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魔女ルシエンヌの物語  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅰ「魔女-魔=??」
11/73

◆10

「ルシィも……行くって、本気か?」


 トリスは唖然としてるが、ルシィは平然と言い放つ。


「私を連れていった方が早く回復できるようになるわ。ためしに一度連れていけばわかるから」


 これでも記憶喪失のつもりなのだが、細かいことはまあいい。クリフに恩を売っておいて損はなさそうだ。

 ハンナは難しい顔をしていたが、止めるべきか迷っているように見えた。その前に、食堂の扉が叩かれる。


「モリンズです。夜分にすみませんが、お迎えに上がりました」


 トリスが扉を開くと、そこにいたのはクリフのところにいた老執事だった。店の前に馬車を停めている。ルシィは外へ出ると、馬車馬の横に立った。


 やはり、あんなことがあった後だ。馬が怯えて小刻みに震えていた。ルシィは御者台の上の御者に声をかけるでもなく、馬の鼻面を撫で、体を寄り添わせる。


「怖かったわね」


 声をかけると、馬は小さく鳴いた。


『いつものことだけど、あの雷の音には参るよ……』


 やはり、動物は人以上に敏感だ。可哀想に。

 ルシィが撫でると、馬は見るからに落ち着いた。それを御者が不思議そうに眺めている。馬から離れると、ルシィも馬車に乗り込む。モリンズが止めたそうにしていたけれど、笑顔で躱した。


「私一人くらい増えても問題ないでしょう?」

「いえ、クリフォード様は喜ばれないかと」

「そうかしら? 起きたら感謝するかもしれないわよ」


 そんなはずはないと言いたげだが、ここで揉めている時間も惜しいのか、馬車は走り出した。車窓から見る限り、魔族の影はない。一体残らず焼き尽くしたのか、欠片でさえ落ちてはいない。

 町の人々は枕を高くして眠れるだろう。クリフがいる限り安心だと。


 その当人が後で寝込んでいるとも知らずに。クリフが知られたくないのだから、知らないのは仕方がないけれど。


 これで町人は誇らしげにクリフを称えるのか。クリフの人気は高いのだろうな、とぼんやり思った。



 歩いていくのとは違い、馬車だと領主の館はすぐ近くにあるように感じられた。薄暗くなった足元をモリンズがカンテラで照らしてくれる。


 三人が通されたのは、クリフの寝室だった。クリフはというと、ダマスク柄の豪奢なベッドではなく、靴を履いたまま安楽長椅子(シェーズ・ロング)に横たわっている。そこで力尽きたといった有り様だ。


 テーブルには水差しとグラスが置かれているのみで、クリフはそれに手をつけた様子もない。浅い呼吸の音だけが聞こえる。


「クリフォード様は、こうした状態の時には気を許した者しかおそばに寄せたがられないのです」

「それでわざわざセイディに看病させるのね」


 ルシィが言うと、モリンズはムッとしたように見えた。部外者のルシィがここにいるだけで腹立たしいのだろう。

 しかし、クリフの状態を一番正確に理解しているのはそのルシィだ。


 魔力というのは血と同じほど体内を駆け巡っているもの。その魔力を大量に燃やした時、体が熱暴走を起こす。人として相応しい程度の魔力なら体が抑え込めるが、クリフの力は人の体には強大で負荷もかかる。

 時間が経てば治まるが、高熱を出しているのと変わりない。当人は苦しいだろう。


 ルシィはクリフに近づくと、絨毯の上に膝を突いた。そして、だらりと下がっている手を両手で握る。脈を測るようにしてみせるけれど、本当は違う。ルシィは、クリフの強力な魔力を吸い上げようとしているのだった。


 体内で暴れている力を少し逃がしてやればいい。ルシィは今、空っぽだからいくらでも入る。

 なるべくたくさん取ってやりたいが、やりすぎるとクリフが死ぬかもしれないので、そこは加減する。


 ただ、意識のない相手の手からではたいして吸い取ることができない。それでも、まったくということもなかった。微量ながらに流れてくるのを感じる。


 自分の魔力を失って数日だが、すでに懐かしい感覚だった。この量では以前のような魔法を使うことは到底できないが、擦り剥いた手の傷くらいは治せるだろうか。


「ルシィ、どうなの?」


 セイディに声をかけられてハッとした。魔力を吸い取るのに熱中しすぎて他に人がいることを忘れていた。


「ええ、明日には治せるわ。そうね、これがいいかしら」


 ルシィは手持ちの薬瓶をひとつ、スカーフの包みから取り出す。どす黒い液体だ。


「何それ……」


 トリスが嫌な顔をした。モリンズはもっと嫌な顔をした。


「熱冷ましに。ハナハッカとカノコソウ、ハシバミ、ヤドリギ……毒じゃないから安心して」


 皆がぽかんと口を開けた。


「ルシィって薬師なの?」


 手元の小瓶を見遣りながらセイディがそんなことを訊ねる。


「まあ、近いものかしら」


 そういうことにしておこう。

 昔から、母も薬作りには詳しくて、ルシィに製法を教えてくれたのだ。魔法より効きやすい薬がある。傷薬などはよく作った。ルシィは自分の傷しか治せないから、人間に懇願された場合はよく効く薬を売りつけたのである。

 それ以外にも惚れ薬や睡眠薬、色々と作れる。材料と設備さえあれば。


 水差しからグラスの三分の一ほどまで水を入れると、そこに手持ちの薬を三滴ほど落とした。いきなりたくさん与えると強すぎる。


 この薬がなくとも、ルシィが魔力を吸ったので、普段よりは回復も早いだろうが、さらに飲ませておけば楽になるはずだ。

 薬を混ぜた水を飲ませようとすると、モリンズが慌てた。


「わ、私がまず毒味をさせて頂きますっ」

「いいけど、全部飲んじゃ駄目よ」


 ルシィはグラスをモリンズに差し出した。モリンズはその薬水を飲もうとして、むせた。わかっている。臭いのだ。


「薬なんだから、臭いは我慢して」


 モリンズは手に落とした数滴の薬水を涙目になりながら舐め、毒ではないと納得したようだ。ルシィに薬を返す。

 クリフの呼吸がさっきよりも落ち着いてきていた。ルシィはクリフを軽く揺する。


「お薬、飲めるかしら?」


 男にしては長い睫毛が小刻みに震え、赤い目が僅かに覗く。意識は辛うじてあった。

 ルシィはクリフの首の後ろを支え、グラスの水を少しずつ流していく。むせたら鼻でもつまんでやろうかと思ったが、そのまま飲んだ。


「あとはゆっくり眠るだけね」


 そう言うと、クリフは再びまぶたを閉じた。やはり、まだつらいのだろう。

 モリンズはまだ疑わしげな目をしていた。ルシィはそんなモリンズを躱し、トリスに顔を向ける。


「トリスは帰るの? 私も一緒に帰る?」

「あ、うん。俺は母さんだけにしておけないから帰るけど」

「じゃあ――」


 立ち上がりかけたルシィの腕を、寝ていると思っていたクリフがつかんだ。とはいっても弱々しい力で、振りほどけないほどではない。

 それを見ると、モリンズは嘆息した。


「あなたはセイディさんとこちらにお泊りください。クリフォード様はまだあなたにご用がおありのようですので」

「そう?」


 素直に感謝してくれたらいいけれど、一体何者なんだと問い質してきたら面倒くさい。余計なことをしてしまっただろうか。


 ほんの少し魔力を吸えたから、ルシィとしても恩に着せるつもりはないのだが。

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