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魔女ルシエンヌの物語  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅱ「乾いた骨の真実」

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15/73

◆3

 ルシィは食堂の裏手で芋の入った桶を下に置くと、滑車に繋がった釣瓶を手に取る。

 これに水を入れて引き上げるのだ。セイディが水を汲んでいるところは見ていたから、わかっている。


 ポイッと釣瓶を井戸に放り込んでから見下ろすと、釣瓶が水に沈んだ。ルシィは両手で思いきり縄を引く。零さないように、なるべく一度で済ませたい。

 

 予想以上に重い。

 しかも、井戸は深くてなかなか上がってこなかった。ゼェゼェ、ふぅふぅ、息の方が上がっている。

 疲れてきて少し力を抜いた途端、釣瓶は下に逆戻りした。なんて厄介な。


「よい、しょっと」


 年寄りじみた声を上げてしまったが、声を出さないと力が入らない。

 あとちょっとというところで手が滑った。


「あっ!」


 ガガガガ、と滑車を激しく軋ませながら釣瓶が滑り落ちていく。

 止めようとして縄に手を伸ばしたが、つかみ損ねた。つかみ損ねた勢いで、井戸に向かってつんのめった。


 マズい――と思ったが、体の傾きを止められない。

 その瞬間に、ルシィは後ろに引っ張られた。腰に巻きついた腕が、ルシィが井戸に落下するのを防いでくれたのだ。


 セイディでもハンナでもない。女性の力ではなかったが、トリスでもない。もっと背が高い。

 耳元で、ふぅ、と安堵のため息が聞こえた。


「君は井戸水も汲めないのか?」


 この声はクリフだ。()()来たのか。

 それでも、クリフの説教は止まらなかった。


「汲めないのに、できるなんて言うべきじゃない。井戸に落ちたら怪我では済まないだろう?」

「ええ、そうね」


 ルシィは後ろから抱き留められたまま、淡々とした声で返した。

 代理とはいえ、領主が町の食堂に顔を出す。食事をしにくるわけではなく、ルシィの様子を見に来るのだ。三日に一度はやってきて、うるさいことを言う。


 ルシィはそのまま振り返り、吐息がかかるほどの至近距離で微笑んだ。


「あ、り、が、と、う」


 まったく心が籠っていないと思うのか、クリフは端整な顔をしかめた。


 ルシィが領主館に滞在してもいいという申し出を断ってから、クリフは頻繁にここへやってくるようになった。滞在許可は与えたものの、ルシィが依然として不審人物であることに変わりはなく、目を放すのは剣呑だと感じているらしい。


 しかし、クリフにとって利用価値もあるから、追い出したくないのだろう。利害が一致しているからといって、味方であるとも言えない。微妙なところである。


 ルシィはもののついでなので、押しのけるふりをしてクリフの手首に触れ、魔力を少し頂いた。すると、やはりクリフはすぐにルシィから離れた。何をされたのかはわかっていないようだが、何かは感じるらしい。


 この間から会うごとに少しずつ魔力を吸っているが、あまりに微量しか取れないため、この程度では何もできない。ほとんど気休めだ。


「暇ではないと思うけれど、こんなに顔を合わせていると暇なのかしらと疑いたくもなるわね」


 笑って言ってやったら、クリフはじっとりとルシィを睨んだ。

 言い返すかに見えたが、ひとつため息をついただけだった。


「それで、井戸水を汲みたいのか?」

「ええ、そうよ」


 だから、邪魔しないでねと続けてやろうとした。しかし、その前にクリフは手元に小さな魔法陣を出し、楽士に指揮でもするかのような動きで易々と水を操った。


 蒼光の魔法陣は水を吸い上げ、水は蛇のように自ら芋の入った桶の中に降り注いだ。パシャン、と水が跳ねる音を最後に、クリフは手を下ろす。


 クリフにとってこれくらいのことなら、手を使って水を汲み上げるよりも容易いのだ。

 以前のルシィはもっと高度なことが易々とできた。それでも今は、この男が羨ましい。


 魔法を使う際の高揚感は何にも代えがたい。大事な魔力を失った魔女は、(はね)をもがれた蝶ほどに惨めだ。

 ルシィが暗い顔をしたせいか、クリフは急に態度を改めた。


「……悪かった。馬鹿にしたつもりはない」

「えっ?」


 ルシィが表情を曇らせた理由がわからないから、クリフなりに考えたのだろう。

 立場からして高飛車かと思えば、クリフは必要なら潔く謝る。少なくとも、ルシィよりは曲がったところのない人だ。


「謝るべきところではないはずよ。私は常に、あなたには敬意を表しもしないし、態度も不躾だわ。あなたこそ、怒ってもいいのではないの?」


 そう思うのなら敬えと言ったところで断られるのが目に見えているのか、クリフは乗ってこなかった。腕を組み、ルシィを見下ろす。


「君の態度に怒れというのなら、特に怒りは感じない。へりくだられるのが好きなわけじゃない」


 食堂の裏手の井戸。

 そんな場所にいながらも、クリフは高貴にしか見えない。あまりに場違いだ。


 それでも、ここが汚いところだと見下していないことくらいわかっている。

 力を持ちながらも、クリフは驕らない。仕事上の、すべきことをしているだけだ。


 あれから魔族の襲撃は一度もないが、またあの状況が訪れたとしても、クリフは町の人のために力を出しきるのだろう。

 ルシィが同じ立場なら、あんなことはしない。それだけは確かだ。


「とにかく」


 と、ルシィは言い、芋の前にしゃがみ込んだ。


「私は元気に楽しく過ごしているわ。当分どこへも行かない。これで満足?」


 可愛げのない言い方でも、クリフは怒らない。もしくは、怒っていたとしても面に出さない。


「ああ、そうだな。じゃあ、次からは気をつけて水を汲むように」


 去っていったクリフの背を見送りもせず、ルシィは芋を擦り合わせてガシガシと洗った。

 爪の間に泥が入り込んだらなかなか取れないということを、長い生涯の中で初めて知った。

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