◆10
その翌日。
怒涛の朝食時を切り抜けた後、クリフが食堂にやってきた。後ろにはトリスがいる。
ルシィは露骨に嫌な顔をした。客はいないが、昼食の支度がある。暇ではない。
ルシィだって野菜くらいは洗える。断じて暇ではない。
しかし、嫌な顔をしてやったのに、クリフは怒らなかった。どちらかといえば元気がなかった。
「……少し、話す時間をくれないか」
とても下手に出てきた。それでも、ルシィはためしに言ってみた。
「嫌よ」
またしても、ハンナとセイディが厨房でハラハラしているのがわかった。
「ルシィ」
トリスも二人の間でなんとか取りなそうとしていた。ここでクリフは失礼なルシィに怒るのではなく、しょんぼりとため息をついた。
「すまない」
――いきなり謝ってきた。
ルシィは立っていると挫いた足首が痛いので椅子に座った。
そうしたら、クリフが向かいに座った。話をするために座ったわけではないが、クリフは勝手にそう解釈した。
「今朝、セシリア・アスカムが私のところへやってきて、夫たちの食事に毒を混ぜたと自供した。君の考えは間違っていなかったのに、私は頭から撥ねつけて話を聞かなかった。だから、すまない」
気まずくなって謝りに来たということらしい。しかし、ルシィは謝ってほしいとは思わない。
「そんなことを言いにわざわざ来たのね」
きっぱりと言うと、クリフは言葉に詰まった。
怒っているのではない。クリフにどう思われていようとルシィに関心がないだけだ。
それでもクリフは会話を切り上げずに続ける。
「トリスからも話は聞いた。彼女が自供したのは、君がそうし向けたからだろうと」
「さあ? 仕向けたのは私ではなくてトリスでしょう?」
すると、クリフは赤い目でじっとルシィを見た。ルシィも逸らしたら負けのような気がして、クリフの目を見た。
「この町に来る前のことだそうだが――彼女の最初の夫は、ひどい暴力を振るう男だったそうだ」
「そう。それで?」
「近くに生えていた草を食事に混ぜたら、よく腹を壊すようになって、そうしたら殴られる回数が減ったから、いつも食事にその草を混ぜていたそうだ」
それは腹を下してトイレから出てこないということだろう。自業自得と言うべきか。
「それを続けていたら、ある日、死んだ。検視でも何も出なかったそうで、この時は草と夫の死を関連づけて考えていなかったらしい。二番目の夫は不倫をしていて、放っておくと愛人のもとへ出かける。家に足止めをするためにまたあの薬草を使った。そうしたら、死んだ。二番目の夫の時になってようやく、あの草が毒だと気づいたと」
男運の悪さはどうしようもないが、殺意はなかったのか。
これはセシリアが語ったことであり、嘘だという可能性が十分にある。
クリフは続けた。
「三番目の夫は、彼女の持参金が目当てだった。身の危険を感じて、毒草を使ったそうだ。ここからは球根を使ったから、回りが早かったと言っていた。そして、四番目のアスカムだが――」
「アスカムだけは毒を使われた痕跡がないのでしょう。違う?」
ルシィが先回りして言うと、クリフは瞠目した。
あの野ネズミが教えてくれたのだ。骨が光っていたのはふたつの墓で、一番新しい骨は光っていなかったと。
「……そうだ。アスカムは事故死だそうだ。やっと巡り合えた愛しい人だったが、これまでの夫が自分を呪っていて、彼を取り殺したのだと彼女は泣いていた」
あの喪服は、夫の死を悼む妻という仮面ではなかったのか。
本当に夫の死を嘆き、悲しんでいたのなら、クリフがあっさりと信じてしまったのも仕方がないことだったのかもしれない。
「彼女の供述のありのままを信じたら、君は甘いと言うだろうか?」
信じたいと思っているのなら、信じたらいい。
「その供述に目立った齟齬はないと思うわ。信じてあげたら?」
クリフの心は決まっている。ルシィの許可など要らないはずだ。
それでも、これをルシィに伝えに来たクリフの思惑は、ぼんやりと見えた。
セシリアも完全な悪というわけではない。悲しい思いもして、苦しんで、もがいている。彼女の心をルシィがほんの少しでもいいから酌んでくれたらと思うのだろう。
ルシィがどう思ったとしても、セシリアにはなんの影響もないのに、クリフは甘い。
ルシィの返答に、クリフはほっとしたように微笑んだ。彼に向け、ルシィもため息交じりに言う。
「私も、全員が殺されたと決めつけたわ。一人分だけは、事故だと信じたあなたが正しかったわけだし、私も言い過ぎたわね。ごめんなさい」
誰かに謝ったことなんて今までにどれくらいあっただろう。しかも人間に。
思い出せないくらい、ルシィの〈ごめんなさい〉は貴重である。
「いや、頭から否定的なことを言ったのは私だ。どう詫びようかと、ここへ来る間考えていた」
優秀で、それ故にプライドも高い、そんな男かと思えば、謝る時は潔い。
クリフのそうしたところが嫌いではないかもしれない。空っぽでない、魔女のルシエンヌならば好ましく思っただろう。
けれど今は、ヒシヒシと感じるクリフの力が妬ましい。
「本気で悪いと思ってくれるのなら、そうね……」
ルシィは不敵に笑ってみせた。クリフばかりか、黙って見守っているトリスたちまで緊張しているのが伝わる。
両手で輪を作り、ルシィはそれをクリフに向けた。
「これくらいの大きさのチーズを頂戴。穴が開いているのは駄目よ。ギッシリ詰まったやつ。期限は今日の夕方までにね」
「…………」
首を傾げられたが、これは大事なことである。
「美味しかったかとか、感想は聞かないこと。これで水に流すわ」
「……君はそんなにチーズが好きなのか?」
「そうねぇ。嫌いではないけれど」
今回の立役者、野ネズミへの報酬である。大事なことだ。魔女が約束を違えてはいけない。
クリフは、急に額を押さえてクツクツと笑った。
「わかった。用意しよう」
「ありがとう」
ルシィは笑顔で手を差し出した。クリフは、少し躊躇いつつルシィの手を取る。
仲直りの握手――と見せかけた罠である。ルシィは遠慮なくクリフから溢れる魔力を吸った。
しかし、やはりクリフはすぐにそれを察する。数秒でルシィの手を放した。
そして、自分の手を摩り、手とルシィとを見比べながらつぶやいた。
「君に触れられると動悸がする」
ああ、やっぱり気づいている。意識がない時を狙わないと駄目だな、とルシィは笑顔でとぼけながら思った。
ただ、そんなクリフの後ろで、トリスが戸惑っていた。
「え、それって、恋?」
「違う。トリスは何も感じないのか?」
クリフは即座に否定したが、変な疑惑だけが残った。
ルシィが何をしたのかは秘密なので、勝手に勘違いしてくれればいい。
うふふ、と笑っておいた。
その翌日の昼過ぎ。
ツヤツヤに磨かれた円盤状のチーズを抱え、ルシィはまだ少し痛む足に鞭打って、墓地へと約束を果たしに向かったのである。
【 Chapter Ⅱ「乾いた骨の真実」 ―了― 】