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魔女ルシエンヌの物語  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅲ「魔女の善き友(上)」
29/73

◆7

 翌日になり、ハミルトンは〈カラスとオリーブの枝亭〉にやってきた。

 クリフと仲が悪いというハミルトンだが、トリスたちとは打ち解けていた。


「ハミルトン様、どうか稽古をつけてください!」


 特にトリスが、ハミルトンが来ていると知って自警団の休みを他の人と代わってもらったほどだった。あの男たちを素手でのしたくらいだから、まあ強いのだろうとは思っていたが、セイディがにこやかにルシィに耳打ちしてくれた。


「ハミルトン様は騎士団に所属されている騎士様なのよ」

「ああ、そうなのね」


 それなら強いのにも納得だ。

 ハミルトンからすると、童顔なトリスはまだまだ子供のように見えるのか、目つきが優しかった。


「そうだな、どれくらい腕を上げたか見せてみろ」


 食堂の仕事はまだ後片づけが残っていたが、ハンナは子供たちを送り出してくれた。


「せっかくハミルトン様がおいでになっているんだから、行っておいで」


 ルシィは別に行きたいと思わなかったが、セイディに引っ張っていかれた。



 皆で向かった先は公園の広場だ。トリスは剣ではなく、稽古用の木剣を持ってきている。それをハミルトンに手渡した。

 セイディは、危ないからと通行人の整理をし、二人に人が近づかないようにした。見物人がチラホラといる。


 体格的には圧倒的にトリスが不利なのだから、子供をあしらうように転がされるだろうとルシィは思っていた。大体、トリスは自警団で揉め事の仲裁ばかりしてる。腕っぷしが期待されている扱いではなかった。


 しかし、セイディが剣を構えた二人に、始め! と声をかけると、トリスは怖気づくことなくハミルトンに向かっていった。

 カァンと木のぶつかり合う音がする。


 初撃が弾かれた。ただし、そこからの切り替えしが思いのほか速かった。カカカカ、と音が連なって聞こえるほど、トリスの繰り出す突きは的確で素早い。


 ハミルトンに通用しているというほどではないのかもしれないが、防ぐ顔にゆとりは感じられなかった。いい動きをしていると、剣術のことはよくわからないルシィでさえも思えた。

 セイディは、呼吸が止まっているのではないかと思うほど手を握り締めて見入っている。


 トリスの剣先がハミルトンの手の甲をかすめた。


「あっ」


 気の優しいトリスは、ハミルトンのかすり傷に気を取られ、頭の上に拳骨を食らった。


「これくらいで集中を切らすな」


 そんなことを言っているが、ハミルトンも息が上がっている。案外、ほっとしているのではないだろうか。


「すみません、ハミルトン様」


 謝ったトリスの頭を、ハミルトンはそのままくしゃくしゃと撫でた。犬を撫でているようだ。


「いや、それにしてもまた腕を上げたな。伯父さんもきっと喜んでいる」


 ハミルトンに褒められ、トリスは嬉しそうだ。セイディも目を輝かせている。

 ただ、次のセリフには凍りついていた。


「だからお前は騎士になれと言っているんだ。今からでも遅くない」


 トリスはハンナとセイディを置いて出ていけないと、この町に留まることを選んだ。騎士になろうと思ったら、まず王都から帰れない。トリスには剣の才能が少なからずあるのだとして、それを腐らせるのを彼女たちはよしとしているのだろうか。


 それでも、いないと寂しい。

 離れたくないという気持ちが後押しできないのか。


 なんとなくしょんぼりとして見えたセイディを慰めようとしたルシィだったが、黒い影に目が留まった。見物人に紛れて、黒い老猫があくび交りに後ろ足で首の辺りを掻いている。


 黒猫は魔女のしもべであると勘違いされがちだが、しもべではない。友だ。

 その黒猫はあくびを終えるとトリスたちを見ながら不敵につぶやいた。


『ふぅん、シェルヴィーの倅は大きくなったじゃないか。ノックスの弟の方も相変わらずだねぇ』


 面白そうな猫だと、ルシィはその猫のそばに行き、抱き上げた。メスだ。


「あなた、事情通なのね。あっちでお話しましょうか」


 野良猫のようだが、トリスとハミルトンのことを知っているらしい。猫にしては結構な高齢なのかもしれない。

 黒猫は最初、ルシィのことを胡散臭そうに見上げていたが、喉を摩ってやると、ゴロゴロと言って屈服した。


『あんた、アタシの言うことがわかるなんて、ただの人間じゃないね?』

「そうよ。それがわかるあなたもなかなかのものね」


 互いを認め合い、友情が生まれた。ルシィは黒猫を抱えたまま一人抜け出し、公園のベンチに座った。

 黒猫はルシィの膝の上で丸くなる。その背中を撫でながらルシィは語りかけた。


「ねえ、あなた、トリスとハミルトンのことを知っているみたいな口ぶりだったわね」


 すると、黒猫は長い尻尾をペンッと撥ね上げた。


『ああ、ユージーン・シェルヴィーの息子だろ? ユージーンはいいニンゲンだったさ。勇敢な騎士だったけど、魔族と戦って死んだんだよ』


 ルシィは思わず目を瞬かせた。それは知らなかった。父親は墓の下にいたが、死因まで訊ねたことはなかったのだ。

 もしかすると、そのせいでハンナはトリスを騎士にしたくなかったのかもしれない。トリスもそれがわかっていて言わない気もする。


 黒猫は、そのまま尻尾をパタンパタンと動かしながら語った。


『あの頃、ここはひどかったんだよ。前の領主がなんせ無能だった。ユージーンはその領主の護衛に派遣された騎士だけど、やっぱり剣や槍で魔族と戦うには無理があったね。一対一じゃない。多勢に無勢ってやつさ。ユージーンの嫁は息子を抱えて泣いていたよ。でも、知らない女の子が泣いているのを見つけると、泣くのをやめて息子と一緒に抱え込んで自分は泣くのをやめた。あれは立派だったね』


 それはセイディのことだろう。そんな気がする。


「その女の子って、さっき広場にいた子のことでしょう?」

『多分そうだね。髪の色はあんなだった。今ではすっかり修復されたけど、あの時は町もぐちゃぐちゃで、人も猫もいっぱい死んだ。あの子の親も瓦礫の下になったのかもね。見つからないみたいだったよ。それからしばらくして、ユージーンの嫁が息子と女の子の手を引いているのを見かけたから、あの子も育てるつもりなんだろうとは思っていたけど』

「そうよ。ハンナは立派に二人を育てたわ」


 ハンナが未亡人になった経緯を猫から聞くことになるとは思わなかった。

 そこにも魔族が絡んでいて、引いてはオーアが他国の彼女たちの生活まで壊したのだということになる。本当に迷惑な話だ。


『それで、どうにもならないこの町で、あの無能領主の代わりにやってきたのが、ノックスだ』

「兄の方ね」

『そうだ。子供の頃から時々遊びに来ていたんだよ。ノックスの兄弟はユージーンの妹の子だからね。アタシにニンゲンの美醜はわからないけど、ユージーンの妹は綺麗な娘だったってさ』


 黒猫は、あふ、とあくびをした。老齢だから眠たいのか。

 それでも、続きは語られた。


『ユージーンの妹ももういない。ユージーンよりもずっと前に死んでいる。可哀想な事故だった』

「事故?」

『ノックスの兄は子供の頃から魔力が強かった。でも子供の時には自分でそれがよくわかっていなかったんだ。自分の力が何を引き起こすのかもわからない幼い子が、魔術を放った。ユージーンの妹は魔力なんてない普通の女だったから、それっきりだったよ』


 セイディが言った、クリフの苦労とは、ルシィが考えていたものとは違っていた。内容をセイディが語らなかったのも、気軽に言えないからだろうか。

 ルシィは魔女だが、さすがに母親が自分のせいで死んだら嫌だ。ルシィの母は寿命だった。


「……家族と仲が悪いのはそのせいなのね?」

『弟はほんの赤ん坊だったし、母親のことなんて覚えてないよ。でも、ノックスの父親は兄の顔を見るのも嫌なんじゃないかねぇ』


 誰が悪いとは言えない。本当に嫌で、不幸な事故だ。

 子供だったクリフはどんなに傷ついただろう。


 痛いな、とルシィはため息をついた。

 他人の古傷に共感してどうすると思わなくはない。

 以前のルシィならこんなことは感じなかった。人の感情に鈍感だった。


 今までは他人にひどい言葉を投げつけても、その後の相手の感情まで想像しなかった。すぐに忘れた。

 それが今は、こんな遠い記憶についてまで考えて痛みがどれほどのものだったかを考えている。


 情に厚いシェルヴィー親子と、それこそ甘いクリフと接したせいで揺れやすくなっている気がした。これを学びというのかはわからない。


 黒猫はルシィの膝から顔を上げると、どこか遠くを見つめた。枯れた声は慈悲深い。


『あの兄は、ずっと自分が生きている意味を考え続けているんだろうね。町の復興に親身に取り組んだのも、この町を護るのも全部、母親を死なせておいて自分だけ生きている罪悪感だ。弱者を護って、役に立つことで自分を許している。自分の力を善い方に使わないと生きていられないんじゃないのかねぇ』


 ――昨晩、彼に吐いた暴言の数々をほんの少し、いや、大いに後悔したルシィだった。


 身を削るように大きすぎる力を振るうのも罪悪感なのか。その後の反動も自分に課せられた罰だとでも思っているのだとしたら、馬鹿だ。


 けれど、そんなクリフよりももっと馬鹿なのはルシィかもしれない。

 他人を護ることを自らに課している男に、放っておいてくれと、迷惑だと言い放った。

 あれはクリフの存在そのものを全否定したことになるのか。


 ルシィはとにかく、昔から権力者が嫌いだった。魔女に権力は通用しないと理解せず、上から物を言う。隙あらば足元をすくうべく虎視眈々と狙っている。


 権力者とはそうしたものだ。だから、ルシィはいつでもやり込めた。一切の敬意を払わなかった。

 ご機嫌伺いに現れる男たちに対するあしらいとクリフへの態度は、多分同じだった。


 クリフは領主代理で、この町では一番偉かったから、反骨精神がむくむくと育っただけなのかもしれない。

 これは、謝るべきところなのだろうか。それを素直に行えるルシィではないのだが。


 あれこれ考えすぎて固まっていたルシィを、膝の黒猫は窺い見るように見上げてきた。小さな体の老猫だが、その辺りの人間よりも賢いかもしれない。


「ねえ、あなたに名前はあるの?」


 訊ねてみると、黒猫はフン、と鼻を鳴らした。


『ヒトがつけた名なら、リリスだね』

「そう、リリス。ここに来たらまた会えるかしら?」

『運がよければね』


 と言って、リリスはあくびをした。

 ここでルシィを捜していたらしいハミルトンが来ると、リリスはうっとうしそうにルシィの膝から飛び降りて去っていった。


「ルシィさん、疲れましたか? ……あなたを放っておくつもりはなかったんです」


 放っておいてもらって結構だ。ルシィはハミルトンのことなどさっきまで忘れていた。


 この弟にクリフの様子を教えてもらうのはどうだろうか。

 怒りが冷めているようなら――と、そこまで考えて諦めた。クリフとハミルトンも仲がいいわけではないのだ。


「いいのよ。さあ、帰りましょうか」

「えっ、あ、その――待ってくださいっ」


 待つ筋合いもないので、ルシィはさっさとトリスたちと合流し、帰った。

 本当はすぐに帰るつもりだったが、この町にもうしばらくいることにしたとかなんとか――ハミルトンは早口でまくし立て、それでもルシィの頭の中は別のことでいっぱいだ。


 ――クリフのことをどうしようか。

 お互い、顔も見たくないという具合に別れたのが最後だ。

 あれだけの喧嘩をして、ヘコヘコと謝りに行くくらいなら、何も知らないことにしてやり過ごしたいような気もする。


 けれど、全面的にルシィが悪かったのも今となってはわかっている。謝るべきだ。

 しかし、難しい――。


 そこでルシィは、最近作った惚れ薬のことを思い出した。あれはセイディのために作ったのだが、全部は要らないだろう。

 あれをそのまま使うとややこしいことになるだけだが、配合を変えてみよう。


 仲違いを緩和するよう、心をほぐすのだ。

 多分、作れると思う。クリフには効かないということもなさそうだった。


 ルシィが持っていってもクリフは飲まないだろうから、出来上がったらセイディに託そう。

 ただし、調薬がとても複雑になる。今のルシィにちゃんと作れるかどうかはわからないが、試してみよう。


 誰かがそんなルシィの思惑を知ったなら、そんな難しい調薬に挑戦するくらいなら、素直に謝った方が楽だと気づかせてやりたくなったかもしれない。



     【 Chapter Ⅲ「魔女の善き友(上)」 ―了― (下)へ続く 】

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