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魔女ルシエンヌの物語  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅲ「魔女の善き友(上)」
23/73

◆1

 アジュール王国の港町、シェブロンの表通りにある食堂〈カラスとオリーブの枝亭〉が閉店した後のこと。


 夕食の片付けもすっかり終え、やっと厨房が空いた。

 ルシィは使わなくなった古い鍋をハンナからもらい、そこに刻んだ薬草を投入する。具合を見ながらよく煮て冷まし、軟膏にして傷口に塗るとよく効くのだ。


「焦がさないように、と」


 グルグル混ぜて、ルシィは薬を煮詰めていく。

 ルシィは魔力を失った魔女だ。薬の知識だけは魔力を失った後にも変わりなくある。

 これくらいのものは作れるのだが、全部が自分だけの手作業となると面倒くさい。


 以前なら、煮詰めるための火は魔法で出し、調節していた。しかし今は、調理用の(レンジ)である。

 アージェント王国で採れる、魔力を含む魔鉱石を元にして火を熾す。だから、大火力で使いすぎるとエネルギーが切れて火が出なくなる。魔鉱石は消耗するのだ。


 火加減も自分で見ていなくてはならない。家にいた時は、掻き混ぜる作業は小人(レプラコーン)に頼んでおいたのに。面倒だ。


 薬をグルグルと掻き混ぜていても、なかなか煮詰まらなかった。


「これ、いつまでかかるのかしら……」


 その日、ルシィは薬を煮詰めて寝不足になった。それでも薬はなんとか出来上がったので満足した。



 翌朝。

 ふぁあ、とあくびをしながら身支度を整える。寝たのは精々が二時間だ。眠い。

 しかし、出来上がった薬はすべて手作業だったことを思うとまずまずの出来なので、まあいい。


 ただ、所詮は傷薬だ。よく効くとはいえ、傷薬くらい珍しくはない。

 セイディのために惚れ薬を仕込んであげたいが、原料はこの町の中では集められない。あれからもルシィは町中を散策して探したのだが、なかった。

 この町に薬草はそれほど生えていない。墓地が一番生えていたかもしれない。


「よし」


 ルシィは町の外へ出る覚悟を決めた。もちろん、こっそりと。



 食堂の仕事を終えた昼下がり。

 そろそろルシィも料理を運べるようになる予定だが、セイディはまだ任せてくれない。オーダーに関しては信用してもらっているから良しとするべきか。


「ちょっと出かけてくるわ」

「どこまで?」

「その辺りを散歩」

「そう、気をつけてね」


 セイディに送り出され、ルシィは上機嫌で出かけた。その辺りというのが町の外であったとしても、その辺りである。


 何が生えているだろう。最低でもヒヨスはほしい。

 ヘレボルス、モーリュ、アーロンシュタープ――そんな貴重なものは無理か。


 惚れ薬なら紫のハート形の花をつけるアイドルネスが欠かせない。今の季節なら咲いているはずだが、見つかるだろうか。


 色々と考えながらモーティマー通りを下る。門に備えつけられている検問のところで、ルシィはきょろきょろと辺りを見回す。自警団の詰め所が近いから、トリスがいるかもしれないと思ったのだ。


 ついてきてもらおうかと考えたが、勝手に外へ行くのはよくないと止められる恐れもある。そうすると面倒なので、見当たらなくてよかったかと思い直し、ルシィは門を通り過ぎようとした。


「ああ、ルシィさん。どちらまで?」


 検問の人がにこやかに声をかけてきた。食堂に何度か食べに来たことがあったかもしれない。三十歳くらいの既婚者だ。


「ちょっとそこまでお使いに」


 にこりと笑って答えると、男は顔を緩めた。頭も緩んだようで、深く考えることなく通してくれた。


「ああ、気をつけて。暗くなる前に戻りなよ」

「ええ、ありがとう」


 出ていく分には厳しくないのだ。ルシィは顔が知られてきたので、帰りも止められることはなさそうだ。

 シェブロンの外へ出たのは、グリフィンのリドゲートに送ってもらった時以来である。

 あの時は嵐だったから、周囲を観察している余裕がなかった。ルシィもあの後すぐに倒れて拾われただけなのだから。


 ――今は春。薬草採取には最適な季節といえる。

 魔力があれば目で見なくとも感じ取れたのだが、今はいちいち調べないとわからない。それがもどかしかった。

 馬車が頻繁に行き来するのか、草の生えない道が伸びていて、時折魔鉱石の入ったガラスケースが埋め込まれていた。夜にはこれが道しるべになるのかもしれない。


 嵐の時はそんなもの、見ていなかったが。道に迷わなくていい。

 ルシィは安心して散策した。


「あっ!」


 あった。ヒヨスだ。ルシィは駆け寄った。

 しゃがんで見ても間違いなかった。茎にも葉にも細かい毛が生えていて、花なんて細かい血管が浮き出たようで、見るからに気持ち悪い。そして嫌な臭いがする。


「わぁ、よかった!」


 不気味な花を前に、ルシィは顔を輝かせた。

 さっそくちぎって――手が痛い。鋏を借りて来るべきだった。あと、手袋と。

 そんなに色々あると思わなかったので、手ぶらで来てしまった。今日はほどほどにしておかなければ。


 ルシィは道から逸れ、草むらに埋もれて採取を続けた。

 エニシダ、イヌサフラン、ジギタリス――こんなところに多種の薬草が生えていることにルシィは驚いた。ルシィのいたラウンデルの森には何百種類という薬草が生えていたが、ここには育成する人もいないだろうに。


 立ち上がって、ルシィは自分が越えてきた海の方を見遣った。もしかすると、風や動物がラウンデルの森から種子を運んだのかもしれない。


 それからもルシィは薬草を探し、アイドルネスを見つけ出して歓喜に浸っていた。


「これで惚れ薬ができるわ! マンドレイクがあれば完璧だったけど」


 さすがにそれはなかった。少々効力は落ちるかもしれないが、相手がトリスなら楽に効きそうだ。


 まだ使うとは言っていないが、いざ必要になってから作っていたのでは遅い。というか、ルシィが作りたいだけとも言う。

 魔法も使えなくなったら、こんなことでもしていないと魔女と呼べなくなってしまうのだから。


 ルシィはその日、上機嫌で家に帰った。

 門を潜る時、不気味な花を大事そうに抱えるルシィに困惑の眼差しが刺さったのは仕方のないことである。



     ◆



「今日も厨房を貸してもらえるかしら?」


 ニコニコと笑って言うと、フライパン(スキレット)の手入れをしていたハンナは苦笑した。


「また傷薬かい?」

「今回は少し違うけど、薬よ」

「ああ、いいよ」


 クリフのための薬だと思っているのか、快く承諾してくれた。


 ルシィが材料を刻み、鍋に放り込んで火をつけていると、風呂上がりのトリスが厨房を覗き込んだ。その途端に顔を歪め、ゲホゲホとむせた。


「あら、トリス、どうしたの?」


 トリスは涙を流しながら咳き込んでいる。


「す、すごい臭いなんだけど、何を作ってるんだよ!」


 そういえば、トリスは臭いに敏感だった。この惚れ薬の臭気は受けつけないらしい。

 あなたに飲ませる惚れ薬を作っているとは言えず、ルシィは首をかしげてごまかした。


「……ジャム?」


 どうやら無理があったらしい。トリスは少しも信じていなかった。


「そんな臭いの、誰が食べるんだよ!」

「まあ、失礼ね」


 トリスがあまりにも泣くので、仕方なく煮詰めるのをやめた。このまま作っても、トリスに飲ませるのは難しい。何か消臭効果のあるものを足さなければ。


 トリスが騒ぐから、セイディまで二階から下りてきた。


「どうしたの?」


 しかし、セイディも厨房の入り口で立ち止まった。


「なんの臭い?」

「…………」


 ジャム。その言い訳は通用しなかった。


 それにしても、ここまで臭いと言われるのなら、厨房で煮ると朝になっても臭いが取れないかもしれない。食堂中が臭くなってしまっては、さすがにハンナにも厨房を貸してくれなくなる。


 ルシィは渋々鍋に蓋をすると、裏手の軒下に置いた。町の中で薬を作るのは難しい。

 どこか広い野外で煮ないと無理だ。町の中だと、公園や墓地、港と考えたけれど、それらもまったくの無人ではない。


 そんなところで薬を煮ているところを目撃されると、変な噂が立ちそうだ。

 さて、どうしようか――。

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