◆8
その晩、青白い顔のクリフがやってきた。
「あなたの方が病人みたいよ?」
頭に包帯を巻き、ベッドに寝そべりながらもそんなことが言える余裕はあった。
そのことにクリフも安堵したのかもしれない。蒼白ながらに微笑みを浮かべた。
「君を殴った男たちはまだ自供していない。何か話せることはあるか?」
そう言って椅子を引き寄せると、クリフはルシィのそばに腰を下ろした。
「あの人たちは不正を働いていたわ。秤の重りを調べてみて。水に浸けると重さが変わるそうよ」
ルシィがもとから知っていたのではなく、たまたま聞いてしまったふうを装う。
すると、クリフは深々とため息をついた。
「まさか、それを真っ向から指摘して、それで殴られたのか?」
ルシィは答えなかった。ただ目を逸らしただけでそれが伝わった。
「……危ないから」
「そうね」
それは身に染みてわかった。認めたくなくとも、今のルシィはか弱い女でしかない。
今回は世話になったから、少々の説教は受けようかと覚悟した。
けれど、今のルシィは怪我人で、クリフは疲れ果てている。それ以上の小言は飛んでこなかった。
沈黙が二人を包む。黙っていては勿体ないような気がした。
そういえば、まだちゃんと謝っていないのだ。今なら言えるだろう。
ルシィは口を開きかけたが、先に形となって現れたのはクリフの言葉だった。
「あの時はすまなかった」
「……あの時?」
昨晩もクリフはルシィに謝った。あれは聞こえていないと思ったのだろう。改めてまた言った。
しかし、ルシィには意味がわからない。
クリフは気まずげに目を伏せ、そうして続けた。
「私が感情的にならず、もっと落ち着いて話せば、君も反発せずに身の回りに気をつけるようになっていたかもしれない。あの時、私はカッとして、災難に遭った君に労わりの言葉ひとつかけなかった。ここ数日、あんな言い方をするべきじゃなかったと、ずっとそれを悔いていた」
クリフが下手に出ていたら、言い返さなかっただろうか。それはどうだろう。
売り言葉に買い言葉だったのは事実だが、クリフがどんな言い方をしようとも、ルシィが行動を改めることはなかったはずだ。
それなのに、クリフは自分の言動を悔いていたと。
「あなた、なんでも自分のせいにするのね」
それが彼の過去の傷によるものだとしても、やめた方がいいと思う。あまりに不毛だから。
クリフは恥じたように目を背けた。
「悪かったのは私でしょう? 心配が迷惑だなんて、ひどいことを言ったわ。ごめんなさい」
やっと言えた。薬を使わず、自力で。
その達成感といったらない。
生きているから、過ちも認めて受け入れられた。詫びることもできた。
本当に助かってよかったと思う。
クリフは、素直過ぎるルシィに困惑したようだった。失礼だが、今までのことを思うと怒れない。
「いや……」
表情は少し緩んだけれど、とっさに言葉が出てこないらしい。不器用な人だ。
その翌日にはハミルトンが来た。
バーク親子を捕まえるのに一役買ったとのことなので、礼を言うつもりだったのだが、ハミルトンは打ち沈んでいた。
「……あなたのことは諦めます」
「ええ、そうね。キズモノだから。頭にでっかい傷が」
冗談めかして言うと、ハミルトンは悲しそうな顔をした。冗談が通じない。
「あなたにどんな傷がついていようと、俺は構いません。でも、あの時、一晩中あなたの手を握って祈っている兄を見て、とても声がかけられませんでした」
それはルシィが頼んだからだ。それを言うべきか迷ったが、やめた。
ひどいかもしれないが、ハミルトンが諦めると言ってくれた方が後腐れはないのだから。
「兄の、あなたに対する態度だけがいつでも違うんです。あれが特別でないはずがない。だから、あなたのことは諦めます」
「あらそう?」
ハミルトンが考えているようなものではないかもしれないが、特別ではある。こんな態度を取る相手は他にいない。
「色々とありがとう。元気でね」
「あなたこそ」
そう言ってルシィの手を取ると、恭しく口づけ、ハミルトンは去っていった。
失恋の味は苦いだろうか。けれど、あの惚れっぽさなら、案外すぐにまた恋に落ちていそうな気がする。
それから一週間、瀕死の重傷だったはずのルシィは自宅療養ということになった。
人間離れした驚異の回復力だと言われた。
「それでね、うちは階段があるから危ないっていうことになって、しばらくクリフ様のところにいた方がいいって……」
セイディが不満そうに言う。
「え? そうなの?」
確かに、階段を下りなければ厠にも行けない。よく足を踏み外すルシィだから、皆が心配してくれるのもわかる。
「ハンナのご飯……」
やっと食べられると思ったのに。
ルシィがしょんぼりとしたせいか、セイディはほんの少し気をよくしたように笑った。
「時々届けるわね。私もルシィに会いたいから。それで、元気になったら戻ってきて」
「ええ、もちろん」
――と、そんなわけで、ルシィは食堂〈カラスとオリーブの枝亭〉から領主館へ居候先を鞍替えすることになった。しばらくだけという期限つきで。
クリフとは和解した。だから、それはいい。
けれど――。
じっとりとした目つきでルシィを迎え入れたのは、執事のモリンズである。
視線が刺さる。謝ったし、もう許してほしい。
モリンズは、はぁ、とこれ見よがしにため息をついた。
「クリフ様がお決めになったことですから」
それならため息をつくなと思う。
「しばらくの間だけお願いするわ。大丈夫よ、すぐによくなって帰るから」
一応断っておく。しかし、モリンズはまた嘆息した。
「そういうことを申し上げたいのではございません」
「じゃあ何よ?」
ルシィはほとんど部屋から出ずにベッドの上にいるのであって、クリフと偶然ばったり顔を合わせる可能性はない。そもそも顔を合わせる必要はないのだが、気を遣っているのか、クリフは毎日ルシィの部屋に何度か来て具合を訊ねてきた。
護られている、とルシィは思う。
それが以前ほど嫌ではなくなった。
【 Chapter Ⅲ「魔女の善き友(下)」 ―了― 】




