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魔女ルシエンヌの物語  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅲ「魔女の善き友(上)」
25/73

◆3

 ルシィはこの日も食堂の仕事が終わるとハンナに声をかけた。


「何か、汚れてもいいバスケットか袋はあるかしら?」

「また薬草を摘むのかい?」

「そうよ」


 ハンナはひと仕事終えて椅子に座ったところだった。セイディは洗濯物を取り込むため、二階に上がっていていないのだ。

 よいしょ、とかけ声をかけて立ち上がる。脚が痛いのに悪いなと思った。


 ハンナの膝に効く薬も何か作れるといいけれど、結構な古傷のようだから、今から薬を使ったところで気休めにしかならないかもしれない。自分に魔力があればな、とまた過去を振り返って悔しくなる。


「これでいいかい?」


 ハンドルのついた籐籠だ。汚れてはいないが、ところどころほつれている。


「ええ、ありがとう」

「暗くなる前に帰るんだよ。気をつけてね」


 にこやかに送り出してくれるのは、町の外へまで出ていると知らないからだ。そうして、ルシィは出かける。



 入り口の検問のところでは、トリスがいないかだけ気にしてみる。今日もいなかった。

 自警団の仕事が休みの日もあるのだが、少ない。トリスなりに忙しくしているのだ。

 人当たりがいいから、揉め事を仲裁するのは上手な気がする。ルシィなら火に油を注ぐがごとく煽るだけだが。


「ルシィさん、今日もお出かけ?」


 検問でまた声をかけられた。


「ええ。行ってくるわ」

「外は危ないから、くれぐれも気をつけて」


 毎回それを言ってくれる。ただし、それを言われるたび、自分が無力なただの女になったのだということを痛感して嬉しくない。


 外へ出て少し歩くと、微かに潮の匂いのする空気をいっぱいに吸い込み、大きく伸びをした。

 ラウンデルの森にはない匂いだ。最初は違和感しかなかったが、今は嫌いでもない。森のように枝葉が伸びていて遮られない日差しの明るさにも慣れた。


 シェブロンの町は居心地がいいとは思う。けれど、あれだけたくさんの人がいる環境は、一人で暮らしていたルシィには時折気づまりでもある。こうして一人になれるとほっとする部分もあった。


 今だけは自由だ。弾む心で道から逸れる。

 ピチチ、と雀が語りかけてきた。


『あなた、どこから来たの?』

「アージェントとセーブルの間にある森からよ」


 すると、雀は横を飛んでいた蠅を素早く捕食し、ゴクンと呑み込んでから答えた。


『随分遠くから来たのね。あの大陸はオーアの跡から徐々に魔界に呑まれているんでしょう?』

「今のところ、セーブルが抑えているわ。もしかすると、こっちの方が魔族はよく来ているんじゃないかしら?」


 魔族が続々と湧いて出てきているけれど、ラウンデルの森まで襲われたことはない。セーブルの魔科学が魔族を押し戻しているということだ。ルシィが手を貸して撃退したのも随分初期のことである。


 魔族は同時に、海を越えたこのアジュールにちょっかいをかけている。

 どの国も今のところはどうにか持ち堪えているが、それがいつまで持つのかはわからない。ルシィがここでのんびりと過ごしているうちに故郷たるラウンデルの森が魔族に滅ぼされるという可能性も皆無ではないのか。


 そう考えたら、浮いていた心が沈んだ。

 それは嫌だ。あの森には大事なものがたくさんある。リドゲートたち幻獣にとっても安らげる土地なのだから。

 こんなことになるのなら、魔力がある時にオーアの跡地になんらかの対策を取っておくべきだった。いつでもできるけれど、疲れるのが嫌だと後回しにした挙句、今は手の打ちようがない。


 思えば、今のところ健闘しているセーブルの皇帝がどのような人物だか、ルシィはよく知らなかった。

 何年か前に代替わりしたのだ。あの国は世襲制ではない。選挙という制度があり、国民が皇帝を決める。だから、前皇帝とは似ていないはずだ。現皇帝はルシィを帝都に招待したことがない。招待しても来ないのがわかっているからかもしれないが。


 それでも即位したのなら一度くらいは挨拶に来ればまだ可愛げもあるが、それもなかった。贈り物だけはしてきたし、丁寧な文書も添えてあった。国民が選んだのだから馬鹿ではないはずだが、ルシィのことはアージェントほど敬ってくれていなかったのかもしれない。

 まあ、今さらそんなことはどうでもいいが。

 とにかく、ご自慢の魔科学でもう少ししっかりと魔族を抑えていてくれたらそれでいいのだ。


『いやぁなご時世ねぇ』


 と、雀がぼやいた。まったくだ。

 雀は腹が膨れたからか、飛ぶのをやめて途中の木に停まってルシィを見送った。


 ルシィは雀と別れると、薬草採取に専念する。魔族の脅威など、今のルシィが考えてもどうにかできることではないのだ。例えクリフの魔力を全部奪ったところで無理だ。

 それなら、いったん置いておくしかない。今は目の前のことだけを考えよう。


 ――ヒヨス。

 また手袋を忘れた。痛い。

 細かく生えた毛がチクチクと痛いのを我慢して、ルシィはヒヨスを摘む。


 それから、フェルトザラート。これは葉物野菜としてサラダに入れても美味しい。

 肉厚な葉をしたカルダーノ、頭痛、胃痛に効く。これも食用にできる。


 薬草に触れていると、その他諸々の面倒な事情を忘れられた。ルシィは少々手が痛いのも忘れて薬草摘みに没頭した。

 せっせとバスケットに薬草を詰め込む。今日はバスケットがあるから、この間よりもたくさん持って帰ることができるのだ。


 ルシィは自覚もないまま、どんどん正道からは外れていった。

 この時、ルシィの後をつけている男たちがいたことにも気づいていなかった。


 まだ空が暗いということもない。もう少しだけ――。

 ルシィが地面を這うように移動していると、不意に肩に手が置かれた。ハッとして振り返ると、見知らぬ男が三人いた。

 三人とも二十代後半くらいか。目の下に隈があったり、髭の剃り残しがあったり、顔が脂ぎっていたり、とにかく風采が上がらなかった。そのくせ、三人は一様に下卑た笑いを張りつけてルシィを見下ろしている。


「驚いた! こりゃあ予想以上だな」

「ああ、こんなところをうろついている女だから期待してなかったけど」


 男が三人、ルシィを囲んでいる。三人ともよく日に焼けているし、見覚えのない顔だ。港に着いた船から降りてきた船乗りかもしれない。

 邪魔をするなとばかりにルシィは男たちを睨んだ。しかし、男たちは楽しそうだ。


「ちょっと俺たちと遊んでくれないかなぁ、お嬢さん」


 目の下に隈がある男がしゃがみ込んでルシィに目線を合わせた。


「嫌よ」


 と、言い終わるか終わらないかのところで、ルシィが抱えていたバスケットを奪い取られた。バスケットは放り投げられ、一生懸命集めた薬草がひっくり返る。

 こいつ――と、ルシィが怒りを面に出した瞬間、脇の下に腕を差し込まれ、立たされた。


「触らないで」


 ピシャリと言い放ったが、男は笑っていた。今までに出会ったどんな人間よりも強い不快感を覚えた。

 もし魔力があったら、一瞬で黒焦げにしていたと思う。ただし、今のルシィには無理だった。

 クリフから吸い取った魔力を使ったが、男は頬を撫でられたくらいの衝撃しか感じなかったらしい。力を緩めるでもなく、むしろ強めてルシィを引っ張った。


「離しなさい!」


 口調だけは強気だが、力では敵わず、ルシィは奥へと引っ張られた。茂みの裏の人目につかないところまで来ると、男はルシィを突き飛ばした。スカートから出た膝小僧を擦り剥いた。じわりと痛みが襲ってくる。


「誰から行く?」

「この前の貸しがあるだろ。俺だ」

「あ、狡ぃ!」


 髭の剃り残しのある男がルシィに近づき、ブラウスの襟に手を伸ばしたかと思うと、ビッと耳障りな音がした。ブラウスが裂け、はだける。ルシィの豊かな胸元があらわになると、男たちは目の色を変えた。

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