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魔女ルシエンヌの物語  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅳ「異端の森」

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38/73

◆1

 カラカラ、カラカラ。

 二人の間に音が流れる。


 ルシィの正面で、クリフは唇を引き結んでいた。

 何故二人して馬車に揺られているのかというと、それは一ヶ月ほど前に遡る。



 ルシィは悪徳商人の不正を暴こうとして頭を殴られ、瀕死の重傷を負った。それがほぼ三ヶ月前のこと。

 その傷は驚異的な早さで回復し、今ではすっかり元気である。後遺症もなく、もともと髪で隠れた頭のことではあるが、傷は目立たない。


 回復するまで、ルシィはクリフの館で世話になっていた。もともと居候をしていた〈カラスとオリーブの枝亭〉に帰ったのは一ヶ月前のことである。


 二ヶ月もの間、クリフのところで世話になっていた。だから、ルシィはクリフの領主館を去る前に言ったのだ。


「あなたにはお世話になったから、何か恩返しをしなくちゃいけないわね」


 朝食の席でクリフと顔を突き合わせ、領主館の料理人が作った〈ポーカランス〉というハニートーストを頬張りつつクリフの返答を待つ。


 小さく切り分けたトーストが溺れるほど百花蜜(ひゃっかみつ)がたっぷり、そこにナッツがゴロゴロと散りばめられているのだから、美味しくないわけがない。


 ルシィは舌に全神経を集中していて会話の内容が飛んでいきそうになったが、クリフからの返答はすぐだった。


「そんなことは気にしなくていい」


 見返りを期待したつもりはないと言いたいのかもしれない。ただの人助けだ。

 予想通りの答えが返ってきた。面白くない男だ。


「いいのよ、なんでも言って。私にしてほしいことはある?」


 これを言った時、フォークを持つクリフの手が止まり、少し照れたように見えた。何を考えたのだろう。

 下心を露骨に出さないだけで聖人というわけではない。外見に騙されがちだが、普通の男だ。むしろ健全でほっとした。


「そういうことを軽はずみに言うのは……」

「えっ? 人に言えないようなことをさせたいの?」

「だ、誰が――っ」


 そのやり取りをしている時、モリンズがゴホンと咳ばらいをしたから、クリフはそれ以上取り乱さなかった。面白くない。


 しばらく間を置いて、それからクリフは躊躇いがちにつぶやいた。


「もし、ひと月経って君の具合が悪くないようなら……」


 まどろっこしい言い方をする。


「もう平気よ。だから帰るんじゃない。それで?」


 先を促すと、クリフはやっと続きを口にした。


「つき合ってほしいところがある」

「どこ?」

「……王都」


 ルシィは目を瞬かせた。


「王都? 何をしに行くの?」


 行くのは構わないが、内容による。何をしに行くのだろう。

 トリスやセイディではなく、何故ルシィに頼むのか――。

 すると、クリフは一気に話し始めた。


「女性同伴でないと示しがつかない場もある。君には特別何かをしてほしいわけではない。ただ着飾って隣にいてくれたらいい。他の人たちとはあまり喋らなくていいから」


 それだけ言うのに、クリフはとても気を張っている。

 ルシィは、ふぅん、と言った。そうしたら、クリフが動揺したように見えた。


「あなたがこの町を留守にしても大丈夫なのかしら? その間に魔族が来ないとも限らないわけだし」

「それに関しては、魔術師団から数人用立ててもらって留守を頼む」


 そこまでちゃんと考えてあるらしい。そこがクリフらしい。


「いいわ。いつ行くの?」


 ルシィの返事にほっとした顔をするから、ルシィは笑いたくなったが、ここで笑ってはいけない。


「まだひと月先のことだから、近くなったらまた知らせるが、心構えだけしていてもらえればいい」

「わかったわ」


 そうして、ルシィは贅沢な朝食を最後まで堪能した。

 ――という次第である。



 着飾ると言っても、ルシィの手持ちの服は少ない。だから、着ていくドレスは王都に着いてから選んでクリフが支払うそうだ。


 女性同伴というからには、夜会か何かだろう。クリフは未婚なのだから誰も連れていない方がむしろ出会いが広がっていいとは思うが、それが嫌だから誰かを連れていきたいということか。


 セイディでもいいはずだが、王都まで往復する間も含めると三日以上かかる。その間、セイディを借りるのは気が引けるとは思う。

 大体、いくら親戚とはいえ、嫁入り前の可愛い娘を独身男に預けたい母親もいないだろう。


 ルシィでさえ、可愛いセイディの貴重な時間がクリフに割かれるのは面白くない。セイディが時間を割いていいのはトリスにだけだ。


 だから、やはりルシィが行く方がいい。ルシィが事情を話したら、シェルヴィー家の皆は驚いていた。


「ルシィ、行くの……?」

「ええ。行ってくるわ」


 顔を強張らせたセイディに、ルシィは余裕の微笑みを見せた。

 トリスもどこか心配そうだ。


「馬車の揺れとか、長旅が響かないかな?」

「もう平気よ」


 ハンナは意外そうに見えた。


「気をつけてね。王都は物騒だから」

「歩き回ったりしないわ。クリフの用事につき合うだけだから」


 それを言うと、三人はそろってルシィの顔をまじまじと見つめた。

 何が言いたいのだろう――。



 王都レイブルは、シェブロンから片道だけで一日かかる。もしここにリドゲートがいたなら、その三分の一の時間で連れていってくれただろう。

 彼らは元気にしているかな、とルシィは車窓から外を見た。そうしたら、豊かな緑が見えた。


「うわぁ!」


 いきなりルシィが感嘆の声を上げたから、クリフは驚いて座席から立ち上がりそうになった。


「どうした?」


 ルシィはこの時、自分でもはっきりそれとわかるほど目を輝かせていた。


「森! 森があるわ!」


 このアジュールは自然が多く、土壌も肥えていて農作物がよく採れる。この森は、ルシィのいたラウンデルの森よりももしかすると大きいかもしれない。茂った緑はとても美しかった。

 森があるからといってはしゃぐルシィが、クリフには理解できなかったようだ。不思議そうに首をかしげている。


「それがどうかしたのか?」

「森があるなら、薬草も生えているし、動物たちもいるでしょう? 私、森育ちで森が大好きなの」


 クリフは窓に張りついているルシィに向けてつぶやく。


「森育ちなのか? 意外だな」

「そう?」


 振り向くと、クリフは驚くほど柔らかく微笑んでいた。窓から差し込んだ光で白銀髪が輝く。


「それから、君が自分のことを語るのはとても珍しい」


 ついうっかり余計なことを言ってしまったようだ。ルシィは反省したが、クリフは問い質すようなことはしなかった。ルシィが語るまで待とうとでもいうような、包み込むあたたかさを感じる。


 随分と丸くなったものだ。もしくは、もともとこうだったのに、ルシィがそれを歪めて受け取っていたのだろうか。


「あなたが自分のことを語ったら、私も語りたくなるかもしれないわ」


 自分のことを語らないのはクリフもだ。

 他所から入ってくる情報はあっても、それらはクリフから語られたことではないから、ルシィは知らないふりをするしかないのだから。


 クリフは、そうだな、と言って窓の外を見た。


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