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魔女ルシエンヌの物語  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅲ「魔女の善き友(下)」

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31/73

◆2

 やはりハンナは、市の初日は混雑するので避けると言う。


「でも、掘り出し物があるかもしれないから、あんたたちだけで行っておいで。あたしは最終日に少しでいいよ」

「そう? 買ってきてほしいものはある?」


 セイディがハンナの座っている椅子の背もたれに腕を回しながら訊ねた。ハンナは優しく、うん、とうなずく。


「初積みの茶葉でよさそうなのがあれば少しほしいね」

「わかったわ。行ってきます」


 ルシィとセイディ、トリスの三人で広場へ繰り出すのだが、モーティマー通りを歩きながらルシィはセイディに言う。


「ねえ、秤ってどこに売っているの? 今使っているものよりも細かい分量を量れるものがほしいの」

「うちの秤、1グリム対応でしょ? まだ細かいのが要るの?」

「そうよ」


 すると、セイディは少し考え、それから口を開いた。


「多分、そこまでの秤は普通にお店じゃ売っていないと思うわ。注文して取り寄せてもらうとか、そういう話になるんじゃないかしら」

「それって、時間がかかるってこと?」

「うん」


 セイディの返答に、ルシィはがっくりと項垂れた。どれくらい時間がかかるものなのだろう。ルシィが地道に手で割っていくべきなのか。

 まだジギタリスでへこたれている。次のイヌサフランの雄しべは0.31グリム。気が遠くなる。


 セイディはルシィの様子から、何か重要なものなのだということだけは察してくれたらしい。


「……急ぐの?」

「ええ、わりと」


 この話を前日にルシィとしていたトリスが割って入った。


「なあ、市の商人に訊いてみたら? 秤そのものは売ってないかもしれないけど、量り売りとかしてるんだから、秤は商売道具だろ? 詳しいんじゃないか?」


 確かに、トリスの言う通りかもしれない。


「そうね、ありがとう、トリス」


 ルシィは張りきったが、二人はそれ以上訊ねなかった。何に使うんだと訊いたところで、ルシィの考えはよくわからないと思っているのかもしれなかった。


 この門前広場はこれまでに何度も行き来していた。今さら目新しいこともない。石畳が広がっているだけの場所のはずだった。

 けれど今日は、その石畳が見えないほどの人だかりだ。白い帆布がかかった露店がずらりと並んでいて、それに町の人々が群がっている。

 この町にはこんなに人がいたのかとルシィは驚いた。


「ルシィ、なるべくあたしかトリスから離れないようにね。でももし見失ったら、素直に家に帰っていて」

「ええ、そうする」


 見知った場所のはずが、まるで知らない土地に見えた。それというのも、行商人たちがいかにも他所から来たというふうに感じられたからかもしれない。


 町の商店はいくつか利用したが、やはり土地に根づいているだけあって誠実だ。住人にそっぽを向かれては商売にならないことをよく理解した上で営業している。


 しかし、行商人は、ここで問題が起きたらここにはもう来なければいいだけの話なのだ。だから、そこまで気を遣ってくれているとは感じない。


「えっ? 高いって? 王都じゃ安いくらいだって言われたよ。価値がわかる人にはわかるもんだけどねぇ」

「グッ……。買うよ、それでいいから」


 高値で売りつけられているが、どう見てもただの歪んだ壺だった。

 壺や花瓶、反物に秤は関係ない。ルシィは乾物の量り売りに目を留めた。


 ヘンプシード、フラックスシード、キノア、オートミール、ドライフルーツにナッツ類、あそこは細かい。

 ルシィは乾物の露店に近づいた。じっと秤を見ていると、店主の男がデレッとだらしない顔になった。


「お姉さん、美人だね! おまけしておくよ!」

「ありがとう」


 当然の賛辞は聞き流し、ルシィは店主に訊ねる。


「この秤は1グリムまでしか量れない?」


 いきなり変な質問が来たとばかりに店主は困惑していた。


「い、いや、うちは量り売りの最低量が50グリムからだから、この秤は10グリムまでしか量れないよ」

「そうなの?」

「1グリムなんて、何粒だかわかんないよ。そんな単位で買わないからな」

「じゃあ、何なら1グリムで量るのかしら?」

「さ、さあ……」


 忙しい最中、商売にならなさそうな客だと判断された。

 名残惜しそうではあったが、ここには商売をしに来ている。儲けを出せなかったら意味がないのだ。

 店主はルシィの質問を躱しながら他の客の相手をし出した。


 この時、セイディがルシィの腕を引いた。


「ねえねえ、あれはどうかしら?」


 人に揉まれながらセイディが視線を向けたのは、貴金属を取り扱う店のようだった。主に買い取っているように見える。


 金色の秤の片方の皿には古びた分銅が載せられている。反対側の皿には金の小さなブローチが載っていた。


「はい、8グリムですね。本来であれば3グリムで金貨一枚ですが、保管状態がいいので金貨三枚お支払いしましょう」

「ありがとう。でも、もうちょっとあると思っていたんだがな」


 老人がため息交じりに言った。店主は愛想よく笑う。


「ええ、皆さんそう仰るんですけど、そんなものですよ。うちの秤は商売柄、定期的に検査を受ける決まりですから、ご家庭のものよりも正確ですし」


 よくそんなことが言えるな、とルシィは呆れた。


 店主の男は四十代くらいだろうか。短い癖のある黒髪で、耳が大きい。

 助手らしき青年は息子か。なんとなく似ていた。


 あれならば精密に重さを量るかもしれない。

 ただし、ルシィにはすぐにわかった。老人は騙せても、ルシィのことは騙せない。あれは詐欺だ。


 あの分銅に使っているのは〈ビッケル鉱石〉という石で、かなり珍しいものだ。それというのも、ある時期から発掘されなくなったからである。


 あれは一見鉄にしか見えないが、水に浸しておくと水を吸う。だから、1グリムに揃えて重りを作り、1グリムと彫っておいたとしても、水に浸しておくと1グリム以上になる。水が乾けば戻るが、一日くらいでは戻らないだろう。


 ちゃんと検査を潜り抜けたというのも嘘ではない。

 何故なら、その検査官にビッケル鉱石の知識がないからだ。乾いている時に検査をしても水に濡れると重量が変わるなどとは思わないのだから、許可を与えてしまう。


 鉱石がよく採れるアージェントになら現物が残っていたのかもしれない。

 多分、あの国でしか採れない。


 アージェントは早くにビッケル鉱石の性質を知り、民間に出回らないように規制した。あれは何百年前だっただろうか。

 ルシィもそこまでは詳しくないが、かなり前だ。


 かなり前に規制された鉱石だから、他国にまで輸出されることもなく、存在自体を知る者も少ない。そんな品を、この行商人はどんな手を使ったかは知らないが手に入れたようだ。

 ルシィもあんな悪徳業者に宝石を換金してもらわなくてよかった。


 これは――クリフに知らせておかなくてはならないことだろうか。

 自らの統治下で不正が行われているのだ。クリフなら、見て見ぬふりを決め込むつもりはないだろう。


「…………」


 教えるなら教えるで、もう少し探ってからにした方がいい。万が一、ルシィの勘違いということもあるかもしれない。

 ルシィはトリスとセイディから離れ、貴金属取り扱い業者の二人へと近づいていく。


「こんにちは」


 微笑むと、大抵の男から警戒心が薄れることをルシィはよくわかっている。この二人もそうだった。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょう?」

「ここは金しか見てもらえないのかしら? 宝石はどう?」

「宝石も買い取りますよ」

「あらそう、それはよかったわ」


 ルシィはポケットに無造作に放り込んできたエメラルドを指先で確かめる。


「あなたたちは王都から来たの?」


 それを言うと、二人が顔を見合わせていた。若い方の男が言う。


「ええ、そうですよ。王都レイブルから来ました。時々こうして地方へ買い取りに行きますが、普段はそこで営業しています」


 本当だろうか。

 王都とひと口に言っても広いのだろうから、もし仮に嘘でもわからない。


「看板がないけれど、お店の名前は?」

「露店に看板なんて出しませんよ。疑り深いお客様だ」


 と、店主の方が肩をすくめた。


「私はエイハブ・バーク、こちらは息子のジェイクです。そしてこれが営業許可証です」


 エイハブは額に入れて飾ってある許可証を指さした。そこには判が捺されていて、偽造書類ではなさそうに見えた。それなら、これらは本名なのか。

 ビッケル鉱石の秘密が知られないと高をくくっていて、それで偽名で商売しないのだとしたら、たいした自信だ。


 ルシィはわざとらしく、安堵のため息をついたように見せた。


「この宝石は母の形見だから、本当は売りたくないのよ。ちゃんと価値をわかってくれる業者じゃないと、泣く泣く手放すにも悔いが残るから、うるさくしてごめんなさいね」

「いえいえ、こういう商売柄、慣れています」


 実際に詐欺だろうがと思ったが、今はまだ言わない。

 ルシィはエメラルドを机の上にコトリと置いた。その途端に親子の目の色が変わった。


 このエメラルドは、アージェント国王からの貢物のひとつだ。最高級の原石を王室御用達職人がカットし、磨き上げたもので、鶏卵よりも僅かに小振りかというほどの大きさだ。これほどのものがアジュールの民間に出回ることはないだろう。


「私の母はアージェントから嫁いできたのよ」


 一応そういうことにしておく。しかし、二人は聞いていなかったかもしれない。


「これは……値段をつけられない。いや、私たちが今持っている金貨で買える代物ではありませんね」


 案外正直だ。ルシィは拍子抜けした。


「それは残念」


 しかし、そこで話は終わらなかった。


「あの、厚かましいことを申しますが、市の最終日の暮れにもう一度その宝石を持ってお立ち寄り頂けませんか? その時までには王都に使いを出して金を工面しておきます」


 ルシィとしても猶予ができて対策は立てやすくなる。その間に騙されて安く買い叩かれる人が出たとしても、彼らを逃がさなければ戻るのだから、損害はないはずだ。まあいいだろう。


「そうしてもらえると助かるわ。じゃあ、また来るわね」

「ええ、くれぐれもその宝石を他所で売ったりなさいませんように。必ずうちでお願いします」


 エイハブに念を押された。ルシィは笑ってうなずいておいた。

 その間も、トリスとセイディがバーク親子と話すルシィを離れて見守っていた。


「ルシィ、秤の話は訊けた?」

「そうね」


 本当のことを二人には教えておこうか。ただ、ルシィがどこでビッケル鉱石の知識を得たのかを説明するのが難しい。


「最終日にまた顔を出してほしいって言われたわ」

「そうなの? 最終日にはお母さんも連れてくるから」

「ええ」


 その後、ルシィは二人と一緒に市を見て回ったが、うわの空であった。

 時間が経つと、放っておいてもいいかという気分に傾いてしまう。どうして放っておけないと思ったのか、だんだんわからなくなる。


 以前なら、騙される方が未熟だとルシィは言い放てた。

 ルシィがここへ来てまだ季節も巡っていないのに、もうこの町に感化されたとでもいうのだろうか。長い時を生きているルシィにとって、それは瞬くほどの期間でしかないのに。


 時間ではなく、濃さだということだろうか。今の自分はさぞ人間臭いのだろうなと思った。


 仲良くはしゃいでいるトリスとセイディを眺め、ルシィはそんなに嫌な気分にはならなかった。

 あの二人は人間臭いから可愛いのだ。人間臭いことが悪いことではない。

 だから、結局、悪徳商人は放っておかない方がいいという結論に至る。

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