◆6
「ハンナ、計量器と古くて使っていない鍋はないかしら?」
ルシィは採取した薬草で薬を作ろうと思う。
食堂が空いている時間はいけないが、食事を終えて火を消す前の竈なら貸してもらってもいいだろう。
「あるけど、古い鍋なんてどうするんだい?」
ハンナは首をかしげた。手はしっかりと野菜を刻んでいる。
脚が悪いので動き回れる範囲は知れているが、それでもいつも厨房に立って調理をしている。ハンナは働き者だ。
「薬を作りたいの。薬草を煮込むと臭いがつくし、調理用は使えないから」
ハンナは何度かうなずいた。
「後で出しておいてあげるよ」
「ありがとう、ハンナ」
そんなやり取りをしていると、食堂の中に人が入ってきた。客ではない。
ずっと手を止めなかったハンナが包丁を置き、手を拭いて来訪者を迎え入れに行った。
「クリフ様、お疲れ様でございます。お茶でも淹れましょうか?」
「ありがとう。でも、そこまで時間が取れるわけではないから、気持ちだけ頂いておこう。仕事の手を止めてすまない」
「いいえ、とんでもない」
二人して和やかに話している。
この時、セイディは買い出しに行っていた。トリスも出かけている。
ハンナはすれ違いざま、ルシィの背をポンと叩いた。相手をしろということか。
仕方なく、ルシィはクリフに挨拶する。
「ごきげんよう。特に変わったことはないわ」
「そのようだ」
会話が続かない。ハンナは厨房からハラハラとこちらを窺っていた。
「仕事を抜け出してきたの?」
皮肉に聞こえるように言ったが、クリフは取り合わなかった。
「町を歩くのも仕事のうちだ。人々の暮らしを知らなければ話にならない」
「歩いているの?」
「それが何か?」
白銀髪に赤い目という目立つ容姿をしている。そんなクリフが町をうろついていて、町の皆はこの人並み外れた魔力を持つ領主に畏怖を抱いているのではないのか。
そう思ったが、ハンナが厨房から言った。
「クリフ様は就任してからずっと、町の中を歩いて住人に声をかけて回っているんだよ。クリフ様がお一人で町を歩いているからといって、今さら驚く人なんていないよ」
近寄りがたい見た目をしているから、そんなことをするタイプだとは思わなかった。意外に思ってルシィはクリフを見上げた。
「最初は変な目で見られたでしょう?」
思ったことを口に出したら、クリフは苦い顔をした。その表情が物語っている。
「警戒心を抱かれやすい自分だという自覚はある。だから、打ち解けられるまでは根気がいる」
「あなたにとっては、相手がなかなか心を開いてくれなくて普通なのね」
だから、ルシィにもこんなにしつこいのだ。そこは納得した。
「君ほどはっきりと物を言う人はいなかったが」
「あら、そう?」
態度を改めるつもりは、今のところない。
町の人々の様子を見て回っているのなら、クリフはあの未亡人のことも知っているのだろうか。興味本位で訊ねてみた。
「ねえ、私、何度も夫に先立たれている女性に会ったわ。喪服を着ていたの。何番目だかの夫が亡くなったのは最近のことかしら?」
すると、クリフは目に見えて困惑していた。何を困ることがあるのかと、ルシィの方が首をかしげてしまう。
「セシリア・アスカムだな。最近と言っていいのか、半年ほど前だ。二番目の夫は、三年前、最初の夫はその四年前らしいが」
七年の間に三人。結構なペースだ。
しかも、あの小鳥よると、ここではということだから、他所ではまだいたのかもしれない。それだけの数が偶然であるわけはない。何かある。
「七年で三人は多いわね」
ルシィはクリフに水を向ける。もしかすると、何かをつかんでいて、それを話せないだけなのかと。
そう思ってみたのだが、クリフはムッとしていた。
「何が言いたい?」
「何って、その三人はどうして亡くなったのかしら?」
そんなことに興味を持つなんて下世話だと感じたのだろうか。
クリフは苛立って見えた。いつもあんなに失礼な態度を取っても躱すくせに。
「半年前の三人目は仕事中の転落死だ。二人目は心臓発作――最初の一人は私が赴任する前のことだから、資料に書かれていた以上のことは知らないが」
「そうなの。不審な点はなかったのね?」
これを言った瞬間、決定的にクリフは怒りを顔に出した。
それらは本当に不可避の死であったのかと、ルシィが疑っていることに腹を立てたのだ。見落としがあったのではないのかと、クリフを無能扱いするから、それだけは我慢ならなかったようだ。
――と、ルシィはそう感じた。しかし、クリフが怒ったのはそこではなかった。
「君は彼女を疑っているのか?」
七年という歳月で三人の夫が死んだ。そして、それ以上の男が彼女の周りで死んでいる。
疑わない方が変だろう。誰だって疑ってみるはずだ。
「偶然にしては多いでしょう? 夫が亡くなると何か利益があるのかしら」
そこには財産が絡むのだろう。
転落死、心臓発作。関連性のない死に見えるが、多分そうではない。
けれど、それを立証する者がいなかったのだ。立証されなければ、事件にはなり得ない。事故だ。
クリフは、初めて会った時よりも冷たい目をルシィに向けていた。傷つきはしないが、驚きはした。
「幸薄い未亡人を捕まえて殺人者呼ばわりだ。そんなことを言って、恥ずかしくはないのか?」
どうやらクリフは、プライドがどうこういう前に、事故だと信じきっているらしい。だからあの未亡人には同情的だ。ルシィは、可哀想な彼女を苛めるひどい女らしい。
呆れてしまった。それが顔にも出ていたかもしれない。
「作為的な事故だとしたらどうするの? あなた、殺人者を擁護しているわけよね?」
普段が青白いだけに、頭に血が上るとわかりやすい。クリフは顔を赤らめ、目をつり上げていた。
「君は心ない噂を信じるわけか。何も知らないくせに?」
何を感情的になっているのだろう。弱者を庇護する自分に酔っているのではないのか。
ルシィは、時間の無駄なような気がしてきた。
「何も知らないのは、きっとあなたも同じだわ。もうこの話はおしまいにしましょう。私たち、どちらも馬鹿みたいだから」
明らかに、クリフはルシィに幻滅したようだった。しかし、ルシィからしてみれば、まだ幻滅する余地があったのかと思う。
「疑わしきは罰しろと? それを言うなら君も十分疑わしい存在だろう」
散々失礼な態度を取ってもここまで怒らなかった。クリフの怒りがルシィにはよくわからない。わからないものは不快だ。
「そうね。じゃあ出ていけばいいのかしら」
「行く当てもないくせに」
喧嘩を始めた二人に、ハンナが狼狽えて駆け寄ってきた。この時、脚の悪いハンナは余程慌てていたのか、足を柱にぶつけて転んだ。その音で二人は冷静になった。
クリフはサッとハンナを助け起こしに駆け寄る。
「大丈夫か?」
ルシィに対して目をつり上げていたのが嘘のように、優しい声音だった。
「ああ、すみませんねぇ」
助け起こされたハンナは、申し訳なさそうに頭を下げている。
そんな光景を眺め、ルシィはぼんやりと思った。
この男は、弱者に優しい。力を持つからか、弱き者を護るために自分が存在しているような気になるのだろうか。
しかし、世の中には弱者を装っている者もいるということを学ぶべきだ。それをしないのは、庇護欲を満たして優越感に浸っているからでしかない。
馬鹿だな、と思った。