この場で笑えるのはルシィだけだったようだ。
「そうよね、あの人の言うことを真に受けるなんて……」
そう言いながらも、セイディは青ざめていた。いつも気丈なハンナなのに、かなりショックを受けているように見えた。どうして笑い飛ばしてくれないのだろう。
そこでふと、ルシィは猫のリリスの話を思い出した。
ハンナの夫でトリスの父であるユージーンは魔族に殺され、この町の墓地に永眠している。つまり、魔族はハンナにとってグレシャム以上の憎い敵ということなのか。
しかし、人に殺されていたとして、人間のすべてを恨んだりはしないはずだ。魔族だから憎いという考えは危険だろうに。
「どんな血だろうと、クリフはクリフでしょう?」
それを言えるのは、ルシィが関わりのない者だからか。血縁者であるトリスはどうなのだろう。難しい顔をしていた。
「うん、それはもちろん。事実がどうあろうと、俺はクリフ様を尊敬しているし、これまでの功績をなかったことにされるなんておかしいと思う」
これは本音だと感じる。トリスはクリフを差別したりはしないようでほっとした。
実際、トリスにはまったく魔力がないし、魔族の血は感じられない。ハミルトンもほぼないが、多分、魔族の血の出所はノックス家の方ではないかと思う。
ハンナはとても疲れた顔でつぶやいた。
「町を追い出されるって、それでクリフ様はどうなさるおつもりなんだろうね? ご実家にお戻りになることはないような気がするよ」
「さあ? ちょっと行って訊いてきましょうか?」
とりあえずそう言ったが、皆が緊張したのがわかった。
「あ、あのさ、署名とか嘆願書を作ろう! それを提出して、罷免を取り消してもらうんだ!」
トリスは意気込んだけれど、ルシィは首をかしげてしまった。
罷免権を持つのは国王だ。それを取り消させるとなると、提出して受理されるのにどれくらいかかるのか、詳しくないルシィでもぼんやりわかる。
「それって一日でできること? 今日中に出ていくんじゃないかしら?」
うぐっ、と呻いてトリスは困っていた。
「じゃ、じゃあ、住民たちが暴動を起こしてあの領主を拒絶したとしたらどうだろう?」
「やめなさい。あの男、自分に刃向かう人間くらい、虫けらと変わりなく傷つけるわよ」
それを聞くなり、セイディが不安そうにした。どうしていいのか、彼女にもわからないのだ。
「でも、このままクリフ様を一人にするなんて……」
泣き出しそうだ。しかし、泣く必要はない。
「一人ではないわね。私がついていくわ」
この発言は皆の思考を止めたらしい。
一番最初に金縛りから解けたのはセイディだった。
「ル、ルシィ、本気っ?」
「今のところは」
平然と答えたルシィの思惑が見えづらいのか、三人は戸惑うばかりだ。
だから、ため息をついてからルシィは言った。
「だって、あなたたちはこの町に根づいているもの。あのお墓だけ残して他の土地になんて行けないでしょう? 身軽に動けるのなんて私だけじゃない」
「それは……」
ハンナは言葉に詰まってしまった。一度目尻に滲んでいた涙を拭くと、そこからは気を取り直した様子で動き出す。
「どこまで旅をすることになるのかわからないなら、保存の利く食べ物を用意しないと。トリスは買い出し、セイディは支度を手伝っておくれ」
そこで一度ルシィを振り返ると、悲しげに言った。
「でも、落ち着いたら居場所を知らせてほしいね。そうしたら、こっちの事情が変わったら連絡できるし」
トリスも大きくうなずいた。
「そうだ、嘆願書が受理されてから呼び戻せる!」
「ええ、そうね。そうするわ」
ルシィは彼らのためにそう答えたが、本音ではそれがあり得ないことくらいわかっていた。
クリフは王子の学友だ。それなのに、王はクリフを罷免した。
王子は王を止めきれなかったのだ。もしくは、止めなかったのか。
どちらにせよ、今のクリフには味方が少ない――。
ルシィは二階の部屋で自宅から持ってきた宝石と、買ってもらった着替えをカバンに詰めた。
ドレスは着ないので置いていく。それから、作った薬も持ったが、惚れ薬だけ残した。用法を書いて、別れ際にセイディにあげよう。
宝石もひとつ、サファイアを置き土産に。
随分世話になったし、たくさん食べさせてもらった。
価値のある時間をくれたから、感謝している。
宝石なんてほしがらない人たちなのはわかっているけれど、ルシィの方が何かしたかったのだ。
カバンに少ない荷物を詰めて一階へ下りると、ハンナはまだ厨房で忙しくしていた。
「町を出る前にクリフを連れて寄るわ」
声をかけると、ハンナはやはり顔をくしゃりと歪めた。
「ああ、そうしておくれ。食べ物は用意しておくからね」
「ありがとう」
セイディは厨房で泣いているように見えた。
二度と会えないということはないはずだが、人の人生は短い。
ルシィはカバンひとつを手に、モーティマー通りを独りで歩いた。