◆3
そして、当日。
着替えるために昨日の店まで行く途中、クリフに色々と言われた。
「ちなみに、これから出席する場には私のことをよく思っていない者もいる。君は私の連れだから、もしかすると余計なことを言われるかもしれない。なるべく私のそばを離れないこと。それと、知らない人間に話しかけられても会釈程度にして、あまり喋らなくていい」
「ふぅん。あなたも大変ね」
そんな面白くない場に遠方からわざわざ出なくてはならないなんて、面倒くさいことこの上ない。領主だの貴族だのはしがらみだらけだ。
ルシィがドレスを着せてもらっている間にクリフも正装に着替えていた。
といっても、男だから化粧もしないし、飾りが少し立派になったような気がするだけだ。もともと容姿は整っているのだから、様になるのは認める。
それ以上に、ドレスアップしたルシィの方が目を見張るような変化だろう。
「どう?」
にっこりと微笑んで訊ねるが、クリフは感想を言わなかった。
コイツ――と、どつきたくなったが、まあ許してもいい。照れているらしい。
「こんなにお美しい方は二人といらっしゃいませんわ。私たちも惚れ惚れしてしまいましたの」
クリフが褒めない分、店員が褒めてくれたからよしとしよう。
「あなたの隣を歩くんだから、この色しかないでしょう?」
ルシィはクリフの瞳と同じ真っ赤なドレスを選んだ。デコルテがザックリと開いていて、そこに大粒の真珠のネックレスをしているが、これは模造品である。夜会巻きの髪にも赤いバラのコサージュをつけ、普段よりもいっそう華やかになっている。
白い手袋をはめた手を差し出すと、クリフはその手を取った。無言で。
なんか言え、とは思うが、クリフにはできない芸当らしい。ただ、少し緊張しているのが伝わるから、ルシィはそれで満足した。
クリフが待たせてあった馬車に乗り込むと、出向いた先は――もしかすると王宮だったのかもしれない。馬車から降りた時には、天高く噴き出す噴水が逆さにしたシャンデリアのように煌めいていた。
宵闇の中、水が光っている。飛沫が星屑か蛍のように輝き、消えていく。
その原理をルシィはぼんやりと考えながら見入っていた。傍目には見惚れているようにしか見えなかっただろう。
「行こう」
クリフがそっと、景色に割り込むようにして言った。
「ええ」
目の前の階段を見上げると、結構長い。ヒールで上がるのは嫌だな、と思ったが仕方がない。
息切れしないように、ゆっくりゆっくり階段を上がる。クリフもルシィが転げ落ちないか心配していたかもしれない。
やっと階段を上がりきると、軽快な音楽が聞こえてきた。そういえば、ここ最近は音楽と触れ合う機会もなかったので何か懐かしい。
そこにはたくさんの着飾った男女がいた。老若男女、様々だ。
若い女も多くいるが、ルシィほどの美貌の持ち主はいないと自分で思う。
「クリフ?」
親しげに呼びかけて駆け寄ってきたのは、品のある青年だった。癖のある金髪と澄み渡った碧眼、年の頃はクリフと近い。光沢のある白いジュストコールが眩しかった。
友達がいたんだ、とルシィは驚いた。口に出したら失礼だと怒られるかもしれないが。
「ご無沙汰しております。けれど、こうしてまた殿下にお会いできて光栄です。このたびはご婚約、おめでとう存じ上げます」
殿下ということは、王子らしい。随分偉い人と親しいようだ。
「ありがとう、クリフ。ハミルトンに招待状を託したものの、クリフは社交場が苦手だから、来てくれるかは半信半疑だったよ。でも、嬉しいな」
クリフのことを苦手とするハミルトンがシェブロンに来た用件はこれだったのかもしれない。
嬉しいという王子の言葉に偽りはないようだ。王族のわりに人のよさそうな雰囲気だが、魔力は一般人より格段に高い。人間にしてはかなり優秀だ。
その王子サマは、ようやくルシィに話を振った。綺麗な淡い目が好奇心で輝く。
「クリフ、こちらの女性は君の婚約者かな?」
下手に喋るなと前もって釘を刺されていなければ、ペロリと余計なことを言っていたかもしれない。それでもクリフがハラハラしているのはわかった。
「いえ、私は相変わらず結婚する予定などございません。彼女には便宜上同行してもらっているだけです」
便宜上。なんて面白くない言い方だ。
ルシィはクリフの足を踏んでやりたい気分だった。
「ルシィと申します」
微笑んでそれだけ言った。クリフの顔を立てて敬語を使ってやったのだから、ありがたいと思ってほしい。
ただし、お見知りおきは結構だ。多分、もう会わない。
王子は目元を綻ばせた。
「私はアンドリューズ・ザヴィア・アジュール。クリフとは学友でね」
なんて長い名前だ。ルシィの短い名前を思うと不公平だ。絶対覚えてやらない。
にこやかに笑っていただけなのに、クリフはルシィがそろそろボロを出すと思ったようだ。話を切りたそうにしている。
「あちらで皆様方が殿下をお待ちのようです。では、後ほど……」
この王子は学友だというだけあって、クリフの性格をそこそこにはわかっているらしい。あまり色々と訊いてはいけないと気遣ったようにも思えた。
「ああ、私もクリフの顔が見れてよかった。どうか楽しんで行ってくれ」
王子が背を向けると、クリフがほっとため息をついたのがわかった。
「……友達の婚約のお祝いに来たかったのね?」
ぼそり、とルシィが言うと、クリフもまた小声で返した。
「友達というのはおこがましいだろう。殿下がそう仰ってくださっているだけだ」
「ふぅん。これで用事は終わったの?」
「だからといって、すぐに帰ってはさすがに失礼だ。少しは中で過ごさないと」
「はいはい」
とはいうものの、ルシィの美貌に王子の婚約者の令嬢が気後れしたら可哀想だと自分で思った。