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魔女ルシエンヌの物語  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅱ「乾いた骨の真実」
16/73

◆4

 その日の晩。

 鶏肉の赤ワイン煮込みが出た。


「今日はね、ファンゲスと豆のフリッター、〈小鳥の墓〉よ」


 セイディが可愛らしく怖いことを言った。

 なるほど、赤ワインで煮込み赤く染まった鶏肉にはぴったりだが食欲をそそらない料理名である。


「いただきます」


 食べるけれど。

 ファンゲスというのは、キノコとネギ(リーキ)のスープのようだ。スープストックにシナモン、クローブ、黒コショウを混ぜ合わせたパウダーフォートで味を調えられている。豆のフリッターも、レンズ豆、ひよこ豆、そら豆、枝豆、とバリエーションがあり食べていて飽きない。


 シェルヴィー家の食卓は、ルシィの舌を未知の世界へ連れていってくれた。

 馴染みのない料理ばかりなのに、どれも美味しい。本当に、ルシィを拾ってくれたのがトリスでよかった。


「いい食べっぷりだこと」


 ハンナはいつも感心してくれた。美味しいものはいくらでも入る。


「ごちそうさま! とっても美味しかったわ!」


 魔法なんて使えないのに、ハンナは手でこれらの料理を手で作り上げるのだ。本当にすごい人間だと思う。

 ルシィは上機嫌で食べ終えた皿を下げようとしたのだが、ブラウスの胸元に〈小鳥の墓〉汁をべったりと零してしまった。


「あら、大変」


 隣にいたセイディも立ち上がった。トリスとハンナは食後に水を飲んでいる。


「大丈夫、すぐに洗えば落ちるわ」


 セイディがそれを言い終わらないうちにルシィは皿を机に戻すと、ブラウスのボタンを外し、サッと脱いだ。

 その途端、正面にいたトリスが盛大にむせた。ゲホゲホッとむせ返る音がする中、セイディはルシィが脱いだブラウスを奪い取り、ルシィにかけ直したかと思うと、階段の方へ隠すように押した。


「ルシィ!」


 今までに見たこともないような剣幕である。


「ど、どうしたの?」

「どうしたの、じゃない! 男性の前でなんて恰好を!!」


 男性というが、トリスだ。トリスはルシィの体に興味もないだろう。

 一緒に住んでいてそれが身に染みてわかっている。あれは三歳児をそのまま大きくしたようなものだ。


 むしろこれがきっかけでトリスがルシィの魅力に気づくのなら、それはそれで構わないが、多分ないなと思う。

 そんなトリスにジロジロと肌を見られるより、ブラウスに染みができる方が嫌だ。


「この下着、新しいし」

「そういう問題じゃありません!」


 怒られた。普段ニコニコとしているセイディが怒ると、ルシィもどうしていいかわからない。


「もうしないわ」


 見られても減らないし、困らないというのが本音だとしても、とりあえずそう言うしかない。


「お願いね」


 そう言ったセイディが本当に怒っているというよりは苦しそうに見えたので、なるべく気をつけようとこの時ばかりは考えた。



     ◆



 セイディやハンナはいつも食堂にいるが、トリスは自警団の仕事で家にいない時の方が多い。

 その日は何故か、傷だらけで帰ってきたのだった。


「トリス! どうしたの?」


 セイディがびっくりして食堂の入り口に駆け寄った。店は閉めて仕込みをしていただけなので、客はいない。

 トリスは苦笑しながら入ってくると、テーブル席の椅子に座った。


「喧嘩の仲裁をしてたら巻き込まれた」


 彼自身は穏やかで人懐っこく、喧嘩をするタイプではない。体を張って止めたのだろう。


「自警団も大変ね」


 ルシィがしみじみと言うと、トリスは照れたように笑っていた。


「ああ、そうだ、いい薬があるから取ってくるわね」


 宝石と一緒に家から持ってきた薬の中に傷薬もある。世話になっているから、少しくらいわけてもいい。


「ありがとう、ルシィ」


 屈託なく笑うトリスを、セイディが心配そうに見ていた。ハンナは、息子ならばこれくらいは当然だと思うのか、そこまで過保護に心配しているふうではなかった。


 昨日、下着姿を見せたが、トリスは至って変わらない。

 やはり、根っからオコサマなのだろう。これはルシィの魅力が足りないわけではない。断じてない。


 二階の部屋のサイドテーブルから薬瓶を手に取る。宝石は相変わらずスカーフで包んで置いてあるのだが、ここで暮らし始めるようになってからほったらかしだ。

 昔は煌びやかな宝石を眺めて楽しんでいたのに、今はそんなことをしていても面白いと感じなかった。忙しいからかもしれない。


 薬を手にして戻ると、セイディがせっせとトリスの傷口を湿らせたコットンで拭いていた。


「トリスも気をつけなくっちゃ駄目よ」

「うん、そうなんだけどさ」

「これで何度目? あんまりひどいようならクリフ様にご相談したら?」

「いや、そこまで大事じゃないし、実際治まったんだから平気だよ」


 寄り添って話す二人。兄と妹というよりも、やはり姉と弟に見える。もしくは、そのどちらにも見えない。


「はい、これ」


 薬瓶をテーブルの上にコトリと置く。


「傷口に刷り込んでおけばいいわ」


 ルシィは笑ってセイディに言った。


「染みるかもしれないけど」


 ぎくりと身じろぎしたトリスの腕を、セイディがすかさずつかんだ。


「我慢して」

「う……」


 ルシィは、傷口に薬が染みて悶絶しているトリスを、正面に座って頬杖をつきながら眺めたのだった。



 ――そして、また。


「ごめんなさい!」


 二階から、セイディが見知らぬ男をふっている場面を見下ろす。この前の男ではないようだ。


「僕は諦めないよ。気持ちも変わらない」


 それは迷惑な話だ。


「でも、あたしの気持ちも変わりません。ごめんなさい」


 ルシィは、ひとつため息をついて階段を下りた。

 裏手の扉を開くと、目と口と鼻がついている男がぎょっとした。セイディは助かったとばかりに表情を緩める。


「じゃ、じゃあ、そういうことだから!」


 そんなことを言って男は去った。どういうことなのやら。

 セイディは少し気まずげに見えたけれど、ルシィは構わずにセイディのそばへ行き、彼女の肩を抱いた。


「あれじゃあ駄目よね」

「うぅん、申し訳ないんだけど」

「セイディにはいるものね」

「え?」

「大事な男が」

「…………え?」


 セイディが固まった。いつでも笑顔で躱しているセイディにしては隙だらけだ。ルシィはにこりと笑った。


「兄だろうと弟だろうと、別にいいと思うわ。本人同士がよければ」


 ここへ来てから、セイディのトリスに対する献身は兄妹のそれとは違うと思えた。

 セイディはトリスに構いたくて仕方がないのだ。トリスはよくわかっていないが。

 今までで一番ゆとりのない顔をして、セイディが顔を赤らめた。


「や、そ、それは違って! あたしたち、本当の兄妹じゃないから!」

「そうなの?」


 どうりで似ていないわけだ。

 こくり、とセイディはうなずく。ただ、これを言えてほっとしている気がした。


「あたしは孤児で、お母さんが引き取ってくれたの。小さい時だったから、本当の両親のことはほとんど覚えていないわ」

「それならなんの問題もないわけね」


 血の繋がらない兄妹だ。結婚だってできる。

 しかし、セイディは難しい顔をしていた。


「問題は、トリスがあたしを家族としてしか見ていないことかしら」

「ああ……」


 朗らかで邪気のない、三歳児のような笑顔を思い浮かべ、ルシィも居たたまれなくなった。


 トリスがその気になるのはいつのことなのだろう。あの年齢の男なら、本来異性のことばかり考えて過ごしていてもよさそうなものを、やはりトリスは永遠の三歳児だ。

 セイディはこんなに可愛いのに、勿体ない。


「惚れ薬でも作りましょうか?」


 魔力を失ったルシィでも、材料さえそろえば作れると思う。

 ただし、セイディは苦しそうに表情を歪めた。


「そんなことをして手に入れても虚しいだけだわ」


 それは、そうだろう。

 しかし――。


「……でも、もしトリスが彼女を連れてきたら、その時はお願い」


 そっと、笑う。

 セイディはいい子だ。

 この、ちょっと歪んだところが堪らなく可愛い。


「もちろん」


 セイディのために、今のうちに材料を集めておこう。

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