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魔女ルシエンヌの物語  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅰ「魔女-魔=??」
4/73

◆3

 足が慣れてくると、ルシエンヌは少し走った。

 しかし、森は決して平坦な道ではない。木の根が土を盛り上げながら這っていて、ルシエンヌは何度もつまずいた。

 そのたびに転んで、そのたびに立ち上がった。痛いけれど、痛いだけだ。まだ動ける。


 ただし、体力は着実にすり減っていく。以前のルシエンヌの魔力は無尽蔵だった。だから、疲れるという感覚がよくわからなかった。

 なるほど、ただの人間というのはこんな思いをしているのかと、新たなことを知った。


 髪はボサボサ、服も汚れて、肩で息をしているルシエンヌは、傍目にみすぼらしいかもしれない。

 そんなルシエンヌに大きな影が被さる。木々の間から空を見上げ、ルシエンヌは歓喜の声を上げた。

 急ぎ、枝葉に邪魔されないところまで走った。ルシエンヌを追うように、影もついてくる。


「リドゲート!」


 空に向けて呼びかけると、大きな翼で旋回しながら降りてくる。焦げ茶色の美しい羽が数枚、ゆっくりと降った。


 鷲の頭部と翼、ライオンの胴体、幻獣グリフィンがルシエンヌのもとに降り立つ。カラスが恐れたように、鋭く尖った嘴をしているが、金色の目には知性が溢れている。


 ルシエンヌがリドゲートと名づけて呼んでいる個体だ。他にもグリフィンは数体いる。リドゲートはその中でも一目置かれている存在だ。


『ルシエンヌ殿、どうされた?』


 グリフィンたちはルシエンヌを〈魔女〉とは呼ばない。名で呼ぶのは敬意の証である。だからルシエンヌも彼らに名をつけた。


 先ほどのカラスのように手の平を返される心配はしていなかった。彼らはいつでも味方だと、無条件に信じていた。だから、リドゲートと出会えてほっとしたのだ。


「どうしてだか魔法が使えなくなってしまったの。あの家にいると危ないから、逃げるつもり。ねえ、私をどこか遠くに乗せて行ってくれないかしら?」


 誇り高いグリフィンを馬のように扱うなと怒るだろうか。それとも、逃げるなんて情けないと呆れるか。どちらにせよ、今のルシエンヌには反論できない。


 リドゲートは、軽く羽を震わせただけだった。それからすぐに快諾してくれる。


『あなた方、歴代の魔女にはこの森を護ってもらった恩がある。喜んで力になろう』

「本当に? ありがとう!」


 やはりグリフィンはカラスとはわけが違う。魔力がなくなったからといって、ルシエンヌを雑に扱ったりしない。いつ魔力が戻るとも知れないのだから、戻った時が怖いということをちゃんと考えて行動している。


 カラスはトリ頭だから。

 怒ってない。ちょっとイラっとしただけだ。

 謝ったら許してあげる心積もりはある。今度会ったら謝れ。

 ――と、それはいい。


『さあ、背に乗るがいい』

「ええ、助かるわ」


 ルシエンヌが乗りやすいように体を低くかがめてくれた。人間で言うと紳士というやつだ。

 もたもたしてしまったけれど、怒らない。根気よくルシエンヌが乗るまで待っている。


 グリフィンの背に乗ったのは初めてのことで、しなやかな体と毛皮のあたたかさに驚いた。頬ずりしたくなるくらい滑らかだ。思わず撫でていると、リドゲートが、んんっ、と咳払いのような声を上げた。


『どこまで行けばいいのだ?』


 それはルシエンヌにもわからない。悩んでいる時間はないながらに悩む。


 陸続きの北へ行くと、アージェント王国、南に行くとセーブル帝国。


 アージェント王国は、魔力のない人間が多く住む。魔法とは縁が薄く、それ故にルシエンヌに頼りきりだった。

 ただ、ここは鉱山が多く、宝石もよく採れる。魔鉱石という魔力を含んだ石も採れ、それを日用品に加工して火を熾したり、明りを灯したりする。これらは輸出され、国外にも普及しており、財力だけならばアージェントが最も富んでいる。それ故に献上品も贅沢でルシエンヌはやや贔屓していた。


 世話を焼いた分、ルシエンヌの危機に助けてくれるかといえば、散々暴言を吐いて馬鹿にしてきたので、やはり恨みを晴らされそうで却下だ。


「北は駄目ね」


 南のセーブル帝国の人々は魔力こそあるものの、それを魔術として使う術がなかった。ただし、他国から知識を盗んだところで使えないだろう。

 人そのものよりも、あの国の磁場か何かが魔術の法則と嚙み合わないのではないかとルシエンヌは考えている。それを教えてやったこともないが。


 その代わり、魔力を原動力として動く機械を開発し始めた。その結果、人間の魔術師が使う魔術とそう変わりのない威力を持つ兵器などを作れるようになった。〈魔科学〉という分野らしいが、器用なものだ。


 アージェント王国ほどルシエンヌのご機嫌伺いには来ないが、たまに金の延べ棒を持ってきた。やはり、けちょんけちょんに馬鹿にした覚えしかない。


「南も……駄目ね」


 セーブル帝国の南東には、オーア王国という小国があった。

 過去形で語るしかない。あった、のだ。


 ここは精霊などの力を借りる召喚術が盛んだったのだが、天才と持ち上げられた一人の愚か者が魔族を召喚し、従えることができずに国を滅ぼした。

 以後、国があった土地は魔族に占拠され、地底から魔族が地上へ出てくるというはた迷惑な状況を作り出した。国が滅んだ以上、責任を負わせる相手もいないのだが。


 そんなところへ行っても、今のルシエンヌはか弱いのだから、魔族を味方につけるどころか食われて終わるだけである。

 この大陸はどこへ行っても駄目だ。少し考えただけでそれがわかる。


「ひ、東! そうね、東の方! 海を越えられる?」


 東の海を越えると、そこにはもうひとつの大陸がある。そちらへ行くしかなさそうだ。

 リドゲートは器用に目を(すが)めた。その問いかけは心外だとばかりに。


『当然だ。その距離を跳べぬような脆弱な翼ではない』

「じゃあ、お願いするわ」

『東のどこまで送り届ければよいのだ?』

「なるべく人里が近ければどこでもいいけれど、アジュールの方にお願い」


 東大陸には、アジュール王国とヴァート皇国というふたつの国がある。

 アジュールの方が断然近い。


『承知した』


 短く答え、リドゲートは翼を広げるよりも先に、逞しい足で大地を蹴った。タッ、タッ、と疾走するたび、ルシエンヌの体も揺さぶられる。

 振り落とされないようにしがみつくと、ついには翼を広げ、空に駆け上がった。茜空の中をリドゲートは走るように飛ぶ。


 こんなにも高いところから森を眺めたのは久しぶりだった。夕焼けに照らされた森は、言い様がないほど美しい。ルシエンヌの愛着がそう見せるからだろうか。


 生命力に溢れた木々、根を張る草、どれもが愛しい。森のすべてがルシエンヌにとっては我が家だ。

 手をかけて育てた希少な薬草もある。このまま残していくのは忍びないけれど、今はできることがない。


 またいつか、力が戻ったら帰ればいい。

 今はほんの少し出かけるだけだと思いたかった。

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